『言っておけばよかった』

  


 あの時、言っておけばよかったと思う言葉がある。
 言われてすぐに頭に浮かんだ答えがあったのにその時は素直に言うことが出来なくて……だけど、後になってからその答えこそを相手が望んでいたと分かった。

 なのに、その時にはもう、全てが遅くて。
 答えを待っていたはずのその人には、もう、二度と会うことが出来なくなっていた――。







『……ダイよ……おまえは、私を信頼しているか……?』

 そう聞かれた時のバランの姿を、ダイは今もはっきりと思い出せる。
 見上げるような身体つきの、立派な戦士だった。

 敵としてみるなら、最強。だが、味方として見るのなら――どれほどの敵に囲まれたとしても、その背に守られていれば安心だと思えるような……そんな、巌のような安堵感を与えてくれる人だった。

 実際、超魔生物となったハドラーという強敵が目前にいて、黒の核晶という絶望的なハンデがあったにも拘わらず、バランと思念派とは言え会話を交わす余裕があったのはその安堵感があったからだと、今になってから分かる。

 もし、その質問をバラン以外の誰かに聞かれたのなら、ダイは即座に頷いただろう。

 ダイにとって仲間を信じるのは、当たり前のことだ。たとえそれがかつての敵だったとしても、仲間になってくれた相手なら信じられると思っているし、実際にクロコダインやヒュンケルのことだって信じている。

 バランに対しても、そうだった。
 いきなり父親だと言われて、人間を滅ぼせと命令され、戦って、色々なことがあって……飲み込めないわだかまりがあったとは言え、バーンと戦うために力を貸すと言ってくれたあの人に戸惑いを感じたが、思い返せば一度も疑いはなしなかった。

 言い換えれば、それは信じていたと同じことだ。
 なのに――あの時だけは、素直にそうは言えなかった。

 反射的に頷いてもいいと思ったはずなのに、何かがブレーキをかけたように言葉が喉の奥につかえて、すぐには返事が出来なかった。
 だから、少しだけ間を置いて、ダイはやっと答えを押し出した。

『つ……強さだけなら……、誰よりも……』

 あの時は、それが精一杯の答えだった。あの人も、その答えに満足してくれたように思えた。戦いの場という中で、あれ以上、会話に時間をかけることなど出来なかったことを思えば、あれで最適だったとも言える。

 だが……今になってから、ひたひたと後悔が押し寄せてくる。
 言っておけばよかった、と――。






「あ……」

 目を覚ました時に真っ先に感じたのは、深い喪失感だった。
 無意識に伸ばした手を、ダイは他人事のように見ていた。夢の中でも伸ばせなかった手は、現実でも届かない。

(また……言い損ねちゃったな)

 今になってから、繰り返し思う。
 なぜ、あの時、信じられると答えなかったのかと。あの人だってきっと、そう言って欲しかっただろうに。

 あの人は恐ろしいぐらい強くて、だけど同時に恐ろしいぐらいに不器用でまっすぐな人だった。不器用すぎて、小細工も嘘も使えずに自分の感情をぶつけてくることしかしなかった。
 そんなことは、あの時にはもう分かっていたはずだったのに――。

 寝起きのいい彼にしては珍しく、ダイは目覚めたにも拘わらず、ベッドに寝そべったままぼんやりと上を見上げた。いつもなら、目覚めると同時に跳ね起きてポップの所へ行くのだが、今は夢のせいで心も身体もずっしりと重かった。

 めったにないことだが、バランの夢を見た後はいつもそうだ。
 魔界にいた頃の夢を見た後も気分は重くなるが、そんな時はいつも以上に急いでポップの所へ行く。彼や仲間達と一緒にいれば、自分は確かに地上に帰ってきたのだと実感できるからだ。
 だが、バランの夢を見た後だけは、ダイは一人になりたいと思ってしまう。

(今なら、ポップの気持ち、分かるな……)

 ふっと、ダイは懐かしい記憶を思い出す。
 まだ、ダイとポップが冒険を始めたばかりの頃、ポップはよく、夜になるとうなされていた。アバンの夢にうなされたポップは、いつも一人で少し離れた場所に行き、一人で泣いていた。

 そうして、朝になると何食わぬ顔でいつもの表情を見せていたのだが、あの時はそれがちょっとばかり寂しかった。仲間なのだから、自分を頼ってくれたらいいのにな、と思った。

 しかし、今なら分かる。
 一人でしか抱え込めない悲しみというのが、あるものなのだと。
 自分にしか抱えられない思いを抱え込んだまま、ダイは深いため息をついた――。






「ダイ様」

 静かな呼びかけと、わざと足音を立てて近づく音で、ダイはようやくその存在に気づいた。普段なら気配で人を察知するダイにしては珍しく、相手が近くに来るまで気づかなかったことと、めったに会えない珍しい相手だと言うことに、二重の意味で驚く。

「ラーハルト……なんか、久しぶりだね」

 カール王国に形ばかりに籍を置いたラーハルトは、普段はあちこちを旅しているが、時折、思い出したようにパプニカにやってくる。

「ご無沙汰しておりました。ダイ様、私もここで少し休んでいいでしょうか?」

 ラーハルトは律儀にも、許可を取ってきた。
 そのかしこばった口調や態度は、ダイが何度、普通に話していいと言っても治らない彼の癖だ。

「うん、いいよ」

 別に許可なんて要らないのにな、と思いながらもダイは素直に頷く。
 なにせ、ここはパプニカ城の中庭だ。それも、ちょうど隙間が出来た空き地のような場所で、木が一本生えているだけのそう広くもない場所である。

 ポップが気に入っているので、ダイもよく一緒にくる場所の一つだが、別にここは特定の人しか入れない場所というわけではない。むしろ、一般開放されているのに誰にも見向きもされない場所だから、ポップが息抜きにちょうどいいと気に入っているだけの場所だ。

 手入れが余り行き届かない芝生があるだけで椅子もないが、ラーハルトはだから少し離れた隣に腰を下ろす。
 そのまま、しばらく静かな時間が流れた。

 ラーハルトは無口だし、今日のダイはあまりおしゃべりをしたい気分ではなかった。だからこそポップやレオナと会うのがなんだか怖くて、朝からずっとこの木の下でぼんやりとしていたのだ。

 風に揺れる草を眺めていると、デルムリン島で波を見ているような気分になれて、ささくれていた気持ちが少し落ち着くような気がするから。

 そこに急にラーハルトがやってきたのには驚いたが、別に嫌だとは思わないし、今は一人にしておいて欲しいとも思わなかった。

 それは、擬似的な波のおかげで心のささくれが凪いできたせいなのか、それとも相手がラーハルトだったからなのかは、分からない。
 だが、ラーハルトだからこそ、聞いてみたいことがあった。

「あのさ……ラーハルト。その……聞きたいことがあるんだけど……」

 そこまで言って、ダイは少し詰まってしまう。
 それは、ためらったからではない。言いたいこと、聞きたいことが多すぎて、それをどう言葉にしていいのか分からなくなってしまったからだ。

 頭を掻きむしって悩むダイを、ラーハルトは急かさなかった。ただ、無言で待ち続ける。
 これがポップだったらぽんぽん怒鳴りつけてくるだろうなと思いながら、ダイはやっと、質問を口にした。

「ラーハルトは……あの人に、言っておけばよかったって思うことって、ある?」

 それを聞いて、ラーハルトが少し目を見開く。が、答えは即答だった。

「あります」

 まるで、待ち構えていたような速さと強さで、ラーハルトは短く答えた。







 あの時、言っておけばよかったと思う言葉がある。
 言われてすぐに頭に浮かんだ答えがあったのにその時は素直に言うことが出来なくて……だけど、後になってからその答えこそを相手が望んでいたと分かった。

 なのに、その時にはもう、全てが遅くて。
 答えを待っていたはずのその人には、もう、二度と会うことが出来なくなっていた――。


『ラーハルト。……おまえの望みはなんだ?』

 今思えば、その時のバランの声音にはあまりにも平坦だった。いつものように冷静だったからではなく、無理に感情を押し殺したが故の凪ぎだったと、後になってから気づいた。
 だが、その時はラーハルトは胸を張って即答した。

「部下にしてください。オレは……あなたに従います」

 あの時はそれが最善だと思った。
 命を助けてくれたバランに、なんとしても恩返しがしたかった。

 愛する妻を人間に殺され、たった一人の息子も行方不明となり、絶望していたバラン……そんな弱音さえも自分などに打ち明けてくれたことが嬉しくて、彼のためになら何でも協力しようと思った。
 それこそが、バランに対してわずかなりとも恩返しになると信じていた。

『そうか……部下になりたい、か』

 あの時、バランはわずかに苦笑していただろうか。
 その笑みから隠された失意を読み取るには、ラーハルトはあまりにも子供だった。

 あれはバランと会ってから1ヶ月ほど経った頃のことだったから、10才そこそこの頃だろう。
 バランに助けられてからしばらく、ラーハルトは彼と一緒に暮らした。

 暮らしたと言っても、今思えばそれは一般的な意味での家庭とはかけ離れた生活だった。

 バランは、あの時も我が子を探している最中だった。
 すでに大魔王と一定の協約を結び、望めば居住地も用意されたはずなのに、世界のあちこちを旅していた。移動呪文で行けない場所を求めて、自らの足を踏みしめて旅をしていた。

 人間と極力接さない旅は、人目を避けて母親と旅をしていたラーハルトには、馴染みやすいものだった。しかも、バランとの旅では食料に不足することはなく、簡素なものとは言え寝る時には天幕もあった。

 なにより、バランと一緒にいるという安心感は代えがたかった。彼と一緒なら、人間達に奇異の目で見られても、怪物に囲まれたとしても怖くはなかった。

 今思えば、あの頃、バランはラーハルトに合わせた旅をしてくれていた。
 人間よりも体力があるとは言え、所詮、あの頃のラーハルトは子供だった。バランにしてみれば、足手まといにしかならなかっただろう。

 だが、バランは助けた半魔の子を気遣ってくれた。
 栄養不足で痩せ細っていたラーハルトが人並みの健康を取り戻すまで面倒を見てくれ、彼が落ち着いた頃を見計らった上で、今後どうしたいかと淡々と聞いてきた。
 バランは、言った。

『遠慮なく望みを言うがいい。帰りたい場所があるなら、送ってやる。人間として暮らすのは……難しいかもしれんが』

 さらに魔族として生きるのであれば、魔界へ行く方法を教えてもいいとも言ってくれた。いずれの選択を選んだとしても、生活が成り立つようになるまで援助はする、とも。

 しかし、その時のラーハルトの望みは、バランと共に行くことだけだった。
 誰も信用できなかったが、バランだけは信用できた。彼と一緒に行くのなら、どこに行くのにも迷いはなかった。

 バランと一緒にいたい――その望みを叶えるために、部下になりたいと答えた。

 その選択が、間違っていたとは思いたくはない。バランの部下だったことはラーハルトにとっては生涯の誉れであり、忘れがたい思い出なのだから。
 だが……今になってから、浮かんでくる後悔もある。
 言っておけばよかった、と――。






 気がついたのは、最後の戦いが終わったずっと後……行方不明のダイを探し続けて四季が一巡りした後のことだった。
 いや、予兆だけなら、もっと早く感じていたかもしれない。

 戦いの中で命を落としたはずなのになぜか蘇り、バランからの遺書とも呼ぶべき手紙を読んだ時に心がざわめいた。

『私のもう一人の息子、ラーハルトへ……』

 そう結ばれていたバランからの唯一の手紙を、ラーハルトは今も大切に持ち続けている。

 バランが自分を、息子と思っていてくれた――それはラーハルトには驚きであり、身が震えるほどの歓喜をもたらすものだった。
 一度も口にしたことはないが、それこそがラーハルトの真の望みだったのだから。

 思えば、ラーハルトは幼い頃から『父』を漠然と求めていた。
 人間である母を愛した父がどんな男だったのか、ラーハルトは知らない。母は結局、父については伏せたままあの世へ行ってしまったから。

 だが、知らないからこそ見も知らぬ父への思いは、密かに胸に育っていた。父が、母と自分を助けてくれないかと密かに望んでいた。
 そんなラーハルトにとって、バランこそが理想的な『父』だった。

 だからこそ、一緒に居たいと望んだ。
 なのに、あの時のラーハルトは素直にそう言えなかった。誰からも嫌われ、実の父親からも見捨てられたという思いから、甘えを素直に口にするのにためらいがあった。

 一緒に居たいだなんて言うのは、ただのわがままだ。
 一緒にいる見返りとして、バランの役に立たなければならない――その思いから、部下になりたいと望んだ。

 だが、今になってから思う。
 そのような答えを、バラン様が望んでいたとは思えない、と。

 今にして思えば、バランにはラーハルトを自分の子として育てる心積もりがあったのだろう。探し続けている我が子とは別に、血の繋がらない子を我が子にしてもよいと思ってくれていたに違いない。ラーハルトが望んだのなら、バランはきっと手を差し伸べてくれただろうと、今なら確信できる。

 だが、その機会を振り捨てたのはラーハルトだった。
 あの瞬間に、ラーハルトはバランの部下になってしまった。あの時を境に、バランはラーハルトを部下として扱い、厳しい修行も課すようになった。

 それはそれで心に残る日々ではあったが、ダイを捜索中のポップを見ていて気づいたことがある。
 遠慮なしにわがままをぶつけあえるのが、家族なのだ、と。

 ポップの遠慮のなさやわがままさには何度となく呆れもしたが、ラーハルト自身、そのわがままさにはずいぶんと救われている。少なくとも、自分の顔色を気にしておどおどと視線を彷徨わせる人間達に比べれば、ポップの率直さ、馴れ馴れしさは快いぐらいだ。

 まあ、さすがに実の親と派手に親子喧嘩をし、母親や先生には甘え倒し、師匠には口の悪さを発揮して皮肉を応酬しまくるという自由気儘さはどうかと思うが――あの自由さが、少しばかり羨ましくもなる。







 もしもの話になるが、自分があの時、バランに正直に本音を言っていたらどうなったか――たまに、そう考える時がある。

 もし、あの時、バランを父親と呼びたいと、素直に打ち明けていたのなら。
 上司と部下としてではなく、親子として時を過ごすことが出来たのなら、何かが変わっていたかもしれないと、今なら思う。

 全てが終わった後、ポップからダイとバランの確執を聞いて、胸が痛んだ。
 言っても詮無いことだが、バランは言葉が足りなすぎた。そして、子供の扱いを知らなすぎた。まるで部下に対するように上から一方的に命令し、一緒に居るように強要してしまったのが悲劇の始まりだと言える。

 ラーハルトに対しては、それでよかった。自分から部下になりたいと望み、一緒に居たいと願ったのだから。

 だが、ダイはラーハルトとは違う。
 それに、ラーハルトだとて、部下でなかったのならそこまで従順だったかどうか。

 遠い記憶だが、ラーハルトは母親に対して割と聞き分けのいい息子だったと自負している。だが、それでも実の母という甘えがあったせいか、時には不満をぶつけたり、拗ねることもあった。

 もし、ラーハルトがバランの息子になる道を選んだのなら、気持ちのあり方も近づいていたことだろう。また、バランも息子が思い通りにならなくて手を焼く経験を体験したかもしれない。

 不遜かもしれないが、ラーハルトは思ってしまう。
 もし、バランを父と呼び、義理の兄としてダイと出会うことができたのなら……違う未来が待っていたのではないか、と――。







「……そっか。ラーハルトも、なんだ」

 どこか安心したような口調でダイがそう呟くのを聞いて、ラーハルトは物思いから我に返った。

「はい。ダイ様も、ですか?」

 そう尋ね返すと、ダイは少しだけ笑う。

「うん、そうなんだ。言っとけばよかったなって、ラーハルトも思う?」

「ええ、私もそう思います」

 それきり、また、会話が途絶える。
 ダイもラーハルトも、ただ黙って、草が風になびく様を眺めていた――。






(……あいつら、ほんっと言葉が足りねえよな〜)

 執務室の窓からそれを見ていたポップは、呆れずにはいられなかった。
 ポップの執務室は、中庭に面した城の二階にある。つまり、窓を開けておけば中庭での会話は丸聞こえになるのだ。ダイもラーハルトも、気づいていないようだが。

(いや、ダイは気づけよって思うけどな。あいつ、毎日のようにこの部屋に来てるくせに、なんで未だに気づかないんだよ)

 そうツッコみたくなるも、ポップはそこそこホッとしていた。
 いつもならダイはしつこいぐらいにポップの所へやってくるのだが、今日はこなかった。いつものように兵士の修行に混じるのでもなく、中庭でぼーっとしているなんて姿を見て、気にならないはずはなかった。

 どこか落ち込んでいる様子なのに、自分やレオナなどの仲間のところには来ないどころか、避けているように見える――それに気づいたからこそ、ポップはラーハルトを中庭へけしかけたのだ。

 単細胞なダイが落ち込むなんてことは少ないが、父親であるバランの夢を見た後は決まって考え込んでいるのに、ポップはとっくに気づいていた。

 いつもなら気が済むまで一人にしておいてやるが、今日はたまたまラーハルトがパプニカにやってきたので、ダイの様子を見てやって欲しいと頼んだ。……まあ、頼まなくともラーハルトなら絶対にダイの所へ行くとは思ったが。

 バランと関わりの深かったラーハルトなら、ダイを少しは上手く慰められるのではないかと期待したのだが――。

(あいつに慰めとか、期待するだけ無駄だったな。あれ、どう考えたって慰めじゃねえし! そりゃ、結果的にダイがなんとなく元気になってるけどよ〜)

 少々納得行かないものは感じるが、とりあえずは結果オーライだろう。
 少なくとも、ラーハルトがポップにはできない方法でダイの気を軽くしたのは、間違いないのだから。

(おれはおまえらとは違うから、少なくとも、ダイの親父さんに対して『言っておけばよかった』って言葉はねえんだよな。……どっちかというと、『言わなきゃ良かった』かもなぁ〜)

 あの時、バランに最後の最後まで食い下がったのはポップだった。
 ダイを連れて行かれることを激しく拒み、バランに猛反発した。それ自体を、悔いる気は無いし反省だってする気は無い。

 だいたい、無謀な発言の代償としてポップはすでに一度、命を失っている。ほとんど自業自得の死だったとは言え、これ以上の罰はないだろう。
 言いたいことは言ったし、その報いは受けた。これでイーブン……言わば、五分五分だと思っている。

 だが、今となっては少しだけ……バランに対して悪いことをしてしまったなと思わないでもない。

 行方不明になったダイを探した経験を経て、初めて分かったこともある。
 いなくなってしまった大事な存在を、当てもなく探し続ける辛さや苦しさ……それが、どんなに心を蝕むものなのか、ポップは身をもって知った。

 ポップがダイを探していたのは二年程だったが、バランがダイを探した年数は十年を軽く超えている。単純に時間だけで計れるものではないだろうが、その間のバランの辛労がポップ以下だったとは思えない。

 それだけに、ようやく会えた息子に拒絶された衝撃は大きかっただろう。それを思うと、バランに対して同情すら感じてしまう。
 だから、今となっては感謝する。

 あの時、ダイを騙すのは簡単だったはずだ。
 まだ子供で、その上世間知らずで単純なダイなんて、ある意味で詐欺の絶好のカモだ。

 いや、積極的に騙そうとまでもしなくてもよかった。いくつかの部分を伏せ、真実を伝える順番を間違えなければ、ダイの心を大きく揺り動すことなんて、簡単にできるはずだった。

 あの時のダイは、人間に嫌われることを極端に恐れ、自信を失いかけていた。だからこそ、自分の根幹とも言うべき親の存在を求めていた。

 もし、バランから母親が人間に殺されたことを最初に聞かされていたのなら、そして、バランが父としてどこまでもダイを愛し、力になると我が子の傷ついた心ごと受け止めていたのなら――ダイの心は、限りなくバランに向けて傾いただろう。

 しかし、バランはそんな策略を良しとはしなかった。
 その不器用さには、ちょっと呆れもするが……それ以上に感謝する。

(しかしまあ、あの不器用さを、ダイもラーハルトも引き継いだってことなのかねえ?)

 そこは、親子と言うべきかのか。
 ダイは素直なくせに変なところだけ頑固だし、ラーハルトときたら傲岸不遜で言葉足りずにも程のある男だ。ちょっと不器用で、言いたいことを上手く言えないところもそっくりだ。

 声を出さないように笑い、ポップは書類をざっとまとめて重しを乗せておく。『ダイとラーハルトと、昼飯に行ってくる』とのメモを残しておいたのは、念のためだ。

 こっそり出かけて、ササッと戻ってくる予定ではあるが、その間にヒュンケルやレオナに無断外出がバレれば面倒なことになる。メモを残しておけば、最悪の場合でも後で文句を言われる程度で済む。
 それから、窓を大きく開け、外へと飛び出した。

 一瞬ヒヤリとする感覚を、魔法力の浮力で打ち消してゆっくりと下へと向かう。音は特に立てていないはずだが、気配か何かで気づいたのか、ダイとラーハルトがそろって上を見上げるのが見えた。

 主従と言うより、兄弟のようによく似た反応を見せる二人に向かって、ポップはニヤッと笑いかける。
 今までだってポップは、言いたいことは言ってきた。これからだって、そうするつもりだ。

「よっ、二人とも! そろそろ昼だし、飯でも食いにいかねえか? この前見つけたばかりのいい店があるぜ!」

 驚く二人に向かって、ポップはいつもの調子で声をかけた――。       END

                 


 


《後書き》

 アニメでダイとバランのぎこちない会話を聞いていて、ふと思いついた話です♪

 特に出会った頃のバランのダイへの話しかけって、基本的に上からの命令で、まるで上司が部下に話しているみたいだよなーと思っていたのですが、ふと気づいたら、バランにはそれ以外に子供と話した経験がなかったんでしょうね。

 ラーハルトを子供の頃に助けたのだとしたら、バランの知っている子供は彼が基準でしょう。……あれを標準と思うのは、大間違いだと思います(笑)

 アバン先生がヒュンケルやポップのように手がかかって反抗的な子を上手くいなしていたように、バランも子供の扱いに慣れていればああはならなかっただろうなと心底思いますよ。


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