『死地へ赴く』
 

「…………!」

 言葉になりきっていない嗚咽が、波の音に混じって聞こえるような気がした。

 振り返れば、そこには黒髪の賢者の姿が見えることだろう。打ちひしがれて浜辺に座り込む美しい娘の姿が。
 心ある者なら、つい助け手を差し伸べたくなる姿に違いない。
 だが、ヒュンケルは振り返らなかった。

 抜きん出た美貌と聡明さを持ち、周囲からの信頼も厚い三賢者の一人。
 それが、エイミだった。

 国王が死亡し、魔王軍からの侵略を受けるという国難の中にありながら、王女であるレオナに忠実に仕えるその姿は、ヒュンケルの目から見ても好感が持てる物だった。

 勇者としては若すぎるダイやポップに対して、礼儀を守りながらも気さくに接し、元魔王軍であるヒュンケルやクロコダインに対しても偏見なく接してくれる数少ない人間だ。

 怪我を負った時に直接看病を受けた恩もあり、ヒュンケルはエイミに対して悪い感情は持っていない。

 だが、それは好意を抱いていると同義ではない。
 少なくとも、エイミが自分に対して告げてくれたように、異性としての好悪の感情を彼女に対して向けることは出来なかった。そもそも、いつからエイミが自分へ思いを寄せていたのか、それさえヒュンケルには分からない。

 それでも、ヒュンケルはエイミの思いを否定する気は無かった。
 あれほどの熱意を込めて語った自分への告白を、疑うのは彼女に対して失礼というものだろう。

 だが、それに応える気は無い。
 ヒュンケルがエイミに望むことはただ一つ、自分を忘れて欲しいという思いだけだ。

 そして、ヒュンケルもまた、エイミのことを意識的に頭の片隅へと追いやる。

 あんな目立つ場所に蹲っていては、敵の目につくのではないかなどと思う気持ちがないではないが、それはヒュンケルが心配することではないはずだ。

 エイミの告白を拒絶した以上、彼女の安全を最優先に考えるのは僭越というものだろう。そもそも、ヒュンケルが優先したいのはエイミではない――ダイ達なのだから。

 ヒュンケルは目の前の死の大地へと、意識を集中させた。
 死の大地で一際目立つのは、島の中央にある高い山だ。尖った岩でできたその山は、普通の山とは何もかもが違う。まるで尖塔であるかのように、高く突き立った存在だ。

 しかも、驚くべきことにその山は、突然、隆起したものだ。ダイ達が死の大地へ来る時期に合わせたかのように、彼らの目の前で見る見るうちに盛り上がり、雲へと届く山となった。

 まるで、その山が暗雲を呼んでいるかのように島全体に暗い色の雲がかかっているのが見える。

(全く、死の大地とはよく言ったものだ……)

 いつからそう呼ばれているのかは知らないが、あの地にそれ以上相応しい名前もないだろう。
 一度行っただけのヒュンケルも、そう思わざるを得ない。

 対岸越しでさえ死の大地の天候の悪さや、岩山だらけの険しい地形が見て取れる。おまけに、死の大地周辺の海が荒れているのは、遠目からでもよく分かった。
 漁師でさえ近づかない場所だというのも、頷ける。

 それでも、そこに行くためにヒュンケルは船を探していた。元々は漁が盛んだったのか、それとも大型船建造の際に小舟が用意されていたのか、港には未だに複数の小舟が放置されているのが見えた。

 その中でもっともマシな船を選び、死の大地に亘るのがヒュンケルの最初からの計画だった。

(いや、計画とさえ呼べないか……)

 自分の愚かさに、ヒュンケルは苦笑する。
 理性では、ヒュンケルにも分かっている。
 レオナやエイミの制止を振り切って強引にダイ達の後を追ったものの、まず――いや、ほぼ確実に間に合うまい、と。

 ポップのように瞬間移動呪文が使えるならいざ知らず、根っからの戦士であるヒュンケルには魔法など無縁のものだ。

 今ほど、ポップが羨ましいと思ったことは無かった。
 見えない翼を背に持つあの魔法使いのように、望んだ所へそのまま飛んでいける力があれば、どんなによかっただろう。

 あるいは、なぜか自分の元に戻ってきた魔槍の不可思議な力を、ヒュンケルの意志で自由に出来たのならどんなに素晴らしいか――。
 そんな、夢にも等しいことを思い浮かべてしまった自分の弱さに、ヒュンケルは自嘲する。

 夢の上にさらに夢を被せるような想像をすること自体、愚かにも程がある。
 ヒュンケルはありもしない奇跡になど、すがる気は無い。欲するのは、自分の手、自分の足で成し遂げることの出来る、確実性のあるものだけだ。

 どこかへ行くのならば、歩くか、それに適した乗り物を使うしかない。今回の場合は、海を越えるのだから当然、船を使うことになる。

 しかし、巨大な山のせいで近くにあるかのように見えるが、実際にはカール王国跡地であるここから死の大地までは、相当の距離がある。

 元々、海流の流れが速いこともあり、死の大地までの移動にはベンガーナ王国主導で大型船を用意しておいたくらいだ。ヒュンケルが操れる程度の小舟で向かうともなれば、尚更時間がかかることだろう。

 それがどれほどの時間のロスになるのか、ヒュンケルには分かっていた。
 どんなにうまくいったとしても、到底、戦いには間に合うまい。

 あの聡明な姫が、ヒュンケルを止めなかった理由がよく分かる。
 その必要もないからだ。

 もし、ヒュンケルの参戦が少しでもダイ達の不利に傾くと判断したのなら、あの姫はヒュンケルに行くなと命じたことだろう。
 しかし、彼女はそうは言わなかった。

 はっきりと役には立たない、足手まといになるとまで言ったレオナが、ヒュンケルに遠慮する理由などない。

 姫がヒュンケルに行くなと命じなかったのは、どうせヒュンケル一人で死の大地へ向かっても手遅れになると分かりきっていたからだ。ダイ達の戦いの邪魔にならない範囲で、それでもヒュンケルが自分自身の意志で行動したいというのならばと、黙認してくれたのだ。

 ヒュンケルの行動が壮絶な無駄足であり、自らの身体を痛めつけるだけの自己満足に過ぎないと分かった上で。

 気球船を出して協力する気を微塵も見せなかったのは、むしろレオナの思いやりだろう。もし、ヒュンケルを盾として戦わせる気があるのなら、そうすれば良かったはずだ。

 しかし、あの姫はそんな非情な戦法を選択するにはあまりにも高潔だ。
 故に、レオナがヒュンケルを一度止めた後は自由を許してくれたのは、決して打算でもなければ、妥協でもない。ヒュンケルの自由意志を、尊重してくれたのだ。

 野垂れ死ににも等しい選択を選んだ自分を放置してくれたレオナの器の大きさには、感謝しかない。

 レオナは、ヒュンケルを止められないと判断してくれたのだ。
 自分自身の選択の愚かさが分かっていても、止められないのはヒュンケルも同じだった。

 鎧を身に纏ったことで精神的には少し落ち着き、しゃんと背筋が伸びたような気がするが、それが気休めに過ぎないことはヒュンケルが誰よりもよく理解している。

 もう、自分が戦士として再起不能になった事実を、ヒュンケルは当然のように受け止めていた。

 竜の騎士バランとハドラー親衛騎団のリーダー・アルビナスの攻撃を同時に受けて、この程度で済んだ方が不思議なぐらいだ。
 なによりも身体がひどく重く、ベストの動きとはほど遠い。

 だが、それが分かっていてなお、ヒュンケルは足を止める気は無かった。
 確かに、静かに横たわっていれば、この先も命に別状はないだろう。それに、ダイ達が怪我を負った仲間を見捨てるような人物で無いことも、承知している。

 戦う力を失ったとしても、彼らはヒュンケルを仲間として受け入れてくれることだろう。

 しかし、それでは駄目だ。
 他の誰が許したとしても、ヒュンケル自身が許せない。
 このまま、ずっと横たわったままダイ達の無事を祈るだけなどという日々に、耐えられる気はしない。

 だからこそ、無駄で、無謀で、愚かしいと分かっていながらも、ヒュンケルはダイ達を追って戦場を目指す。願わくば、ダイ達の盾となって少しでも攻撃を引き受けたいところだが、そうできなかったとしても構わなかった。

 ヘタに動いたせいでダイ達とすれ違い、二度と会えなくなる可能性すらあると承知しながらも、それでもベッドを暖めるだけで終わる人生よりも、この方がよほど有意義と思える。

 仲間達が命を懸けて戦うのであれば、自分もまたその場に居たい。
 そして、倒れるのであれば、ダイ達の盾となって費えたい。
 それが、ヒュンケルの中では揺るぎなき正義であり、命と引き換えにしてもかなえたい願いだ。

(これなら……手頃だな)

 ヒュンケルは放置された小舟の中で、もっともマシと思える物を選び出し、海へと押しやる。そこに乗り込むか乗り込まないかのうちに、頭上から羽ばたきが聞こえてきた。

 一瞬、敵かと思い見上げたヒュンケルだが、すぐに身構えを解く。
 空を飛ぶ巨大な怪鳥は、確かに怪物には違いない。だが、それはヒュンケルも見知った相手だった。

(ガルーダか……)

 獣王クロコダインの腹心の怪物であり、文字通り彼の足代わりとなって空を飛ぶ鳥系の怪物だ。その飛翔力はなかなかの速度であり、さすがにポップの飛翔呪文には劣るとは言え、気球よりもずっと速く移動出来る。

 それに、以前、クロコダインとヒュンケル、マァムの三人を同時に運んでくれたこともあった。飛翔力に加え、そこそこの力もあるらしい。
 ガルーダで運ばれれば死の大地までひとっ飛びだと思わなかったと言えば、嘘になる。

 しかし、ヒュンケルはガルーダを呼ぶ気は無かった。
 ガルーダが他ならぬクロコダインに忠誠を誓った怪物だと知っていたからだ。

 一度、主君を定めれば魔王の精神派すら跳ね返すほどの怪物が、自分の命令や脅しでなんとかなるなどとは思えないし、ましてや朋友の愛鳥に無理強いする気などもっと無い。

 だからこそ、ヒュンケルはガルーダを無視して小舟を進ませようとした。
 だが、驚いたことに、ガルーダの方が船の舳先へと舞い降りてきた。

「クワァアア!」

 一声鳴いたガルーダは、頭を回して周囲を見回した。
 それから、返事を待つかのようにじっとヒュンケルを見つめた。その意味に気づくのに、瞬き数度ほどの時間がかかった。

「まさか……おまえは、オレを死の大地へ運んでくれる、とでも言うのか?」

 そう言いながら死の大地を指さすと、ガルーダは大きくまた、一声鳴いた。まるで、『そうだ』と言わんばかりに。
 少しの戸惑いの後、ヒュンケルはガルーダがここにいる意味を理解した。

(……そうか)

 ダイとポップがそろって死の大地に向かった以上、拠点に残ったレオナ達との連絡手段はなくなってしまった。
 それはこの先拠点で何かあったとしても、レオナ達側からダイ達へ連絡は出来ないという事実を意味する。

 むろん、全員がそれを承知の上でこの作戦を立てたのだろうし、いざとなればレオナ達は自分達の身の安全よりも敵の撃破を選ぶだろう。

 だが、それをダイ達が喜ぶとは思えない。
 むしろ、彼らはいざという時は逃げて欲しいと望むに決まっている。
 それを思えば、クロコダインがガルーダを拠点付近に残しておいた意味が見えてくる。

 おそらく、あの豪放な戦士は万に一つの脱出の機会を、自分にではなく拠点の仲間達のために残しておいたのだろう。もし、誰かが拠点から出て移動するようなら、手助けするように命じて。
 その結果、ガルーダはヒュンケルに助力するために舞い降りてくれた。

「頼む。ガルーダよ、オレを死の大地へ……クロコダイン達の所へ、運んでくれないか? それも、出来る限り早く」

「クァアアッ」

 翼をはためかせたガルーダは、足につかまったヒュンケルの重みなど感じていないような力強さで空へと羽ばたいた。船や気球などとは比べものにならない速度で、景色が流れていく。

 それは、普通の人の感覚ならば驚くべき速度だろう。
 が、ヒュンケルにとっては、それでも遅いと感じるほどにもどかしかった。贅沢だと分かっていても、戦いに決着がつく前――いや、戦いが始まる前に駆けつけたい。

 逸る気持ちを抑えつけ、じっと前方だけを睨み続ける。
 そして、見た。
 目を射るように輝く、銀色の煌めきを。

 それは紛れもなく、親衛騎団の色合いだった。彼らの動きが、煌めきとなって光を跳ね返している。
 それは、まだ仲間達が戦っている何よりの証拠でもあった。

 まだ、仲間達が戦っているのなら、自分にも出来ることがある。その事実が、身が震えるほどに嬉しかった。

 やがて、ポップ達の姿が見える位置まで近づく。
 4対3の戦いは、遠目で見てでさえ不利に見えた。特に、親衛騎団の攻撃はポップに集中しがちで、マァムがぴったりと側に寄り添い、牽制攻撃を仕掛けているのが見える。

 戦いに夢中な彼らはまだ気づいていないが、これ以上近づけば少なくとも親衛騎団はガルーダの羽音に気がつくだろうと思えるギリギリの距離で、ヒュンケルは足を掴んでいた手を離した。

「感謝する。おまえは、姫達の所へ戻ってくれ」

 それだけを言い残し、ヒュンケルは戦場に向かって飛び降りた――。  END 

 
 

《後書き》

 連載時から感じていた疑問点『ヒュンケルはどうやって死の大地へ行ったか?』の補足説明的なお話です。ちょうど、アニメでこの場面を見たら、ものすごく疑問が再燃したもので。

 しかし、その割にはエイミさんの悲恋パートから話が始まっていますが(笑)

 とりあえず、ヒュンケルがルーラを使えた説は否定したいですし、キメラの翼説が有効かなと当時は思っていました。

 キメラの翼の効果は今も昔も原作内では紹介されていませんが、使い捨てルーラの効力がありますので、ポップと一緒に行った死の大地をイメージして移動したと考えれば、まあ、時間的にも間に合いそうですしね。

 エイミさんが気球船で送る説、ガルーダが協力してくれた説も考えていまして、その中で一番無難そうなガルーダ説を上げてみました。
 まあ、一番見てみたいなと思うのが『ヒュンケルは泳いで海を渡った』説ですが(笑)

 昔、DQ3の話で勇者の父オルテガは、様々なアイテムを集めた形跡もないのになぜラスボスの城にいたのかという疑問に対して、DQ4コマ劇場のとある作品で『オルテガは魔法の鍵が手に入らなかったから、扉をぶち壊した』だとか『オルテガは○○が手に入らないから、泳いで渡った』的な力業オンリーな解決策が載っていて、それが一番のお気に入りパターンですね。

 マグマの海から生還した不死身の男ならば、再起不能状態で鎧を身につけたまま短時間で海を泳ぎ切るのも、アリといえばアリな気がします♪ まあ、そんな話を書いたらお笑いにしかなりませんから、自分では書きませんけどね(笑)


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