『夢でさえ叶わない』

 

 その実は、ごく小さな物だった。
 せいぜいがどんぐりと同じぐらいの大きさだろうか……だが、固い殻に包まれたどんぐりと違って、その実はごく柔らかい。

 紫がかった色合いから言っても、ブドウに似ていると思う人は多いだろう。成長した後になって知ったことだが、実際にその実はブドウのように房になって生える。

 テランで、夢見の実と呼ばれている実。
 それを大切そうに手の中に握り込んだ占い師の少女は、静かに口に含む。

 味は、ほとんど無かった。
 お世辞にも美味しい実とは言えないだろう。だが、その素っ気ない味がなんとも懐かしかった。

 同時に、その味が古い記憶を呼び起こす。
 初めて、その実を食べた時のことを――。






 夢見の実を指に摘まんだ老占い師は、いつになく優しい声音で言った。

「さあ、メルル。これをお食べ」

 幼いメルルは、首を小さく振った。
 その時は、そんなものは欲しくなど無かった。と言うよりも、たとえどんな好物や素晴らしいお菓子を差し出されたとしても、同じ反応を示したことだろう。

 泣きじゃくる声を必死に抑えるのに精一杯で、声も出すことも出来ずにメルルはただ首を横に振る。

 あれは、両親を失ってしばらく経った頃だっただろうか。
 昼間はなんとか気を紛らわすことができても、夜の闇は人の本音を暴き立てる。幼い自分が眠りの中でどんな夢を見ていたのか、メルルは今となっては覚えていない。

 だが、ひどく恐ろしくて寂しい夢にうなされ、夜中に泣きながら飛び起きることなど日常だったはずだ。そんな夜には声を殺し、毛布にくるまって泣きながら朝を待った。

 気づかれないようにそうしていたつもりだったが、祖母であり、卓越した占い師でもあるナバラには孫娘のそんな態度などお見通しだったのだろう。
 いつものように夜中にこっそり泣いていたメルルに、ナバラはその実を差し出してくれた。

「これは、夢見の実と言うんだよ。これをお飲み……そうすれば、夢の中で会いたい人に会えるよ」






 深い森に覆われた静かな湖畔は、メルルが一番好きな光景だった。
 自然豊かで、いつ訪れても静謐さが心地よい故郷。今となってはそこで過ごした日々よりも、旅で他国を流れ歩いた日の方が上回っているかもしれない。

 だが、遠く離れたとしても、テランこそがメルルの故郷だった。
 テランでもっとも神聖な場所とされる、竜の神の神殿のある湖の畔を歩くのは、いつだって心地よかった。

 絶え間なく聞こえる水の音と、小鳥の囀り――。
 森の中で感じられる、木漏れ日のまぶしさと暖かさ。
 そんなささやかな物こそが、メルルの心を強く惹きつける。誰に邪魔されることなく、ただ湖を巡るように歩く……そんな時間がメルルは好きだった。

 だが、とメルルは思う。
 一人で歩くのもいい。しかし、心を寄せた人と一緒に、自分にとって一番好きな場所で過ごすことが出来たのなら、それはどんなに幸せなことだろう。
 思い浮かぶのは、緑の服を着た魔法使いの少年。
 
『あ、メルルか?』

 誰に対しても遠慮のない、彼の目が好きだ。
 人見知りなせいで、他人に対してはつい目を伏せがちなメルルと違って、ポップの目はいつだって遠慮が無い。

 人間だけでなく、怪物や魔族……テランで神と崇められる竜の騎士に対してでさえ、その目は臆することはない。親友の正体が怪物でも構わないと言い切ったあの魔法使いは、本当にその言葉通り公平だ。
 普通の人なら目をそらす相手にさえ、真っ直ぐにその目を向ける。

 よく表情を映すその明るい目に、自分の姿が映っているのだと思うだけで身が震える。それだけでも十分に嬉しいのだけれど、その目がずっと――そう、あの淡い赤毛の少女を見つめるのと同じ熱意を持って見つめ続けてくれたなら……そう望むのは、贅沢が過ぎるというものだろうか。

『メルルも散歩か? ちょうどおれもブラブラしてたことなんだよ、よかったら一緒にいかねえ?』

 明るく陽気な彼のその声が、好きだ。
 屈託がなくて、調子のいい声は軽く聞こえる。

 だが、メルルは知っている。ポップの言葉に秘められた、魔法のような効力を。
 ふざけているだけのようでいて、その声には確かな強さと優しさが込められている。

 そう言って欲しいと望む時に、まるで魔法のようにその言葉を言ってくれる魔法使いに、誰もが励まされることだろう。
 メルルだってそうだ。
 彼の口から、聞きたくて聞きたくてたまらない言葉がある。

『メルル……聞いてほしいことがあるんだ。おれは……おれが、好きなのは……』

 その時、遠慮がちにドアをノックする音が聞こえた。






「メルル……、ごめんなさいね。だけど、もう起きた方がいい時間だったから……」

 遠慮がちに部屋に入ってきたのは、エイミだった。
 パプニカ王国の三賢者の一人のエイミが、わざわざ一占い師に過ぎないメルルのために起床の挨拶に来てくれるだなんて、分不相応もいいところだろう。だが、この戦いに参加している女性の数は五本の指で数えられる。

 別に普通の兵士に命じてもいいような雑事なのに、わざわざ女の子であるメルルを気遣ってくれた気持ちが申し訳なくもあり、嬉しかった。

「よく眠れたかしら?」

 そう聞かれて、メルルは一瞬だけ答えに迷った。ええ、と無難に頷く方がいいと思ったから。
 だが、それでは気遣ってくれたエイミに嘘をつくことになり、心苦しい。

「……実は、全然眠れなかったんです。あ、でも、きちんとベッドで横になってましたので、休息は十分に取れましたから」

 明日の正午、ロロイの谷でヒュンケルとクロコダインが処刑される。
 それまで、ダイ達はギリギリまで砦で休んでもらう手はずになっている。だが、ダイ達以外の戦士達は戦いの準備のために今夜の内にロロイの谷へ移動する予定だ。

 そのため、交代で昼寝をして英気を養っておくように通達を受けた。
 しかし、戦い慣れした兵士達と違い、一般人のメルルにとってこの命令は難しかった。念のために夢見の実を含んでみたものの、残念ながら効果は無かった。
 夢を見るどころか、眠りにさえつけなかったのだから。
 
 夢見の実は、子供にしか効き目はない。
 正確に言うのならば、大人が食べたのならば眠りに就きやすくなる効果しか無い。その効き目もごく弱い物で、少しばかり眠気を催す程度のものだ。睡眠薬と言えるほどの効き目もない、気休め程度の効果しか無い。

 きちんと眠れた場合は、短時間でぐっすり眠れて回復できる効果が発動するとは言え、単に睡眠が目的ならラリホー草の方がよほど確実だ。

 実際、今のように戦いを前に不安を感じている時は、眠りにさえ導くことは出来なかった。少しばかりうつらうつらしたかもしれないが、夢などは見なかった。
 ――悲しいことに、それが真実だ。

「そう……」

 エイミが、一瞬、表情を暗くする。
 優しい人だと、メルルは思う。エイミは驚くほど情熱的な女性だが、真面目で優しい女性でもある。

「ねえ、メルル。やはり、あなたは戦いに加わらない方がいいのではないかしら? 今からでも待避組に変更するには遅くはないわ」

 明日の決戦に備え、戦いに参加する者はロロイの谷へ向かう。だが、戦うのはとても無理と判断された怪我人や、万が一の時のために避難する時のことを考え、ごく一部は待避組としてサババの港に隠れることになっていた。

 待避組は一定期間そこで身を潜め、万一の時は生き残りを救助――もしくは、全滅した一行に代わって帰還し、他の王達に報告するのが役割だ。戦いに参加するよりも、安全と思われている役だ。

 実は、レオナやフローラからも、メルルは待避組に加わった方がいいと薦められた。それをはね除け、最後まで戦いに加わりたいと望んだのはメルル自身だ。

「いえ……お心遣いは嬉しいのですが、私は、最後までダイさん達に協力したいと思っています」

 そう口にしながら、メルルは自分の臆病さを笑う。
 確かに、勇者達の力になりたいと思う気持ちはある。だが、メルルが真にそれを望んだのは、ダイのためでもなければレオナのためでもない。
 なのに、それを口に出す勇気さえ無いのだ。

「でも……」

 不安そうに何かを言いかけた彼女を遮って、メルルは問いかける。

「エイミさんも、待避組に薦められたのでしょう?」

「あ……」

 一瞬、エイミの頬が赤く染まった。
 自分よりも年上の女性が、少女のように可愛らしく見えた。

「そうね……、でも、私も最後まで戦うと決めたの。ヒュンケルを絶対に助けたいから……!」

 迷わず、想う人の名を口に出来るエイミの強さが、メルルにはただ、ただ、眩しかった――。






(……結局、夢でも、現実でも会えないままなんですね……)

 できるだけ音を立てないように気をつけながら、メルルは汚れた食器を洗っていた。

 これは、本当ならする必要の無い作業だった。
 最後の食事となる夕食と翌朝のための食事を用意した段階で、炊事当番の役割は終了した。実際、調理に関わった兵士達はすでに移動の準備にかかり、汚れた皿などは放置したままだった。

 フローラからも、この砦は翌朝には放棄するので気を遣わなくてもいいと言われている。

 だが、武器も防具も持たないメルルには準備も必要ないし、時間も少しだけある。このまま放置するのもなんだか心残りで、メルルは空いた時間で皿洗いしていた。

 何の意味も無いことをやっているという自覚はあるが、メルルは手を止めなかった。こうやって、なにか少しでも働いていると思える方がいっそ気楽だったから。

(ポップさん……)

 できるのなら、最後に彼に会っておきたかった――。
 不吉かもしれないと思うが、それがメルルの本心だった。主戦力であるポップは、ダイ達と一緒にギリギリの時間まで砦に残る予定だ。もうじき、この砦を離れるメルルとは別れ別れになってしまう。

 ロロイの谷で合流するとは言え、そこは戦場だ。
 言葉を交わすどころか、顔を合わせることすらできないかもしれない。それを思えば、その前に強引にでもポップに会いにいけば……と、何度も思った。

 しかし、戦いを前に、ダイを初めとしたアバンの使徒達は忙しそうだった。ダイとノヴァが寸暇を惜しんで激しい特訓をしていたことを、メルルはレオナから聞いた。

 エイミから聞いた話では、ポップもずっと砦にいなかったという。どうやらこの周辺にはいる様子だったが、夕食時にさえ顔を見せなかったポップのことを、メルルはずっと気に懸けていた。

 だが、戦いを前にしたポップの心を乱してはいけないと思うからこそ、会いに行くのは迷惑だと――。

(いいえ……言い訳よね)

 メルルは、自分で自分の心を嘲笑する。
 迷惑をかけたくないから、ではない。その気持ちがないとは言わないが、そんなのは言い訳に過ぎない。

 勇気がないから、会いに行けないだけだ。夕食の席にはマァムも姿を見せなかったが、彼女はポップに武器を渡すため探しに行ったそうだ。

 迷いなくそうできるマァムを、メルルは心から羨ましいと思う。
 あれからずいぶん経つが、二人はまだ一緒だろうか? 
 そう考えると、胸が少しばかり痛む。

 結局、夕食の時間に戻ってこなかったポップとマァムのために、それぞれの部屋の前に夕食代わりのサンドイッチを用意して置いたが、食べてくれただろうか?

 そんなことを考えながら皿を洗っていたメルルは、人の気配を感じて振り返った。

「……あら、ダイさん?」

 手持ち無沙汰だと言わんばかりの顔でぶらぶらしていたのは、世界を救う期待を一身に背負った小さな勇者だった。






(おやすみなさい、ダイさん。よい夢を……)

 夢見の実を頬張りながら立ち去る小さな勇者の背を、メルルは手を振りながら見送った。

 女の子としてそう身長が高い方ではないメルルよりも、さらに小さなその背中は、こうしてみると子供にしか見えない。剣を手にした時は怪物さえ易々と倒すのに、普段のダイはごく普通の子供だ。
 まだ幼さの見える彼を見たからこそ、メルルは夢見の実を渡したのだ。

(ごめんなさい、ダイさん。少しだけ、嘘をついてしまいました……)

 心が綺麗な人だけが望んだ夢を見ることが出来る、なんて言葉は半分は嘘だ。
 夢を見ることが出来るかどうかは、個人差が大きい。

 子供にしか効果は無いことは確実だが、子供であっても必ず夢を見ることが出来るというわけではないのだ。
 幼い程、望んだ夢を見やすくなるとは分かっているが、それも確実とは言えない。

 どんな夢でもいいというわけではなく、切実な思いでなければ夢に繋がらない。単に、子供の憧れ程度では駄目なのだ。そのため、ごく普通の幸せな子供にとっては何の効き目もない実にすぎない。

 記録では、一番多いパターンは亡くなった親の夢を見る話だ。
 そのため、テランでは親を亡くした子の悲しみを癒やすために利用されることが多い。
 メルルが幼い頃に何度か夢見の実を与えられたのはそのためだ。

 だが、夢見の実は繰り返して使う程と効果が薄れていく性質を持つ。その上、年齢が上がれば上がるほど、夢を見る確率自体が減少する。

 だいたいは10才前後を境に、夢見の実は効かなくなるとされている。
 記録によると、15才の少女で夢見の実の夢を見た者もいるというが、それは本当に古い記録であり、少なくともここ数十年はそんな話は聞いたことは無い。

 だからこそ、夢見の実は薬として他国に流通することもなく、親を亡くしたばかりの子をなだめるための特別なおまじないとして、テラン国内のみでひっそりと伝わっている。

 メルルが最後に、夢見の実で夢を見たのは11才の頃だっただろうか。
 その時には、もう、実の効力はひどく薄かった。久しぶりに夢で会えた両親は、顔すらあやふやでぼんやりとした印象しか残らなかった。

 それもある意味で当然だっただろうと、メルルは思う。
 夢見の実は、親を失ったばかりの子にひとときの夢を見させるだけの効果しか無い。成長して親の死を受け入れ、悲しみの記憶が遠ざかれば、その分効き目が落ちるものだ。

 だが、そうと分かっていても、幼い頃から何度も悲しみを救ってくれた夢見の実は手放しがたかった。毎年、こっそりと夢見の実を摘んでから日干しし、お守りのように持ち続けた。

 今回、ダイ達と一緒に行こうと決心した時も、わざわざ新しい夢見の実を用意してしまったぐらいだ。

 もちろん、それが役になど立つ可能性がほとんどないことなど承知していた。メルルはもちろん、ポップやマァム、レオナなども夢見の実の効力はまず及ばないだろう。

 しかし、ダイならば。
 あの純粋で優しい少年ならば、おそらく効果があるのではないかと思えた。ましてや、ダイはつい先日父親を失ったばかりだ。

 勇者として気丈に振る舞ってはいるが、その心には深い傷が残っているだろう。
 それが、ほんの少しでも癒やされればいいと心から望む。

 ダイだけではなく、ポップも。マァムやレオナ……明日の戦いの前に、全員が安らかな眠りを、心安らぐ夢を見られることを、メルルは静かに祈る。
 それらは、自分には与えられないものだったから――。

 そして、祈りのために無意識に組んだ手を解き、身を翻して歩き出した。勇者達よりも一足先に、人類の存亡を賭けた一戦が控えたロロイの谷へと向かうために――。    END  

 
 


《後書き》

 アニメでのメルルがめちゃくちゃ可愛くて、恋心がいじらしすぎますっ! 
 と、盛り上がった結果書いてしまったのが、このお話です♪
 アニメの影響を受けた割には、設定は原作準拠ですが(笑) 

 アニメでは、メルル達支援隊はロロイの谷には早朝向かっていますが、原作では夜のうちに移動を完了させています。また、アニメではメルルは薬草を袋に詰めていましたが、この話では原作通り皿洗いをしています。

 夢見の実は本当に効き目があると言うよりも気休めみたいなイメージで語っていましたが、短時間で眠れて回復抜群の効力があるのなら、レオナやポップのような魔法使い系に渡した方がいいんじゃないかと思っていたんですよ。

 それに、メルル自身は使わなかったのかなとずっと前から気になっていたので、自分なりに解釈した話をでっちあげちゃいました。

 眠ることの出来なかった昼寝の時間、ポップとの散歩ややり取りは、夢でさえなくメルルの願望にすぎません。うう……なんだか、メルルに猛烈に土下座したい気分です。

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