『なるべく早く帰ります』 |
え? 彼について聞かせて欲しいですって? だって、あなたは彼の弟子の中で、一番長く教えを受けていたと聞いたもの。ええ、一番手を焼かせてくれた子だと笑っていたわ、ふふふ。 彼から聞いた、あなたとの旅のエピソードならいくつもあってよ。どれも面白くて、思わず笑ってしまったわ。どうせなら、そちらを話しましょうか? ――あらあら、そんなに慌てなくても。ふふっ、からかってごめんなさいね。 でも……不思議ね。彼のことは誰よりも私が一番よく知っているつもりで、いろいろなことがあったと言うのに……いざ話そうとすると、何を話せばいいのか分からなくなるわ。 ……ああ、別に気にしなくていいのよ。あんなに長い間連絡を取ってくれなかったのは、弟子のあなた達には責任は一切無いわ、アバンのせいなのだから。 だからかしら、昔からいつだって彼から目を離せなかったの。 どこかつかみ所が無いというか、いつも無欲で、飄々としている人だったの。武勇と騎士らしさを重んじるカール騎士団の中では、はっきり言って彼は浮いていたわ。 だって、騎士の訓練などそっちのけで、いつも厨房に籠もっては料理ばかりしていたんですもの。そのせいで、よくロカが怒っていたのを覚えているわ。 ええ、カール騎士団長のロカ……あなたも知っているでしょう、マァムの父親よ。彼は当時のカール王国騎士団でも優秀な騎士の一人でね、歴代最年少でき士団長の地位に就いたの。 将来の将軍候補とされていたわ。もし、あのまま彼がずっとカール王国にいたのならば、最年少で将軍位につくのも夢ではなかったかもね。 一本気で生真面目な人だったけれど、正義感が強すぎるせいか短気でね……そうね、そんなところはマァムとそっくりね。さすが親子と言うべきなのかしら、あの娘は性格的には父親似のようね。 ロカとアバンは性格は正反対と言っても良かったけれど、二人はとても息が合っていてね、よく一緒に行動していたわ。とは言っても、任務や訓練をサボりたがるアバンをロカが怒鳴って連れ戻すというパターンが多かったのだけれどね。 ふふ、そうよ。 そうね、正直に言ってしまえば、アバンは騎士には不向きな落ちこぼれだと考える者が多数だったのよ。 彼は、天才よ。紛れもなく、ね。 そうね、彼はオールマイティな天才だったの。 乱世ならば、その才も愛でられるでしょう。 魔王の存在などおとぎ話になるぐらい遠い昔の話だったし、人同士の諍いすらない、数百年の平和が続いた時代……ええ、二度の魔王が現れた近代とは比べものにならない、平和な時代だったのよ。 そして、誰もが思っていた。 私の父上……先代カール王は名君と呼ばれた方だったけど、そんな父でさえ実際に魔王が現れたあの時まで、平和が続くと信じて疑いもしなかった。 自身の才能を秘めるがごとく振る舞っていた彼だけは、知っていた。 いずれ、訪れる戦いの時に備え、一人、静かに牙を研いでいたの。 彼ってずるいのよ。……え、知っているって? ふふっ、そうでしょうとも、そこは何年経っても変わらないところだと思うわ。 世界を守るために――そう言われてしまっては、止めることもできないじゃない? そこから先は、あなたも知っているんじゃないのかしら? 王は勇者を存分に讃えるつもりだった。褒美として自国の王女を娶らせ、国を譲り渡す決意を固めていたというのに、それを切り出す暇も与えない早業だったわ。あ、でも、早業というのなら、ロカの方がうわてだったかしら? だって、ロカときたらその時にはすでに素敵なお嫁さんと、可愛らしいお嬢さんまでいたんですもの。あの時には、我が国の騎士団全員があっけにとられてしまったわね。 密かにロカの婚約者候補として用意されていた貴族の姫達の嘆きなんか、ロカは気づいてもいなかったんじゃないかしら? お嫁さんの故郷で暮らすから、カール王国にはもう二度と戻らないと断言して、褒美をいらないと一切拒否したロカはある意味では潔かったかもしれないわ。 でも……、アバンはずるかったわ。 でも、それを責めるのは……酷というものね。 世界が平和になったのに、彼にはそれが永遠の物ではないと分かっていたの。そのために、次世代の勇者達が必要だと彼はあの頃から考えていたわ。 そう言われてしまっては、やっぱり止めることは出来なかったわ。私はまた、彼の旅立ちを見送るしか出来なかったの。 「へー、先生ってあんま、昔っから変わってなかったんですねえ」 と、呆れたとも感心したともつかない調子でそう言ってのけたのは、二代目大魔道士であり、大勇者アバンの弟子の一人でもあるポップだった。 現在、カール王国に留学中のこの魔法使いの少年をお茶に誘ったのは、カール女王ことフローラ。 「ええ、そうね。いい意味でも、悪い意味でも、変わらない人だわ」 くすくすと笑いながら、フローラは香り高い紅茶を口に含む。今は自分の夫になった大勇者を語るのに、思ったよりも熱を込めてしまったせいか、せっかくのお茶はやや冷めている。 「そういや、その言葉ってなんだったんですか?」 好奇心に目を輝かせてそう聞く魔法使いの少年の態度は、庶民的というか、一国の女王に対してあまりにも遠慮がなさ過ぎるものだった。が、フローラはこの少年の無礼を咎める気など無い。それどころか、むしろ楽しんでいた。 王族に対して、これほど遠慮なく振る舞える人物など、そうめったにはいない。そんなところが師であるアバンに似ていると思いながら、フローラは新しくお茶を入れるために手ずから用意をする。 庶民出身のポップが気兼ねしなくてもいいよう、侍女まで人払いしたので茶を入れ替えるのも自分でしなければならない。が、王女時代から淑女として高い教育を受けてきたフローラには、容易いことだった。 「ふふっ、たいした言葉じゃないわ。よく言うような有り触れた言葉だし、多分、あなたも聞いたことがあるんじゃないかしら?」 フローラがそう答えた時、ポップがふと、空を見上げた。 そう思って同じように空を見上げたフローラが見たものは、特徴的な光の軌跡だった。瞬間移動呪文特有の光は、流れ星のようにすぐ近くへと降り注ぐ。 「え、先生、もう帰ってきたんですか? まさか、もう片付けちゃったんですか!?」 驚いたように、ポップが目を見張る。 アバンの手際なら鎮圧にそれほど時間はかからないだろうとは思ったが、いくらなんでもお茶の時間までに片付けてくるとは思いもしなかった。 「ええ、もちろんですよ。言ったでしょう、なるべく早く帰ります、ってね」 聞き覚えのある言葉に、フローラは我慢できずについ吹き出してしまう。 「ええ、そうでしたね……今回は、言葉通りで嬉しいですわ」 なにせ、前回は『なるべく』が15年もかかったんですから――そう、心の中だけでこっそりと付け加えながら、フローラは最愛の夫のために新しくお茶を入れ始めた――。 END 《後書き》 別名、フローラ様のお惚気(笑) タイトルの『なるべく早く帰ります』は、実際にアバン外伝でアバンが言っていた台詞です。 |