『起こしちゃダメだよ』 |
それは、ダイにとって初めて聞く声だった。
それこそ全身を使った遠吠えは、普段の鳴き声とは別物だ。聞いただけで、それが特別な呼びかけだと分かるからこそ、遠吠えはめったに行われない。どうしても仲間を呼ぶ必要がある時だけの、特別な叫びだ。 でも、その声を聞いた時には、何を置いても駆けつけることにしている。仲間を呼び集める声になら、真っ先に駆けつけたいと思うから。 だが――その声は、いつまで経っても収まらなかった。すぐ近くにダイもブラスもそろっているのに、ゴメちゃんも心配そうに寄り添っているのに、それでもその声は収まらない。 「うぁああああああ……っ、アバンせんせい…………っ!」 叫び声は大半が言葉にもなりきっていないわめき声だったが、それでも叫びの中に何度も何度も繰り返し、紛れ込むように呼びかけられるのがアバンの名だった。 しかし、その呼びかけに応えはない。 遺体すら残らない死――。 だが、それを隠したり拭ったりする余裕もなく、魔法使いの少年は泣き続ける。 それは、聞いているだけで辛くなるような声だった。 「ポップ……」 しかし、歩きかけたダイの服の裾が引っ張られる。 「………………」 見下ろせば、難しい顔をしたブラスが静かに首を振っていた。 (だって、ポップがあんなに泣いているのに……) この島で一番泣き虫なのは、ゴメちゃんだ。ちょっと臆病なゴメちゃんは、怪物の赤ん坊がよくそうするように、些細なことで泣きだしてしまう。 そんな時、ゴメちゃんをなだめるのはいつだってダイだ。 なのに、ブラスはやはり首を横に振る。 ブラスは、この島で一番頭が良い怪物だ。 だから、いざという時はブラスの判断に従うのがこの島のルールだ。 だからダイは、ブラスやゴメちゃんと並んで、泣き続けるポップをずっと見守り続けた。
雨は、いつまでも降り続かない。南国特有のスコールもいずれは止み、雨だれだけになるように、泣き続けていた声もやがて収まっていく。 日がほとんど暮れかけ、辺りが暗闇に包まれかけた頃になると、ポップの泣き声は号泣から嗚咽へと変わっていた。 「のう、ポップ君。いつまでもそこにいては、身体に毒じゃ。こっちにおいで」 いつになく優しいブラスの呼びかけに、ポップは反応を見せなかった。 「これも、持っていかないとのう。ほら、おいで」 眼鏡に釣られるように、ポップがようやく目を上げる。 数時間に亘って泣き続けたポップは体力も気力も消耗しきったのか、ぐったりとして元気が無かった。それでも、アバンの眼鏡を取り戻そうと思ったのか、ポップはブラスを追おうとする。 「ポップ!?」 とっさにダイが支えたから倒れずに済んだが、ポップはダイに見向きもしない。そのまま、ふらふらとブラスの……というよりは、ブラスの持つアバンの眼鏡を追いかけていく。 「ピイィ……」 ゴメちゃんも心配そうにポップの肩に乗ったが、それにも反応を見せなかった。 『ああ、お構いなく。私とポップは野宿させていただきますので。なぁーに、これも修行ですよ。魔法使いには、野宿の方が精霊とのつながりが強くなるものですからね』 修行の初日に、アバンはそう言った。 『だって、この家じゃおれやアバン先生も泊まるにゃ狭いだろ? おめえやじーさんの家なんだから、邪魔しちゃ悪いじゃん』 ポップの言う通り、ブラスの家はダイとブラスが暮らせるぐらいの広さしかない。二人を家に泊めるなら、ブラスかダイ、どちらかは外で寝なければならないぐらいに。 それを知っていたからこそ、アバンもポップも気を遣ってくれていたのだと、ダイは今更のように気がついた。 「ここで、休むといい。……そうそう、お腹がすいとるじゃろう、何か用意しよう」 ブラスの部屋に案内されたポップは、逆らうことなくそのまま寝床についた。だが、後半の問いかけにはわずかに首を振る。 「え、でも、ポップ、食べないとおなかがペコペコになっちゃうよ?」 つい、ダイは口を挟んでしまう。 が、そう言ってしまった後で、ダイは自分の発言がまるっきりポップに届いていないことに気づく。
ずいぶんと間遠になってはいても、それでも止まない泣き声は、ダイを落ち着かせなくさせる。 開けっぱなしの窓のせいで、波の音や怪物達の鳴き声を聞き続けるのなんて日常のことなのに、隣の部屋から聞こえるポップの泣き声は、嫌と言うほど耳についた。 大泣きしていた昼間に比べれば、かすかな声になっているにも関わらず胸に突き刺さる。 (アバン先生……) あの優しかった先生は、もう、二度と戻ってこない。その事実が、じわじわと胸に染み渡っていく。 怪物達に、『悲しみ』という感情がないわけではない。 ただ、それが人間とは同じとは言えないことも、ダイは知っていた。 だけど、平和なこの島でずっとブラスやゴメちゃんと暮らしていたダイは、ごく身近な存在が欠ける悲しみなど知らなかった。 (こんなの……絶対に、いやだな) 心から、ダイはそう思う。 人間を苦しめる魔王が動き出せば、被害は広がっていく。フッとダイの脳裏をよぎったのは、初めて友達になった人間の女の子のことだった。 (レオナ……) レオナにとって大切な人が犠牲になったのなら、彼女の今のポップのように泣くのだろうか……それは、考えただけで胸が痛くなる想像だった。 (そんなの、ダメだ……っ!) レオナを……大切な友達を、泣かせたくない。 ダイの中でその二つが強く結びつき、強い決意へと変わる。魔法使いの少年のすすり泣きを聞きながら、この夜、小さな勇者は旅立ちの決意を固めた――。
まあ、さんざん泣いたせいで涙の後やらなんやらが顔にこびりついてはいたが、それでも今のポップの顔は穏やかだった。 『まったく、この子はねぼすけで困りますよ』 修行を始める前に、アバンが決まってそうやってぼやいていたのを思い出す。スペシャルハードコースを希望したダイは日の出前から修行を開始したが、通常コース希望のポップの修行スタートは遅かった。 だけど、口ではそう言いながら、アバン先生はポップを起こさないようにといつだって声を潜めていた。 その気持ちが、今のダイには分かるような気がする。 (おやすみ、ポップ) 今日、ダイはデルムリン島を旅立つ。 ダイは、一人で旅立つつもりだった。 実際、今朝、ダイはブラスにそうした方がいいと進められた。 昨日、あれほど悲しんでいたポップが、今は安らかに眠っている……それなら、ダイはとても彼を起こせないし、起こしたくもない。 それが根本的な解決にならないとは分かっていたが、それでもダイはポップの眠りを妨げたいとは思えなかった。 せめて起こさないようにする以外、ポップを助けられる方法がダイには見つけられない。 魔法使いの眠りが少しでも永く続くように……そう願った小さな勇者の思いやりは、予想外に早く破られることになる――。 END 《後書き》 『……じいちゃん。ポップを起こしちゃだめだぜ……』 アバン先生亡き後、泣き寝入りしたポップについてのダイのこの台詞、気の利いた慰めとか、適切な対処のできないダイの不器用な優しさが感じられてめっちゃお気に入りです! なのに、残念なことにこの台詞ってアニメでは改変されているんですよーーっ(泣) 『……じいちゃん。ポップをよろしく頼むよ』 嘆いているポップに対してなんの感想もなく、自分ではなくブラスに任せっきりにしてる気がして、非常に残念でなりません。 個人的な意見ですが、ダイにはポップの今後を考えるほど頭の良い決断をするのではなく、目先のことだけしか考えずに起こしちゃだめだと言い残す方が合っている気がするんですよ。 |