『桜の花の咲く頃 ー前編ー』

  


「はあ? おいおい、おふざけは大概にしてくれよ? まさか、それ、本気で言ってるんじゃねえよなあ?」

 と、一国の王女に対して、いささか気安すすぎるような口振りでそう言ったのは、ヒムだった。
 無礼といえば無礼な態度だが、それでもすぐ隣にいる魔族の青年に比べれば、遥かにましなのかもしれない。

 無口に押し黙ったままとはいえ、ラーハルトの目は如実に語っていた――そんな下らないことのためにわざわざ呼び出したのか、と。
 いっそ、口にした方がまだましかと思えるような蔑みの視線は、気の弱い人間なら震え上がる程に強烈なものだ。

 実際に彼らは、その恐れを感じるに相応しいだけの実力も備えている。元魔王軍であり、数多い敵の中でもトップクラスの実力を誇ったこの二人が、もし本気を出したのならパプニカ城など跡形もなく全壊するだろう。もちろん中にいる人間を含めて、の話である。

 それを承知しているせいか、この二人の魔族に対して兵士達は警戒や緊張の色合いを隠せない。
 が、ヒムとラーハルトの憤慨を前にしつつ、パプニカ王女レオナは怯むどころかにっこりと、余裕に溢れた笑顔で言ってのけた。

「ええ、本気よ。私は、この難事件を貴方達が必ずや解決してくれると確信しているわ。この重要な任務を任せられるのは、貴方達しかいないもの」

 普通なら、一国の王女にこうまで言われるとは光栄というものだろう。
 ――が、ヒムとラーハルトには額面通りにその言葉を受け止められなかった。

「おいおいおいっ!? 重要な任務って……痴漢退治のどこが、オレ達にしかできない難事件だっつーのっ!」





 春の一時期だけ、見事な花を咲かせる桜の木。その下で花を愛でる習慣が、パプニカにはあった。

 本来は風流な意味合いを持つ花見だったが、今となっては単に、大人は酒を飲んでドンチャン騒ぎ、子供は屋台で楽しむのをメインとした、単なるお祭り騒ぎに成り果てている。 それはそれで、賑やかな四季の風物詩としていいかもしれない。

 が、人が集まればトラブルが起こるのは必至。
 毎年のように、この時期はケンカ騒ぎやら、酔っ払いやら迷子やらと、小さなトラブルが続出する。
 その中で、今年、特に問題視されているのが痴漢の問題だった。

「ま、人が集まれば痴漢の一匹や二匹が出現するのは当たり前なんだけどさ、今年の痴漢は妙にタチが悪いみたいなんだよな〜。どうやら、魔法を使える奴みたいでさ」

 報告書らしき書類をあくび混じりで見ながら、ポップは全然やる気がなさそうに言う。花見の際は、女の子達は薄地の華やかな春服でおしゃれをするものだ。
 で、問題の痴漢というのは、どうやらごく弱い真空呪文で女の子のスカートをまくっているらしいのである。

 今年の流行が、柔らかで軽い素材のミニスカートときているから、その被害数は多かった。

「――そのぐらい、ほっときゃいーだろ」

 心の底から、ヒムはそう言わずにはいられなかった。
 だいたい、覗いてくれと言わんばかりに、無防備に短く軽い服を着ておきながら、スカートがまくれたぐらいでぎゃあぎゃあ騒ぐなと言いたい。下着を見られる恥じらいなど、年がら年中マッパで過ごす金属生命体には無縁の感情だった。

 それに、放っておいてもこの時期は、春一番の吹く季節だ。
 具体的被害など出ていないのなら、そんな微細な痴漢など気にしなければいい――と思ったのだが、レオナの意見は違った。

「あたしもそう思うんだけど、でもねえ……」

 と、わざとらしく溜め息をつくレオナのすぐ側で、忠実な臣下達は口々に声を張り上げた。

「いけません、姫様っ。そんな、痴漢などという不埒な者がいる場所に、姫様を行かせるわけにはいきませんわ!」

「そうですよ! いくら姫様のご命令でも、痴漢がいると分かっている花見会場にお忍びで出かけるなんて、絶対に承服できませんっ!」

 三賢者が声を揃えて叫ぶのを聞いて、ヒムとラーハルトの眉間の皺が深くなる。
 つまり、つまりは……要は、レオナがお忍びで遊びに行く妨げになるから、痴漢退治を望んでいるだけではないだろうか?

 と、その二人の心理を読んだように、三賢者唯一の男性であり、リーダーであるアポロが冷静な口調で語りだした。

「今のところ、表面上あがっている被害はスカートめくりだけですが、この種の問題は被害者が対面を考えて公式に訴えないため、裏面では深い犯罪が発生している恐れがあります。現に、一名、直接被害に遭った女性がいるという確かな情報もあります。犯人が行動をいつエスカレートさせて、被害が甚大しないという保証など、どこにもない……今のうちに、徹底的に犯罪の目を潰しておくべきと判断します」

「へえ。で、その被害ってのは、どんなんだい?」

 何の気なしにヒムがそう聞いた途端、アポロは今までの冷静さを失った。

「……人込みに紛れて、あんな……っ! 私のマリンの、こともあろうに尻を鷲づかみにするなど、なんたる破廉恥な……っ!! あんな痴漢など、断じて放置するわけにはいきませんっ! 掴まえて、然るべき極刑に処すべきですっ」

(思いっきり私情じゃねえかっ!!)

 心の中で、思わずヒムは突っ込んでしまう。
 冷静そうに見えたが、ある意味で、恋人が被害に遭ったアポロが、一番まともな判断力を失っているのかもしれない。

 たかが痴漢のせいで、国の政(まつりごと)を司る上層部がそろってこの有様とは、パプニカの未来を憂いたくなるような現状だが、ただ一人、宮廷魔道士見習いだけは冷静さを残していた。

「――とまあ、様々な思惑の元、痴漢退治をするべきだって上部の意見はかたまりはしたんだがな、ぶっちゃけ、今のパプニカって人手が足んねえんだよ。花見の警備のために兵士を配置するのもやっとなのに、痴漢対策のためにこれ以上割く手はねえんだって。その点、今のおまえらなら年中無休で暇だろ?」

「いや、ちょっとまて、おいっ!?」

 ポップの指摘は、的を射ている。
 が、いくらそれが事実でも、こうまで言われてボランティアする気になろうものがいるだろうか?

「今は、ヒュンケルが通常任務の後で、自主的に連日徹夜で見張っていてくれるけど、まだ見つかっていないのよねー」

 ――いたようである。
 さすが、残りの人生全てを賭けてまで、パプニカ王国とその姫への贖罪を果たそうとする男は、心構えからして違うようであった。

(罪滅ぼし前に、いつか死ぬんじゃないのか、あいつ?)

 ここしばらく会っていない強敵(とも、と読み仮名をふるのはお約束だ)の境遇に、ヒムは憐憫の情を隠せない。
 しかし、ラーハルトは非情な男だった。

「事情は、分かった。しかし、オレには関係がない話だ」

 ラーハルトにしてみれば、無償で人助けをする趣味などない。
 戦いがいのある相手や、意義がある戦いならばまだしも、こんな馬鹿馬鹿しいことに関わりたくもない。

 姫の許可も取らずにそのまま部屋を辞去しようとした礼儀知らずのハーフ魔族の足を止めたのは、一人の少年の声だった。

「でも、おれ……っ、花見って行ったことないし、行きたいんだ」

 訴えたのは、部屋の隅でことの成り行きを見守っていたダイだった。
 花見。
 実を言えば、ダイは花にはそんなに興味はない。痴漢というものも、一応説明は受けはしたが、よくは分からないままだ。

 だが、ポップから聞かされた、花見の際に出現するという屋台の数々は、素晴らしく魅力的だった。
 桜の花によく似た色合いの、ふわふわの綿飴。
 香ばしい匂いが食欲をそそる、焼きとうもろこし。

 その他、屋台でしかお目にかかれない珍しい食べ物の各種や、賑やかな様子を聞いただけでわくわくする。
 その話を聞いた時から、ポップと一緒にお花見に行って、いろんな屋台を覗いたり珍しいものを食べたいと思っていた。

「でも、レオナが一緒じゃないとダメだって、ポップが言うし」

 じっとポップを見ながらそう言うダイから、魔法使いは微妙に視線を逸らす。

「あー、やっぱり、王女サマが行かないのに、臣下が行くわけにはいかないからさー」

 ほぼ棒読みでそう言ったポップの言葉を、本音と受け取る者などいないだろう。ある意味で、ヒムやラーハルト以上にポップは身分になどこだわらない主義だ。
 上下関係など気にする殊勝さなど、かけらも持ち合わせちゃいまい。

 ……が、上下関係や身分以前に、ある意味では竜の騎士以上に無敵なパプニカの王女様に、公然と逆らうような無謀さも持ってはいないようだ。

(…………こいつも、結構苦労しているんだな)

 同じくレオナから無理難題を押しつけられた仲間として、ちょっと同情的な視線をポップに送るヒムの後頭部を、容赦のない槍の一撃が襲った。
 穂先ではなく柄でこづかれたとはいえ、金属がぶつかりあう堅い音が大きく響く。

「いってえな、何しやがるっ!?」

 常人なら三度くらいは死亡してお釣りがくる強烈な一撃を食らって、その文句だけで済むとは、さすが金属生命体は頑丈である。

「何をしている。行くぞ」

 と、強引にヒムを促しつつ、ラーハルトはダイに向かって膝を突き、力強く宣言した。

「ダイ様、ご安心を。必ずや命に代えても、痴漢を退治してご覧にいれます!」

「てめえっ、意見が180度変わってるじゃねえかっ!?」

 と、ヒムがツッコんだところで、ダイに一途に忠誠心を捧げるハーフ魔族はびくともしない。

「わあ、ほんと? ありがとう、ラーハルト!」

 嬉しそうなダイの言葉を、至高の宝玉でも授けられたかのように受け止め、さっそく行動へ移ろうとしている。

「本当に感謝するわ。私からもお礼を言わせてもらうわね。じゃあ、二人とも、頑張ってね〜」

 してやったりと言わんばかりのニンマリとした笑顔を浮かべる鬼姫様の言葉を背に、やる気満々のラーハルトと、済し崩しに巻き込まれたヒムは部屋を退出して、件の花見会場へと向かった――。





「いったいなにやってんだよっ、てめえらっ!?」

 ヒムとラーハルト、それにヒュンケルが共同で捜査を始めてから三日目。
 いきなりルーラで飛んで来て怒鳴るポップに対して、ラーハルトはなぜそれを問うのかとばかりに、面倒そうに答えた。

「見れば分かるだろう。見回りだ」

「いや、見回りって……なんでそんな格好でっ!?」

「普段の格好のままなら、人目につく可能性があるとヒュンケルに指摘されたからな」

 まあ、その指摘自体は間違ってはいまい。
 全身金属のヒムは言うまでもなく、人間の血を半分引くラーハルトとて、一目で人外の存在と看破できる。

 まあ、ヒムにしろ、ラーハルトにしろ、人間ではないと迫害の視線を向けられて萎縮する程の繊細さはない。
 素のままで平気で町中をズカズカと歩くような奴等だが、さすがに痴漢を探し出す任務でそんな目立つ格好をしてもらっては、こっそり見回りもへったくれもあるまい。

 唯一純粋な人間のヒュンケルだとて、近衛騎士隊長としてその顔は広く知られている。 目立たないように変装する必要がある。その考えは別に間違ってはいないとポップは思う。思いはするが――。

「おめえら……っ、その変装じゃ、てめえらこそが変質者だろうがっ!!」

 鋭すぎる目を隠すために、濃いサングラス。フード付のマントですっぽりと全身を隠し、ご丁寧にマスクで顔の大半を隠したその姿ときたら、どう見たって痴漢そのものだ。

 しかも、誰が衣装を調達したのか知らないが、なんの工夫もなくおそろいだったりするからなおさらに怖い。

 やたらめったら体格のいい、こんな格好の三人組が密かに後をつけてきたとしたら、ポップとて全力で逃げにかかるだろう。
 が、ある意味では極めて世間知らずの脳味噌筋肉帯のお三方は、常識には至って疎かった。

「ポップ、あまり大声で騒ぐな。目立つだろう」

 揚げ句にヒュンケルに逆にそうたしなめられては、ポップがプッツンとキレるのも無理はない。

「目立つのが嫌だったら、まずはその格好をなんとかしろよっ!! てめえらが共同捜査を始めてからというもの、花見対策本部には三人組の怪しい男の目撃情報が寄せられまくりなんだからよっ!」

 ただでさえ仕事が忙しい上に、花見に付随する問題をも片付ける責任役職までふられてしまったポップは、ひどく不機嫌だった。

 忙しさとは別に、レオナからちくちくと、まだ痴漢は退治できないのかと催促されるのも、またプレッシャーだったりする。
 なんと言っても、花見は花が咲いている間しか行えない。

 そして、桜という花は一気に開花して、短い期間で散る花でもある。捜査が長引いては、そもそも花見自体ができなくなってしまうのだ。

「しかし、そう言われてもなあ。これだけうろつきまくっても犯人とでっくわさないんだから、どうしようねえよ」

 ヒムがボヤくのも無理はない。
 痴漢は現行犯、もしくはその寸前でなければ掴まえられない。
 ならば、彼らの出来る捜査はただ一つ……被害に遭いそうな女性に狙いを絞り、その後をしつこく付け回して犯人が現れるのを待つという消極的な方法しかない。

「んなこと知るか! 姫さんは日増しに機嫌が悪くなる一方で大変なんだっつーのっ! 捜査が進まない言い訳なら、本人に直接言ってくれよ!」

 そう言って、ポップは有無を言わさず三人の腕を掴み、ルーラの呪文を唱えた。





「なるほどね。つまりは、協力者が欲しい……そういうことね?」

 三人の苦労談やら報告を聞き、要領よく一言でまとめあげた聡明な姫に向かって、ラーハルトは至って尊大に頷いた。

「ああ。オレ達が後をつけるのを黙認した上で、協力する女性がいれば、捜査もより円滑に進む」

「おい、そりゃあ単に囮捜査っていわねえか?」

 ポップが思わずツッコむが、三人組はもちろんのこと、レオナすらそれに異を唱えもせず話を進めた。

「事件が早く片付くなら協力は吝かじゃないけど――問題は人材よね」

 痴漢捜査の囮となる役割。
 普通ならば、女戦士の役回りだろう。
 が、主に魔法使いや賢者の育成に力を注いでいるパプニカ王国には、そもそも戦士を職業に選ぶ者が他国に比べてかなり少ない。

 ましてや、女戦士ともなればさらにその数は減る。
 かといって、何の訓練も受けていない並の女性には、少しばかり荷の重い役回りだろう。ましてや、今回の犯人が魔法使いなのははっきりとしている。
 ある程度は護身術が出来て、なおかつ魔法も使える女性など、そうそういるはずもない。

「姫様、私が志願しますわ」

 エイミが自ら申し出たのは、ある意味適任と言えるかもしれない。
 賢者として修行を受けたエイミは、攻撃魔法も回復魔法も使える。その上、そこそこは剣の腕も立つ。

 多少の危険がある任務だろうと、少しでもヒュンケルの役に立てるなら、彼女は気にも止めないだろう。

 ヒムもラーハルトも、エイミの実力はそれなりに知っている。彼らの求めるレベルには全然達してはいないものの、その辺にいる素人の女性よりはマシというのが、彼らの判断だった。

 だから別に異議は唱えなかったのだが、騎士道精神に溢れたヒュンケルだけが難色を示した。

「しかし、女性を危険に晒すのはあまり賛成できないな」

 それを聞いたエイミの顔に、喜びと悲しみが混ざり合ったような複雑な表情が浮かぶ。恋した男性に、女性として心配される喜び。そして、好きな人に手助け出来ない残念さが悲しみとなったのだ。
 しかし、ヒュンケルの言葉を聞いて、パッと顔を輝かせたのはレオナだった。

「そうよね、さすがにいいことを言ってくれたわ、ヒュンケル! その通りよ」

 我が意を得たりとばかりにうんうんと頷くと、彼女は元気良くポップの方を振り返った。

「というわけで、ポップ君、よろしくお願いねっ♪」

「はあ?」

 いきなり押しつけられた理不尽な『お願い』を、ポップは即座に理解しきれず目をきょとんと見張るばかりだ。
 そんなポップを無視して、レオナはてきぱきと三賢者に指示を飛ばす。

「エイミ、悪いけどすぐにポップ君に似合いそうな衣装を調達してきてくれない? アポロは黒髪の鬘か付け毛を探してきて。マリンは化粧道具を用意してくれる?」

 三賢者が動きだしたのを見て、ポップも黙ってばかりもいられない。

「ま、待てよ、姫さんっ!? なんだってそんな話になるんだよっ!? それになんで女装なんだよっ!? モシャスとかでいいだろっ!? ていうか、それならこいつら本人に囮をやらせろよっ!」

 声を張り上げるポップに対して、レオナもまた、自慢の美声をふるった。

「何言ってるのよ、モシャスなんかじゃ面白くない――もとい! それじゃ、相手が魔法の気配に気がついたなら、罠に乗ってこないかもしれないじゃないの!」

「待てっ、そこっ!! 今、もっともらしい意見の前に、さらっと本音が混じってたろっ!?」
 ポップの猛烈な抗議もなんのその、期待していたお花見を延期され続けて最近娯楽に飢えていたお姫様は、立て板に水を流すようにすらすらと言い立てる。

「モシャスじゃ外見を変化させるだけで、中身は変えられないのは、あなたの方がよーく知っているはずよね? いくら姿を変えても、しぐさや戦士としての癖は抜けないのよ、この三人が女性らしいしぐさなんて出来ると思う?」

 と、指摘されてはさすがのポップも一瞬、詰まらざるを得ない。
 ――無理だ。
 あまりにも、無理があり過ぎる。

 常人としての言動すら怪しい脳味噌筋肉帯が、他人が見ても非の打ち所のない女性として振る舞うなど、それこそ天地がひっくり返っても有り得まい。
 だからと言って、ポップ自身がそう出来るかと聞かれれば、それはまた別問題だが。

「けどよお、おれだって女の真似なんかしたことないって!」


「他に適任がいないのよ。あなたなら魔法はもちろん、痴漢をあしらうぐらいの護身術ぐらいは使えるでしょ? ヒュンケルの言う通り、まさか女の子をこんな危険な役をやらせるわけにもいかないし」

 わざとらしくそう言うレオナと、余計なタイミングで余計なことを言ってくれた兄弟子の、どちらにより腹を立てるべきか、ポップは一瞬迷った。

(何が危険だっ、このアマ、止めたって大魔王との戦いについてきた癖に……っ!)

 戦場では女の子でも戦えると、男女平等を唱えた勇猛なお姫様の変心っぷりはいっそ見事と言いたくなるほどだ。

 その上、レオナはポップとの駆け引きに慣れている。
 興奮したポップが冷静さを取り戻すまでごり押しを続けたりせず、わざとらしく身を引いて見せた。

「まあ、どうしてもポップ君が嫌だっていうのなら、仕方がないわよね。マァムに頼もうかしら? 彼女なら、痴漢の一人や二人、軽いものだろうし」

「ま、まてぇ!? それは、ダメだっ!」

 さっき以上の大声で、力の限りポップは叫ぶ。
 確かに、マァムなら囮としては申し分ないだろう。心優しく、人の良い彼女が、レオナの頼みを快諾するのも、分かっている。

 攻撃魔法こそ使えないものの、回復魔法なら使えるし、第一、痴漢の一人や二人どころか十人や百人いたところで、どうにかなる女ではない。
 だが、ポップの方が嫌だ。たとえマァム本人が承知したところで、彼女が痴漢捜査の囮になるだなんて、とても許せる範囲の問題じゃない。

「そんなの、ダメだっ! マァムにさせるぐらいなら、おれがやるっ!!」

 売り言葉に買い言葉、勢いから失言したポップが自分の発言を後悔するより早く、レオナはにっこりと微笑んだ。

「そう? じゃあ、お願いね、ポップ君」





「――しかし、この作戦、うまくいくのかねえ?」

 どちらかと言えば、どうでもよさそうにヒムがぼやくのに、ラーハルトもヒュンケルもも賛成も反対もしなかった。
 エイミ、マリン、レオナの三人とともポップが控え室に籠もってから、すでに小半時。

 ポップが女装するのを待つ間、脳味噌筋肉隊の方もまた、人並みの格好に見えるように変装を施された。
 ヒムはいじりようがなかったために大差はないが、ヒュンケルとラーハルトは大幅に印象が代わっている。

 三人の格好があまりにひどいというので、アポロが予備の服を貸してくれたのだ。平凡だが上質な服は、ラーハルトとヒュンケルには持ち主以上に似合っていた。

 肌が人間並に見えるように多少の白粉を施されたラーハルトは、いまや誰もが振り返る美形の男となっていた。その点はヒュンケル似たり寄ったりで、やはり目立つことこの上無しである。

 尾行役としては、激しくマイナス点だ。
 だが、自分の顔立ちに無頓着なこの二人は、それに一切気がついていなかったが。
 とりあえずヒムが話題を振っても、無口な二人のせいですぐに途切れるという、空しい時間がどれぐらい過ぎたか――ようやく控え室の扉が開いた。

 エイミに手を引かれて、やけにしおらしく歩いて来る少女の姿に、三人がそろって目を丸くする。
 長い黒髪の似合う、可愛らしい少女だった。

 後ろに流した髪を黄色のヘアバンドで抑え、額を広く見せているスタイルは、庶民的な少女に聡明そうな雰囲気を与えている。
 とびっきりの美少女と呼ぶには平凡な顔立ちだし、起伏に乏しいスレンダーな体付きは隠しようもない。

 だが、淡い若草色のワンピースを着たその少女は十分に可愛らしく、人目を振り返らせるだけの魅力を持った女の子と見えた。

「どう? これなら申し分ないでしょう?」

 と、いささか得意そうなエイミの言葉に、少女は外見にそぐわぬ乱暴なしぐさで腕を組む。

「――ふんだ!」

 その声、そのしぐさや表情――。

「……ポップ、なのか?」

 疑わしげに聞くラーハルトに、ポップは噛み付くように答えた。

「そうだよっ!! 他の誰に見えるってんだよっ!?」

 女装していても、口の悪さや勝ち気さは変わらないようだが、印象だけはガラリと変わっていた。

「いや、驚いたな。そうしていると、スティーヌさんに良く似ている。……血は争えないものだな」

 ヒュンケルの言う通り、今のポップは母のスティーヌに似て見える。母親似の顔立ちは、少年としてより少女としての方が真価を発揮するようだ。
 どちらかといえば女顔とはいえ、それほど突出した印象のない平凡な顔は、本人も知らなかったが化粧映えする顔でもあった。

 平凡な女性の方が、いざ化粧をして顔を整えると、見栄えがして綺麗に見えるものだ。 その年齢の男にしては小柄で細身な体格も、女性として不自然には見えない要因になっている。

「へー、意外だぜ。どんな出来栄えになるかと思ってたけどよ、こりゃあ案外可愛いじゃないか。おまえって、割と女みたいな顔してたんだなぁ」

 本気っぽいヒムのその感想を聞いた途端、ポップは前触れ無しに炎の塊を打ち出した!

「おうわっ、あちっ!? てめえ、なにしやがるっ!?」

「喧しいわっ、この金属人形がっ! 人が密かに気にしていることを、ずけずけ言いやがってっ!!」

 怒鳴るなり、ポップは続けて両手に炎系呪文と氷系呪文の輝きを生み出す。

(ほ、本気で怒ってやがるっ!?)

 一瞬戦慄を感じたヒムだが、幸いにもそれを止める声が聞こえた。

「ぷ……っぷぷぷっ、や、やめなさいよ、ポップ君。せっかく褒められたのに、怒らなくてもいいじゃない」

 遠慮無しに腹を抱えて笑っている姫君に、ポップはスカート姿なのも忘れて仁王立ちで踏ん張りつつ怒鳴り返す。

「可愛いだとか女みたいだとかの、どこが褒め言葉なんだよっ!?」

「な〜に言ってるのよ、目的のためには『可愛い女の子』に見えた方がいいに決まっているじゃないの。さ、頑張って、痴漢を捕まえてきてね。頼りにしてるわよ♪」

 と、込み上げる笑いを隠しもせず、レオナはどこまでも気楽にそう言ってのけた――。                              

 

                                   《続く》
 
 
 

後編に続く
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