『砂時計が割れる時 2』 |
記憶退行。 それがポップの持っていた『時の砂』によるものなのは明白だが、戻す方法までは分からなかった。侍医は魔法は専門外だと最初から匙を投げ出す始末だし、レオナや三賢者にしても時の砂なんて魔法道具は専門外だ。 と、なればポップに時の砂を与えた張本人であるマトリフや、破邪の知識に関しては今や世界屈指のスペシャリストであるアバンに助けを求めるしかないのだが……。 「けど、問題は、いつ来るか分からないってところよね。早く来てくれると助かるんだけど」 と、レオナは切実な嘆きと共に、しみじみと呟く。 「ごめん、レオナ。おれがルーラ使えれば、よかったんだけど」 ポップの一大事に、ダイは速攻でマトリフの洞窟やカール王国に行こうとした。が、窓から飛び出した後で気がついたが、ダイの瞬間移動呪文は発動しなかった。 それよりも、瞬間移動魔法の使い手が二人そろって無力化した方が遥かに問題だった。 記憶が退行したポップはもちろんのこと、ダイもそれ程得意とは言えない魔法が、一切使えなくなっていた。 「エイミを遣いにやったけど、気球だとやっぱり遅いわよね。早く先生達を連れてきてくれるといいんだけど」 レオナがそうボヤくのも無理はない ポップが抜けた分の仕事の穴埋めを、必死になってやっている身ともなれば。 「でも、ポップ、だいぶ慣れたみたいだよ」 「ほほほ、そうね〜、ポップ君はね〜」 レオナの笑いや、マリンの笑いがいささか乾いたものになるのも、無理はない。 子供返りしたとはいえ、お調子者の人懐っこい性格は健在で、すぐに周囲に打ち解けた。 それはいいのだが……問題は記憶――特に、知識面の喪失だ。 年齢逆行と共に記憶退行したポップは、ポップが本当は18才で、しかも世界を救った勇者の一行の一人であり、世界で指折りの魔法使いだという事実を、ちっとも認識してはくれなかった。 いくら教えても、とても信じられないとばかりにきょとんとするばかりだ。 おまけに、今のポップは魔法の一つも使えはしない。 レオナや三賢者も含めた文官の中で、ぶっちぎりでナンバーワンの仕事量を誇っているポップが突然、仕事が出来なくなった穴埋めをするのは、そりゃもう並大抵の苦労ではすまされない。 普段の休みなら、ポップはあらかじめ自分の仕事を切りのいい所まで済ませ、さらには引継ぎ手続きもすませてから休暇に入るが、今回はそんな真似をしている暇などなかった。 そのせいでアポロやマリンなどは目の下にはっきりとしたクマを作りつつ、せっせと書類書きに余念がない。 もはや鬼気迫る形相で仕事をしまくっているレオナ達は、一縷の望みを託すように、ダイにひたと視線を当てた。 「それでダイ君……っ、ポップ君に記憶を取り戻す兆候は見られないのかい?!」 すでに、子供化そっちのけで記憶の復活だけをを望んでいる辺りに、アポロの本心が見え隠れしているようだが。 「ううん、全然」 婉曲な表現やら、包み隠してぼかすなんて高度な技は全く使えないダイの直球な返事に、アポロもマリンもガックリと肩を落とす。 「そ、そお……し、仕方がないわね。とりあえず、ダイ君、ポップ君のことをお願いね」
力一杯、頷いてダイはレオナの執務室を後にする。 「あ、おにいちゃん! 用、もうすんだ?」 (わあっ、ポップがおれの用をすむのを待っててくれるなんてっ!) いつもとは逆の立場に、しみじみと込み上げてくる感動がある。 人懐っこさを取り戻したポップは物怖じせずに誰にでも話すようになったが、年齢が近いダイといるのが一番落ち着くようで、ダイと一緒にいる時間が前より増えた。 「ねえ、あの綺麗だけどおっかないお姉さん、なんか言ってた?」 「おっかないって……ポップ、それ、レオナが聞いたら怒るよ〜。特に今、ポップがいないから仕事が大変みたいだし」 ダイの言っていることは事実そのまんまなのだが、ポップはそれをまともに受け取らずに笑うばかりだ。 「またまた〜。おれが大人になって、お城の仕事をしてましたなんて、ありっこないよー。だって、おれ、礼儀とか面倒くさいことって、すっげー大っ嫌いだしさぁ」 「あははっ、ポップらしいや、それ」 他愛ない話をしながら一緒に並んで歩いていると、レオナ達には悪い気がするが、ダイはポップがこのままでもいいような気がしてきている。 それはもう、ものすごく。 「ところでさあ、大人になったおれって、この城で暮らしてるって言ってたよね?」 「うん、そうだよ」 唐突に投げかけられた質問に、ダイは苦笑しながらも頷いた。 12才の頃のダイから見た当時のエイミやマリンが大人そのものだったように、今のポップもまた、18才を『大人』だと認識しているようだ。 ほとんどが背が伸びたかとか、逞しい感じなるのかとか、他愛なくも答えにくい質問ばかりだったのだが、だが、今回の質問はダイにとっては特別だった。 「大人のおれって、結婚とかしてないの? 恋人がいたりとかさー」 「こ、恋人って……っ」 それを聞いて、ダイはその場で固まった。 ここ数日、あえて直視しないように抑えこんでいた部分をぐっさりと貫かれ、言葉も失ってしまう。 (ポ、ポポポ、ポップ、それって、あんまり…っ、いや、ポップ、そりゃ覚えてないんだろうけどっ。確かに、最初は無理やりだったし、おればっか好きだって言ってるし、ポップはまだまだ考え中だって言って好きだって一回も言ってくんないけどっ、誘うのだっていっつもおればっかだけどっ、でも、でもでもっ、おれ達、一応恋人なんだってばーっ!)
子供返りしたポップを混乱させたくなくて、今まで抑え込んでいた気持ちが、一気にあふれ返ってしまう。 「ポップ……」 こうして並んでみると、13才のポップは15才のダイより頭一つ以上小さい。完全に見下ろせる小さな魔法使いを、ダイは不思議な気分で見下ろしていた。 だが、それはポップに追いついて並んだだけであり、昔と逆転したようなこの身長差は感慨深いものがある。 (うわ、うわっ、うわぁあ〜っ、ど、どーしよ、か、可愛い……っ!) もちろん、今の18才のポップだって可愛い(注:あくまでダイの主観による) 真夏だろうと肌を隠すのがポップの習慣なのか、いつもきっちりとした詰め襟、長袖の服を着ているポップとは思えない選択だ。 ごく普通の男の子のように、動きやすさと気温への適応だけを重視した服を選んでいるが、それは露出が多い服でもあるわけで……。 (なんか、ポップがこんな格好しているのって、落ち着かないよなあ) ポップ本人は全然気にしていない様子だし、ダイも極力気にしないように心掛けてはきた。 ポップのガードの堅さに、いつもはちょっぴり不満を抱いているダイだが、あまりに無防備な格好をしていられると、それはそれで別の不満がある。 (ポップって、割と手も敏感だし。そう言えばあの時も……) 夏場で、しかも自分の部屋にいるという安堵感のせいか、ポップが珍しく半袖の服で過ごしていた時があった。 普段はあまり触らない部分だったのに、ちょっと触れただけでダイが驚くぐらい敏感に反応してくれた。それが嬉しくて、そのままイロイロとしてしまったことを思い出してしまう。 (あの時はポップも気持ち良さそうだったのに、あれっきりおれの前じゃ半袖になってくんなくなったんだよね、なぜか。でも、今は……) 記憶の中のポップと、今のポップを思わずダブらせてしまい、鼻血を噴き出してしまいそうなほどにくらくらと欲望が高ぶるのを感じ、ダイは必死でそれを自制した。 (い、いやっ、だめだって、いくらなんでもそれはっっ! 今のポップは、まだ子供っ、子供なんだからっ) こんな小さな子に手を出すなど、犯罪もいいところだとダイは必死に自分に言い聞かせる。
不思議そうにダイを見上げるポップの表情が、ダイの中のイロイロと人前では言えない部分を激しく刺激する。 「だっ、だめだぁああっ、それはぁあっ!」 平均値よりも乏しい自制心を総動員させようと、突如として壁に向かって自分の頭をぶつけだしたダイを見て、ポップはギョッとしたような顔をした。 「あ…、あのさー、おにいちゃん……、大丈夫?」 おどおどと声を掛けられ、ダイはハッとして頭突きをやめて慌てて壁を確認した。 「うん、壁は大丈夫みたいだよ」 廊下を走ってはいけないように、壁や柱を壊してはいけないというルールも城には存在している。 だが、お子様なポップはいつものように説教をする代わりに、妙に不安そうな顔でダイを見上げるばかりだ。 「…………い、いや、おれが心配なのは、おにいちゃんの方なんだけど……」 ――そりゃあ、突然壁に頭突きをくらわせた揚句、怪我一つせずにピンピンしていて、壁の具合を気にするような人なら、『心配』せずにはいられまい。 「おれを心配してくれるの?! うわぁ……っ、ありがとう、ポップ!」 もはや天まで舞い上がりそうな勢いで、ダイは喜びを噛み締める。 憎まれ口を叩いてごまかそうとしたり、壁の方が心配だなんて言ったりするのがほとんどだ。 「え?」 戸惑うダイを置き去りにして、ポップは突然走り出していた。 「ポップ?!」 呼び止めたダイなど、もう、振り向きさえしない。ポップは転びそうな勢いで、ただひたすらにまっしぐらに走っていく。 「アバン先生っ!!」 エイミに先導され、廊下を歩いていたのは紛れもなくアバンとマトリフだった。 「ポップ……?!」 一瞬、驚きを見せたアバンだが、すぐに彼は大きく手を広げて優しい笑顔を浮かべる。
そう叫び、すがりつくようにアバンに抱きつくポップを見て、ダイが受けた衝撃は少なくなかった。 「先生……っ、よかった…、おれ、もう先生に会えないかと思った……!」 半べそをかきながら、アバンにぎゅっと抱きついたポップに、ダイはふと三年前、会ったばかりの頃のポップの面影を見る。 「大丈夫ですよ、ポップ。もう心配いりませんよ。今まで不安だったでしょうに、よく頑張りましたね」 小さな子をなだめるように、アバンがぽんぽんとポップの背を叩きながらあやす。いつもの……いや、15才の時のポップであっても、子供扱いしていると拗ねそうな扱いなのに、子供返りしたポップは嬉しそうな顔をする。 自分と一緒にいる時は決して見せてくれなかった、心の底から安堵したようなポップの笑顔に、ダイは胸がズキンと痛むのを感じていた――。
「さて、結論ですが、姫からのご連絡通りです。今のポップはどうやら、肉体年齢、精神年齢ともに、魔法契約を交わす寸前まで戻ってしまったようですね」 客間に通されたアバンは、ポップに軽い質疑応答をした後、そう結論づけた。 「時の砂の効力……でしょうね。こんな現象が起こる例は少ないんですが、条件が重なった場合に稀に発生する事故ですね。私も文献で見ただけですが、過去にもいくつか年齢逆行を起こした事例はあるそうですから」 「先生〜……」 不安そうにギュッとアバンの服の裾にしがみつき、離そうとしないポップを見ていると、ダイの胸はまた痛む。 「先生……っ、それで、ポップを元に戻す呪文とかアイテムとかって、ないの?!」 ダイの質問に、切羽詰まった響きが混じる。もし、ポップを元に戻せるのなら、今のダイならもう一度魔界に行って構わないと思う。 「ああ、それは無理ですね。時の砂の効力を打ち消すような効果を持った呪文の存在も、アイテムの存在も、歴史上一切ないんですよ」 「えぇええっ?!」 驚愕の声は、本人ではなく周囲からあがったものだった。特に、ダイの驚きは並ならないものがあった。 「じゃ…じゃあ、ポップ……、まさか、ずっとこのまま……っ?!」 魂が口からはみ出たような表情が、大袈裟だと指摘する者はいなかったのは、三賢者達もそろいもそろって同等の表情を浮かべていたせいか。
その言葉に、顔面蒼白になり、がくりと膝を突いたのは三賢者の方だった。 「でもまあ、これは考えようによってはいい機会かもしれませんね。ポップの教育について、私は常々、思っていたんですよね〜。あの時、むやみに甘やかさずに厳しく育てていれば、様々な問題は起きなかったんじゃないかと」 一応、甘やかしていた自覚はあったのか――。
ケケケと人の悪い笑みを浮かべる人相の悪い老人の手招きに、ポップは不安を感じるのかますますアバンにぴったりとしがみつく。 「でも――案外、それも一つの手かもしれないわね」 「な、何を言い出すんだよっ、レオナッ?!」 「だって、ポップ君って時々、すっごい無茶をするじゃない? あれって教育の仕方に問題があったんじゃないかな〜って、常々思っていたのよね、実は」 ちらちらっとわざとらしくアバンの方に視線を送りつつのその言葉は、ちょっとした皮肉まじりの冗談なのは明らかだった。 それが分かっているせいか、アバンも耳が痛いですねえとけらけら気楽に笑っているし、マトリフも面白がってニヤついているばかりだ。 「うん、おれ、先生に習うよ! もともと、そのつもりだったんだし」 と、当の本人であるポップがそう言った時が、ダイの限界だった。 「そっ、そんなのダメだぁ――っ!!」 絶叫すると同時に、ダイは考えるよりも早く行動に出ていた。疾風の早さでポップの腕を掴み、いきなり担ぎ上げてそのまま部屋を飛び出した。 「え? え? ちょ、ちょっと、おにいちゃんっ?!」 あまり危機感のないポップのその悲鳴を最期に、ダイとポップは風を巻いて部屋から退出する。 「おやおや。ちょーっと脅かし過ぎちゃいましたかね?」 |