『譲れない思い』

 
 

「ほら、ダイ、口を開けな」

 ちょっと乱暴だけど、優しい声。
 それに従って横たわったまま、あ〜んと大きく開けたダイの口に、大きめのスプーンが差し込まれる。口の中に広がるのは、妙に甘ったるくてブツブツとした舌触りの悪い固まりが感じられる、どろりとした液体だ。

 オートミール。
 栄養たっぷりで消化も極めて良い食事ではあるが、食感の悪さからくる不味さでも群を抜いた食事だ。

 おまけに、ダイが普段好む食事と違って、柔らかすぎて満腹感もなく、決定的に物足りない。
 普通の状態なら、ストレートに不味いと思ってしまうだろうそのオートミールを、ダイは喉を鳴らして飲み込んだ。

 本来の味を上回って、込み上げてくる嬉しさが、差し出される食事をとびっきり美味しいもののように錯覚させる。
 スプーンが差し出されるのももどかしくて何度もパクつくと、食事の差し出し手は手を止めて聞いてきた。

「……なあ、それだけ食欲があるんだったら、起きて自分で飯を食えるんじゃないのか?」


「えーっ?! やだよ、そんなの! 食べさせてくんなきゃ、食べらんないよ!」

 駄々をこねると、緑の服を着た魔法使いは苦笑しつつもまたスプーンを手に取った。

「ったく、しょうがねえなあ。病気の時は子供返りするってのはよく聞くけどよ、まさか世界を救った勇者様もそうなるとはねえ」

 からかいつつも、ポップは再びすくい上げたオートミールを、ふーふーと吹いて適度に温度を覚ましてから、ダイに食べさせてくれる一手間を忘れない。
 それが嬉しすぎて、ダイは子供扱いされる悔しさや苛立ちも忘れてしまう。

「ま、おめえが病気になるなんて初めてだし、不安になるのも無理ないか。おれだって、ビックリしたもんなー」

 ダイがこの風邪を引きこんだのは、五日程前のことだ。
 最初は珍しく、寒い日だと思っただけだった。頭がぼーっとするし、なんとなく動くのがしんどいし、いつものように食欲がなくてご飯の味が変だし、時々地震があるから変な日だと思っていたら、ダイの様子を一目見たポップが断言した。

『バカか、おまえっ?! そりゃ、熱があって具合が悪いんだよっ!』

 最近、パプニカの下町を中心に大流行している、質の悪い風邪。
 極めて伝染力が高く、かかった場合は急激に熱が上がるのが特徴で、体力のない子供や年寄りが患った場合は要注意が必要となる、厄介な病気らしい。

 ダイも寝込んだ日こそは40度を超える熱が出て、やたらと苦しくって、辛かった。なにせ健康優良児のダイは、物心ついてからというものの、これが初めての病気なのだ。
 怪我や疲労で寝込んだ時とは違う、身体そのものが弱っていくような感覚には、戦いとはまた違った怖さを感じたけど、でも、不安は感じなかった。

『ダイ、苦しいのか? 安心しろ、薬が効いたら、すぐにこんな熱なんか下がるからな。大丈夫だよ』

 熱で意識が朦朧としている間も、ずっとポップが側にいてくれた。
 優しい手が、何度となく額の上の濡れたタオルを替えてくれたのも、ダイは覚えている。 心配そうに自分をじっと見つめ続けてくれ、そのくせ目が合うと不安なんか吹き飛ばすような明るい笑顔で、大丈夫だと言ってくれた。

 それがあまりに嬉しくて嬉しくてたまらなかったものだから――ダイは、すっかりと味を占めてしまったのだ。
 基礎体力が常人とは違うダイは、実は回復は医者が驚く程に早かった。最初の日こそは不慣れな熱でうんうん唸っていたものの、翌朝にはほぼ平熱近くまで引いた。

 ダイ的には、そこで起きていつも通りの行動に戻ってもよかったのだが、ポップと侍医に止められた。
 念のため、完全に治るまで用心しておいた方がいい、と。

『若くて健康な者の場合は、体力も充分ありますし、熱が引くのも回復も比較的早いのですが、病原体が完全に消えるまでは数日から一週間ほどかかります。ぶり返しを避けるためにも、二次感染を防ぐためにも、療養期間を長めに取るのをお薦めしますな』

 と、侍医がしてくれた説明はよくは分からなかったのだが、しばらくは剣の稽古もしてはいけないし、部屋でじっとしていなければならないと言われて、最初は嫌だと思った。 が――普段は忙しいからとあまり構ってくれないポップが、側にいてくれる嬉しさの前では、まったく苦にならない代償だ。

 そして、ダイは気がついてしまった。
 最初の日はダイにつきっきりで一晩中いてくれたポップだが、具合がよくなった途端、いつも通り仕事に戻ってしまった。

 それにガッカリしたのと、まだ完全に治りきっていなかったせいで、食欲が落ちて全然食べれなかったのが二日目の日のこと。
 その翌日には、どこからそれを聞いたのかまたポップがやってきた。

『おまえなー、いくら調子が悪くたってちゃんと食べなきゃ、治るものもなおらないだろうが!』

 そんな風に怒って文句を言いながらも、手ずからご飯を食べさせてくれた。
 どうやら、ポップはダイの具合が悪いと聞くと、やってきては様子を見にきてくれるらしい。

 ご飯を食べさせてくれたり、美味しい果物を持ってきてくれたり、ダイが好きそうな本を読んでくれることもある。
 そう、ダイが具合が悪くて寝込んでさえいれば――。
 それに気がついてしまっては、ベッドから離れたいなんて思わなくなった。

 もう、とっくに床離れしてもいい体調にもかかわらず、まだ気分が悪いとか、ちょっとだるいとか言って寝込んでいるのは、今となっては仮病みたいなものだ。
 心配させて悪いなとは思うし、ポップの忙しさを知っているだけに時間を割かせて申し訳ないとも思うけど、この誘惑には耐えがたい。

 もうちょっとだけ、甘えていたい――そう思わずにはいられない。
 オートミールの最後の一口までポップに食べさせてもらった後は、またお楽しみの時間だ。

「そろそろ、よくなる頃だと思うんだけどなー」

 珍しく手袋を脱いだ手で直接額に触れられると、なんだか頭がかーっと熱くなるような、そんな感じがして落ち着かない。
 そのくせ、その手にもっと触れて欲しいと思うから、不思議なのだけど。

「んー、まだちょっと熱があるみたいだな。じゃ、念のために薬を飲んでおけ」

「え〜、また? これ、まずいからヤだなあ」

 薬草を煎じて作った薬は、変な臭いがしてやたらと苦い。
 まあ、飲めない程にひどい味がするわけではないが、飲むのを嫌がってごねるのはここ最近のダイの癖みたいなものだ。

「なに甘えたこと言ってるんだ、とっとと飲めってえの! 薬は苦い方がよく聞くんだよ、飲んだら褒美にお菓子をやるから、おとなしく飲め!」

 口こそ悪いが、ポップは必ず薬の口直し用に甘いお菓子を用意しておいてくれる。だが、それだけが目的なら、ごねたりはしない。

「うぅ〜〜。……飲んだら、ポップ、また本を読んでくれる?」

 そうねだると、ポップは呆れたように苦笑しつつも頷いてくれた。

「あーあ、甘ったれちまってしょうがねえなあ。いいよ、分かったよ。読んでやるから、おとなしくこれを飲みな」

「うんっ」

 首尾よく約束を取り付けてから、ダイは目をつむって一気にごくっと薬を飲み干した。途端に、鼻に抜けるような嫌な臭いと味が広がる。

 が、ポップが続けて口の中に押し込んでくれた甘いチョコレートの味が、不味な感覚を塗り替えてくれた。
 その甘い味以上に魅力的なのは、ポップがくれるもう一つのご褒美の方だ。

「さて、おれも忙しいから短い奴な」

 そう言って、ポップが本棚から薄い絵本を一冊、選んでくれる。
 魔界から帰ってきてから本格的な字の勉強を始めたダイは、やっと絵本が読めるようになったばかりだ。

 字を読む勉強になるからと、アバン先生やレオナがくれた子供向けの童話の数々は、正直、あまり読んではいない。
 だが、自分で読むのは苦手でも、ポップが読んでくれるのを聞くのは、大好きだ。

 朗読してくれている間は、ずっと側にいてくれるのが嬉しくてたまらない。ポップが枕元の椅子に座って、ページを捲りながら朗読してくれる声を、ダイはうっとりと聞いていた。

 まさに、ダイにとっては至福の時――だが、無粋なノックの音が、ポップの声を途中で遮った。

「入るぞ、ダイ。……ポップ、やっぱりここにいたのか」

 アバンの使徒の長兄であるヒュンケルが入ってきたのを見て、ダイは内心、ガッカリせずにはいられない。
 寝ているダイを見て、ヒュンケルは近寄ってきて、尋ねてきた。

「ダイ、具合はまだ良くならないのか?」

 一見ぶっきらぼうに聞こえるその言葉に、心配の響きが混じっているのは分かる。姫からの見舞いを言付かったと、毎日届けてくれる手紙や花の用事だけでなく、本人もダイの容体を気にしてくれているのだろう。
 その誠意を、ダイは疑ったことはない。

「う、うん、まだ、ちょっと……あ、でも、大丈夫だよ」

 返事しながら起き上がろうとするダイに、ヒュンケルは無理しなくてもいいと軽く押しとどめる。
 その優しさには感謝するが、次の言葉は余計だった。

「ポップ、アポロさんがおまえを探していたぞ。会議の草稿はまだかと聞いていた」

「あ、いっけね。あれなら、もうだいたいできてるんだけどさー。……急いでるみたいだったか?」

「ああ。姫も、気にしていたぞ」

 レオナの名を出されて、ポップは読み掛けの本を閉じて立ち上がった。

「……行っちゃうの、ポップ?」

 思わずそう聞くと、ポップは申し訳なさそうに頭をかいた。

「ああ、悪ィな、ダイ。この埋め合わせは必ずするからさ。じゃあ、昼飯の時にでもまた来てやるから、ちゃんとおとなしく寝てろよ」

 ダイの頭を撫でてくれるポップを、ヒュンケルは腕を引くようにして引きはがしてしまう。

「ダイ、邪魔をしたな。ゆっくり休めよ」

「って、いてえよ、ヒュンケル! 手なんか引っ張られなくても、ちゃんと行くっつうのっ!」

 ポップとヒュンケルが出て行ってしまうと、部屋が急にがらんと、寂しくなってしまったように感じてしまう。

(……つまんないなー)

 ダイが寝込んで以来というものの、ヒュンケルもちょくちょく見舞いにやってくる。
 だが、一番の目的はダイの見舞いじゃなくて、ほとんどがポップを連れて行ってしまうためとしか思えない。

 用事があるなら仕方がないとは思いつつも、それでも邪魔をされているようで面白くない。

(――でも、そう思うのなんか、間違いだよね)

 素直で単純なダイは、すぐに気を取り直す。
 無口で誤解されやすいヒュンケルだが、仲間であるダイは彼の隠れた優しさや頼りになるところをよく知っている。
 それなのに、ヒュンケルに対して悪く思うなんて、彼に対して申し訳ないとさえ思う。


(よし! じゃ、ご飯、もらってこよ!)

 すこしだけ反省し、気を取り直したダイはベッドから飛び出すと、部屋から抜け出した。元々、もう動いても全然問題がない体調なのだ、朝昼晩とポップが食べさせてくれる病人食だけではとても物足りない。

 ポップや部屋にくる侍女にはバレないように気をつけているが、たまにこっそりと食堂に行って足りない分の食事を補っているのは、ダイだけの秘密だ。
 こそこそと回廊を横切って食堂に向かったダイだが、遠くから聞こえる聞き慣れた声に思わず足を止めた。

「なんでだよ! なんで邪魔をするんだよ、てめえはっ?!」

(ポップ?)

 距離がどんなにあろうと、ダイがポップの声を聞き逃すはずがない。
 しかも、妙に尖った不機嫌そうな声に、ダイは空腹も忘れてその声の方へと向かった。 人気のない、城の中庭の一角。

 食堂に向かう回廊からちょっと外れた場所で、あんまり人がこない場所――そこで、向かい合わせになって口論しているのはポップとヒュンケルだった。
 とっさに浮かんだのは、疑問だった。

(アポロさんのとこに、行ったんじゃなかったの?)

 三賢者やポップなど文官のトップの彼らには、それぞれ個人用の執務室が用意されている。てっきり、ポップはそこに向かったと思っていたのだが、ここは執務室とは全く逆方向だ。

(――ヒュンケル……嘘、ついてた?)

 信頼していた兄弟子の予想外の言動に、ダイの中に初めて疑惑が生まれる。それがショックに変わったのは、ヒュンケルの次の言葉を聞いた時だった。

「ポップ。もう、ダイの所へは行くな……!」

(――――!)

 その衝撃は、大きかった。思わずふらつきそうになったダイを支えてくれたのは、不機嫌そうなポップの言葉だった。

「……なんで、てめえにそんなことを言われなきゃなんねえんだよ?」

 ヒュンケルへの不満を隠しもしないポップの態度に、ホッとするものを感じる。だが、ヒュンケルは譲らなかった。

「理由は、おまえの方がよく知っているはずだ」

 そう言われてポップが、俯くのが見えた。
 言い返しもしないその態度に、心臓がドキンとするのを感じる。
 ポップは、相手が誰だろうと言いたいことは言う性格だ。特に、ヒュンケルに対しては反発することが多い。

 なのに、こんな風に言い返しもせずに沈黙するだなんて――それは婉曲な肯定のようにさえ思える。

「ダイがいない間のこと、忘れたとは言わせないぞ。もう、ダイの所へは行かない方がいい。……分かるだろう?」

 ヒュンケルの言葉には、悪意は感じられない。ただ、ポップを心配してダイから遠ざけようとしている――そんな風に聞こえた。

 大きな、柔らかい物で包むかのような寛大さを感じさせるその言葉には、圧倒的な包容力が漂っている。
 それを感じ取っているのか、ポップの返事は虚勢を張ったただの強がりに近かった。

「分かんねえよ、そんなの……!」

 聞き分けのない弟弟子の肩に、ヒュンケルがしっかりと手を掛けるのが見えた。頭一つ以上背が高く、がっちりとした体格のヒュンケルにそうされていると、ポップの姿はいつも以上に華奢に見えてしまう。

 場違いだが、その瞬間、ダイの脳裏に浮かんだのはレオナがくれた絵本の挿絵にあった、王子様とお姫様の絵柄だった。
 勇者とお姫様だったり、名もない剣士とお姫様だったりと、役柄は多少違ってはいるが、それらの恋人同士の絵には明確な共通点があった。

 決まって、男性の方がお姫様よりも背が高くて、すっぽりと相手を抱き締められるぐらい逞しいのだ。
 その絵姿が、今のヒュンケルとポップに重なって見える。

「オレは、ただおまえのことが――」

 ダイやポップとは全く違う、大人の男にしか出せない低音の声が、大切そうに言葉を継げようとした。
 だが、それを遮ったのはポップだった。

「それ以上、言うな!」

 激しくそう言い、ポップは身をふるってヒュンケルの手を拒絶する。

「そんなの、聞かねえからな……! それに、その話はダイにも絶対に言うなよ!! 言ったら、ただじゃおかねえからな!」

 叩きつけるようにそう言い残し、ポップは足早に去っていった――。

 

 


 ――オレは、ただおまえのことが――  

(……あの後、なんて言うつもりだったんだろ?)

 あの後、どこをどう歩いてきたのやら、食事すら忘れ果ていつの間にか自室に戻ってきたダイだが、頭の中はいっこうに落ち着かなかった。
 この間高熱を出した時以上に、頭の中がぐるんぐるんして、暴走しているみたいだ。

 裏切り。
 そんな言葉は、頭をちらつく。
 ヒュンケルがあんなことを言うなんて――予想もしていなかっただけに、ショックだった。

(でも、おれだって……、ポップのことが――)

 ヒュンケルの方が、ずっと大人で。
 ダイが魔界にいた間も、ずっとポップの側にいたとしても。
 ダイがいない間に、二人の間になにかがあったとしても――。

 それでもダイは、ポップをヒュンケルに譲れない。
 譲りたくなんか、ない。

(おれだって、すぐ大っきくなるし、それにこれからはずっとずっと、ポップと一緒にいるんだから!)

 今のダイは、微妙に追い越したとはいえポップとほとんど大差のない身長だ。
 まだ、ヒュンケルのようにポップを上から見下ろしたり、余裕で抱きしめたりはできないだろうが――それも時間の問題だと、ダイは思っている。

 毎月計っている身長や体重では、ポップよりもダイの方が伸びがいい。もう少し経てば、ポップより大きくなれるという確信にも似た自信がダイにはある。
 それにもう、魔界になんか行くつもりもないし、ポップから離れるなんて考えたこともない。

 むしろ、側にいられなかった二年間を埋め合わせるために、前よりもぴったりと一緒にいる気、満々だ。
 ポップの後をついて回ってすごす今の毎日ほど、ダイにとって楽しい日々はない。

 それに、ポップだって口では文句を言ったり、邪魔だとあしらったりもするが、本気で嫌がっているとは思えない。
 ……というか、そうであって欲しい。

(だ、大丈夫、だよね? ポップ、腹立てると邪魔すんなってメラゾーマ打ったり、マヒャドで凍らせたりする時あるけど、でも、あれぐらいよくあることだし)

 ――一般的には、よくありはしないことのような気もするが。
 しかし、いつポップが来てもすぐ分かるように、窓の窓ガラスにべったり張りついて中庭の方を伺っている勇者様は、常識などよりも自分の魔法使いばかりを気にしていた。

(あ、ポップだ!)

 小さな籠を手にして中庭を横切ってこちらに向かってくるのは、間違いなくポップだった。
 それを見て、ダイは心の底からホッとするのを感じる。ヒュンケルとの言い争いを見たせいで、もしかしたらポップはもう、来てくれないんじゃないかと不安だったのだ。

 埋め合わせてしてくれるという約束通り、ちょっと早めに来てくれた優しさに感謝しつつ、ダイはポップがくる前にベッドに潜り込もうとした。

 だが、ゆっくり歩くポップの行く手を塞ぐように長身の人影が不意に現れて、彼の前に立ちはだかった。
 その後ろ姿を見ただけで、それが誰だか分かる。

(ヒュンケル……ッ?!)

 窓ガラス越しだし、距離があるから何を言っているかはよく分からないが、ポップと揉めている様子ははっきりと分かる。

 ポップが嫌がり、ヒュンケルを突き放そうとしているのに対し、ヒュンケルはしつこくポップの腕を掴んで離そうとしない。
 そして、しばらくもめた揚げ句、ヒュンケルが腕の中にポップを抱きよせるところを見て……ぷっつんと、何かがキレた――!!

 

 


 硬質のガラスが砕ける音と同時に感じた、吹き荒れるような闘気  それに、とっさにヒュンケルは反応していた。
 敵意を感じた途端、とっさに戦いに身構えるのは戦士として訓練を受けた者の本能のようなものだ。

 その際、腕の中に抱き込んだポップを無意識に庇おうと、ダイからわずかにでも遠ざけようとした行動にも、他意はない。非戦闘員を庇うのは、彼の中ではすでに身に染み込んだ癖となっているだけの話だ。
 だが、そのヒュンケルの動きは、相手をなおさら怒らせただけだった。

「ヒュンケル……ッ、なにしてんだよっ?!」

 獣の唸り声にも似た、いつになく低い声。
 両の手から竜の紋章を輝かせたダイが、ヒュンケルのすぐ前にやってきた。

 目のいいヒュンケルでさえ、目で追うのがやっとの迅さは、瞬間移動呪文を併用したからこその速度だろう。
 今すぐにも、攻撃に移りそうな殺気をたぎらせ、ダイは吠えるように叫んだ。

「ポップに手を出すなっ!」

 歴戦の戦士であるヒュンケルでさえ、一瞬怯みたくなるような殺気――。
 それに先に反応したのは、ポップの方だった。
 ヒュンケルの腕の中に収まっていたポップは、ダイに向かって声を張り上げる。

「おいっ、ダイ! てめえっ、何、外をうろついてんだよっ?! 病人は、おとなしく寝てろ!」

 言うだけでは足りないと、ヒュンケルの腕を振り払ってダイの方へ来ようとしたポップの身体が、頼りなくふらついた。

「ポップ?!」

 ぐらついたポップを支えようと手を伸ばしたのは、ヒュンケルもダイもほぼ同時だったが、前のめりに倒れ込んだ身体を受け止めたのはダイの方だった。
 驚きのせいで竜の紋章など消えた手で細い身体を受け止め――その、熱さに驚いた。

「ポップ? 熱……出てる? ど、どうしたんだよっ?!」

「……うっせえ。おれなら平気だから、騒ぐなよ」

 と、答えはしたものの、今のポップが平気なわけがないのはダイにだって分かる。
 それに、口とは裏腹にすでにぐったりとしているポップは、一人で立つこともできない状態だ。

 そんなポップをどう扱えばいいのやら、ダイはただおたおたとうろたえるぐらいしかできない。
 こうなってしまっては、天下の勇者様とは言え、まだただの14才の少年にすぎない。


「え? え?! え?? ど、どうしよ……ポップ、ポップ! ヒュ、ヒュンケルッ、どうすればいいっ?!」

 唯一の救いを求めるがごとく、ダイはヒュンケルを振り返る。
 たった今、決闘をしかけんばかりに敵意をぶつけた相手とはいえ、やっぱり非常時には怒りや嫉妬などより、普段感じている信頼感の方を強く意識するものだ。

 が、頼りがいのあるはずの兄弟子は、ダイの助けには応じてくれなかった。
 いつもの無表情のまま――いきなり、なんの前触れもなくバッタリと倒れ伏してしまったのだから。

「うっ、うわぁっ、ヒュンケルっ?!」

 慌てて手を伸ばし、倒れるのを受け止めるまではいかなくとも、なんとか頭を打つのだけは阻止する。
 が、かろうじて抑えたヒュンケルの頭もまた、ポップに負けず劣らず熱いものだった。
 厄介ごとがいきなり倍になった予感に目まいすら感じつつも、ダイは両腕にずっしりと兄弟子達を抱え込んで精一杯声を張り上げた。

「だっ、誰か、来てぇええ〜っ、大変なんだーーっ!」

 パプニカ城の中庭に、勇者様の情けない悲鳴が響き渡った――。

 

 


「ごめん、おれ……知らなかったんだ。風邪って、うつるものだったんだね」

 ――大騒動から、ちょうど、丸一日後。
 しょんぼりとした表情で、ダイは神妙に謝罪の言葉を口にする。
 風邪を引いた経験がなく、また、常識には至って疎いダイは、それを全然知らなかった。


 いつもなら、ダイが知らない常識に関してはポップが教えてくれるのだが、今回はそのポップ自身が隠匿していただから、知る機会もなかった。
 もし、知っていたのだったら、ダイはポップに甘えるどころか、絶対に自分に近付いちゃダメだと追い払っていただろう。

(だから、レオナ、おれんとこにこなかったんだ)

 レオナはダイが寝込んで以来、毎日、手紙や見舞いを人伝に届けてはくれるものの、一度も来てはくれなかった。
 それを寂しいなとは思ったものの、ポップが側にいてくれるのが嬉しくて、あまり深くは考えなかった。

 だが、今ならよく分かる。
 感染力が高く、体力のない人間には命取りになる危険性のある伝染性の高い風邪を引いた人間の側に、見舞いにくるのは危険な行為なのだ、と。

 レオナがどんなに望んでくれても、後継者のいない王位継承者は伝染性の高い病気が流行った場合、安全を優先して隔離されるものなのだと後になってから教わった。

「ヒュンケルでさえ、倒れるんだもん……ポップやレオナが、大丈夫なわけ、なかったんだね」

 しみじみと呟くダイの前で横たわっているのは、ヒュンケルだった。
 今年の風邪は、急激に熱が高くなるのが特徴だ。ついさっきまで平気だった人間が、急に高熱を出してぱたっと倒れるなど珍しくはない。

 ダイも一番熱が高い時は意識も朦朧としていたし、あの時、もしポップに言われて早めに休んでいなければ、きっと倒れていただろう。
 まあヒュンケルの場合は、もう意識もしっかりしているし、熱もそう高くはないのが救いだが。

「気にするな。おまえのせいじゃない。オレが不覚だっただけだ」

 ヒュンケルにしてみれば、いくら悪質な風邪とはいえ病に倒れるなど、戦士にあるまじき体調管理の怠りとしか言えない。ダイのせいというよりは、自分の不覚としか思えない。


「それに、事情を知っていたのに言わなかったオレも悪かった」

 ダイがいない間、彼を探すために無茶を繰り返していたポップは、体力や身体の免疫力が、以前に比べて格段に落ちている。

 それを知っているヒュンケルは、ポップがダイの看病をするのをあまり歓迎出来なかった。レオナや三賢者などははっきりと反対し、ポップも隔離した方がいいと言ったくらいだ。

 ダイならまだしも、ポップがこの風邪に感染したら、下手すれば命取りになりかねないのだから――。
 だが、初めての病気でダイが心細っているのも分かるし、ポップがダイを誰よりも心配しているのも、分かる。

 何より、ポップが承知しなかった。
 熱にうなされているダイから、どうしても離れようとしないポップを、引き離すのは酷なように思えた。

 だから妥協して、ポップがあまりダイの元に長居しないようにと、適度に邪魔をする程度に抑えていたのだが――ポップに体調の崩れの兆しが見えたからには放っておけなかった。

 病気の知識はヒュンケル以上に持っているくせに、ポップは自分の身に関してはひどく無頓着だ。食事や睡眠時間を削ってでも、ダイへの見舞い時間だけは獲得しようとする。 その癖、自分の体調をダイに知らせるのは極端に嫌がり、厳重に口封じするのは忘れないのだから、困ったものだ。

 ダイに真相を伏せたまま、強引にポップを休ませようとしたせいで、なにやら誤解をされたようだし、自分まで風邪をひきこんでしまったのは失態だった。――が、基本的に結果を重視するヒュンケルは、途中経過などさして気にもしていなかった。
 ヒュンケルにしてみれば、ダイやポップの無事こそが、最優先事項なのだから。

「オレの看病など、しなくていいぞ。おまえも病み上がりだろう」

「ヒュンケル……」

 今は自分が風邪を引いて寝込んでいるのに、弟弟子の方を心配してくれるヒュンケルの優しさに、ダイはますます申し訳なさを味わう。

「でも、ヒュンケルも看病してくれる人、いないと困るよね?」

 ヒュンケルが病気と知れば、本来ならエイミが駆けつけてつきっきりで看病してくれるはずだった。
 だが、王族ではないが、王に身近に接する三賢者もまた、伝染性の高い病気が流行った場合は王に準じる隔離に従うものだ。

 エイミ自身は駆け付けたいと心から望んでいるものの、身分と王室の決まりが阻んでいる。
 その上、人付き合いが悪く、無愛想なヒュンケルは看病などいらないと侍女を追い払ってしまったから、ぽつんと自室で一人で横になっているだけだ。

「オレより、ポップのところに行けばいい」

「ポップなら、アバン先生もついてるし、マァムが看ててくれてるからいいって」

 ダイとしても、ポップの看病をしたい気持ちは山々だ。
 が、肝心のポップに看病はいらないときっぱり断られてしまった。
 体調が完全でないだけに、病気の際には自分がかなり悪化すると自覚しているポップは、ダイにだけそれを知られないようにと、先手を打って断ったのだ。

 ダイ以外は知っているその事実を、ダイ本人だけは知らなかった。
 ポップが倒れたと聞いて、内密に駆けつけてきたアバンが大丈夫と安心させ、ポップなら一週間ほどで良くなりますよと保証してくれたのを、そのまま素直に信じ込んでいる。


 そのついでに、看護には気配りの効く女の子の方が向く物だと教えてもらった。
 アバンと一緒に来たマァムがそれをやってくれると言うのに、押し退けてまで志願する程、ダイは看病に慣れてはいないし、その自信もない。

 なにより、今のポップに必要なのはゆっくりと休養することだと聞かされては、邪魔をする気にもならない。

 自分のわがままのせいでポップに風邪をうつしてしまったという負い目がある分、寂しいけど今度こそ我慢するつもりだった。
 ――ついでに、ヒュンケルへの罪悪感もある。

「本当にごめんね、ヒュンケル……」

 もう一度、ダイは彼に深々と頭を下げる。
 勝手に誤解して焼き餅を妬いたことも。
 おそらくは、彼に風邪をうつしたのも自分が原因なことも。

 さらには、これはダイのせいではないとはいえ――ポップの看病が優先され、ヒュンケルがほとんど放ったらかしにされているという実に気の毒な事態を、謝らずにはいられない。

「気にするなと言っただろう。オレなら、すぐに治る」

 ダイもそうだったように、この風邪は体力のある成人男性には、さほどのダメージにはならない。
 2、3日静かに寝ていれば回復する程度のしろものだ。

 一応、アバンが薬を届けに来たし、マァムも心配してポップのついでに面倒をみようかと申し出たものの、それを断ったのはヒュンケルだった。

 ダイと違って、ヒュンケルはポップの体調をほぼ正確に把握している。それを思えば、アバンとマァムにはポップの手当てに専念してもらいたかった。
 自分のことなど二の次でいいとヒュンケルは考えていたのだが、ダイは頑固だった。

「でも、治るまでおれ、ヒュンケルの看病するよ! こないだまで、ポップがしててくれたから、だいたいは分かるし」

 熱心にそう言いはるダイを見て、ヒュンケルは苦笑しながら頷いた。

「分かった。じゃあ、頼むとするか」

 ダイの責任とはヒュンケルはかけらも思ってはいないが、この純真な弟弟子が精一杯謝罪してくれようとしている気持ちを、無下にはしたくないとは思う。

 それに、ポップの病気を心配しているだろうに、側で看病出来ない寂しさを紛らわす役に立つのなら、しばらくはダイの好きなようにさせてもいいだろうと思ったのだ。
 だが――。

 後の話になるが、額のタオルを取り替えようとしては水をぶちまけられたり、食事の度に赤ん坊よろしく『あ〜んして』食べさせられたり、薬の味以上に苦手な甘いお菓子を口に放り込まれたり、たどたどしい絵本の朗読につきあわされたり……。

 心だけは籠ったダイの手厚い看病を文句一つ言わずに一身に受けつつも、ヒュンケルが自分の発言をちょっぴり後悔したのは、彼だけの秘密である――。
                                     END

 


《後書き》
 28028hit記念リクエストの『ポップに手を出すなとヒュンケルにプレッシャーをかけるダイ(ギャグ可)』でしたっv
 ポップ病気ネタはしょっちゅうやってますが、これはすごく珍しいダイとヒュンケルの病気ネタになりました! ……リクエストとは大幅にズレた気がします(笑)


 さらにリクエストとは無関係に、甘えん坊ダイと甘やかしまくりポップを書くのがすっごく楽しかったです〜。…って、ますます、ダメダメな気が(笑)
 
 

おまけに続く
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