『あの日見た稲妻』

  

 雷鳴が、絶え間なく鳴り響いていた。
 それは、とてつもなく奇妙な光景だった。
 空に浮かぶ、白亜の浮遊城――それだけでも現実離れした光景だったが、今はさらにその城の真上に暗雲が立ちこめている。

 今も太陽が輝き、青空が広がっているのにもかかわらず、バーンパレスの上空だけが局地的に暗雲に覆い隠されてしまっている。そんな空の下では、本来なら真っ白だった天空城も台無しだった。

 巨大な鳥に似た白亜の城は、雷に照らされる度に黒い影となって空に浮かび上がり、不気味な威容を見せつけている。

 地上にいてでさえ、そこで何かが起こっているのだと一目で見て取れる異変――空を見上げる美しき女王は、独り言とも、誰かに言い聞かせるともつかぬ声で呟いた。

「今度は……稲妻の連続」

 一国の女王として圧倒的な指揮力を見せつけたカールの女王の横顔は、こんな時でも内心を感じさせはしなかった。

 指導者たるもの、己の感情を秘めておくのは当然の心得だ。たとえ内心でどれほどの葛藤や不安を抱えていたとしても、それを他者に感じさせるような下手は打たない。
 しかし、北の勇者と呼ばれる少年にはそれほどの自制心は無かった。

「ダイの呪文でしょうか……」
 
 どこか不安そうに空を見上げる目は、動揺を隠しきれずに揺れている。北の勇者と呼ばれた少年にとっても、これほどの戦いは初めてなのだろう。遠く離れた場所で、今、まさに行われている勇者と大魔王の死闘を、ここにいる者はうかがい知ることすら出来ない。

 それでも、先程までは散発的に見えた爆破の規模や魔法特有の光から、ダイやポップの必殺技だと察することもできた。

 しかし、さっきから続け様に放たれる雷鳴はこれまでとは全く違う。
 息をつく暇もないほど、続け様に光る雷光。
 それは、地上までは落ちては来なかった。全て大魔宮に落下するその稲妻を見上げながら、フローラは呟いた。

「魔王軍側の攻撃でないことを祈るわ」

 それはこの場にいる全員の総意だからこそ、否定も肯定も出来ない発言だった。

 魔王軍の力がいかに桁外れなものなのか、この場にいる人間達は既に知っている。――というか、思い知らされてしまった。
 だからこそ、あの天変地異を思わせるような不自然な稲妻が魔王軍側からの攻撃であると言われても、否定出来ない。

 しかし、彼らは同時に勇者達も知っている。
 並の人間とは全く違う実力を持ち合わせた彼らに、寄せられる期待は大きい。彼らならきっと、やってくれる――そう思う気持ちもこの場にいる誰もが抱いている。

 そうあって欲しいと、誰もが思いたがっている――だからこそ、軽々しくそれを口に出すことさえためらわれる。
 結果的に静まりかえったその場で、その呟きはやけに大きく聞こえた。

「……いや……あれは、ダイ達じゃ」

 小さな、だが存在感のある呟きを拾ったのは、一人、空も見上げずに座り込み、目を閉じていたロン・ベルクだった。

「じいさん。……なにか、心当たりがあるのか?」

 見た目は壮年ながら実年齢は人間など遙かに上回っている魔族の男の呼びかけに、バダックは答えなかった。
 いや、そんな質問など耳に入っていなかったと言った方が正しい。

 髪がほぼ真っ白で、全盛期に比べれば痩せ衰えた身体付き……だが、見開かれた目だけは、若者の時と同じ強い光を放っていた――。







 それは、まだレオナが生死不明で、パプニカが滅亡寸前だった頃のことだった。

 あの頃は、バダックにとっては絶望しか無かった。
 魔王軍の侵攻によりパプニカ王は戦死し、城は落城した。
 優美な城として名高かったパプニカ城――旗が引きずり落とされ、あちこちから炎が上がる城を見た時の絶望感は、きっと一生忘れられないだろう。

 パプニカ城では魔王軍が動きはじめた頃から、最悪の事態を想定して王から一兵卒に至るまで全員の決意を固めていた。
 いざという時は、若者にこそ希望を託そう、と。

 戦略で考えるのなら、先の魔王軍戦時代を生き抜いた経験を持つ中堅世代の兵士達を残すのが、最も効率的かもしれない。彼らは生き延びる経験や知恵を十分に身につけ、戦後、新たに子供を残すことも可能な世代だ。

 どうせ勝ち目のない戦いならば老兵や新人兵士に城を守らせ、捨て駒とする。歴戦の兵士達は王と姫の護衛の役割を負い、両者をそれぞれ別の方向へと逃がす――その作戦こそが最も現実的であり、有効だっただろう。

 しかし、パプニカ王はその作戦に頷かなかった。
 いざという時に、民を守るのが王の役割だと彼は言った。城に王位を持つ者がいなければ、時間すら稼げない。

 自分が囮も引き受ける覚悟で、パプニカ王はパプニカ最高の賢者である三賢者や若い世代の兵士を王女の護衛につけ、一足早く脱出させた。
 その後、パプニカ王の命令の下、歴戦の兵士達は次世代に希望を繋ぐために戦い、散っていったと言う。

 バダックもそれに参加したいと望んだものの、その望みは叶わなかった。レオナ姫に幼い頃から仕えている側近として、一兵士でありながらじいやと遇されていたバダックは、レオナと共に城を脱したメンバーに選ばれた。

 最終的に、王自らが先頭に立って戦ったあの戦いの結末を見ずに済んだのは、バダックにとって幸いだったのか、不幸だったのか……。

 王女レオナと共に神殿に逃げ延びたものの、そこにも魔王軍の攻撃は容赦なく押し寄せてきた。なんとかレオナだけは三賢者や若手の兵士達や神官達と共に逃がしたが、その後、どうなったのかバダックには分からなかった。

 戦いの中で意識を失い、気がついた時にはもう全てが終わっていた。
 バダックのいた小隊は少しでも人々を逃がすため、神殿の外で避難誘導と陽動のために活動していた。その最中に魔王軍に襲われ……意識が戻った時は、彼は一人きりだった。

 激しい戦闘の跡が残る戦場には、目に入る範囲内には人の姿は見当たらなかった。

 しかし、神殿は壊滅的な被害を受けていた。
 建物は多くの部分が半壊し、人影など全く残っていなかった。見る者を嘆息させた壮麗な柱だけは辛うじて残っていたが、壁や屋根が無くなってしまったのに骨組みだけ残っているのは、かえって無残さを強調しているようなものだ。

 不死系の怪物達が、フラフラと彷徨うようにその辺を歩いていたのを覚えている。

 そこからどうやって避難小屋まで逃げ延びたのか、正直覚えていなかった。
 だが、それでも不死系怪物達がうろつく場所にいるのは危険だと、無意識に判断し、避難していたらしい。

 逃げ延びた場所は、小さな山小屋だった。
 作戦行動中、なんらかの事情ではぐれた際、兵士達が集合するために用意して置いたその小屋は無人のままだったし、バダックがそこにとどまっている間にやってきた兵士達もいなかった。

 レオナ姫の手がかりも、当然のようになかった。
 一人になったバダックに出来ることは、せいぜいが不死系怪物達に見つからないように周囲を偵察し、生存者を捜索することぐらいのものだ。しかし、手がかりは皆無のまま――。

 もう希望などないのかもしれない……そう、思い始めた頃、バダックは『勇者』に会った。

 今思えば、あれはすでに奇跡だった。
 辛うじて生き延びた敗残兵と、南の孤島からやってきた勇者が、偶然にも顔を合わせたのだから。

 正直、最初はただの子供だと思った。
 レオナよりもまだ幼い少年と、彼よりは年上に見える魔法使いの少年は、ボロボロの姿で山の中にいた。巨大な鳥の怪物が側にいるのを見て、最初はその二人が襲われかけているのかと思い焦ったが、よく見ればそれは違っていた。

 怪物は子供達を襲う様子はなかったし、子供達も怪物を恐れている様子は全くなかった。

 それに驚き――ふと、思いだしたのだ。
 レオナから聞いた、南の島に住む小さな勇者の話を。

 背はレオナよりも小さいが、元気が良くて、勇気があって、島に住む全ての怪物と友達なのだと、ひどく嬉しそうに語っていた。おとぎ話のような話だと半ば聞き流していたが……確かに、今、目の前にいる少年はレオナから聞いた『ダイ』の特徴と一致していた。

 なにより、彼に近づいて確信が持てた。
 その子が持っていたナイフは、紛れもなくパプニカのナイフだったのだから。パプニカ王家の象徴であり、王族が己の一番の護衛にと選んだ者にのみ授けることが許される宝剣。

 レオナが未来の勇者にナイフを渡していたことを、バダックは姫から直接聞かされていた。

(……なんという奇跡じゃ……っ)
 
 有り得ない邂逅に驚愕しながら、バダックはダイ達を避難していた山小屋へ案内した。
 傷ついていた彼らをなけなしの薬草で手当てをし、彼らを励ますように明るい話題だけを口にしてものの――それは、本心からの言葉では無かった。

 勇者とは言っても、彼は若かった。彼と一緒にいた魔法使いのポップも、ダイよりも2、3才程度は年上だったとは言え、子供には違いなかった。
 若いと評することさえためらわれるような、ほんの子供……実際、バダックから見ればダイやポップは孫とも思えるような幼さだ。

 そんな子供に、こんなにも辛い現実を突きつけることはためらわれた。
 だからこそ希望的観測だけを口にし、まずは彼らの傷を癒やすことに専念させるつもりだった。

 バダック自身は、最後までレオナやパプニカ王国の生き残りを探し、救助する覚悟はあったが、勇者の卵である彼らにはその義務は無い。身体を休ませる間にやんわりと、少しずつ現状を教えてやるつもりだった。

 その結果、現実の厳しさに諦めると言うのなら、それを責める気など微塵も無い。なんなら、親元へ送り返す手助けをしてもいい――そのぐらいの腹づもりでいた。 

 だが、まだ幼いというのに、ダイもポップも普通の子供とは全然違っていた。
 翌日には、ダイもポップもすぐに行動し始めた。

 不死騎士団長ヒュンケルに攫われた仲間を取り戻すために作戦を練ったのは、ポップだった。一見頼りなく見えた魔法使いの少年は、ダイと力を合わせて敵陣に乗り込む作戦を組み立て、そのための修行を実行した。

 その修行すら、大胆極まりなかった。
 不死騎士団を率いる団長の身につけている鎧が、魔法を弾く性質を持っているならばと、金属に通電するライデインの呪文を主戦力に選んだ。

 だが、まだ勇者の卵であるダイは、電撃呪文――ライデインはまだ使えない……しかし、それをサポートしたのがポップの魔法だった。

 ポップが天候呪文を操って雨雲を呼びよせ、ダイがライデインを唱える。
 雨の降りしきる中、ダイとポップはずっと稲妻を呼び続けた。
 魔法使いの助けを借りて、何度も何度もライデインを唱えていたダイの姿は鮮烈だった。

 それは見ているだけでも、きつい特訓だった。
 若い頃から兵士としてならしてきたバダックさえ、側で見ているだけでも疲れるほど長時間、彼らは特訓し続けた。

 昨日の今日だ、まだ傷だって治りきっていなかったし、疲れだって抜ききってはいなかっただろう。なのに、二人とも休みもせずに魔法の特訓を続けていた。

 いくら勇者が呪文で操っているとは言え、稲妻がすぐ近くに落ちれば怯むのが普通だというのに、ダイもポップもまったく恐れる様子も見せなかった。

 これしか勝ち目はないとばかりに、二人は全力で稲妻を繰り出し続けた。
 雷撃呪文そのものを唱えているのはダイだったかも知れないが、それを支え続けていたのはポップだった。

「ダイッ、もう一度だっ!!」

 厳しい叱咤を何度となく飛ばしていたあの魔法使いは、たいした指導者と言わざるを得ない。
 バダックも新人の研修を何度となくやったからこそ、理解できる。

 まだ自分の力の使い方や限界も分かっていない相手を教え、導くのは生半可なことではできない。強く言わなければやりもしないが、強く言いすぎればやる気を無くしかねない。
 が、ポップのさじ加減は絶妙だった。

「よし、いいぞっ……その調子だ!」

 基本的に厳しく叱咤しつつ、時に褒める。時に具体的なアドバイスも織り交ぜて、特訓が続けられる。

「狙って落とそうなんて思わなくていいっ、流れを少しだけ変えてやるつもりでやれっ!」

「うんっ、わかった!」

 ポップの言葉に力を得るように、ダイは何度も何度も稲妻を呼んだ。あの凄まじい雷光の連続も、息も着かせぬ落雷の間隔も、バダックは忘れない。忘れられるはずも無い。

(……ああ、この子達なら…………)

 終わることの無い稲妻の中で、バダックは思った。
 彼らこそ、勇者なのだと。
 逃げ回るだけで精一杯だった自分達なんかと違い、彼らならば本当に世界を救ってくれるのではないかと――あの日、バダックはそう思った。

 事実、ダイとポップは敵の本拠地である地底魔城に堂々と乗り込み、不死騎士団長を倒して仲間を救い出した。

 その上、レオナ姫を助けだし、その後も勇者として魔王軍と戦い続けてくれた。
 あの日、バダックが思ったことは、決して間違ってなどいなかった――。








「あれは……きっと、ダイじゃ……!」

 連続する稲妻の間隔は、バダックにとってどこか懐かしさを覚える間のままだった。
 呪文を唱えているのは、勇者であるダイに違いない。

 あの特訓の時は未熟で、ポップの手助けが無ければ使えなかった雷撃呪文だが、あれからしばらくして自力で唱えられるようにまで成長した。
 しかし、バダックには確信があった。

「それに、ポップもきっと……」

 今、バーンパレスの真上に暗雲を呼んだのは、ポップでは無いかも知れない。
 だが、あの特訓の日と同じように、ダイのすぐ隣には今もポップがいるだろう。ダイの一番近くで、彼の手助けをするために――。

 彼の言葉は、必ずダイを助け、力を与えるはずだ。あの日と同じように……。

 遙か遠くに浮かぶバーンパレスを見上げながら、バダックの脳裏にはあの日に見た勇者と魔法使いの姿が、はっきりと浮かび上がっていた――。  END 


《後書き》

 アニメでフローラ様達が稲妻を見上げるシーンを見て、思い浮かんでしまったのがこのお話です♪
 あの雷の連続に、ライデインの特訓を見ていたバダックさんになんらかの反応をして欲しいと思う気持ちが募って、一気に書き上げちゃいました。

 戦闘面ではほとんどと言っていいほど活躍していませんが(笑)、なんとなく味が合って出番の多いバダックさんは、お気に入りキャラの一人なんです。

 アニメでは出番やら台詞が削られがちな不遇キャラになっちゃっていますが、それでいてオリジナルの台詞も追加されている辺り、愛されているキャラだなぁと思います♪
 


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