『砂時計が割れる時 1』 |
魔法の気配を濃厚に漂わせる煙が薄れる中、目の前にいる『子供』を見て、ダイは最大限に大きく目を見開いた。 「え……っ?!」 そこにいたのは、ダイ以上に驚いたような顔をして、ぺたんと座り込んでいる男の子だった。 奔放に跳ねっかえった黒髪に巻かれた、色鮮やかな黄色いバンダナは、緩みが生じたのか半ば滑り落ちかけている。 ダイにとっては、初めて見る子供――だが、それでいて思いっきり見覚えのある子でもあった。 「ポ……? ポップ…?」 思わず手を伸ばしかけると、子供――ポップはビクッとしたように身を強張らせた。 「……あんた、誰だよっ?!」 懐かしく、そして初めて聞く声が、耳を貫く。 個人差はあるが、男の声変わりは一気に一度で変わりきるものではない。成長の度合いに合わせるように、一段階ずつ声が低くなる時期を数度繰り返して大人の声へと変化していくものだ。 15才だった頃のポップは、最初の変声は終わっていたはずだが、まだまだ少年っぽさが残る声だったのを覚えている。 それだけに、もう、記憶の中にしかないと思っていた懐かしい声の響きに、ダイは今の状況も忘れて思わず耳を傾けてしまう。 「こ…っ、ここっ、どこだよ? い、いつの間におれ、こんなところに……?」 不安そうにキョロキョロと落ち着きなく辺りを見回したポップは、キッとダイを睨みつけてきた。 「あんたが、おれをこんなとこに連れてきたのかっ?!」 怯えているのか顔を引きつらせているくせに、それでも噛みつくように文句をつけてくる。 自分を敵のように睨んでくるポップにショックを受けつつも、ダイは何とか説明しようとした。 「えっ?! い、いやっ、違うっ、違うよっ?! ポップが、自分でここに来たんだよっ?!」
「おれ……が? なんで?」 きょとんとした顔で聞きかえす小さなポップの顔を見つつ、ダイの方こそそう問いたい気分でいっぱいだった。 (ああっ、ポップ、いったいどうすればいいんだよ〜っ) 心の中だけで、ダイは思いっきり絶叫した――。
「ポップ、危ないよ、落っこちそうだよ」 そう言いながら、ダイは書類だらけで隙間すら見つからない机の上から、書類に押されて落下しかかっていた『それ』を掬い上げた。 「お、サンキュ、ダイ」 「これ、なんなの、ポップ?」 ポップの執務机の上に置かれていたのは、細いガラスの管に砂を封じ込め、それを木製の枠で支えたものだった。 「ああ、これは『時の砂』っていうアイテムだよ。一応、時間を巻き戻す効力があるって言われているけどよ……」 そう言いながら、ポップは砂時計を手に取って、ヒョイとひっくり返して見せる。すると、落ちきった砂が上下逆となり、サラサラと下の部分に向かって落下し始めた。 「……別に、なんにも起きないみたいだよ?」 「ああ、そりゃそうだ。『時の砂』は、今じゃ使えなくなったアイテムの一つなんだよ」
「師匠んとこにあったんだけどさ、ちょっと調べてみたくなって、借りてきたんだ」 「ふうん、そうなんだ。でも、こんなとこに置いておくと、危ないよ。どこかにしまっておこうか?」 そう申し出たのは、純粋に親切心のつもりだった。 「おう、頼む。ここにあると邪魔っけだからよ」 と、ポップは世にも貴重で珍しいはずの魔法道具を、無造作にダイに向かって放り投げた。 投げた拍子に、うっかりとインク壺に手を当ててしまい、それがひっくり返ったから堪らない。 「うわぁっ?! 書類がっ?!」 「ポップ?!」 慌てて書類を避難させようとするポップを見て、ダイもまたそれに習った。ちょうど、受け止めた砂時計を手に握り込んだまま、焦ってポップの側に駆け寄ろうとした際、不吉な音が響く。 パキィッ! 「え?」 「あ、バカ、やりやがったな!」 本人であるダイより、ポップの方が何が起こったか理解するのが早かった。 「ごっ、ごめんっ! どうしようっ、ポップッ?!」 「いいから手ェ見せてみろ!」 魔法道具を壊してしまったと焦るダイに対して、ポップは怪我の方を心配してダイの手を掴んで引き寄せる。 握り込む形になったのも幸いして、破片はほとんどダイの手を傷つけてはいなかった。 だが、砂時計の方が哀れなまでに大破し、砕けたガラスに混ざり合って、砂がサラサラとこぼれ落ちている。 と、その砂がいきなり舞い上がって、ダイとポップの二人の身体にまといつくように渦巻いた。 「……?!」 驚きに目を見張ったダイだが、その砂は彼にはなんの効果ももたらさなかった。
そして――今に繋がる。 「うそ……っ、ポップ君なの、この子が?!」 信じられないとばかりに目を見開き、レオナは何度となくポップを見返す。 見も知らぬ場所で、見知らぬ大勢の大人達にいきなり囲まれたのが不安なのか、一番最初からいたダイの後ろに隠れるような素振りを見せる。 そんなポップを庇うように、ダイはみんなに何があったのかを説明をした。……まあ、説明が苦手な上に、ダイ自身にも事情がよく分かっていないのだが、聡明なレオナは対応が早かった。 ポップが怯え、混乱している様子を見て取ると、アポロだけを残して人払いをする。それから、あらためてポップに向き直った。 「それにしても、本当にあなた、ポップ君なの?」 「う、うん。おれはポップだけど……なんで、おれの名前、知ってるんだよ?」 不思議そうに問いかけるポップに、レオナは困惑の表情のまま眉を潜める。 「まさか……、覚えてないの? あたしのことも、忘れちゃったの?」 と、詰め寄られても、ポップはボーッとしたまま返事をしない。ただ、まじまじとレオナを見ているばかりだ。 「ポップ……ッ、もしかして、レオナのことは覚えてるの?!」 勢い込んでのダイの質問に、ポップは首を横に振り、照れくさそうに言った。 「ううん。でもさ〜、このお姉さんって……、すっごく綺麗なんだもん」 デヘヘと鼻の下を伸ばさんばかりのそのご返答に、ダイは思わずその場に転びそうになった。 「やだっ、可愛いっ!! 嘘みたい、ポップ君じゃないみたい〜?」 「レ、レオナ〜ッ、そこは喜ぶとこじゃないだろっ?!」 「だって、ポップ君がこんなに素直にあたしを褒めるなんて、初めてなんですもの。それに、背があたしより低いポップ君ってのも、ちょっと新鮮だし。なんだか、今のままでもいいような気がしてきたわ」 「いや、よくないって! 絶対!」 素晴らしい順応力を見せるレオナとは逆に、ダイは、心の底から全力で叫ばずにはいられない。 肩を掴んで思いっきり揺さぶりたくなる衝動を堪えて、ダイはもう一度、ポップに問い掛けた。 「ポップ、よく思い出してよ。ホントに、おれのこと、覚えてないの?」 問われて、ポップは今度はダイに視線を向ける。だが、それで何か反応を見せることはなかった。 「でも、おれ…、おにいちゃんに会ったのって、初めてだと思うけど?」 「…………っ?!」 その言葉を聞いた途端、ダイの顔色がはっきりと変わる。 「……今、言ったこと、もう一回言って、ポップ?」 妙に抑えたようなその声音に、不穏なものを感じ取ったのかポップが身をよじって逃げようとするが、ダイの力の前では無意味だ。 「ちょ、ちょっと、ダイ君、落ち着いて? ね?」 いつもと違う様子を見せるダイをさすがに案じたのか、レオナが止めようとするが、無駄だった。 「ポップ、もう一回、言ってみてくれよ!」 「だ、だから、会ったことがないって……」 怯えつつもそう繰り返すポップを、ダイは焦れたように軽く揺さぶった。 「そこじゃなくって! おれのこと、もう一回呼んでみて!!」 「「は?」」 と、ちょっと間の抜けた声が、レオナとポップの口から同時に漏れる。 「えーと。……おにいちゃん?」 (うわっ、新鮮っ!!) 途端に胸に込み上げてくる感動に似た衝動に、ダイは意識せずに目を閉じた。無意識に、ポップの呼び掛けを脳内リピートさせてしまうのは、感動の余韻というものだろうか。 ポップはダイを覚えているどころか、名前すら覚えてないと証明されたも同然なのだから。 が、そうと分かっていても、理屈と感情は別物だった。常に自分を年下扱いし、ガキ呼ばわりするポップから『おにいちゃん』と呼ばれるのが、これほどまでに感動を呼び起こすものだったとは――。 思わず一人感激に浸ってしまったダイは、ポップが自分の手を外して抜け出したことにすら気がつかなかった。 「ところで、いったい、ここ、どこ?」 きょときょとと落ち着きなく辺りを見回すポップの視線は、慣れ親しんだ自分の部屋を見るものではなく、初めて来た場所を見るそれだった。 「ここはパプニカ城よ。それも、覚えてないの?」 「えっ、お城ぉっ?!」 ぎょっとして、ポップは途端にあたふたと慌てふためきだす。 「何、焦ってるの、ポップ君?」 「だってよ、お城だぜ、お城! そんなとこに、勝手に入って、お、怒られないかっ?」
「今更よねえ。っていうか、あたしとしては時々ポップ君が城を壊すことの方を重視したいんだけど?」 「え? お、おれ、城を壊した覚えなんか……っ」 「ああ、それはいいわ。今年度の予算会議での懸案議題にするから。――で、それより聞きたいんだけど、ポップ君はさっきまでどこにいたの?」 なにやら不穏な気配を感じる前半部分に顔をしかめつつも、ポップは迷わずに答えを返す。 「おれ、さっきまで、アバン先生と一緒にギルドメイン山脈にいたんだよ。で、魔法の契約の儀式をするところだったんだ」 その言葉を聞いて、レオナは邪魔にならないように控えていたアポロと目を見交わし、小さく溜め息をつく。 「……やれやれ。これって、もしかすると記憶喪失よりも厄介かもしれないわね」 |