『空白の僧侶戦士 2』

 

「ぅううぅううっ!?」

 くぐもった悲鳴が、マァムの喉から漏れる。だが、その声は長続きはしなかった。肺を強く圧迫する足の重みが、新しく息を吸い込む事を許さない。一度吐き出した息を取り戻せないまま、胸にかかる圧力が強まる。

 酸素不足と猛烈な痛みに、目の前がチカチカしてきた。
 このまま、踏み殺されるのでは――そんな恐怖が脳裏を掠めた時、フッと胸への重みが軽くなる。

「…っ、あ、ご……ほっ……!」

 なまじ、急に息が吸えるようになったせいで、マァムは咽せて咳き込んでしまった。
 そんなマァムの胸を、ハドラーはせせら笑いながら再び踏む。

 それは、最初の時のような力任せの踏みつけでは無かった。ただ、足を乗せている――その程度の軽い抑えにすぎない。

 だが、ハドラーがその気になれば、さっき以上に力を込めて踏みにじることだってできるだろう。なにより、普通だったら人に触れられない場所を、こんな風に踏まれる屈辱が大きかった。

「……な、んの、真似なのッ……!?」

 寝そべった姿勢のまま、マァムはハドラーを睨み上げる。未だにグッタリとしたポップを手にしたままのハドラーに対して、マァムは怒りを抑えきれなかった。
 卑劣な行為をする魔王に対して、マァムは憤らずにいられない。

 だが、そんなマァムを見おろす魔王は、鼻で嘲笑った。
 不意に、胸に乗せた足が、ゆさゆさと揺さぶられる。その乱暴な動きに、マァムはとっさに悲鳴を噛み殺す。先ほどの痛みに比べればたいしたことは無いが、こんな風に胸を踏みにじられるのは精神的にくるものであった。

「ふん、小娘の割にはなかなか大きいではないか。……母親似か?」

 不快感や屈辱以上に、母を貶めるようなその発言が、マァムの怒りに火をつける。

「ふざけたことを言わないで!! 恥を知りなさい……っ、それでも魔王なの!?」

 真っ向からぶつけた怒りに、ハドラーは一瞬だけ虚を突かれた顔を見せる。だが、それは痛いところを突かれた驚きとはかけ離れていた。
 一瞬の驚きの後、ハドラーは顔を歪めて笑みを形取る。

「ほう……その生意気な口ぶりに、その目つきは……父親を思い出すぞ。ああ……そうだな、あやつの娘なら、あの男の代わりに償わせるのもいいかもしれぬな……」

「ぅぐっッ!?」

 再び、鋭い蹴りがマァムの脇腹を襲う。抵抗も出来ないまま、マァムの身体が反転した。うつ伏せに倒れ込んだマァムが身を起こそうとするよりも早く、右腕にとんでもない重みがかかる。

「ぅうぁああああああああああっ!?」

 強烈な加重に、腕の骨がミシミシと軋むのが自分でも分かった。強烈な苦痛に、脂汗が流れ出す。
 その時になってからようやく、マァムは自分が腕を踏みつけられているのに気がついた。それも、さっき胸を揺さぶられた時とは比にもならない力だ。

「ククッ……このまま、腕を踏み潰し……ちぎり取ってやろうか? 断ち切られる以上の苦しみを、じっくりと味わわせてやろう」

 その言葉通りに、腕にかかる重みが一段と増える。

「ぁああぁがあ……ッ!!」

 痛み以上に、身に差し迫る恐怖があった。

(う、うそ……っ、このまま本当に……っ!?)

 嘘だと思いたい。が、これほどの力で重みをかけられ続ければ、腕が持つはずが無い。
 限界を超え、ごく近い内に腕が潰れてしまうだろう――無慈悲な予測に、戦慄が走る。

「フフ……恐ろしいか? 泣いて命乞いをするのなら、考えてやらぬでもないぞ?」

 顔を上げることも出来ぬまま、背後から聞こえる魔王の声は、相対して聞くよりも恐ろしく聞こえた。激しい苦痛に、背筋がびしょ濡れになるほど濡れだしたのを感じながら、それでもマァムは必死に声を絞り出す。

「……誰が……ッ、アバン先生の仇にっ、なんか……、命乞いするものですかっ!!」

 それだけは、絶対に出来ない。
 それをするぐらいなら、腕の一本や二本、失ってもいいと思えた。

「ほう……」

 背後から聞こえる声は、ひどく低かった。温度が急激に下がった声が、恐ろしい程に不吉に響く。

「なら、まずは腕を潰すか」

 あっけなく、ハドラーはそう言った。
 虫食いの果物を捨てる決断をするよりも、軽く、あっさりと。そして、腕の痛みが格段に強まる。

「ぃっ……ぐっぅうう!?」

 痛みに耐えようと歯を食いしばっても、漏れてしまう悲鳴。苦痛のあまり涙があふれ出し、視界をぼやけさせる。
 そのぼやけた視界の先に、小柄な人影が現れた。

「おおっと、ハドラー様、それは些か勿体なくはありませんかな? ヒヒ、そんな小娘とて、いかようにも使い道があるというものですじゃ……ヒッヒッヒッ……」








「ザボエラか……ダイ達はそちらに行ったのではないのか?」

 わずかな不満を滲ませて、ハドラーが小柄な老魔法使いを見おろす。それに対し、ザボエラは揉み手をしながら答えた。

「仰る通り、ダイめは炎魔塔へと来ましたぞ。ただ、よほど手下がいなかったのか、あの小僧は役にも立たない老いぼれ兵士を連れて来ただけだったので、ミストバーンめが闘魔傀儡掌にて捕獲済み……そのまま殺してやろうかとも思ったのですが――」

 そこまで言って、ザボエラは気を持たせるように耳障りな笑い声を立てる。だが、マァムにはそんな笑い声など耳に入らなかった。

(嘘でしょ……ダイが!?)

 ダイが、敵に捕まった――その知らせは、マァムに絶望をもたらす。
 勇者であるダイは、自分達の要だ。年下ながら、マァムやポップ以上の強さを持ったあの少年が負けるだなんて、想像もしていなかった。

 いや、それどころか、心の片隅ではダイの助けを期待していたのだと、今になって気づかされた。自分達が敵に負けてしまっても、ダイならきっと助けに来てくれる……そんな期待が心の奥に根付いていた。
 それだけに、今の知らせは衝撃だった。

「ですが、あのダイという小僧めは何度となくハドラー様のお手を煩わせたことですし、殺しましたと事後報告するだけでは腹の虫も収まりきらないかと愚考しまして……ヒッヒッ。思ったよりも簡単に生け捕りできたこともありまして、念の為、処分する前にご報告にはせ参じた、という訳でして」

 ニヤニヤと笑いながらそう告げるザボエラの言葉を、信じたくは無かった。だが、未だに炎魔塔の方からは何の音も聞こえない――計画通りならば、そろそろ爆弾で塔に攻撃しかけているはずだ。

 なのに、何の音沙汰もないこと自体が、ダイ達に何かあったのだと教えてくれる。

「もちろん、即座に殺すというのなら、すぐにでもミストバーンめに実行させましょう。それだけでは溜飲が下がらぬなら、嬲り殺すもいいでしょうな。せっかくダイめの仲間共も捕らえたのなら、こいつらも一緒に嬲り倒すのも一興かと」

 楽しげにそんなことを言ってのけるザボエラに、マァムは目を見張るしか出来なかった。
 マァムには思いつきすらも出来ない、卑劣極まりない提案を次々に挙げる老魔道士はことさら楽しげに言い添える。

「いやいや、人間達の希望を潰すために公開処刑するというのも、手かもしれませぬ。まあ、いずれを選ぶも、全てはハドラー様のお心のまま――」

 そう言って、慇懃に頭を下げてみせるザボエラは、心底その提案が素晴らしいものだとでも思っているのだろう。地面に倒れた姿勢のマァムからは、ザボエラの口元に歪な笑みが浮かんでいるのがはっきりと見えた。

 信じられないぐらいに下劣な思いつきの数々――耳にするだけでも汚らわしい提案なのに、ハドラーの足の力がわずかに緩む。

「ふむ……」

 なにやら考え込みだしたハドラーの思惑を、マァムが知るはずもなかった――。








(……もしかすると、これはチャンスかもしれんな……)

 ダイを生け捕りにする――それは、ハドラーにとっては悪くない話だった。
 そもそもハドラーがダイを執拗に殺そうとしたのは、勇者だからではない。ダイが竜の騎士の血を引く者……竜騎将バランの血筋である可能性が高いからだ。

 息子を探し続けるバランとダイの再会を阻むため、その前にダイを殺しておこうと策を練っていたハドラーにとって、ダイの捕縛は悪くない話だ。
 無論、殺しておいた方が安全策には違いない。

 だが、いざという時にバランに対しての手札として、ダイを手元に置いておくと言うのは、この上もなく魅力的な切り札になる。

 長年探し続けた息子と引き換えなら、バランからなんらかの譲歩を引き出すことは可能だろう。バランに先を越される不安を抱え込むハドラーにとって、それは捨てがたい名案に思える。

 が、同時にハドラーは、物事のデメリットもきちんと見抜ける慎重さを持っていた。

(しかし、それだと万が一にもダイの口からこれまでのことを話されれば、厄介なことになるな)

 竜騎将バランの苛烈さを、ハドラーは嫌と言うほど知っていた。
 妻を失った怒りから、アルキード王国を消滅させた男だ。たとえ息子と会わせてやった恩があったとしても、我が子に危害を加えた相手を捨て置くとは思えない。

 それを思えば、ダイを決して傷つけるわけにはいかない。
 だが、ダイを自由の利く身のままにしておくわけにもいかない。ダイを丁重な捕虜として遇したとしても、大人しくしているようなタマではないだろう。

 魔王軍の攻勢に真っ向から反抗してきた勇者を放置しておけばどうなるかなど、誰にだって簡単に想像がつく。

(くそっ、面倒な……あのダイめを従順な手駒に洗脳する方法でもあればいいのだが……)

 考え事に夢中になっていたハドラーは、完全に足元にいるマァムのことなど忘れていた――。

「ぅぐぁ……っ」

 思わず上がりそうになった悲鳴を、マァムは必死に飲み込んだ。
 踏みにじられた腕が、ジンジンと痛む。その痛みは、血が通い始めたからこその痛みだった。

 ついさっきまで千切れんばかりに踏みつけられていた腕だったが、今は足の力が緩んだ。
 その結果、血が一気に駆け巡りかえって苦痛を感じているのは皮肉な話だが、マァムは必死にその痛みに耐える。

(……チャンス、だわ……!)

 奇しくも、魔王ハドラーと同じことを考えているなど、マァムは知らなかった。

 マァムに分かるのは、今、自分の腕を押さえている力が緩んだことだけだ。何か、考え事に囚われているハドラーはおそらく、自分のことなどどうでもよくなったのだろう。また、ザボエラもそんなハドラーに媚びへつらうような笑顔を浮かべているばかりで、こちらに見向きもしない。

 その扱いに腹立ちを感じたものの、マァムはその怒りを無理矢理飲み込み、このチャンスを活かすことだけを考える。

 マァムは目だけ動かして、少し離れた茂みへと目をやった。
 さっき、ポップやハドラーが魔法を使いまくったせいで、周囲の木々は大分燃えてしまったが、それでもまだ近くに茂みはあった。くすぶった煙の上がる森は、逃げる際に出る足音や物音を消してくれるだろう。

 マァムの倒れている場所から、少しだけ離れた茂み……おそらく、身体を2、3回転もさせれば滑り込める。先ほどまでならいざ知らず、今、力の緩んだハドラーの足ならば、隙を突いて逃げ出すことは可能だ。

 一度、茂みにさえ逃げ込めば、身を隠しながら彼らから逃げきることは不可能ではない――。

(逃げられる……)

 胸が、不穏にざわめく。
 頭では、ここで逃げ出してダイと合流するのが一番良いと、分かっていた。

 闘魔傀儡掌……ヒュンケルが以前使ったと言うその技を、マァム自身は見たことは無い。

 だが、ポップから、あの技は掛けられた本人は動けなくなるが、第三者からの妨害で解除できると聞いた。それなら、マァムが手を貸せば、確実にダイを助け出すことが出来る。

 そして、復活したダイと一緒に体勢を立て直すのが一番いいだろう――それが一番良い方法だと、マァムの理性は囁く。

 しかし――マァムの目は、ハドラーの手に釘付けになっていた。
 正確に言うならば、ハドラーの手に首を掴まれ、ぐったりとしているポップの姿に。

(ポップ……!)

 マァムをいたぶっている時は、ハドラーはポップを高く掲げてぶら下げていたが、考え事を始めた時から彼は腕を下ろしていた。そのせいで、ポップは半ば地面に引きずられるような格好になってしまった。それでも、ハドラーがポップの首から手を離さない。

 まだ気絶しているのか、ぐったりとしているポップを見ていると、胸が突き刺されるように痛んだ。

(……逃げられる……私、一人なら。でも……ポップは?)

 マァムだけなら、茂みへ転がり込むだけですむ。だが、ポップも助けるのなら、ハドラーの腕からポップをもぎ取り、文字通り彼を担いで逃げなければならない。明らかにリスクが増す。

 だが、ここでポップを置いて行けば――ハドラーが彼をどう扱うだろう。ハドラーがポップをくびり殺そうとしたのは、ほんのついさっきのことだ。マァムがダイを一緒にここに戻ってくるまで、ポップが無事でいる保証なんて、ない。

(どうすればいいの……!?)

 心が、激しく揺れ動く。
 だが、マァムは決めなければいけなかった。
 自分一人で逃げるか、あるいはポップを助けて逃げるか、を――。  《続く》


《後書き&予告♪》

 原作ではここにやってこないザボちゃん、登場です♪  ミストバーンにダイを任せておいて、ハドラーのゴマすりのためにこまめに活動しているザボちゃんは、本当にマメだと思います。

 それにしても、うちの地下ではザボちゃんは、思いっきり登場率が高いですね〜。
 そして、ポップの瀕死率はそれ以上高いです(笑)


 

3に続く
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