『空白の僧侶戦士 1』

 

(この男が、魔王ハドラー……!?)

 驚愕と恐れが半々に篭もった目で、マァムはその魔族を見上げていた。
 鋭い目つきと威風堂々とした態度が特徴的な、長身の魔族――立派な肩当てのついた豪奢なマントを翻し、アークデーモンやガーゴイル達を背後に従えているその姿を、マァムはまじまじと見つめずにはいられなかった。

 その名前だけは、マァムはずっと前から知っていた。
 普通の村娘ならば、15年前に勇者が魔王を倒した話は知っていても、それぞれの名前までは知らないだろう。

 だが、マァムはただの村娘ではない。
 大勇者アバンの弟子であり、アバンの仲間だった戦士ロカと僧侶レイラの間に生まれた、僧侶戦士だ。

 幼い頃に亡くなった父や、その後、女手一つで自分を育ててくれた母の口から魔王ハドラーの名は聞いていた。

 そして、アバンの弟子であるダイやポップの口からも、その名を聞いた。
 アバンを殺したのは、大魔王バーンの手によって蘇った魔王ハドラーだと――。

 なぜ、その魔王がバルジ島に来たのか……その疑問は残るものの、彼の正体は疑いようが無かった。
 アバンの最期に立ち会ったはずのポップが、この男がハドラーだと断言したのだ。

 怒りと怯えを入り交じらせ、いつになく表情を強ばらせたポップを見ていれば、こいつこそがアバンの仇なのだと否応なく思い知らされる。普段は口には出さないが、ポップがアバンを心から尊敬し、慕っていたことはマァムも知っていた。

 それだけに、師を殺した相手を目の当たりにして、普通の精神状態ではいられないポップの気持ちはよく理解できる。

 なのに、ハドラーはそんなポップを歯牙にもかけなかった。
 ダイがいなくて拍子抜けだと嘲笑った魔王は、ポップと言葉を交わしてからようやく思い出した様子だった。

「そうか……思い出したぞ。貴様、アバンを殺した時に側にいた……あの魔法使いのガキか?」

「……ッ!!」

 すぐ隣にいるポップが、ビクッと身を震わせるのが分かった。
 魔王に認識される――それが想像を絶するほどのプレッシャーとなるのは、当然のことだろう。

 事実、雑魚が相手かと笑っていたハドラーは、ポップを『アバンの弟子』と認めて、目の色をわずかに変えた。だが、それはいい意味での変化とは到底思えなかった。

 面白い玩具を見つけたような……そんな程度の変化だ。
 虫取りをする男の子が、いつもより大きい虫や色違いの虫を見つけて喜ぶ程度に、ちょっと毛色の変わった獲物を楽しんでいる――そんな風に見えた。

 その目には、虫を遊び半分で殺す子供のような、残虐な喜びが見え隠れしていた。
 と、ハドラーの視線がマァムへと向けられる。

「貴様はなんだ?」

 特に関心の感じられない、その問いかけにマァムは怒りを覚える。ポップに比べれば、マァムに向けられる目は無機質だった。

 なぜ、この場にいるのか分からないとでも言いたげな口ぶりに、怒りを覚えなかったと言えばウソになる。
 自分の存在を軽視され、彼女の矜持は確かに傷つけられた。

「私も……アバンの使徒よ!」

 プライドを満たすだけなら、それだけを言えば済んだ。
 だが、それだけでとどまらなかったのは、ポップの存在があったからだ。魔王に目をつけられてしまったポップは、ひどく危険な立場になっている。敵から個別認識されれば、攻撃を受けやすくなるだけだ。

 魔法使いのポップは、防御力は普通の人並みに弱い。
 ポップよりも自分に注意を向けさせなければ――その思いが、マァムを叫ばせていた。

「私の両親は、あなたと戦った戦士ロカと僧侶レイラよ!」






「……ほう」

 その呟き自体は、簡素な物だった。たいして興味も無いような、そんな素っ気ない口調。
 だが、その言葉と共に向けられた目の鋭さが、マァムを射すくめる。

「……ッ!?」

 恐怖に身が竦む感覚を、マァムは生まれて初めて味わっていた。
 幼い頃から両親に、そしてアバンの教えを受けて自身を鍛えてきた彼女は、怪物が無数に巣くう魔の森でさえ怖いと思ったことは無かった。

 どんなモンスターでも倒すか、最悪でも追い払うだけの実力はあると自負していたし、平和な村で暮らしていたマァムには悪党と出会った経験も無かった。

 魔王軍六団長の一人、クロコダインだとて、マァムにとっては強敵ではあっても、臆する相手ではなかった。獣王を前にしても、説教をするぐらいの胆力がマァムにはあった。

 なのに、今、マァムは立ちすくんでいた。
 その事実に、自分で自分に驚く。

「貴様、あの男の娘だったのか……! そうか……、オレの腕を切り落としたなあの男の……」

 その呟きには、明らかな怒りの感情が込められていた。それに、自分を見る目に込められた熱量も、先程とは雲泥の差だ。ついさっきまではポップにしか目を向けていなかったのが嘘のように、強烈な眼光がマァムを捕らえる。

 しかも、その目つきは一変していた。
 どこか面白がっていた先程までと違い、殺気すら感じられるその目に、マァムは意識せずに後ずさりかけていた。

 だが、すぐ後ろにいたポップの身体に当たったことで、その動きが止まった。
 その時、青ざめた顔をした魔法使いの少年が、マァムの腕を軽く引きながら小声で囁きかけてきた。

「マ……マァム、逃げよう……! 今のあいつは、なんかヤバい気がする……」

 もし、この時、マァムに冷静さが残っていれば、ポップのこの意見に頷いたことだろう。不利な状況で無理に戦うより、一旦逃げて体勢を整えた方がいいといつものマァムなら考えることができたかもしれない。

 しかし、感情は理性を上回る。
 自分自身に逃げたいと思う気持ちがあったからこそ、マァムはその意見を撥ねつけた。

 ポップが逃げたがった理由が、怯えではなくマァムを気遣ったからこそだと、気づくこともないまま――。

「なに言ってんのよ!? あいつは……っ、あいつが、アバン先生の仇なんでしょう!?」

 怒鳴りつけることで、心の中の怒りが掻き立てられる。怒りは怯えを上回り、激しく燃え上がった。

「許せない……っ、あの優しかった先生の生命を奪ったおまえだけは……ッ! 許すもんですかぁああっ!」

 ハンマースピアを振りかざし、マァムは疾走した。

「よせっ、マァムッ!!」

 背後で叫ぶポップの声など、耳に入っていなかった。狙うは、一点――ハドラーの脳天だ。

 先端の重みとスピアのしなりを十分に活かし、マァムは渾身の力を込めてそれを振り落とす。ライオンヘッドすら怯ませたマァムの全力攻撃だったが、それは軽い音と共に遮られた。

 掌を広げてこともなげに刃先を受け止めたハドラーは、表情一つ変えなかった。渾身の力を込めたはずの攻撃は、ハドラーの皮膚に掠り傷すら負わせていない。

「あ……っ!?」

 信じられない光景を目の当たりにして、頭の中が真っ白になる。
 動きが完全に止められ、その上、思考すら停止した一瞬は、戦いの場では致命的だった。

「逃げろッ、マァム! そいつは格闘もハンパじゃないんだっ!!」

 悲鳴じみたポップの忠告は、完全に手遅れだった。それを聞き終わるよりも早く、ハドラーの片手が動く。

 とてつもなく重い物体がぶち当たり、身体が吹き飛ばされるのが分かった。一瞬の浮遊感とと共に、意識がスウッと薄れる。
 魔王に殴りつけられたのだとマァムが悟ったのは、その後だった――。







「――全く、忌ま忌ましい小僧だ……! 一瞬とは言え、このオレの魔法力を上回るとは……っ」

 腹立たしそうな口ぶりと共に、ザッザッと音を立てて足音が近づいてくる。

「ぅ……」

 身体のあちこちが、痛かった。意識がぼやけているせいか、今の状況がよくつかめない。

(私……どうしちゃった、の……?)

 起き上がろうとしても、手足がぐんにゃりとして全く動いてくれなかった。うつ伏せに倒れ込んだ姿勢は自分ながら不自然で、力が入りにくい格好のままだ。

 それでも薄目を開けて、マァムは周囲を見ようとする。その目に、いきなり飛び込んできたのは緑色の服を着た魔法使いだった。

(ポップ……!?)

 自分を庇うように抱き込んだまま、ポップは倒れていた。歯を食いしばったままの顔は苦しげで、固く閉じられた目は動かない。なにより、鼻を突く焦げ臭さに不安が高まった。

(……そう、だ……わ。ポップは……私を庇って……)

 途切れ途切れの意識の中、マァムは確かに見た。
 ポップがマァムを守ろうと、全力で戦った姿を。逃げようともせず、ポップはどこまでも粘り強く戦った。

 ベギラマの打ちあいではハドラーをも上回る力を見せたポップは、今や力尽きて倒れていた。ブーツが見るも無惨なほどに焦げているのが、ここからでも見て取れる。

(助け……ないと!)

 焦り、起き上がろうとしても身体が言うことを聞いてくれない。手遅れになる前にポップを助けなければと思うのに、心と身体は別物になってしまったように自由が利かない。

 手を伸ばしたいともがくマァムの目の前で、不意にポップの身体が上に上がった。

「え……」

 フッとポップの体重が消えたが、それで楽になったと思うよりも、ポップが手の届かないところへ行ってしまった不安感の方が強まる。

 目を見開いたマァムが見たものは、ポップを片手で持ち上げるハドラーの姿だった。
 ポップの無防備な首筋を、魔族の鋭い爪の生えた手が無造作に掴んでいる。だらりと力なく垂れ下がったポップを見て、ハドラーは呟いた。

「フン、まだ息があるのか……見かけよりもしぶとい小僧だ」

 心の底から望んだポップの生存確認は、最悪の状況で知らされた。

「ただ殺してやるだけでは腹の虫が治まらんが……まあ、今はダイの始末が優先だからな」

 ハドラーの手に、力が込められかける。その瞬間、マァムは叫んでいた。

「や、やめてぇっ!」

 その声に、ハドラーがわずかに目を見開いてマァムの方を見る。

「なんだ、貴様も生きていたのか。全く、アバンの使徒共はどいつもこいつもしぶといものよ」

 傲慢なその言葉やアバンまで貶すような言葉に、怒りが込み上げる。それを抑えることなく、マァムは叫んでいた。

「ポップを離しなさいっ! 無抵抗の相手を殺そうとするなんて……恥ずかしいと思わないの!?」

 それは、マァムにとっては絶対の正論だった。クロコダインやヒュンケルのように、正義の前では魔王すらも恥じ入るだろうと無条件に思い込んでいた。
 が、ハドラーはその言葉を気にも留めた様子もない。

「フン……それが、人に物を頼む態度か?」

 そう言ったかと思うと、ハドラーはいきなりマァムを蹴りつけた。一瞬で視界が空転し、背中を地面に強く叩きつけられる。

「ぐっ!?」

 苦痛に呻き、背中を大きくのけぞらせたマァムは気づかない。のけぞった表紙に、自分の胸が大きく揺れたことを。
 仰向けに横たわってなお、高く盛り上がる自分の胸を見下ろす魔王の目に、わずかな欲の色が滲んだことを。

「生意気な小娘が……!」

 持ち上げられたハドラーの足が、避けるまもなくマァムの胸を踏みにじった――。    《続く》


《後書き&予告♪》

 キリリクの『僧侶戦士マァムがバルジ島で中間管理職ハドラーにいたぶられるお話(R18)』です♪
 ダイとバダックさんが炎魔塔に、ポップとマァムが氷魔塔に別れて行動する時のお話ですね。

 原作ではハドラーはほとんどマァムを無視していますが、あの時点でマァムがロカの娘だと気づいたら――というIFストーリー。

 ハドラーは根に持つタイプだし、ロカに対する恨みはあると思うんですよ。
 恨みを晴らすためと腹いせのため、ネチネチとマァムを苛めたおす予定です♪

2に続く
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