『闇の翼 4』

  
 

 それが、二年前の出来事だった。
 竜魔人と化したダイが正気に返ったのは、その後、何度か吐精して興奮がある程度収まってからだった。

 正気に返ったダイは、意識を飛ばしてぴくりとも動かないポップの無残な姿を見て、自分がしたことを悟った。
 全てが終わってからようやく駆けつけてきた城の兵士達に、ダイは無抵抗のまま捕縛された。

 欲望のままに大魔道士をさんざん犯し、あげく竜魔人へと変化したまま戻れなくなったダイは、その後、勇者としては扱われなくなった。
 犯罪者として、そして化け物として、裁きを受けることになった。

 レオナや仲間達が、それでも彼を庇おうとしてくれたが、ダイはその助け手を拒絶した。
 自分を庇うことで彼らに迷惑をかけたくはなかったし、なにより――ポップを半死半生になるまで責め立てた自分の罪を、許せなかったから。

 死刑になりそこなっても、いまだに幽閉刑を受け続けているのは、それが最大の理由だった。
 ポップを傷つけた罪を、償えるとは思っていない。

 だが、塔に閉じ込められたままならば、ダイはポップを滅さずに済む。
 皮肉な話だが、ダイが閉じ込められたのは、ポップのために用意された特別製の塔だった。

 稀代の大魔道士であるポップを封じるために特別に作られた塔なだけあって、ここに閉じこめられている限り、ダイも魔法やそれに付随する力は使えない。
 その事実に、世界の誰よりも安堵したのはおそらくダイ自身だろう。

 なぜなら、自分がここに閉じ込められた以上、ポップがこの塔の囚人になる可能性はないのだから。
 ダイの暴行で精神的にはもちろん、肉体的にもひどく傷ついたとはいえ、ポップは死んだわけではない。

 ポップが回復しきらないうちに塔にとじこめられるのだけは、断固拒否したかったダイにとっては、むしろありがたい処置だった。
 ポップがベンガーナの人質になるという、どうしても避けたかった未来だけは回避できたのだから。

 もちろん、時間をかければベンガーナはまだ同じような塔を作るかもしれないし、再びポップを人質に求めるかもしれない。
 だが、自分を慰める種にはなった。

 それに、魔法はさして得意ではないダイにとってはあまり意味のない封印とはいえ、この塔にも一つだけ利点があった。
 魔法感覚を狂わせるこの塔にいる限り、ダイは外の様子を窺い知ることができない。

 竜の騎士の能力の一つである、特定の人物に対する感知能力が完全に封じられていた。その事実に気がついた時、ダイはこの狭い牢獄を天国のようにさえ思ったものだ。
 ポップの存在を感知できないことが、こんなに安堵感を呼ぶとは思わなかった。

 本来なら、ダイはポップと一緒にいたいと思う。少しの間でも、離れているのは辛い。
 だが、今はそれを上回って自分の中の獣が恐ろしかった。ポップがどこにいるか分からなければ、欲望も殺意も抱かないで済む――。

 だからこそ、ダイはあえてこの塔の囚人であり続けた。
 次に自分がポップに危害を加えてしまうよりも先に、自分の命が消え去ることを祈って――。







(ポップ……よかった、元気そうで)

 ゆっくりと自分に近寄ってくるポップを、ダイは瞬きも惜しんで見つめていた。

(バンダナ、つけてないんだ)

 前は欠かさず身に付けていた黄色のバンダナは、今はポップの頭にはない。
 だが、それ以外はほとんど以前と変わっていないように思える。……いや、前より、少しばかりは大人びて見えるだろうか。

 細身の身体や童顔のせいでどこか少年っぽく見えるのは相変わらずだが、それでも以前は少年と青年の狭間にいたポップは、今は紛れもなく青年の側に立っている。
 自分の知らない間に成長していたポップに、ダイは見とれてさえいた。

 あの時を最後に、ダイはポップに会う機会などなかった。最初に受けた裁判の頃、人伝にポップは無事だと聞いたものの、本人には会わせてもらえなかった。
 まあ、ダイがしたことを考えれば、ポップがダイに会いたがらなくても、なんの不思議もない。

 だからこそ、ダイはあえて面会は求めなかった。
 だが、ダイの心は、ずっとポップを求めていた。
 会いたくて、会いたくて、気が狂いそうだった相手を目にする幸福に酔い痴れているダイは、ポップが両手から魔法を生み出すのを見ても動きもしなかった。

 身を庇うなんて、する気もなかった。
 言ってはなんだが、今までの処刑人とポップでは明らかに格が違う。
 ダイを殺せる人間なんて、今となってはポップだけしかいないだろう。

 真正面から戦えばそれでも肉体の頑健さが勝るダイの方が有利だろうが、この状況では圧倒的にポップが有利だ。
 ポップの使える最強呪文、メドローアならば、竜の騎士であろうとも消滅させることができる。

 間近に感じる死を前にして、ダイはむしろ歓喜に胸を震わせながらポップを見つめていた。
 魔法を使うポップを見るのは、いつだって好きだったのだから。

 お調子者の笑顔も好きだが、魔法を使う時の別人のような真剣さは、いつだってダイの目を惹きつけた。
 どうせ死ぬなら、その姿を最後まで見つめていたい。

 だからこそダイは、引き絞られる光の矢が自分に迫るその瞬間でさえ、目も閉じずにそれを見つめ続けていた。
 そして、塔の壁を大きく穿つ、極大消滅呪文が炸裂した――。







 ぱらぱらと、わずかな小石が落ちていく。
 塔内に、突如としてぽっかり空いた巨大な穴の縁から、わずかにこぼれる破片……それだけが、世界最強の呪文が放たれた名残だった。

 極大消滅呪文は、魔法の有効範囲内の物体を分子レベルで崩壊させ、消し去ってしまう呪文だ。
 それに当たったものは、生き物だろうと無生物だろうと、関係がない。

 痛みを感じる暇もないまま、亡骸も残さずに瞬時に消滅するだろう。
 だからこそ、ダイは絶望した。
 自分のすぐ頭上をかすめて、塔を破壊しただけの呪文に。

 矢を放った姿勢のまま、自分を睨みつけているポップには動揺のかけらも見えない。
 狙ったのに、外してしまったのではない。最初からそのつもりで打ったのだと、ダイには分かった。
 だが、分かるだけに、絶望は深くなる。

「ポップ……!! なんで…オレを殺さないんだよ……っ」

 そうされて、当然のことをした。
 それだけの自覚が、ダイにはある。
 それに、ポップがたとえ自分にされた暴行を恨んで無かったとしても、彼にはダイを殺す理由がある。

 二代目大魔道士は今となっては世界で最強の魔法使いであると同時に、世界各国の均衡を保つ要の存在だ。
 世界の平和を望むのなら、存在するだけで世界を脅かす元勇者の化け物を、退治するのは彼の役目だろう。

 だが、ポップはもう戦う意思はないとばかりに身構えを解き、持ち前の軽い口調でいとも気楽に言ってのけた。

「やれやれ。オレは言ったはずだぜ、それがおまえの望みなら、そうしてやってもいいって。――でも、違うんだろ?」

 そう言って自分を見つめるポップの目が、ひどく懐かしい。
 自分の心境など軽く見透かして、さらにその先まで見通しているかのような目だ。

(覚えている……)

 あれは、まだダイが子供だった頃。
 テランの湖で、勇者としての重圧に負けて泣きじゃくっていた自分に、ポップが向けてきた眼差しだ。

 ダイの弱音も、辛さも、何もかも無条件で受け入れてくれた、ポップの強さと優しさ。
 あの時とまるで変わりのない暖かさのまま、ポップはダイに近付いてきた。
 手を伸ばせば触れられる程、すぐ近くまで。

「ダイ……おまえの望みを、言えよ」

 その言葉に、どうして心を動かされずにいられるだろう?
 ダイの望みそのものが、すぐ目の前で、手を伸ばしてそう言ってくれているのに。

「…………」

 ひりつくほどに、喉が渇く。
 魂の飢えが肉体にも及んだように、動悸や息苦しさに目が眩みそうだった。
 切望してやまなかったものが、すぐ目の前である。

 砂漠を放浪した末にやっと出会ったオアシスのように、それはダイを惹きつけた。
 ――だが、だからこそ、蜃気楼のように消えてしまうのではないかと、恐れが先に立つ。
 もし、今度、手に入れようとして失ってしまったのなら……今度こそ、耐えられない。
 その恐怖が、ダイをためらわせた。

「…でも……、オレは……きっと、また、ポップにひどいことをするよ」

 言葉を口にするのはダイにとって久し振りなだけに、難しかった。他人と会話を交わすなんて、もうずいぶんとやっていない。

 だから、説明の言葉が足りないのではないかと恐れつつ、それでもダイは一生懸命言葉を選ぶ。
 ポップが、ちゃんと正しい道を選択し直せるように。

「オレは、ポップを、また、殺そうとするか……じゃなきゃ、壊すまで…犯すよ――ポップが泣いても嫌がっても、きっと……」

 それは、危惧ですらない。
 確実な現実だった。
 今でさえ、ポップの姿を目の当たりにして、闘争本能や欲望が目覚めだした。

 理性で必死に抑えつけているものの、いつまでも抑えきれるかどうか自信はない。
 前の時だって、ポップを殺したいという欲望を抑えはしたものの、代わりに肉欲が噴き出してしまった。

 多分、それは我慢できないという自覚がある。
 そんな獣のような自分が、ダイには恐ろしくてたまらない。
 だが、ポップは少しも恐れなかった。

「やりたきゃ、やりゃあいいだろ?」

 ギョッとして目を見開くダイの手を、ポップが力強く握りしめる。
 二年振りに感じる、人肌の暖かさが気持ちがよかった。

「おまえは、オレを殺そうとしたわけじゃないだろ。オレを、欲しがっただけじゃねえか」

 ポップの手に誘われ、ダイはいつの間にか立ち上がっていた。
 そうされて初めて、ダイは首輪を繋いでいた鎖の端が消滅しているのに気がついた。
 さっきのポップの極大消滅呪文は、壁に打ち込まれた縛鎖を消し去るためのものだったらしい。

 術の要となる鎖を消されたせいか、魔法陣の効力も消えていた。
 魔法の効果が消えた途端、首輪や手錠の鍵が外れたらしい。ダイが身動きしただけで、鈍い音を立てて床に転がり落ちていく。
 ずっと感じていた閉塞感から開放され、ダイは大きく息をついた。

「それに、オレはそんなにやわじゃねえっつーの」

 そう言うポップが、前よりもずっと小さく見えるのにダイは気がつく。
 今まで座っていたから分からなかったが、目前に立つと、頭一つ分はポップを追い越してしまっていた。
 その上、伸びたのは背だけではない。

 食事も取らず、運動も封じられた二年間だったのに、ダイの身体は戦士として最適な体格に成長していた。
 ポップも魔法使いとしてはかなり鍛えている方だが、職業の差は歴然としている。

 しっかりと筋肉のついたダイよりも、一回りも二回りも細く感じるポップは、ひどく華奢に見える。
 だが、そんな外見に反して、ポップの言葉はどこまでも強気だった。

「そう簡単に殺されてやる気はないし、壊されたりしねえよ――だから、てめえも逃げるんじゃねえ」

「ポップ……!」

 感動が、胸を震わせる。
 ポップは、やっぱりポップだ。
 どんな状況でも心に強く響き、励ましてくれる言葉をくれる。
 絶望の底からでも立ち直れるだけの力を、ダイに与えてくれる――。

「オレは、世界よりもダイ、おめえを選んだんだ。おまえは……オレを選ばないのかよ?」

 顔をぶつけるような勢いでキスをしてくるポップに、ダイが驚いたのは一瞬だった。
 自分の腕にすっぽりと収まるポップを強く抱きしめ返し、熱烈にキスに応じる。

 自分からキスしてきたくせに、恥ずかしがっているのか逃げようとするポップを引き寄せ、さらには羽でも彼を覆ってしまった。
 まるで、漆黒の翼で、ポップを覆い尽くそうとするように。

 離れ離れになっていた時間を埋めようとするように、二人はそのまま離れようとしなかった――。







(ダイ……おまえは、やっぱり、ダイのままなんだな)

 息すら貪り尽くそうとする激しさでありながら、それでもどこか、ポップを気遣ってくれる優しさを感じさせるダイのキス。
 正直、その激しさを受け止めきれるかどうか、不安はある。

 ダイのように、ポップも彼に激しい恋愛感情を抱いているかと問われれば、悩まずにはいられない。
 だが、後に退く気はなかった。

 なぜなら、ポップはとうの昔に選んでいるのだから。
 世界ではなく、ダイを――ポップはとっくに選んでいる。
 昔、記憶を失ったままバランについていこうとしたダイを守るため、自己犠牲呪文を唱えた時に。

 行方不明になったダイを探して、魔界にまで行った時に。
 ダイがいない世界を、ポップは認める気さえ無い。
 だからこそ、ポップは選んだ。
 ダイを殺させず、さらにはダイを完全なる竜の騎士にしないですむかもしれない、この道を――。







 ダイは、知るまい。
 そして、覚えてもいないだろう。
 あれは、ダイが魔界から帰ってきたばかりの頃だった。

 どうしていいのか分からないのか、ダイはぼうっとしていることが多かった。
 レオナや周囲の者が勇者の帰還を祝して、お祭り騒ぎに盛り上がっているのとは裏腹に、本人は自分が本当にここにいてもいいのかと、不安そうにしていた。
 何をしたいのかも分かっていなさそうな小さな勇者に、ポップは聞いた。

「おめえはどうしたいんだよ?」

「おれは……ポップやレオナや、みんなと一緒にいたい」

 ずいぶん長い間迷った揚げ句、ようやくダイが口に出したのは、世界を救った勇者にふさわしくない、細やかな願いだった。

「幸せとか平和とかってよく分からないけどさ、みんなと一緒にいて、いつでも笑っていられるんなら――それが一番いいと思う」

 そう言った時の、ダイの少しはにかんだような笑顔は、ポップにとっては忘れられない記憶になった。







 そんなことは、ダイは多分覚えてはいないだろう。
 だが、ポップにとっては大事な約束にも等しかった。
 仲間達や世界を守ってくれた勇者を、今度はポップが守ってやろうと思った。ダイが、絶え間なくあんな風に笑っていられる世界を、与えてやりたいと思った。

 だからこそ、ポップはパプニカにとどまって、自分でもらしくないと思いながらも政務に関わった。

 その目的はただ一つ、ダイの居場所を作ってやるためだった。ダイがパプニカで幸せに暮らせるように――それを最重視していたからこそ、二年前、ポップは自分がベンガーナ王国の人質になるのを承知した。

 戦争だけは、なんとしても避けたかったからだ。
 いざ戦いになったら、ダイが前線に立つのは明らかだった。あの心優しい勇者は、大切だと思う人を守るために、独力でも敵を一掃するだろう。

 それによって後で敵からも味方からも恐れられ、傷つくことになったとしても。
 それに、戦いが激化すれば、ダイはただの勇者ではいられなくなるかもしれない。三世界の均衡を守るのが、竜の騎士の役割だ。

 かつてバランがそうしようとしたように、人間こそが世界のバランスを崩す存在となれば、ダイもまた、人間を滅ぼす使命を負って苦しむかもしれない。
 ダイが竜の騎士としての使命に悩むかもしれないみたいを、危惧せずにはいられなかった。

 それを避けるために、ポップは安全策をとったつもりだった。
 裏の取り引きによる物であったとしても、世界さえ平和なら、ダイを竜の騎士として生きさせないですむと思ったから。
 それが間違いだったと悟ったのは、ダイに暴行を受けた際、彼の言葉を聞いた時だった。
(ダイ……おまえは、本物のバカだよ。たまにはちったぁ、頭を使って見やがれってんだ。おまえがオレを殺さなきゃいけない理由にも、気がつかないんだからな)

 ダイは、ポップに黒の核晶の情報を手放せと迫った。
 それこそがポップを救う唯一の道だと信じたがっていたダイは、気がついていないのだろう。

 竜の騎士の使命感が、本能が、ポップを滅したがるのは、ポップの能力や知識が問題なわけではない。
 そのことに、ポップはすでに、あの時、気がついていた。

(黒の核晶なんてものは、もうねえんだよ、ダイ)

 その事実を知っているのは、ポップを初めとする勇者一行の数人にすぎない。
 存在するだけで危険なあの超爆弾を、ポップが消滅させたのはもう何年も昔の話だ。世界各国の王達は、それを知らないだけだ。

 だが、物をあると証明するのはたやすいが、なくなったことを証明するのは困難だ。
 それに、ポップの独断で黒の核晶を消滅させたと知られれば、それが原因で各国が揉める可能性もある。

 ベンガーナでそれを問い詰められるのは予測していたが、ポップはたいして案じてはいなかった。
 いかに、人々が黒の核晶を利用しようと考えても、ないものは利用も出来まい。ポップから情報を引き出そうとしても、無意味だ。

 たとえどんな拷問や尋問を受けようとも、この世にない物の居場所など白状できない。
 だからこそ、ポップはこの秘密を墓場まで持って行くつもりだった。
 今となっては、なおさらだ。

 ダイには決して教えてやりはしない。
 竜の騎士がポップを滅さなければならないのは、黒の核晶のせいではないと知らせはしない。
 ダイは知らなくていい。

 ポップには、予測がついている。竜の騎士の本能が自分を殺したがる、本当の理由を。
 ダイが、世界よりもポップを選んだ――それこそが、竜の騎士の存在意義を揺るがす、大問題なのだと。







 竜の騎士は、本来一代生物だ。
 一生を戦闘の中で送り、人を愛するようには出来てはいないと純潔の竜の騎士であるバラン自身が言っていた。

 バランの行動は、竜の騎士の歴史をとぎれさせかねないイレギュラーな行動だった。

 そして、その結果生まれたダイは、人間と竜の騎士の混血児だ。
 ただでさえイレギュラーに傾いた竜の騎士の血統を、正常に戻そうとするための本能の動き……それこそが、竜の騎士がポップを殺したがる最大の理由だろう。

 自分の手で最愛の存在を殺せば、竜の騎士の暴走は起こらず、人間側に傾いた私情も消え、本来の役目を果たせるようになる。
 ダイの葛藤にはお構いなしに、竜の騎士の本能は最適の判断を下したのだ。
 使命と感情に心を引き裂かれ、本人の心が壊れてしまったとしても、関係あるまい。

 本来、竜の騎士とは殺戮の使者なのだから。
 人間としての心を失ってしまったとしても、闘争本能さえ残っていれば、十分だ。
 むしろ、その方が竜の騎士としては、やりやすいのかもしれない。

(……させやしねえよ、絶対に。そんな運命なんぞ糞くらえだ)

 すでに自分よりも大きくなってしまった勇者を、しっかりと抱きしめながらポップは思う。
 ――そんな運命など、認めない。

 ダイの心を、壊させたりはしない。竜の騎士の本能がどれほどダイを苛むとしても、それでもダイは、ダイだ。
 一人の人間として、自由に生きる権利がある。

 生まれつき背負わされた義務や、人々が勇者に対して勝手に押しつける期待におし潰される必要なんて無い。
 世界の平和のために、ダイがこんな所にとじこめられているのなんて我慢が出来ないし、竜の騎士としての使命だけの生きる殺戮兵器にもさせはしない。

 むろん、ダイを死なせるなんて論外だ。
 ダイを助けるためにこそ、ポップはこの二年間、ずっと彼を探し続けてきたのだから。
 厳重に隠されたダイの居場所を探り当てるのだけでも、至難の業だった。さらには、世界各国と敵対する覚悟が必要だった。

 仲間の制止を振り切り、パプニカ王国や故郷を捨て、初恋の少女も振り捨てて、それでもポップはダイを選んだ。
 ダイもポップを選んでいるというのなら、拒む理由はない。

 ダイが、竜の騎士の本能以上にポップを欲すると言うのなら、くれてやるまでだ。
 ダイが欲情をポップに叩きつけることで、竜の騎士の本能や破壊衝動を抑えられるのなら、それでいい。

(守ってやるよ、ダイ、おまえを……)

 それは、恋とは言えない感情かもしれない。
 だが、確かに愛と呼べるだけの想いだった。
 なまじな恋愛感情を遥かに超える友情で、ポップはダイを受け入れた――。







 長いキスの後、ダイはやっとポップから唇を離す。だが、まだ離したくないとばかりにポップを抱きしめ、愛しげに頬や髪に触れる。
 見た目よりずっと柔らかいポップの癖っ毛に触れながら、ダイはふと思い出したように手首に巻きつけていた黄色の布を解いた。

 それは、あの後以来、ずっとお守りのように持ち続けていたポップのバンダナだ。
 ひらりと翻る布を見て、ポップのその正体に気づいたのか苦笑を浮かべる。

「……おまえ、そんなもの、まだ持っていたのかよ」

 ポップの頭にそれを巻きつけてやり、きゅっと結ぶと、ダイにとっては見慣れた姿に戻る。

「やっぱり、この方がポップらしいね」

「そうか? ――さて、それはいいけど、そろそろここからズラかるぞ。そろそろ、オレの仕掛けた魔法も解ける頃だし」

 と、ポップは自分の空けた壁の大穴に近寄った。
 ダイも一緒にそちらに近寄る。
 どこまでも広がる森の景色が広がる、見たこともない場所。

 ここに閉じ込められて以来、初めて見る外の光景が広がっていた。
 だが、青空は前に見たのと変わりがない。それに、吹き抜ける風が心地好かった。

「とりあえず、この塔の周辺の魔封を解除して、ここを守っていた兵士達は片っ端からマヌーサをかけて方角を狂わせておいた」

 それを聞いて、ダイはいまだに見張りの兵士が来ない事実に気がついた。

「でも……ポップ、いいの?」

 この塔から出るのは、ダイにとっては不可能ではなかった。
 もし、本気になって暴れれば、きっと塔を壊せただろう。――だが、それをしなかった理由はポップの存在だけではなかった。

 レオナやみんなにも迷惑が及ぶと分かっていたから、脱走したくはなかった。
 それに……こんな風にダイを逃がせば、ポップもまた、犯罪者として処罰の対象となるだろう。
 それが心配だったが、ポップはダイのそんな不安を一蹴してくれた。

「――姫さんはオレに言ってくれたぜ。後の心配はいらないから、好きなようにしろって」

「レオナが……」

 可愛い顔とは裏腹に遠慮がなくて、勝ち気で、だがいざと言う時は誰より頼りになるお姫様。
 長らく会っていない、そして、もう二度と会うことのないかもしれない相手。初めての人間の友達を、ダイは懐かしく思い出す。

「そう、なんだ。レオナが言うんなら、平気だよね」

「ああ、なんたって、あの姫さんだからな。そして、おまえに伝言だよ……『あたしのことは気にしなくていいから、今度は手を離すんじゃないわよ!』だとさ」

 ダイは一瞬きょとんとした顔をし、それから苦笑を浮かべる。

「レオナ、変わってないんだなぁ」

 しっかりしていて、気丈で。
 そして、物凄く勘がよくて、他人の恋愛にちょっかいをだすのが好きな所まで、変わっていない。

「……で、おめえはどうよ。おまえは、オレとじゃ不満なのかよ?」

 答えるまでもない質問に、ダイは答えなかった。
 ポップだって、それは分かっている。
 不敵な笑みを浮かべたその目に、ためらいもなく差し出された手に、ポップの決意が表れている。

 勇者と、魔法使い。
 もう、互いに少年の域を脱し、その立場でなくなったとしても、二人の間の距離は変わっていない。

 誰よりも近くに、その魂を置いている。
 互いに、互いの存在が全てなのだ。
 世界を敵に回しても、悔いはない。自分の中に流れる、竜の騎士の本能にも抗える。

 世界中の人間に化け物と言われたとしても、自分を受け入れてくれるこの手が有る限り、ダイは、ダイのままでいられる。
 差し延べられたポップの手をダイはしっかりと握りしめ、引きよせた。そのぬくもりを腕の中に抱きとめながら、ダイは囁いた。

「ね……、ポップ。ヤリたくなっちゃった。……いいかな?」

「早速かよ!?」

 あまりにド直球な誘いに、ポップがツッコむのも無理はあるまい。

「だって〜。オレ、あれからずっと、我慢してたんだよ。何度も、何度もポップを思い返しては、我慢しててさ。――だめ?」

 自分よりも小さくなってしまった年上の相棒を見下ろしながら、ダイは子供っぽい口調のままでねだる。
 すっかり声変わりした声音とはそぐわない言葉遣いに、ポップは眉をちょっとしかめながらも頷いた。

「――まあ、いいけどさ、ここでじゃ嫌だぜ。それになあ、風呂とは言わないからせめて水浴びでもしてからにしろ!」

「あ、そういやオレ、風呂、二年ぐらい入ってなかったや」

「……前言撤回っ! 風呂は必須だ! 頭までつかって千は数えやがれっ!!」

 ひとしきり文句を言ってから、ポップはぽそっと一言付け加える。
 それは聞こえるか聞こえないかというぐらいの、囁き声だった。だが、ダイはそれを聞き逃さなかった。

 今度は優しくしろよと、真っ赤になって付け加えるポップの表情を、しっかりと目に焼きつけて、ダイは満面の笑みを浮かべた。

「うん!」

 精悍な青年へと成長したダイの顔に、照れたような笑顔が浮かぶ。それは、12才の頃の面影を多々に残す、太陽のように曇りのない笑顔だった――。







 その日、塔から『竜』が飛び立った。
 闇を翼を広げて、一人の魔法使いをその腕に抱き、青空の彼方へと。
 その後、『竜』がどうなったのか……それを知る者は誰もいなかった――。
                                    


                                      END

 


《後書き》
 30300hitリクエスト、『男前受ポップ!』でした! ダーク&R18のご許可が出たのに浮かれたせいか、つい筆が滑りまして……いつの間にこんなに長くなってしまったのやら(笑)
 な、なにやら、キリリクというには問題アリな長さな気がします。がっつりエロシーンを書くと、長引く悪い癖が〜。


 バンダナエッチをテーマに、思いっきり趣味に走ってやりたい放題やってみました。……あ、あの、男前受って、こんなんだったんでしたっけ?(<-今更聞くな!)
 しかし疑問なのですが、なぜに筆者が書くとポップの初めて物語は常にレイプになってしまうのでしょうか?(笑)


 ところで、あんまり読むのには関係ないのですが、このお話は魔界編から裏道場の恋愛以前の流れを汲む、勇者帰還後に分岐するバッドエンディングの一つです。
 もし、ポップとレオナがダイ帰還後に他国との外交に失敗した場合に辿る、あまり明るいとは言えない未来。
 でもまあ、ダイとポップとしては、一応はハッピーエンドと言えるラストです。あの二人なら、全世界を敵に回しても平気な気がしますし(笑)
 
 

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