『もう一つのクリスマス ー前編ー』 |
クリスマス。 ご馳走やケーキをたくさん食べる日であること、子供にプレゼントをくれるサンタクロースという存在のこと、アバンは魔物に育てられた子供に事細かに教えてくれた。 が、当時のヒュンケルはそれを下らないものと撥ねつけ、自分には無縁のものだと決めつけた――。
困ったものだと思いながら、ヒュンケルは多少の未練を残しつつも騎士団の訓練を打ち切った。 姫の恩に報いるためにも、国家的に魔力に力を注いでいるために他国に比べ脆弱と言われるパプニカの軍隊を、徹底的に鍛えあげようと決意している。 おかげで彼の直属の配下である近衛兵はもちろん、一般の兵士達までもが、ヒュンケルが訓練の教官となる日には毎回地獄を見ているのだが、今日は比較的傷が浅かった。 さっきまでバテていた癖に、走り出さんばかりのその勢いにヒュンケルはいささか呆れずにはいられない。 「ずいぶん、急ぐものだな」 それは単なる独り言で、別に答えなど要求するつもりもない言葉だった。だが、すぐ隣にいた副隊長が苦笑しつつ答えを返してきた。 「そりゃあ、もうじきクリスマスですからね。若い連中にはこの後、色々と予定があるってもんでしょう。実家に帰る奴もいるでしょうし、お目当ての娘を食事に誘ったりとか、プレゼントを用意するためにバイトをしたり、とかね。いやあ、若いってのはいいですねえ」 ヒュンケルよりもかなり年上ながら、自分を飛び越して出世した若い隊長を疎んじずに気さくに接してくれる副隊長は、陽気にからからと笑う。 強さは飛び抜けているが、人間関係に不器用なヒュンケルが曲がりなりにも騎士団を率いられるのは、この副隊長の絶妙なフォローのおかげが大きい。 人外の体力を持つ連中とばかり接してきたせいで、適度な訓練の基準が常人と違うヒュンケルの訓練の基準が厳しくなり過ぎれば控えるようにと進言するのは、大抵は彼の手柄だ。 「しかし、意外でしたよ。てっきり、今日は居残り訓練を命じられるかと思っていましたからねえ」 クリスマス休暇を前に、騎士達はいつになく浮ついていて訓練に身が入っていなかったのは見え見えだった。これはヒュンケルが徹底的に追加訓練を延長するだろうなと半ば覚悟し、どの程度で止めてやろうかと案じていたところだった。 それが、意外にも規定時間ジャストに訓練を終了させたので、誰よりも驚いたのは副隊長その人だった。 「そうしたいのは山々だったが、今日はオレもこの後、予定があるからな」 「ほう! それはお安くないですねえ」 近衛隊長と言う地位に就き、とびっきりの美形でかつ、長身で鍛え上げられた身体を持つヒュンケルは、いまやパプニカで一番人気の男性である。 若い娘達が目の色を変えて彼を見つめ、時には大胆にも自分からアタックしているが、この青年は誰にも靡かない。男なら誰もが垂涎ものの立場にいながら、顔色一つ変えずに次から次へと美女達の誘いを断る様は、いっそ憎らしくなる程だ。 そんなお堅い彼が、いつもなら最優先する訓練をなおざりにしてまでその後の予定を優先するとは、珍しいにも程がある。 「悪いが、後は任せてもよいか?」 太陽の角度を気にして空を見上げるヒュンケルに対して、副隊長は笑って背を押した。
よいクリスマスを、と送り出され、ヒュンケルはちょっと複雑な顔をしたが、何も言わずにそのまま早足に城の方へ向かった。 誤解をされているような気がするのだが、それをいちいち解くだけの話術などヒュンケルにはないし、待ち合わせ相手を待たせるわけにはいかない。 だから無言のままそうしたのだが、その態度がさらに誤解を煽るだけだという自覚など、朴念仁の彼には全くなかった――。
ヒュンケルの部屋は、パプニカ城の中にある。 眺めを優先して中庭に面しているダイの部屋や、元幽閉室とはいえ最上級の警備が保証されているポップの部屋の方が、広さや質で言えば恵まれているだろう。 本来なら、近衛隊長という高い立場ならば、一軒家を与えられてもおかしくはないのだが、ヒュンケルはあえてそれを断った。 もっといい部屋を用意してくれるといったレオナの気遣いを断ってまで、今の部屋を選んだのはヒュンケル自身だ。出入りがたやすく、また、城に何か異変が起きた場合は、すぐに分かる場所だ。 ヒュンケルにとってはそれこそが大事であり、自分の居住性はあまり構う気はなかった。 私物のほとんどない部屋は、こざっぱりを通り越して殺風景もいい処だが、ヒュンケルは別に気にしていなかった。 大浴場でざっと訓練の汗を流した後、ヒュンケルはすぐに自室に向かって荷造りを始めた。旅支度を整え、数日分の着替えを用意するだけの手荷物は、あっという間に片付いた。 だが、それでもヒュンケルは次なる目的地に向かう。 約束の時間に少々遅れてしまった自覚があるだけについ急ぎ足になってしまうが、今の次期には誰もがそんな感じだ。後数日まで迫ったイベントを前にして、城の至る所にツリーやら飾りやらつけられ、誰もが忙しそうにパタパタと走り回っている。 城全体が、華やぎを増したように思える。それらを人事のように見やりながら、彼が向かったのは城の中枢近くにある部屋――ポップの執務室へだった。 「ポップ、もう支度は済んだのか?」 内心、部屋に入るなり『遅い!』と怒鳴られるのを覚悟していたが、幸いにも怒声は振ってこなかった。 「え? なんでヒュンケル、旅支度してるの?」 きょとんと自分を見ているのは、ダイだった。 魔界から戻ってきて以来、ダイはことさらポップの側に居たがるようになった。暇な時には、めんどりの後を追うひよこのように、ひょこひょことポップを追いかけ回している姿をしょっちゅう見掛ける。 ポップの方もそれがまんざらでもないようで、特に追い払う素振りも見せずに一緒にいることが多い。 その様子は微笑ましいと思うし、現在の平和さを象徴しているようで、悪くないとも思う。
「ええーっ、なんでぇっ?!」 案の定、ポップの説明に、ダイが悲鳴じみた叫びを上げる。 クリスマスの間、ポップの実家で休暇を過ごす――その誘いはヒュンケルにとっては驚きはしたものの、悪くない話と思えた。 が、ダイの方がそれを何倍も喜ぶだろうと、彼は今更のように気がついてしまった。現に、今、ダイはポップとクリスマスをどうすごすかで揉めている真っ最中のようだ。 「ところでポップ、まだ準備はかかるのか?」 本来、それは聞くまでもない質問だった。 ならば、それを理由にしばらくヒュンケルが席を外していれば、ポップならうまくダイをなだめられるだろう。そう思ったのだが、何の気なしにしたその質問に、ポップはムッとした顔をして言い返してきた。 「もう、終わったよ! じゃあ、そろそろいこうぜ」 服すらも着替えないままそう言うと、ポップは片手をヒュンケルの方に伸ばしてきた。
「正門から出ろ、門番が後で迷惑する」 思わずそう言い返してしまったのは、門番として出入り者をチェックする任務で何度も苦労したせいだ。 ダイにポップ、それに実はレオナは、たまに門番を通さずにこっそりと城外に外出している。 大抵は門番も気づかないうちにちゃんと戻ってくるのだが、たまに帰りが遅れて大騒ぎになることがある。
「これでも城の警備責任者だからな」 「わーったよ、ったく、面倒くさいんだけどなー。あ、じゃあ、ダイ、おれ、行ってくるから。いいクリスマスを過ごせよ!」 と、気軽に挨拶すると、ポップは先にさっさと歩きだしてしまった。置いてきぼりされてはかなわないのでヒュンケルもそれに従うが――心なしか背中にダイの視線が集中しているような気がして、気になって仕方がない。 振り返ると、ダイは呆然とした表情でその場に突っ立ったまま、ずっとこちらを見ているのが見えた。 「……ダイを放っておいていいのか?」 思わずそう聞くと、ポップはいたって気楽に答える。 「いーんだよ、もう話はついたし。だいたい、せっかくのクリスマスなんだ、たまにゃあ姫さんと二人っきりにさせてやんないとな」 馬に蹴られたくはないもんなと、カラカラ笑うポップは、それが一番いいと思い込んでいるらしい。 ――ダイの視線を感じているヒュンケルとしては、あまりそうとは思えなかったが、だが、あえて口にはしなかった。それに口下手なヒュンケルが何を言おうか考えるよりも早く、城門を出たポップがぐいっと手を引いて呪文を唱えた。 「ほらっ、行くぜ――ルーラ!」
小さな村の片隅にある、そう大きいとは言えない武器屋。 「こらっ、店先から入ってくんな、商売の邪魔だ。裏に回れ、裏に!」 「あーーっ?! なんだよ、冷てーなぁっ、それがせっかく里帰りしにきた可愛い息子に言う言葉かよっ?!」 「誰が可愛い息子だ、この親不孝ものめがっ?! いまだに家出続行中でめったに顔も見せないロクデナシが、どの口でそんなことをほざきやがるんだっ」 顔を合わせた途端、いきなり言い争いを始めた親子にヒュンケルは苦笑を隠せない。 「と、あんたは……確か、ヒュンケルさんだったな。こりゃあ、お客人の前で失礼しちまったな」 気にしていないと示すために軽く首を左右に振ってから、ヒュンケルは深くジャンクに頭を下げる。 「あなた、どうしたの……って、まあ、ポップ?! 帰っていたの?」 店の奥から、ほっそりとした黒髪の女性が表れた。ポップに良く似た面差しを持つ母親は、優しく我が子を迎え入れる。 「あ、母さん、ただいまーっ」 「お帰りなさい、ポップ。今日はいったい、どうしたの? 時間はあるの? あら、ヒュンケルさんも一緒だなんて……大変、お茶の支度をしなくっちゃ! ああ、でもお茶菓子を切らしていたんだったわ。前もって言ってくれたら、ケーキでも焼いておいたのに」 息子の帰宅が嬉しいのだろう、少女のようにはしゃいで忙しく歓迎しようとするスティーヌに、ポップは甘えるように話しかける。 「そんなに急がなくていいよ、母さん。おれ、休暇をもらったから帰ってきたんだ。一週間ぐらいここにいるからさ」 「一週間だあ? とうとうクビにでもなったのか?」 ジャンクのチャチャに、ポップはムキになって言い返す。 「んなわけないだろっ?! これでもちゃーんと働いてるんだからよ! 今回はクリスマスだから特別に休暇もらったんだよ」 ポップのその言葉に、スティーヌは一瞬驚いたものの、すぐにとびっきりの笑顔を浮かべた。 「まあ、そうだったの! じゃあ、なおさらご馳走を作らなくっちゃね」
「ごっそーさん。ああー、美味かった!」 食べ終わったポップがそう言うのを聞いて、行儀が悪いとでも言いたいのかジャンクはギロリと睨むが、スティーヌはニコニコと嬉しそうに微笑んでいるばかりだ。 汚れた皿を丁寧に下げながら息子や夫を眺めやり、ふと、気遣わしげな視線をヒュンケルに向ける。 「あの……、お口に合わなかったかしら?」 終始無言で、黙々と食べ続けていた彼に対して、その疑問を抱くのも無理はない。 「とんでもない」 真っ先に、ヒュンケルはそう答えた。 城で食べている料理とは明らかに違う、素朴な味わいの家庭料理は、胸に染み入る程に美味しかった。 ジャンクのように、無口ながらもわずかに頷く仕草で、料理に舌鼓を打っている意思表示をすることなどできない。 ポップのように、この料理のどこが美味いとか、パプニカではめったに食べれないから懐かしいだとか、いちいち話す程の料理の知識もない。 自宅に招いてくれ、夕食を作ってくれたこの優しい婦人に相応しい礼を言いたいと思うのだが、いい言葉が一つも思いつかないだけだ。 「あー、母さん、こいつのことなんか、気にすることないって。こいつってばさー、いっつもこんな顔してるんだから。どんな美味い料理を食べようが、姫さんのとびっきりまず〜〜い料理食べようが、全然反応ないんだから張り合いもねえぜ」 その言われようは、ヒュンケルにとっては不本意だった。周囲からどう見えるかはさておき、彼としては美味い料理と、不味い料理の差ぐらいは分かるつもりなのだから。 「そんなことはない」 「だって、いっつもそうじゃねえか。この間のハロウィンん時だって、人がせっかく作ったクッキーを葬式みたいな陰気な面で食べただけで、なんとも言わなかったし」 ポップの口調に不満が込められているのは、ハロウィンの日、クッキーを焼いて城の皆に配った際、ヒュンケルだけ感想を言われなかったのを根に持ってのことらしい。 「不味いってんなら、別に無理して食わなくてもいーのによ」 が、その言葉もまた、ヒュンケルには意外だった。 「不味いなどと、言った覚えはないが?」 実際、ヒュンケルはポップの作ったクッキーを美味しいと思った。だからこそ、残さずに食べたのだ。
「だが、みんなが言っていただろう」 ポップの配ったクッキーを、褒めなかった人間などいなかった。誰もが口を極めて褒めていたから、自分が言うまでもないだろうと思ったのだが――今になってから、ふと、違っていたのだろうかという気分が込み上げてきた。 「バカか、おめえ? そんなの、自分で言わないと意味、ねえだろ」 「そう……だったのか?」 では、今からでもあの時を礼や感想を言った方がいいのだろうかと思ったが、ポップがちらりと見たのは自分の母親の方だった。その仕草で、やっとヒュンケルはこの因縁つけじみたやり取りの意味を知る。 ――おそらくは、ポップはハロウィンなど、今更どうでもいいのだ。目的は、そこじゃない。 そして、自分が今、伝えなければならない言葉を言うべき相手は、ポップに良く似たこの女性に対してなのだろう。 「あなたの料理……とても、美味でした。おれは料理に詳しくないから、どう美味いのかは言えないのが悔しいですが でも、とても暖かい味だった」 拙い言葉だと、自分でも思う。ヒュンケルの一存で考えるなら、言わない方がましだと思える程に。 だが、それを聞いた時のスティーヌの表情を見て、ヒュンケルはやはり言ってよかったのだ、と思った――。
ごん、と頭をぶつける音とその悲鳴を聞いて、ジャンクはやれやれとばかり首を振る。
呆れたようにそう言いつつも、それでもなんともないのを確認するかのように息子の頭をごつい手で一撫でする。 その手つきがいささか乱暴だったせいかまた悲鳴が上がったが、それにはお構いなしにジャンクはパンとポップの背を叩いた。 「ふん、瘤もできてねえじゃねえか、大袈裟な奴だな。じゃあ、とっとと寝ろよ、クソガキ。んじゃ、お客人も、良い眠りを!」 そう言って、ジャンクが案内したのは武器屋の二階――ポップの部屋だった。
扉を開けようと勢いをつけ過ぎて、かなり大きな音を立ててしまい、また何か壊しでもしたかとポップが慌てふためく。 大戦の最中、ヒュンケルはダイと一緒にこの部屋に泊めてもらった経験がある。 「おい、待てよ。おまえ、一応客なんだからベッド使えよ」 じゃないと、後で親父におれが文句を言われるとぶつくさ言うポップに、ヒュンケルは声を立てずに笑う。 「気がついてないのか、ポップ」 「何にだよ?」 「そのベッドは新しいが、新品じゃない。かなり前に作られたもののようだな」 「え……?」 ポップはゆっくりとベッドに目をやった――。
ポップにとって、実家は前と全然変わりがないところだった。 それに泊まるのは数年振りだが、一年前程からはちょくちょく実家に顔を出していたから、家が変わっていないのはよく知っているつもりだった。 だから――ヒュンケルにそうベッドを指差されるまで、それが新しい物に変えられているなんて、気がつきもしなかった。 誰も使っていないことを示す木の色の鮮やかさとは裏腹に、作りたての木製品特有の木の香りは薄れている。おそらくは何年も前に作られ、誰も使わないまま放って置かれたままのそのベッドがいつからここにあったのか――ポップは知らなかった。 たまに実家に帰っても、自分の部屋まで上がるほど時間にゆとりがあったことなんて、なかったから。考えてみれば、ポップがこんなに長く実家にとどまるなんて、家出して以来のことではないだろうか。 そして、いつの間にか新品にすり変わっていたベッドを見て、やっと気がついたことがあった。 (そっか……おれ、大きくなってたんだ) 当たり前過ぎる事実に、人はなかなか気がつけない。 家出をしたのは、まだ14才になる前の頃だった。 あの頃のポップと比べれば格段に成長している。 あの当時と同じ感覚で動こうとするからあちこちにぶつかるし、扉を開けるのについ必要以上にを入れ過ぎて失敗してしまう。 いや、さらに言うのなら、家を変えないようにしていてくれたのは両親――ジャンクとスティーヌだったのだと、今更のようにポップは実感する。 なぜなら、この部屋はベッド以外は全然変わっていない。 「ポップ。そろそろ休んだらどうだ?」 ヒュンケルにそう声を掛けられるまで、ポップはしばし、ぼうっと突っ立っていたらしい。 「い、今、休もうと思っていたところだよ、言われなくっても!」 強く言い返しても、返事は戻ってこなかった。とっくに床の寝床を自分の物と定めたヒュンケルは、寝ているはずもないだろうにこちらに背を向けたまま見向きもしない。 馴染みのない、だが不思議と前に使っていた物と酷似した雰囲気を持つベッドに懐かしさを感じつつ、ポップは柔らかい緑色の上掛けにすっぽりくるまって目を閉じた――。 |