『砂時計が割れる時 1』
 

 魔法の気配を濃厚に漂わせる煙が薄れる中、目の前にいる『子供』を見て、ダイは最大限に大きく目を見開いた。

「え……っ?!」

 そこにいたのは、ダイ以上に驚いたような顔をして、ぺたんと座り込んでいる男の子だった。
 年は、12、3才ぐらいだろうか。

 奔放に跳ねっかえった黒髪に巻かれた、色鮮やかな黄色いバンダナは、緩みが生じたのか半ば滑り落ちかけている。
 着ている緑色の魔法衣は身体に全然あっていなくて、まるで大人の服を無理やり着たように袖や丈があまってダボダボだった。

 ダイにとっては、初めて見る子供――だが、それでいて思いっきり見覚えのある子でもあった。
 なにより、ダイがポップを見間違えるはずがない。

「ポ……? ポップ…?」

 思わず手を伸ばしかけると、子供――ポップはビクッとしたように身を強張らせた。

「……あんた、誰だよっ?!」

 懐かしく、そして初めて聞く声が、耳を貫く。
 まだ声変わりしていない、いかにも子供っぽくて甲高い声は、初めて出会った頃のポップのものよりも、もう一段階高かった。

 個人差はあるが、男の声変わりは一気に一度で変わりきるものではない。成長の度合いに合わせるように、一段階ずつ声が低くなる時期を数度繰り返して大人の声へと変化していくものだ。

 15才だった頃のポップは、最初の変声は終わっていたはずだが、まだまだ少年っぽさが残る声だったのを覚えている。
 それが魔界で再会した時は、ポップの声は昔とは変わって前よりも低くなっていた。

 それだけに、もう、記憶の中にしかないと思っていた懐かしい声の響きに、ダイは今の状況も忘れて思わず耳を傾けてしまう。

「こ…っ、ここっ、どこだよ? い、いつの間におれ、こんなところに……?」

 不安そうにキョロキョロと落ち着きなく辺りを見回したポップは、キッとダイを睨みつけてきた。

「あんたが、おれをこんなとこに連れてきたのかっ?!」

 怯えているのか顔を引きつらせているくせに、それでも噛みつくように文句をつけてくる。
 その態度にも懐かしさを感じてしまうが、さすがにこうも不満を真っ向からぶつけられては、のんきに懐かしがっている場合じゃない。

 自分を敵のように睨んでくるポップにショックを受けつつも、ダイは何とか説明しようとした。

「えっ?! い、いやっ、違うっ、違うよっ?! ポップが、自分でここに来たんだよっ?!」


 その言葉は、嘘じゃない。
 この部屋は、ポップの執務室  いつもそうしているように、ポップは今朝、自分の意思でここに来たのだ。

「おれ……が? なんで?」

 きょとんとした顔で聞きかえす小さなポップの顔を見つつ、ダイの方こそそう問いたい気分でいっぱいだった。
 なんでこうなってしまったのか。

(ああっ、ポップ、いったいどうすればいいんだよ〜っ)

 心の中だけで、ダイは思いっきり絶叫した――。

 

 

 

「ポップ、危ないよ、落っこちそうだよ」

 そう言いながら、ダイは書類だらけで隙間すら見つからない机の上から、書類に押されて落下しかかっていた『それ』を掬い上げた。

「お、サンキュ、ダイ」

「これ、なんなの、ポップ?」

 ポップの執務机の上に置かれていたのは、細いガラスの管に砂を封じ込め、それを木製の枠で支えたものだった。
 ダイにとっては初めて見るものだが、ほとんどの人の目にはそれは古ぼけた砂時計として映るだろう。

「ああ、これは『時の砂』っていうアイテムだよ。一応、時間を巻き戻す効力があるって言われているけどよ……」

 そう言いながら、ポップは砂時計を手に取って、ヒョイとひっくり返して見せる。すると、落ちきった砂が上下逆となり、サラサラと下の部分に向かって落下し始めた。
 砂が動くとキラキラと光って綺麗ではあったが、全部落ちてもなんの効果も発揮されない。

「……別に、なんにも起きないみたいだよ?」

「ああ、そりゃそうだ。『時の砂』は、今じゃ使えなくなったアイテムの一つなんだよ」


 古代から現在になる間に、失われた魔法やアイテムの数は結構な数になる。
 今では役立たずでゴミ同然とは言え、珍しいものには違いがないし、歴史的価値や研究資料にはなるので、そういう意味では貴重品だった。

「師匠んとこにあったんだけどさ、ちょっと調べてみたくなって、借りてきたんだ」

「ふうん、そうなんだ。でも、こんなとこに置いておくと、危ないよ。どこかにしまっておこうか?」

 そう申し出たのは、純粋に親切心のつもりだった。

「おう、頼む。ここにあると邪魔っけだからよ」

 と、ポップは世にも貴重で珍しいはずの魔法道具を、無造作にダイに向かって放り投げた。
 反射神経のいいダイなら、それぐらい軽く受け止めると信頼してるからの行動だが……タイミングが悪かった。

 投げた拍子に、うっかりとインク壺に手を当ててしまい、それがひっくり返ったから堪らない。

「うわぁっ?! 書類がっ?!」

「ポップ?!」

 慌てて書類を避難させようとするポップを見て、ダイもまたそれに習った。ちょうど、受け止めた砂時計を手に握り込んだまま、焦ってポップの側に駆け寄ろうとした際、不吉な音が響く。

 パキィッ!

「え?」

「あ、バカ、やりやがったな!」

 本人であるダイより、ポップの方が何が起こったか理解するのが早かった。
 急いだ拍子に力を込め過ぎ、ダイはものの見事に砂時計を握りつぶしてしまったようだ。
 普通なら木枠が邪魔をするし、案外と丈夫にできている砂時計は早々壊れるものではないのだが、ダイの力は規格外だ。
 本人も気をつけているとはいえ、たま〜にこんな事故が発生する。

「ごっ、ごめんっ! どうしようっ、ポップッ?!」

「いいから手ェ見せてみろ!」

 魔法道具を壊してしまったと焦るダイに対して、ポップは怪我の方を心配してダイの手を掴んで引き寄せる。
 幸いにも、並外れた頑丈さを持つ上に、毎日の剣の稽古で堅くなったダイの手のひらは、薄いガラスを砕いたくらいではビクともしてなかった。

 握り込む形になったのも幸いして、破片はほとんどダイの手を傷つけてはいなかった。 だが、砂時計の方が哀れなまでに大破し、砕けたガラスに混ざり合って、砂がサラサラとこぼれ落ちている。

 と、その砂がいきなり舞い上がって、ダイとポップの二人の身体にまといつくように渦巻いた。

「……?!」

 驚きに目を見張ったダイだが、その砂は彼にはなんの効果ももたらさなかった。
 だが――ポップにまとわりついた砂は、光の輝きを増して、次の瞬間、弾けるような音と共に大量の煙が沸き起こった!!

 

 

 

 そして――今に繋がる。

「うそ……っ、ポップ君なの、この子が?!」

 信じられないとばかりに目を見開き、レオナは何度となくポップを見返す。
 大騒ぎを聞きつけて真っ先に駆けつけてきたのは物見高いこのお姫様だったが、三賢者のみならず何人もの兵士達や侍女達まで来たせいか、ポップは少々怯えているようだ。

 見も知らぬ場所で、見知らぬ大勢の大人達にいきなり囲まれたのが不安なのか、一番最初からいたダイの後ろに隠れるような素振りを見せる。

 そんなポップを庇うように、ダイはみんなに何があったのかを説明をした。……まあ、説明が苦手な上に、ダイ自身にも事情がよく分かっていないのだが、聡明なレオナは対応が早かった。

 ポップが怯え、混乱している様子を見て取ると、アポロだけを残して人払いをする。それから、あらためてポップに向き直った。

「それにしても、本当にあなた、ポップ君なの?」

「う、うん。おれはポップだけど……なんで、おれの名前、知ってるんだよ?」

 不思議そうに問いかけるポップに、レオナは困惑の表情のまま眉を潜める。

「まさか……、覚えてないの? あたしのことも、忘れちゃったの?」

 と、詰め寄られても、ポップはボーッとしたまま返事をしない。ただ、まじまじとレオナを見ているばかりだ。
 自分と会った時とは明らかに違うその反応が、いささかダイにはショックといえばショックだった。

「ポップ……ッ、もしかして、レオナのことは覚えてるの?!」

 勢い込んでのダイの質問に、ポップは首を横に振り、照れくさそうに言った。

「ううん。でもさ〜、このお姉さんって……、すっごく綺麗なんだもん」

 デヘヘと鼻の下を伸ばさんばかりのそのご返答に、ダイは思わずその場に転びそうになった。
 だが、それとは対照的に、レオナは嬉しそうな顔を見せる。

「やだっ、可愛いっ!! 嘘みたい、ポップ君じゃないみたい〜?」

「レ、レオナ〜ッ、そこは喜ぶとこじゃないだろっ?!」

「だって、ポップ君がこんなに素直にあたしを褒めるなんて、初めてなんですもの。それに、背があたしより低いポップ君ってのも、ちょっと新鮮だし。なんだか、今のままでもいいような気がしてきたわ」

「いや、よくないって! 絶対!」

 素晴らしい順応力を見せるレオナとは逆に、ダイは、心の底から全力で叫ばずにはいられない。
 ポップが小さくなっただけならまだしも、自分のことを忘れてしまっただなんて、ダイには我慢出来る範囲の出来事じゃない。

 肩を掴んで思いっきり揺さぶりたくなる衝動を堪えて、ダイはもう一度、ポップに問い掛けた。

「ポップ、よく思い出してよ。ホントに、おれのこと、覚えてないの?」

 問われて、ポップは今度はダイに視線を向ける。だが、それで何か反応を見せることはなかった。
 何度も目をぱちくりさせ、申し訳なさそうに首を横に振った。

「でも、おれ…、おにいちゃんに会ったのって、初めてだと思うけど?」

「…………っ?!」

 その言葉を聞いた途端、ダイの顔色がはっきりと変わる。
 ひどく衝撃を受けたような顔でふるふると震えだしたダイを見て、何かまずいことでも言ったかなとばかりに、ポップも不安そうな表情へと変わる。
 と、そのポップの肩を、ガシッとダイの手が掴んだ。

「……今、言ったこと、もう一回言って、ポップ?」

 妙に抑えたようなその声音に、不穏なものを感じ取ったのかポップが身をよじって逃げようとするが、ダイの力の前では無意味だ。

「ちょ、ちょっと、ダイ君、落ち着いて? ね?」

 いつもと違う様子を見せるダイをさすがに案じたのか、レオナが止めようとするが、無駄だった。
 他人の邪魔など許さないと言わんばかりのに真剣な表情で、ダイはポップの肩を掴んだまま、真正面から詰め寄る。

「ポップ、もう一回、言ってみてくれよ!」

「だ、だから、会ったことがないって……」

 怯えつつもそう繰り返すポップを、ダイは焦れたように軽く揺さぶった。

「そこじゃなくって! おれのこと、もう一回呼んでみて!!」

「「は?」」

 と、ちょっと間の抜けた声が、レオナとポップの口から同時に漏れる。
 だが、ふざけとは無縁の大まじめさで答えを待っているダイに、ポップがやや呆れた調子ながらも要求を飲んだ。

「えーと。……おにいちゃん?」

(うわっ、新鮮っ!!)

 途端に胸に込み上げてくる感動に似た衝動に、ダイは意識せずに目を閉じた。無意識に、ポップの呼び掛けを脳内リピートさせてしまうのは、感動の余韻というものだろうか。
 ――いや、冷静に考えれば、喜んでいる場合ではない。

 ポップはダイを覚えているどころか、名前すら覚えてないと証明されたも同然なのだから。

 が、そうと分かっていても、理屈と感情は別物だった。常に自分を年下扱いし、ガキ呼ばわりするポップから『おにいちゃん』と呼ばれるのが、これほどまでに感動を呼び起こすものだったとは――。

 思わず一人感激に浸ってしまったダイは、ポップが自分の手を外して抜け出したことにすら気がつかなかった。

「ところで、いったい、ここ、どこ?」

 きょときょとと落ち着きなく辺りを見回すポップの視線は、慣れ親しんだ自分の部屋を見るものではなく、初めて来た場所を見るそれだった。

「ここはパプニカ城よ。それも、覚えてないの?」

「えっ、お城ぉっ?!」

 ぎょっとして、ポップは途端にあたふたと慌てふためきだす。

「何、焦ってるの、ポップ君?」

「だってよ、お城だぜ、お城! そんなとこに、勝手に入って、お、怒られないかっ?」


 勝手に入るも何も  ポップはずっと前からパプニカ城に住み着いているのだが、それすらも忘れてしまっているらしい。

「今更よねえ。っていうか、あたしとしては時々ポップ君が城を壊すことの方を重視したいんだけど?」

「え? お、おれ、城を壊した覚えなんか……っ」

「ああ、それはいいわ。今年度の予算会議での懸案議題にするから。――で、それより聞きたいんだけど、ポップ君はさっきまでどこにいたの?」

 なにやら不穏な気配を感じる前半部分に顔をしかめつつも、ポップは迷わずに答えを返す。

「おれ、さっきまで、アバン先生と一緒にギルドメイン山脈にいたんだよ。で、魔法の契約の儀式をするところだったんだ」

 その言葉を聞いて、レオナは邪魔にならないように控えていたアポロと目を見交わし、小さく溜め息をつく。

「……やれやれ。これって、もしかすると記憶喪失よりも厄介かもしれないわね」
                                    《続く》
 

2に続く
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