『穏やかなひととき』 |
珍しくも物憂げな表情を浮かべ、アルビナスはそう呟いた。 芸術家が己の魂と技術を注ぎ込み、計算され尽くして築きあげる人造的な美が、彼女にはある。端整な顔立ちもさることながら、女性にしてはかなりの長身であり、理想的なプロポーションを描く身体は、鍛え抜いた鋼の輝きに満ちていた。 アルビナスが手足を展開させたこの形態を取ることは、かなり珍しい。 故に、普段の彼女は人間と同じ姿を取ることはほとんどない。 彼女が見つめている先には、鉄製の板の上に乗せられた『もの』だった。真っ黒に焦げたその塊は、焦げ臭い臭いを周囲に撒き散らしている。触れるまでもなく、水分がすっかりと抜けきっていると一目で分かる『それ』は、炭の塊と評するのが妥当だろう。 しかし、アルビナスにしてみれば、それは『パウンドケーキ』と呼ばれるものになるはずだった。 憂いを秘めた表情のまま、アルビナスはため息をつく。 手狭な、だが、簡単な調理を行うには十分な機能があったはずだったその部屋は、今や入った時とは全くの別物となり果てていた。 使用した調理用具の大半は変形するか、壊れてしまった。 控え目に言っても惨状と言っていい光景を確認し、アルビナスはもう一度ため息をはいた。 「料理とは……存外、難しいものですね……」 超魔生物に改造されたハドラーではあるが、彼がれっきとした生き物であることに変わりは無い。 しかし、気の毒にと言うべきか、ザボエラはハドラーから食の自由を奪った。強度を優先するあまり、ハドラーの体内から本来の臓器を大幅に取り除いた。 彼に残された臓器は、生命維持に必要不可欠な最低限の部位だけだ。胃や腸という基本的な生命維持期間は、場所を取るという理由で真っ先に除去されてしまったという。 ザボエラの言い分では、超魔ハドラーには食事に頼らずとも活動できるだけの生命エネルギーはたっぷりと与えてあるので、手間取る割にエネルギー効率の悪い食事などは習慣は必要ない、とのことだった。 ハドラーの分身体として生み出されたハドラー親衛騎団もまた、食事を必要としない金属生命体だ。生み出された時に与えられたエネルギーがあれば生命維持には十分であり、特に何かを食べようと思ったこともないし、実際に物を食べたことはない。 それについてアルビナスは何の不満も感じたことはないし、ヒムを初めとする他のメンバー達もその点は同様らしい。役割を終えるか、あるいはハドラーと共に死するその日まで、何も口にしないまま終わったとしても、一向に構わない。 それが、ハドラー親衛騎団の総意だった。 超魔生物に改造された直後から、ハドラーがワインを嗜むのをアルビナスは何度も見てきた。 食事が要らないのならば、酒も当然必要ではない。そもそも嗜好品は、摂取しなくても特に問題の無い品だ。 『フフ……正直、味などよく分からんのだがな』 戦闘力だけに特化した改造は、通常の感覚を大きくねじ曲げるものだった。結果的にだが、ハドラーの味蕾は大幅に減少し、以前に比べれば味わうということは出来なくなったのだという。 『しかし、嗅覚は前の通りか、それ以上は残っている。酒の香りだけでも、それなりに気分は味わえるものだ』 そんな風に言い、ワイングラスをゆっくりと揺らしながらわずかばかりの酒を口に含んでいた姿をアルビナスは忘れない。 しかし、今のハドラーは魔王軍の裏切り者となった。 バーンの……というよりは、バーンの意志を慮ったミストバーンやキルバーンの追跡から身を潜めつつ、勇者ダイを戦うために力を蓄えている。あちこちに張り巡らされた悪魔の目玉の監視をくぐり抜けるために、こまめな場所移動を繰り返している。時には日に何度も隠れ家を移動しなければならない今の生活は、到底気の休まる物ではないだろう。 まだ、親衛騎団はいい。文字通り鋼の肉体を持ち、戦うためだけに作り上げられた人造的な駒なのだから。 だが、生身であるハドラーは疲れを感じているはずだ。 そんなハドラーを少しでも癒やし、力をつけて貰いたいと思ったからこそ、アルビナスは料理に挑もうと思った。 たとえ超魔生物となったハドラーにとって意味は薄くとも、わずかにでもハドラーの気を和らげ、ほんの少しであっても体力を回復させる物を用意したいと、そう考えたのだ。 その意味では、料理は最適の答えと思えた。 しかし、どうやらアルビナスの力ではそれは高望みが過ぎたらしい。 アルビナスが三度目のため息をつこうとした時、戸口の方から足音が聞こえてきた。 だが、金属的なその音だけで足音の主が分かったからこそ、彼女は警戒する素振りは見せなかった。しかし、眉をひそめてしまったのは、彼らにこの部屋の惨状を見られてしまうことを嫌ったからではあった。 「おい、そろそろハドラー様のところへ戻る時間……って、うひゃあ、なんだよ、この部屋は?」 遠慮なしにそう言い、無遠慮に周囲を見回したのはヒムだった。 「ただ、計画が失敗しただけのことです……手間を取らせて、悪かったですね」 素っ気ないながらも、アルビナスは労いと謝罪の意志を込めた言葉をヒムへ与える。 本来、ハドラー親衛隊は主君の身を守るために側にいるのが基本だ。ハドラーの命令でも無いのに、遠出をするのは褒められた話ではない。 すでに町の者は魔王軍から逃げだしたのか、空っぽで誰も残っていなかった。よほど急いで逃げたのか、荷物の大半が置き去りにされている家が多数だった。 その中で適当な家を選び、簡単な料理を作る予定だったのだ。 それを使えば茶の支度を調えるなど簡単だろうと高をくくっていたのだが、思っていた以上に料理というものは難しかった。 「さあ、戻りましょう。護衛がシグマ一人では不用心です」 失敗した料理に見切りをつけ、アルビナスはそう言った。 「なんだよ、これは持っていかねえのかよ? ハドラー様のために作ったんだろ?」 「そのような失敗作、差し上げられるわけがないでしょう……!」 苛立ちを噛み殺しながら、アルビナスは言い返す。 「失敗作? 確かに黒ぇけど……」 つん、と天板の上のものを軽くつまむと、ヒムはためらいなくそれを口に放り込んだ。ゴリゴリっと、食物にあるまじき音がするが、ヒムは当たり前のようにそれを咀嚼する。 「まあ、食えなくはないんじゃねえの?」 一応、人の姿をしてはいても、味覚とは無縁なヒムは平気な顔をしてそれらを食べているが、ハドラーも同じように思ってくれるとはアルビナスには思えなかった。 「それに、この茶? って奴も、匂いは悪くねえと思うんだがな」 そう言いながらヒムが指さしたのは、大鍋だった。 「そうだな、いい香りだ。紅茶の香りなど、久しぶりに嗅いだ」 「「ハドラー様!?」」 ヒムとアルビナスの驚きの声は、見事なまでに重なった。 (あれほど、ハドラー様には知らせるなと言ったのに……!) 恨みを込めて睨みつけるアルビナスに対して、シグマが申し訳なさそうに肩をすくめるのが見える。 まあ、その気持ちは分からないでもない。 そう思えば、シグマを強くは責められなかった。 「あまりシグマを責めてやるな、アルビナス。ここに来たのは、オレのわがままだ……おまえ達が茶の支度をしてくれると聞いて、少し興味があってな」 この時ほど、アルビナスは自分が金属生命体で良かったと思ったことは無かった。もし、生身の人間だったら、無様にも赤面していたに違いないのだから。 「……それでしたら、見ての通り不手際がありまして……」 「ならば、茶菓子は不要だ。茶だけ、味わいたい」 あっさりと、ハドラーはそう告げた。 「しかし、これはとてもハドラー様に差し上げられるような物では……」 なおもためらうアルビナスに、ハドラーは短く命じる。 「構わん」 命じられれば、もうアルビナスには断るという選択肢は無かった。 「……かしこまりました」 急遽、用意した茶はテラスへと運ばれた。 もっとも、魔王軍から追われている身であれば見晴らしがいい場所は不向きもいいところなのだが、そんなことでいちいち怯えるほどハドラーも親衛騎団も臆病ではない。 見張りが現れないかに気を配り、いざとなればそれを排除すればいいだけのことだ。 それでも、仮にも魔王であるハドラーには粗末すぎる場所で恐縮だったが、ハドラー自身は気にしていない様子で、物珍しげに周囲の風景を眺めている。人間達の逃げ出した、半壊した町並みはさして見栄えがいい場所とも思えなかったが、ハドラーやヒム達には物珍しく映ったようなのが幸いだった。 残された茶器の中で一番上質そうな物を選び、アルビナスはハドラーだけではなくヒムやシグマ、自分の分も配膳する。それも、ハドラーの望みだった。 「ほう……いい色合いだな。それに、香りもいい」 紅茶のカップの手にして、ハドラーが機嫌良さげにそう言った。 「……味は、よくはありませんが」 淡々とした口調で、アルビナスは事実を告げる。 アルビナスが作った『茶』は、通常の茶よりもずっと色が濃い。それに、口に含むと妙な渋みがあった。 毒を料理に混ぜる技能のためか、何が正常な味で、何が不自然な味なのか見分けるだけの能力が生まれつき備わっているのだ。 その能力は、この茶は不味い部類だと判断する。 しかし、ハドラーはどこまでも満足げな表情で、ゆっくりを紅茶を口に含む。 「なに、今のオレにとっては香りこそが一番のご馳走だ。おまえ達も、楽しむといい」 ハドラーに進められるままに、ヒムやシグマも紅茶を手に取る。だが、ヒムはまだしも、シグマにとっては小さなティーカップは扱いにくい物らしく、四苦八苦していた。 「……どうも、私には不向きなようだな」 「だけどよぉ、ブロックやフェンブレンよりはマシなんじゃねえの?」 からかうように口にしてから、ヒムは少しばかり目を瞬かせる。 不意に名を呼んだ後で、もう二度と会えないことをようやく思い出してしまうぐらいに――。 「そうだな……まあ、ブロックは本体でなら大丈夫かもしれんが……」 そう答えるハドラーの目は、誰かを探すように遠くを見やる。 「あいつらとも、一度ぐらいこんな機会を設けてやればよかったやもしれんな……」 静かなその声が、染み通るほどに嬉しいと思った。 「そうですね……」 理屈では、それは有り得なかっただろうと理解している。そもそも、食事を必要としない親衛騎団がハドラーと一つの食卓を囲む意味などない。 だが、それでもアルビナスは思ってしまった。 それが身に染みるからこそ、アルビナスはことさらゆっくりと紅茶の香りを楽しんだ。この時間が、とてつもなく貴重なひとときになるとすでに理解していたから――。
茶会は、そう長くは続かなかった。むしろ、ごく短かったと言っていいだろう。 その表情には、先程までのくつろいだ物など微塵も無い。戦いを前にした戦士の表情で、彼らはその場から立ち去る。
《後書き》 し、しかし、なんだかあんまりほのぼのしていないというか、殺伐感があちこちに溢れているのですが(笑) 最初は、アルビナスが新妻よろしくハドラー様のためにお料理する話を書こうと思ったはずだったのに、なぜにこうなったのか……、リク主様、ごめんなさいっ。 筆者の力量ではこれだけで精一杯でした〜。なんだか、ほのぼのにもラブラブにも不向きなような気がします……って、二次創作者としては致命的な気がしますね。 ついでに、レオナと同じくアルビナスにまで料理下手属性をつけてしまって、非常に申し訳ありませんっ(スライディング土下座) |