『譲れない思い…おまけ編』 |
「じゃ、ヒュンケル。あ〜ん、して」 と、しごく真面目な顔をして、スプーンを突き出すダイを前に、ヒュンケルは困惑を隠せない。 (なぜ、こうなるんだ?) 確かに、ヒュンケルは言った。 「あれ? ヒュンケル、ちゃんとあ〜んしてくれないと、食べされらんないよ」 なかなか口を開けようとしないヒュンケルに対して、ダイは焦れたようにせっついてくる。 「大丈夫だよ、これ、ちゃんとふーふーして冷ましたから」 ポイントが大幅にズレまくった保証をしてくれるダイに、どう言ったらいいのやら迷いつつも、ヒュンケルはとりあえず控え目に言ってみた。 「いや……食事なら、一人で食べれるが」 確かに、風邪のせいで食欲も落ちているし、なにより他人にうつすのが望ましくない以上、食堂には行けない。 「えー? でも、ポップはずっとこうしててくれたよ」 それが甘えるダイに対して、譲歩しまくったポップの大サービスだったなどと、看病初体験のダイに分かるはずがなかった。 「そう……なのか?」 弟弟子に当たるとはいえ、ポップの頭脳や常識が自分以上だと承知しているだけに、ヒュンケルはその知識を疑わなかった。 「うんっ。いっぱい食べると、早く良くなるから、うんと食べろって言ったよ。だから、あーん、だよ。大丈夫だよ、そんなにまずくないし」 と、ダイが差し出すのは件のオートミールだった。 正直、食欲をそそる光景とは言いがたかったが、それでもヒュンケルはダイの望みに応じて口を開けてやる。 「わっ?! ヒュンケルッ、大丈夫ッ?! ど、どうしよっ、お医者さん呼ぼうかっ?!」 「い、いや、平気だ……が、もう少し、浅く、口に入れてくれないか?」 「う、うんっ、分かった。浅くだね? あ」 今度のダイのスプーンは、ヒュンケルの口まで届かずにパジャマの上にべったりと落ちて大きな染みを作った。 ダイに悪気はまったくない上に、看病しようと一生懸命なのは分かる。だからこそ、それを甘んじて受け入れようと思ったのだが、それは思った以上に難問だった。 力こそは人並み以上だが、こういう小器用さが要求されることにはまったく持って不向きだった。 しかも、時々冷ますのを忘れて舌を火傷しそうになったり、食べるの時間がかかったせいで、最後ら辺は冷えきってよりまずくなったり……。 「全部食べたら、お薬だよ。はい」 ダイから薬を差し出された時には、どちらかと言えばホッとしたぐらいだ。苦みのある、独特の風味の薬草を煎じた薬湯を飲み終わった時には、やっと終わったのかと安堵したが、ダイは再び何かを差し出してきた。 「飲んだら、ご褒美あげるから、あ〜ん、してよ」 「ほ、ほうび?」 「うん。ポップ、いっつもお薬飲んだらご褒美にお菓子をくれたんだよ! これ、すっごく美味しいから、ヒュンケルにもわけたげるね!」 にこにこと、太陽のような笑顔を浮かべて自分のおやつを分けてくれようとする小さな勇者に、どうして言えるだろう。 好き嫌いなどほとんどないヒュンケルだが、あえて言うのなら甘い物は苦手だ。食べれなくはないが、できるなら避けたい類いの食品である。 自分好みの極端に甘い砂糖菓子を、宝物のように大切に指で摘んでヒュンケルに食べさせようとしている。 「ああ」 小さく頷いて、ほとんど丸呑みするように砂糖菓子を一気に食べた。それでも、甘ったるいにおいや味が口いっぱいに広がり、さっき飲み干した薬以上にヒュンケルを辟易とさせる。 「じゃ、ヒュンケル。おれ、これ片付けてくるね」 汚れた食器やパジャマやらを両手に抱えて、バタバタと部屋を出て行ったダイを見送り、ヒュンケルはさっさとベッドに横たわった。 (……寝よう。寝れば、風邪も治るだろう) 野生の獣並の結論に達した彼は、ダイが戻ってくる前に眠ってしまおうと目を閉じる。が、寝よう、寝ようとしてすぐに眠れるようなら苦労はしない。睡魔に引き込まれるよりも早く、元気のいいダイの足音が先に戻ってきた。 「ヒュンケル、氷水もらってきたよ〜。これで頭冷やしたげるね! ――うわっ?!」 両手で大きな桶を持ってきたダイは、ドアの敷居に躓いてすっ転びかけた。それでもなんとか体勢を立て直して踏ん張り直したのはさすがだが、手にした氷水入りの桶はそうはいかない。
焦りまくって謝りまくるダイに、ヒュンケルはいささか疲れた様子で、だが鷹揚に首を横に振った。 「いや、いい。たいしたことじゃない」 病人が頭っから氷水をぶっかけられるのは十分以上に対したことと思えるのだが、ヒュンケルはそう言って謝罪しまくるダイをなだめてやった。 特に病状が悪化するでなく、単に熱っぽさが少し楽になったと考えられるのだから、とことん身体だけは丈夫である。 乾くまではこれでいいと、部屋に備え付けっ放しのソファにゴロリと横になる。長身のヒュンケルにとっては少々足がはみでるが、野宿よりもよっぽど増しな寝心地に不満などなかった。 「あ、ヒュンケル、もう寝るの? じゃ、本、読んであげるね」 さっきの失敗を取り戻そうとしているのか、熱心に駆け寄ってきたダイは、止める間もなくヒュンケルの側に座り込み、持参の絵本を広げた。 「えっと……む…菓子、…じゃなくって、むかし、むかし、…………なんとか、な、ところに、……えっと? 緑、じゃなくて、えっと、赤、かなぁ? の、頭巾、のにあう、…………おばあさん、かな? がいま、した」 ――一生懸命なのは、分かる。 絵本などまるっきり縁のなかったヒュンケルでさえ、何となく間違っている気がする未熟な読み方は、はっきりいって安眠妨害ものである。 (これは……少し早まったか?) 今まで、ダイの『看護』に耐えてきたヒュンケルの脳裏にも、後悔の二字が浮かぶ。 「あのさ……やめた方がいい? おれ、ポップみたいにうまく読めないし」 ダイのその問いに、ヒュンケルは少し考えた。 それに――ヒュンケルもポップがダイに本を読んで聞かせてやっているところを、耳にしたことは何度もある。 難しい本でも優しい絵本でも、全く変わりのない調子でスラスラと読むポップの声を、ダイはいつでも嬉しそうに聞いていた。その声は、ヒュンケルの耳にも心地好く聞こえたのを、覚えている。 まあ、ヒュンケルが聞いているのに気が付くと、ポップは途端に機嫌を悪くして、読み聞かせを中止してしまうことが多いから、全部を聞いたことはなかったが。 そう思うのは、ポップの朗読を最初に聞いたのが、アバンの書だったせいかもしれない。バラン戦の後、マトリフが持ってきてくれたアバンの書を、ポップは懐かしそうに何度も見返しながら、皆にも聞こえるようにと声にだして読んだ。 アバンから直接聞いた思い出を交えながら、嬉しそうに本を朗読していたポップの姿は、今でも印象が深い。 それは、ダイにとっても同じなのだろう。 ダイがポップの朗読を殊の外好み、こだわるのはそこら辺に理由があると思える。 「いや……続けてくれ。話の先が気になる」 促すとダイは嬉しそうに、また、たどたどしく絵本を読み始めた――。
「ヒュンケル、お邪魔しますよ〜♪ ……おやおや、これはこれは」 小さなノックの後に顔を除かせてきたアバンが、おどけたしぐさを見せながら微笑みを浮かべてみせる。 病人であるヒュンケルの腹にふせる格好になり、あまつさえ枕替わりに使っている有様である。が、ヒュンケルは少しも気にはしていなかった。 「ちょうどいいところに来てくれた。そっちの毛布を、ダイにかけてやって欲しいのだが」
ちょうどいいタイミングでやってきてくれた師は、心得顔で毛布をふわりとダイの肩へとかけてやる。 「ダイ君はよく眠っていますね。……オーライ、もう問題はなさそうですね」 ダイを起こさない程度に簡単に診察し、アバンは今度はヒュンケルに向き直って、診察に入る。 「はい、結構です、経過は良好のようですね。熱も昨日に比べて格段に下がっていますし、このまま安静にしていればすぐによくなりますよ」 自分に対する診察を、ヒュンケルはほとんど聞き流す。それより、もっと気になることがあった。 「ポップの容体は?」 一瞬、声を潜めたのは、それをダイに聞かれるのを恐れたからだ。熟睡しているダイは、そうそう起きないとは分かっていても、もし悪い結果が待っているなら聞かせたくはない。 だが、アバンはそんな不安も一蹴してくれた。 「ポップなら、大丈夫ですよ。思ったよりも、症状が軽くて助かりました。まだ熱は下がりきっていませんが、だいぶよくなってきましたよ。この分なら、予想よりも早く回復するでしょうね」 そう説明してから、アバンは部屋の中を見回しつつ、ちょっと首を傾げて見せた。 「しかし、何があったか知りませんが、この部屋はちょっと療養には不向きな状態になっちゃっているみたいですねえ」 その言葉に、ヒュンケルは反論できなかった。――なんせ、ベッドや床が水まみれのままなのだ、どう贔屓目に見ても療養向きとは言えないだろう。 「どうです? ポップの部屋にしばらく入院してみては? 今ならサービスで、この私のグレイトな治療に加えて、可愛いナースさんの看護つきですよ〜」 アバン持ち前の軽い口調で誘われて、ヒュンケルは思わず首を横に振った。 「あらら。考えもせずに断られるとは、少しばかりショックですね〜。そんなに私の治療が信用できませんか?」 大袈裟に嘆くふりをして見せる師に、ヒュンケルはそうじゃないとだけは告げた。ただ、それだけにしか言わなかったのに、アバンにはヒュンケルが何を気にしているのかお見通しのようだった。 「その方が、マァムの看護のしがいがあって喜ぶでしょうし、ポップもね、言っていましたよ。『ヒュンケルが寝込むだなんて、鬼の霍乱もいいところだ』ってね」 見物して笑ってやりたいから同室でもいいそうですよと、おかしそうに笑うアバンに釣られたように、ヒュンケルも苦笑を浮かべる。 いかにもポップらしい口の悪さ。だが、その奥に隠された真意を見抜けないヒュンケルではない。 意地を張っているようでも、ポップのその言葉はヒュンケルとの同室を認める意味に他ならない。 それに、ポップがどうなったかは気になっていることだし、病状や様子を自分の目で確認できるという意味でも、同室で手当てを受ける誘いは魅力的だった。 「せっかくの話だが……先約があるからな」 言いながら、ヒュンケルはそっとダイの方に目を向ける。弟弟子に向ける彼の目は、何時になく穏やかで、優しいものだった。 「そうですか。めったに見れないものを見逃したと言って、ポップが残念がりそうですね」 「もし、それが見たいのなら、オレより早く風邪を治せと言ってくれ」 それは、ヒュンケルからのポップへの見舞いの言葉だった。 「分かりました。確かに、ポップにそう伝えておきましょう。それでは、あんまり長居して疲れさせるのもなんですから、この辺でお暇しますね。じゃあ、お大事に、ヒュンケル」
『おまけのおまけ♪ 知られざる、某姫君の物語』 「ダイ君治ったそうだわ。ああ、ようやく会える。何日ぶりかしら(ドキドキv)…え、ヒュンケルの看病で会えない…? ふ、ふ〜ん仲がいいのねぇ〜(声が震えております)ええ? ダイ君に『あ〜ん』して食べさせもらっているですってぇ!? しかも添い寝までし、して…(小刻みに体が震えております)ホ、ホォ〜ッホホッホ、まあまあヒュンケルったら妬ましい、もとい、そぉぉんな手厚い看護を受ければす〜ぐに元気になってくれちゃうわよねぇ、復帰したらしっっっかり働いてもらっちゃてもいいわよねぇ〜(怒)」
「う、うむなぜか急に寒気が…」 「う〜ん熱はないみたいだけど、…大丈夫だよヒュンケル、俺治るまでずっとついててあげるからね!」
かくして、「新種の病か?!」と完全隔離されるまで、ヒュンケルの症状は一向に改善されることはなかったということです。
《おまけの後書き》
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