『破滅に至る、三つの条件』

  
 

『1.挑戦者である』

 木の枝に掛けられた小さな黒板に、キシキシと少しばかり嫌な音を立てながら白いチョークがそう書き込んでいく。

 もっとも、ダイは書かれた字よりもその黒板の方に注目していた。
 手作り感に溢れていてちょっと古ぼけたその黒板は、ダイにとっては見覚えのある物だった。ダイがデルムリン島でアバンの授業を受けていた時、使われていた黒板だ。

 あの時のアバンも青空授業だと言って戸外の木の枝に黒板をかけた物だが、今もその点は同じだった。

 ただ、場所は全然違う。
 あの時はデルムリン島だったが、今、アバンのお手製の黒板がかけられたのはパプニカ城のこじんまりとした中庭だった。庭と言うよりも隙間的な空き地と呼ぶ方が正しいような狭い場所で、一本の木が生えているだけの場所だ。

 ただ、ポップが気に入っていて、時々お昼を食べたり昼寝をしたりするのに使っているせいもあり、ダイもちょくちょく来る場所だ。

 ただし、ここに来るのはずいぶんと久しぶりだった。
 寒くなってからは、ポップは外に出るのを嫌がってわざわざ外で食事を使用なんて言わなくなったし、昼寝をするのだって寒すぎる。

 夏の終わりまでは気持ちの良い緑色の絨毯が広がっていた芝生も、この時期には枯れ草になっていて手触りも悪い。
 木もすっかりと葉っぱが落ちてしまって、寒々しい印象だ。

 その木の枝に見覚えのある黒板をかけ、真剣に文字を書き込んだポップは、振り返ってギロッと睨みつけてくる。その目は、完全に座っていた。

「まず、第一の問題点はこれだろ!? 違うか!?」

 異議があるのなら言ってみろ、とでも言わんばかりの口調でそう吐き捨てるポップに、ダイは困惑する。

「え、えっと……」

 言葉に困って、ダイは助けを求めるようにちらっと隣を見やる。
 ダイの隣に座っているのは、ヒュンケルだった。ポップにそこに座れと言われて腰を下ろして以来、微動だにしないで黙ってポップのやることを眺めている兄弟子は、一見、無表情に見える。

 が、付き合いの長いダイには、ヒュンケルの些細な表情の変化も分かる。一見、何でも無い風に見えるが……これは、ちょっと困っている時の顔だ。どうやらダイと同じく、ヒュンケルも少なからず困惑しているらしい。
 どうしようとオロオロしていると、ポップから叱責が飛んできた。

「ダイ! おまえはそう思わねえっていうのか?」

 まるで敵を睨むような目で睨みつけられ、ダイは思わず跳ね上がって首をブンブンと振った。別に、ポップの意見に反対するつもりなんてないのだ。

「え、ええっと! 思わないとかじゃなくって、それ、なんて読むの?」

 だから素直に思った通りのことを聞くと、ポップはなぜかげっそりとした顔を見せた。

「……そっからかよ」

 ため息を吐きつつも、ポップはガシガシと乱暴に黒板の文字を消して、書き直した。


『1.チャレンジャーである』

 読みやすい字に書き換えられたことで、ダイはちょっとだけホッとする。今度は、なんとか読める。

「ちゃれんじゃーである……えっと、強いやつに挑戦するってことだよね?」

 念の為、隣にいるヒュンケルにも聞いて意味を確認すると、兄弟子はかすかに頷いてくれた。
 それに、不機嫌ながらもポップも補足してくれる。

「戦いだけじゃなくて、困難やら難しいことに自分から挑む時にも使う言葉なんだよ」

 ダイが知らないことを、こんな風にひょいと教えてくれるのはいつだってポップだ。大戦の頃から変わらないその癖が嬉しく思ってから、ダイは改めて首を傾げた。
 嬉しいのは嬉しいが、話を聞いてますます謎が深まるばかりだ。

「でも……それって、悪いこと、なのかな?」

 より強い者と戦いたいと思う気持ちは、ダイの中にもあるし、仲間達も持っている思いのはずだ。それが悪いとは、ダイにはとても思えない。

「別に、悪いとは言ってねえよ。ただ、問題だって言ってんだけだろ!」

 ひどくぶっきらぼうに、ポップが吐き捨てる。

(悪いと、問題って、違うのかな?)

 その違いが分からなくて、ダイはますます混乱するばかりだ。
 と、その時、ヒュンケルがボソリと呟いた。

「問題かどうかはさておき……当たっているとは思う。端的に言うなら、レオナ姫はまさに挑戦者だ」 

 その言葉を聞いて、ダイは思わず頷いていた。

「うん、そうだね。レオナ、強いもん!」

 心の底から頷くダイの言葉を、レオナ本人が聞いたらどう思うかはともかくとして、それはダイの本心からの思いだった。
 自分から積極的に戦う、というわけではないが、レオナは必要だと思った時はどんな困難にも果敢に挑む。

 思えば、出会った時からそうだった。
 怪物だらけの島にわずかなお付きの人達とやってきて、島の奥深くの洞窟で王家の儀式を行っていた。パプニカが魔王軍に滅ぼされた時も、三賢者と一緒に城を捨てて逃げ延びた。

 魔王軍との戦いの時だって、ずっとレオナは挑戦し続けた。
 今まで誰もやったことのない世界会議を開催し、全世界の人達に魔王軍編への戦いを呼びかけ、先頭に立って指揮してくれた。最終決戦の時は、自ら進んで破邪の洞窟に挑み、バーンパレスにまで乗り込んだぐらいだ。

 レオナがチャレンジャーだと言うのは、議論の余地もないぐらいはっきりしている。

 ダイとヒュンケルは、うなずき合う。特にダイは、スッキリと悩みが片づいたかのような晴れやかな顔だ。
 が、ポップの表情は更に苦虫をかみつぶしたようなものとなる。

「……認めやがったな。じゃあ、次の問題点だ」






『2.切り替えが早い』 

 と、一度書いてから、ポップはご丁寧に難しい字に読みやすいようにルビを書き添えた。そのおかげで、ダイは今度は最初から読めた。

「切り替えが早いって……うん、それってすっごくレオナらしいよね」

 レオナは頭がとても良く、サバサバした性格だ。
 何かトラブルが起こっても、すぐに考えを切り替えてサッと対処するのはレオナの強みだ。

 戦いはともかく、それ以外の考え事が苦手なダイにとって、レオナのそんな切り替えの早さはいつだって頼りにしていたし、凄いと思っている。

「ああ、そうだな……過去を切り捨て、前だけを見て行動できる姫に、オレも救われた……」

 少し懐かしむように、ヒュンケルも呟く。
 魔王軍との戦いの最中、魔王軍の一員だったヒュンケルの罪を問わず、正義のためにまい進するようにと裁いたレオナの言葉は、ダイの心にも強く残っている。
 だからこそ、ダイは首を捻ってしまう。

「これも、何が問題なの?」

 ダイにしてみれば、全然悪いこととは思えない。口には出さないが、ヒュンケルも同感なのだろう。問うような視線を、ポップへと向けている。

「問題どころか、むしろ長所だとさえ言えそうだが……」

「ああ、一つ、一つなら長所だろうな。おれだって、姫さんの切り替えの早さにはずいぶんと助けられたしよ。失敗しても、すぐに思考を切り替えてサッと前向きになれるとことか、マジ、すげえと思うぜ」

 憮然とした様子ながらも、ポップはレオナを手放しに褒める。

「だけど、いっくら長所だからと言っても……三つの問題点が合わさるととんでもない欠点になるんだよ……っ!」

 そう言ったかと思うと、ポップはまたもチョークを手に黒板に向き直った。

「そして、これが最後で……最大の問題点だ!」






『3.味見をしない!』

 力を込めすぎたせいで、チョークがポッキリと折れて落下する。枯れ草の上に落ちたその音が、やけに大きく聞こえたのは――その場が静まりかえったせいだろう。

 そして、静まりかえったからこそ、城の方から――より正確に言うのなら、城の台所の方からの騒ぎ声が聞こえてくる。

「あーん、上手くいかないわねー。なら、これならどうっ!?」

 上手く行かないといいながらも、堂々たるその声は自信に満ちあふれている。それを止めようとするのは、気弱そうな女の子の声だ。

「あ……っ、あのっ、姫様っ、それはおやめになった方が……っ」

「レオナったら! 砂糖を入れすぎたからって、塩を入れちゃメチャクチャな味になっちゃうわよ?」

 闊達な少女の声も、レオナを止めようとしているが……彼女はどこまでもチャレンジャーだった。

「あら、試してみないと分からないじゃない! もしかしたら、美味しい組み合わせになるかもしれないでしょ?」

 楽しげな少女達の――否。
 楽しげな少女と、不安そうな少女達のさざめきが耳に痛い。更に不安を煽ってくれるのが、窓の隙間からもうもうと立ち昇る黒煙だった。

 とても料理をしているとは思えないほど黒々として不吉なその煙は、もはや見て見ぬ振りをするのも難しいほどの量だ。

 絶句してしまったダイとヒュンケルの目の前で、ポップが肩をふるわせながら訴える。

「チャレンジャーだから、今まで一度も試したこともない難しい調理にも臆せずに挑戦して! 切り替えが早いから、どんなに失敗しても気にせずにすぐに前向きになって! そんでもって、絶対に味見はしないときている! その結果、何が出来ると思うんだよ……ッ!?」

「「………………」」

 ダイもヒュンケルも、何も言うことが出来なかった。
 今日は、バレンタイン・デー。

 女の子が親しい男性にチョコレートを贈る日だ。それも、単にチョコレートを贈るのではなく、一手間掛けて調理して贈るのが女の子達の間で流行っているらしい。

 それは、いい。
 それはいいのだが――。

「……レオナ……今回は、アバン先生に料理を習うから大丈夫って言ってたのに……」

 ダイがぽつんと、呟く。
 レオナも、自分があまり料理が得意ではないと言う自覚はあるらしい。――一応は。

 だが、自分の手でバレンタインデーのチョコ菓子を作りたい。
 だからこそ、レオナはバレンタイン・デーの前からアバンに頼み込み、料理の特訓をしてもらうと言っていた。

 レオナのその努力を、ダイは素直に喜んだ。だが、ポップはそれを聞いてもなにかしら、不吉な予感はあったようだ。それでも多少引きつりつつも、ポップもそれに賛成した。

 カール王国にルーラで飛んでいって、アバンに交渉してバレンタイン・デー前に一週間程パプニカに来てもらうように算段をつけた。
 その際に、マァムやメルルも呼んだのはレオナ本人の希望だが、ポップも諸手を挙げて賛成した。

 彼が後でこっそりとダイに言ったことによると……『教える人が多い方が、被害が少しでも減るだろうし』と言うことらしい。
 だが、漂う黒煙と、じわじわと広がっていく異臭から察するに……全ては無駄な努力だったようだ。

「……先生ってば、何をしてたんだよ……っ!?」

 不満げにぼやくポップの声に応じたのは、のんびりとした明るい声だった。

「おやおや、ずいぶんな言われようですねえ。これでも、最大限の努力をしてきたつもりなんですが」

「せ、先生っ!?」

 ひょっこり登場したアバンに驚いたのは、ポップ一人だった。
 ダイもヒュンケルも、気配でアバンの接近には気がついていた。だが、なぜレオナの所ではなくこちらに来たのかが分からなくて、ダイは師に問いかける。

「先生、レオナのとこにいかなくて平気なの?」

「ああ、ご心配なく、すぐに行きますよ。そろそろ完成間近でしょうからねえ、仕上げを手伝わないと……無駄かも知れませんが、最後の最後まで踏ん張らないといけませんからね」

 にこやかに、だがさりげなく不吉なことを言うアバンに、ポップが悲鳴じみた声で抗議する。

「何を言ってるんですか!? って言うか、この一週間、先生はなにやってたんですかっ!? 姫さんの料理、全然進歩してないじゃないですかぁああああっ!」

 仮にも師に向かって失礼極まりない言い方だが、アバンはのほほんとした笑顔で笑う。

「いやあ〜、スペシャルハードコースお嫁さん編で特訓してはみたんですけどね、人には向き、不向きというものがありましてね。これは、長期でじっくりゆっくりと修行していくしか無さそうだなと、ここ一週間で実感したところですよ」

 そう言いながら、アバンは懐から小さな袋を取り出した。それを、ポップに手渡す。

「とりあえず、今日のところはあなた達にはこれを差し上げます」

「へ?」

 取り合えず受けとってから、ポップはキョトンと小袋を摘まむ。

「胃薬ですよ。……多分、必要になると思いますので!」

 笑顔でそう言ってのけたかと思うと、アバンは大勇者の名に恥じない素早さでサッとその場から消えた。ポップどころか、ダイやヒュンケルさえ止める隙の無い素早さだった。
 そして、台所の方からアバンの陽気な声が聞こえてくる。

「さーて、お菓子はそろそろ完成ですね? それでは、ラッピングの準備に入りましょう! 見栄えを良くすることで、お料理は味を一段上に感じるようになるものですよ〜」

 朗らかなその声を聞きながら、ポップは胃薬を手にしたままその場に膝をつく。その顔色は、既に真っ青だった。

「一段上って……マイナス百万から一段やそこら上がって、なんの意味があるんだよ……」

 ぽつんと呟かれたその言葉に、ダイもヒュンケルも返す言葉も無かった。
 かくして、彼らのバレンタイン・デーは、今年も地獄と確定したのである――。   END  


《後書き》

 数年ぶりに書いた、レオナのバレンタイン・デー話です♪
 スマホゲームで、レオナがアバン先生に花嫁修業をつけてもらうイベントが好きで、久々にレオナのポイズンクッキング話を書きたくなっちゃいました♪

 あ、レオナの名誉のために言えば、ゲーム版のレオナは料理は失敗、洗濯をすれば雑巾化しちゃっていましたが、ポイズン化はしていませんでしたよ、ええ! ……って、フォローになってない気もしますが(笑)

 こちらの作品ではポップがレオナの料理下手の原因を必死に追求していますが、原因が解明してもそう簡単には治らないのがメシマズの恐ろしいところです(笑)

 前に、メシマズの三つの理由をやたらシリアスに語りまくる動画を見て、あんな感じの話を軽く書きたいなと思って書いてみたら、全然違う展開になってしまった気がします。

 あ、でも、最後に主人公が病院送りになる点だけは一致しているかもしれません(笑)
 

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