『夢でさえ叶わない』 |
その実は、ごく小さな物だった。 紫がかった色合いから言っても、ブドウに似ていると思う人は多いだろう。成長した後になって知ったことだが、実際にその実はブドウのように房になって生える。 テランで、夢見の実と呼ばれている実。 味は、ほとんど無かった。 同時に、その味が古い記憶を呼び起こす。 夢見の実を指に摘まんだ老占い師は、いつになく優しい声音で言った。 「さあ、メルル。これをお食べ」 幼いメルルは、首を小さく振った。 泣きじゃくる声を必死に抑えるのに精一杯で、声も出すことも出来ずにメルルはただ首を横に振る。 あれは、両親を失ってしばらく経った頃だっただろうか。 だが、ひどく恐ろしくて寂しい夢にうなされ、夜中に泣きながら飛び起きることなど日常だったはずだ。そんな夜には声を殺し、毛布にくるまって泣きながら朝を待った。 気づかれないようにそうしていたつもりだったが、祖母であり、卓越した占い師でもあるナバラには孫娘のそんな態度などお見通しだったのだろう。 「これは、夢見の実と言うんだよ。これをお飲み……そうすれば、夢の中で会いたい人に会えるよ」 深い森に覆われた静かな湖畔は、メルルが一番好きな光景だった。 だが、遠く離れたとしても、テランこそがメルルの故郷だった。 絶え間なく聞こえる水の音と、小鳥の囀り――。 だが、とメルルは思う。 誰に対しても遠慮のない、彼の目が好きだ。 人間だけでなく、怪物や魔族……テランで神と崇められる竜の騎士に対してでさえ、その目は臆することはない。親友の正体が怪物でも構わないと言い切ったあの魔法使いは、本当にその言葉通り公平だ。 よく表情を映すその明るい目に、自分の姿が映っているのだと思うだけで身が震える。それだけでも十分に嬉しいのだけれど、その目がずっと――そう、あの淡い赤毛の少女を見つめるのと同じ熱意を持って見つめ続けてくれたなら……そう望むのは、贅沢が過ぎるというものだろうか。 『メルルも散歩か? ちょうどおれもブラブラしてたことなんだよ、よかったら一緒にいかねえ?』 明るく陽気な彼のその声が、好きだ。 だが、メルルは知っている。ポップの言葉に秘められた、魔法のような効力を。 そう言って欲しいと望む時に、まるで魔法のようにその言葉を言ってくれる魔法使いに、誰もが励まされることだろう。 『メルル……聞いてほしいことがあるんだ。おれは……おれが、好きなのは……』 その時、遠慮がちにドアをノックする音が聞こえた。 「メルル……、ごめんなさいね。だけど、もう起きた方がいい時間だったから……」 遠慮がちに部屋に入ってきたのは、エイミだった。 別に普通の兵士に命じてもいいような雑事なのに、わざわざ女の子であるメルルを気遣ってくれた気持ちが申し訳なくもあり、嬉しかった。 「よく眠れたかしら?」 そう聞かれて、メルルは一瞬だけ答えに迷った。ええ、と無難に頷く方がいいと思ったから。 「……実は、全然眠れなかったんです。あ、でも、きちんとベッドで横になってましたので、休息は十分に取れましたから」 明日の正午、ロロイの谷でヒュンケルとクロコダインが処刑される。 そのため、交代で昼寝をして英気を養っておくように通達を受けた。 きちんと眠れた場合は、短時間でぐっすり眠れて回復できる効果が発動するとは言え、単に睡眠が目的ならラリホー草の方がよほど確実だ。 実際、今のように戦いを前に不安を感じている時は、眠りにさえ導くことは出来なかった。少しばかりうつらうつらしたかもしれないが、夢などは見なかった。 「そう……」 エイミが、一瞬、表情を暗くする。 「ねえ、メルル。やはり、あなたは戦いに加わらない方がいいのではないかしら? 今からでも待避組に変更するには遅くはないわ」 明日の決戦に備え、戦いに参加する者はロロイの谷へ向かう。だが、戦うのはとても無理と判断された怪我人や、万が一の時のために避難する時のことを考え、ごく一部は待避組としてサババの港に隠れることになっていた。 待避組は一定期間そこで身を潜め、万一の時は生き残りを救助――もしくは、全滅した一行に代わって帰還し、他の王達に報告するのが役割だ。戦いに参加するよりも、安全と思われている役だ。 実は、レオナやフローラからも、メルルは待避組に加わった方がいいと薦められた。それをはね除け、最後まで戦いに加わりたいと望んだのはメルル自身だ。 「いえ……お心遣いは嬉しいのですが、私は、最後までダイさん達に協力したいと思っています」 そう口にしながら、メルルは自分の臆病さを笑う。 「でも……」 不安そうに何かを言いかけた彼女を遮って、メルルは問いかける。 「エイミさんも、待避組に薦められたのでしょう?」 「あ……」 一瞬、エイミの頬が赤く染まった。 「そうね……、でも、私も最後まで戦うと決めたの。ヒュンケルを絶対に助けたいから……!」 迷わず、想う人の名を口に出来るエイミの強さが、メルルにはただ、ただ、眩しかった――。 (……結局、夢でも、現実でも会えないままなんですね……) できるだけ音を立てないように気をつけながら、メルルは汚れた食器を洗っていた。 これは、本当ならする必要の無い作業だった。 フローラからも、この砦は翌朝には放棄するので気を遣わなくてもいいと言われている。 だが、武器も防具も持たないメルルには準備も必要ないし、時間も少しだけある。このまま放置するのもなんだか心残りで、メルルは空いた時間で皿洗いしていた。 何の意味も無いことをやっているという自覚はあるが、メルルは手を止めなかった。こうやって、なにか少しでも働いていると思える方がいっそ気楽だったから。 (ポップさん……) できるのなら、最後に彼に会っておきたかった――。 ロロイの谷で合流するとは言え、そこは戦場だ。 しかし、戦いを前に、ダイを初めとしたアバンの使徒達は忙しそうだった。ダイとノヴァが寸暇を惜しんで激しい特訓をしていたことを、メルルはレオナから聞いた。 エイミから聞いた話では、ポップもずっと砦にいなかったという。どうやらこの周辺にはいる様子だったが、夕食時にさえ顔を見せなかったポップのことを、メルルはずっと気に懸けていた。 だが、戦いを前にしたポップの心を乱してはいけないと思うからこそ、会いに行くのは迷惑だと――。 (いいえ……言い訳よね) メルルは、自分で自分の心を嘲笑する。 勇気がないから、会いに行けないだけだ。夕食の席にはマァムも姿を見せなかったが、彼女はポップに武器を渡すため探しに行ったそうだ。 迷いなくそうできるマァムを、メルルは心から羨ましいと思う。 結局、夕食の時間に戻ってこなかったポップとマァムのために、それぞれの部屋の前に夕食代わりのサンドイッチを用意して置いたが、食べてくれただろうか? そんなことを考えながら皿を洗っていたメルルは、人の気配を感じて振り返った。 「……あら、ダイさん?」 手持ち無沙汰だと言わんばかりの顔でぶらぶらしていたのは、世界を救う期待を一身に背負った小さな勇者だった。 (おやすみなさい、ダイさん。よい夢を……) 夢見の実を頬張りながら立ち去る小さな勇者の背を、メルルは手を振りながら見送った。 女の子としてそう身長が高い方ではないメルルよりも、さらに小さなその背中は、こうしてみると子供にしか見えない。剣を手にした時は怪物さえ易々と倒すのに、普段のダイはごく普通の子供だ。 (ごめんなさい、ダイさん。少しだけ、嘘をついてしまいました……) 心が綺麗な人だけが望んだ夢を見ることが出来る、なんて言葉は半分は嘘だ。 子供にしか効果は無いことは確実だが、子供であっても必ず夢を見ることが出来るというわけではないのだ。 どんな夢でもいいというわけではなく、切実な思いでなければ夢に繋がらない。単に、子供の憧れ程度では駄目なのだ。そのため、ごく普通の幸せな子供にとっては何の効き目もない実にすぎない。 記録では、一番多いパターンは亡くなった親の夢を見る話だ。 だが、夢見の実は繰り返して使う程と効果が薄れていく性質を持つ。その上、年齢が上がれば上がるほど、夢を見る確率自体が減少する。 だいたいは10才前後を境に、夢見の実は効かなくなるとされている。 だからこそ、夢見の実は薬として他国に流通することもなく、親を亡くしたばかりの子をなだめるための特別なおまじないとして、テラン国内のみでひっそりと伝わっている。 メルルが最後に、夢見の実で夢を見たのは11才の頃だっただろうか。 それもある意味で当然だっただろうと、メルルは思う。 だが、そうと分かっていても、幼い頃から何度も悲しみを救ってくれた夢見の実は手放しがたかった。毎年、こっそりと夢見の実を摘んでから日干しし、お守りのように持ち続けた。 今回、ダイ達と一緒に行こうと決心した時も、わざわざ新しい夢見の実を用意してしまったぐらいだ。 もちろん、それが役になど立つ可能性がほとんどないことなど承知していた。メルルはもちろん、ポップやマァム、レオナなども夢見の実の効力はまず及ばないだろう。 しかし、ダイならば。 勇者として気丈に振る舞ってはいるが、その心には深い傷が残っているだろう。 ダイだけではなく、ポップも。マァムやレオナ……明日の戦いの前に、全員が安らかな眠りを、心安らぐ夢を見られることを、メルルは静かに祈る。 そして、祈りのために無意識に組んだ手を解き、身を翻して歩き出した。勇者達よりも一足先に、人類の存亡を賭けた一戦が控えたロロイの谷へと向かうために――。 END 《後書き》 アニメでのメルルがめちゃくちゃ可愛くて、恋心がいじらしすぎますっ! アニメでは、メルル達支援隊はロロイの谷には早朝向かっていますが、原作では夜のうちに移動を完了させています。また、アニメではメルルは薬草を袋に詰めていましたが、この話では原作通り皿洗いをしています。 夢見の実は本当に効き目があると言うよりも気休めみたいなイメージで語っていましたが、短時間で眠れて回復抜群の効力があるのなら、レオナやポップのような魔法使い系に渡した方がいいんじゃないかと思っていたんですよ。 それに、メルル自身は使わなかったのかなとずっと前から気になっていたので、自分なりに解釈した話をでっちあげちゃいました。 眠ることの出来なかった昼寝の時間、ポップとの散歩ややり取りは、夢でさえなくメルルの願望にすぎません。うう……なんだか、メルルに猛烈に土下座したい気分です。 |