『村から消えた少年 1』 |
数年前の秋。
「分かった! もっと人手を集めるように、声をかけてくる!」 発生したばかりの崖崩れを前にして、スコップやらつるはしを手にした男達が大声で隣り合っていた。 土嚢を積んで、崩れた土砂を食い止める者、街道を塞ぐ土をせっせと畚(もっこ)に乗せる者、その土を運んでいく者。 それはここ、ランカークス村では数年に一度は見られる光景だった。 そんな時は、村の男衆が力を合わせて補修作業に当たるのが常だった。 (けど、正直きっついよな〜) と、こっそりと心の中で思ってしまうぐらいは、仕方の無いことだろう。 いくら村の男の義務とはいえ、この作業にあたるのが今回で二度目のジンにとっては、慣れないだけにきつかった。 だが、村の男の一員としては、これをサボるなんて有り得ない。 押している手押し車に逆に振り回され、転びかけたジンだったが――がっしりとした手がジンを支えた。 「おっと、気ィつけな」 そう言ったのは、ジンよりもわずかに背が低い男だった。もっとも、背丈こそはジンが勝っていても、横にがっちりとした肩幅や旨板の厚みではジンの比では無い。 「お、村長さんとこのジンじゃないか。大きくなったもんだなー」 「ジャンクおじさん……」 狭い村なだけに、村人全員が知り合いという環境だ。ましてや、商店だの村の役員を務めている者同志の交流は、家族ぐるみで付き合いがある。 村で唯一の武器屋の主人であるジャンクは、そのごつい身体に見合った腕力の持ち主でもある。 「確か、おまえさんはベンガーナの学校に行ってたんじゃなかったのか?」 ジャンクの問いに、ジンは頷いた。 「はい。今は収穫期の休暇なので、帰ってきているんですよ」 二年前から、ジンはベンガーナの学校へ行っている。 なんせ、学校なんてものは本来は貴族や裕福な商人の家の子供、もしくは天才の名を冠するに値するほど成績優秀な子――つまりは、ごく一部の選ばれた者にしか開かれていない狭き門だった。 なにしろ今までは奨学生となるのさえ、難しいものだった。 今までは複数の村の中で一人か二人だけが、やっと奨学生として入学を許されている有様だったのだ。 未来ある子供達、若者達に教育のチャンスを平等に与えるためにと、これまでより格段に教育機関の設立に援助が与えられた。学校の数も格段に増やされ、奨学金制度が大きく変化した。 コネやツテよりも、実力優先主義に。 その結果、貴族や有力商人の子供達が全体の9割以上を占める学校が、半数近くからそれ以上の奨学生が集まる学校へと変わったのだ。 枠が大きく広げられたおかげでどんな小さな村からでも、最低一人は入学試験を受ける自由が与えられたのだ。 「どうだ、学校って奴は楽しいか?」 「ええ、まあ。いろいろと大変なこともありますけど、楽しいですよ」 学校が家から遠い生徒のためには、寮なり格安の下宿が用意されるのが通例だ。ジンもその制度を利用して、現在はベンガーナの寮で暮らしている。 「それは良かったな、若いうちに大都市で暮らすのもいい経験になるだろうさ。ベンガーナも悪くはない町だからな」 事も無げにそう言われるのが、ジンにとっては気楽だった。 そのせいか、都会に行く若者に眉を潜める者や、逆に珍しがって都会の珍しい話を聞きたがる村人は多い。 休暇で家に帰る度に、根掘り葉掘りと都会の話を聞かれたり、逆にさっさと村に帰れと説教をされるのに、ジンはいささか閉口している。 (そういや、父さんが前に言ってたっけ) ジャンクは生粋のこの村の人間ではなく、若い頃はベンガーナに住んでいたらしい それは有名な噂だ。 もっとも20年以上もこの村に住み着きすっかりと馴染んでいるため、普段はそれを意識することなどない。 「よい……しょっと!」 二人がかりでも、濡れた土のぎっしりと詰まった手押し車を所定の場所に移動させるのは重労働だった。 「あ、おれも手伝います!」 「いや、いいって。どうせ、この雨じゃ作業はそう長く続かんし、もうじき打ち切られる。よく頑張ったな、おまえさんは手伝いはもういいから先に休んでいていいぜ」 気遣うようなその言葉は正直ありがたかったものの、少しばかり悔しいような気持ちを感じてしまうのは否めない。 「平気ですよ、まだ。おれも最後まで付き合いますよ、もう子供じゃないんだし」 そう言うと、ジャンクは少しばかり意外そうな顔をする。 「あー? えっと、そういやおまえさん、いくつになるんだっけ?」 「18ですよ」 それを聞いた時、ジャンクの表情がわずかに苦笑したように見えた――のは、雨のせいなのだろうか。 「……そうか。早いものだな」 しみじみと呟く声が、やけに情感の籠った言葉に聞こえた――。
「はぁいっ、差し入れよ」 元気にそう言いながら、湯気の立った大きめのコップを持ってきてくれたのは、ラミーだった。 予め用意されたタオルで濡れた髪や身体を拭き終わる頃合を、見事に見計らうタイミングだった。 「ありがとう」 村の女達の心遣いで作られたスープは、冷えきった身体を心地好く暖めてくれた。 「早かったのね、もう作業は終わったの?」 ラミーにそう聞かれ、ジンは苦笑しながら首を横に振った。 「いいや、まだだけど。でも、もうじき終わるから先に戻っていいって、ジャンクおじさんに言われたんだよ」 まだ、他の男達が戻ってこないうちに一人だけ先に戻ってくるのは決まりが悪かったが、全員が一斉に戻るよりも時間を置きながら少しずつ戻った方がいいと説得された。 「そう……、ジャンクおじさんが……」 いつも元気で、はきはきした態度が自慢のラミーの表情が、いささか曇る。 「――あたしも、さっきスティーヌおばさんと会ったわ」 ぽつりと呟かれた言葉に、ジンもまた彼女と同じ表情になる。 二人が思うことは、一つだった。
村から、子供が一人いなくなった。 村にいる子供は全員が幼馴染みだが、それでもやはり年齢が同じ子には特別の親しみを感じるのは当然だろう。 それだけに、ジンとラミーにとっては、ポップの行方不明になった意味は大きかった。 小さな頃からごく当然のように、毎日のように顔を合わせていた幼馴染み。 三人で、いつまでも一緒にいるのだと……彼らは何の疑いも無く、そう信じていたのだ。少なくとも、ジンはそのつもりだった。 ジンにしてみれば、自分の方がほんのちょっとだけ、ポップやラミーよりも先にいる――そう思っていた。 春生まれのジンの方がその半年後の冬生まれのポップやラミーよりも、ほんの数か月とはいえ上には違いない。 いつだって、ジンはポップよりも背も高かったし、体格だって上だった。ついでにいうのなら、女の子の方が成長が早いせいかラミーもかなりの時期まで、ポップよりも背が高かったものである。 見た目によらず負けん気の強いポップが、それを悔しがっていたのを覚えている。 特に腕力がなかったポップに比べれば、腕相撲なんかは圧勝だったりもしたが、その分、口の達者では彼の方が勝っていたように思う。 だけど、明るくって調子が良くって、どうにも憎めない男の子だった。 もっとも、勇者とかになりたいなどと大きなことを言う割には、剣の修行をするのは面倒だし痛そうだから嫌だと平気でいうわがままっぷりに、苦笑させられたものだけど。 むしろ手のかかる弟に対するような、親しみさえ感じていた。
だが、村の一大事には村の男衆が揃って力仕事に当たるのは、慣習だ。成人に達した大人はもちろん、その一歩手前の少年も漏れなく掻き集められる。 それだけに父親と一緒に行くのを許された時は嬉しかったが、それが後悔や不満に変わるのに30分とかからなかった。 ほんの半年違いの差とはいえ、いまだに子供扱いされて留守番しているポップが、羨ましいとさえ思ったものだ。 あの時、すぐにでもポップの所に駆けつけようとかと思ったものだ。 あの時の大騒ぎは、未だに記憶に新しい。 ポップを捜すために、大掛かりな捜索隊を作って山狩りをしようかとか、領主様に頼んで兵士を派遣してもらおうかなどと、ずいぶんと騒がれたものだった。 勝手に家出したからこっちからも勘当した、あんな馬鹿息子は探すにも及ばない。
「……もう、4年も経つのよね。ポップ、今頃はどうしているのかしら?」 ラミーの呟きに、ジンは答える言葉を見つけられなかった。 世の中には、誘拐した子供をいかがわしい商売に売り飛ばすような、悪辣な者もいる。そうでなかったとしても、家出した若者が都会ぐらしで転落していく例なら、脅し半分にいくらでも聞いた。 ポップが無事でいればいい……そう思うからこそ、そんな架空の話を口にすることすら憚られる。
山道の封鎖の翌日。 (うう〜……、死ぬる〜っ) 父親から、数名の村人への伝言を頼まれたのだが、身体が痛くて痛くてたまらない。 「だからっ、月末はいっつも忙しいんだっつってんだろ?! だいたい用事があるんなら、勿体つけてないで、今、さっさと言えばいいじゃねえかよ!」 「なんだと、このクソガキッ! 生意気言ってるんじゃねえっ!」 怒鳴り合う声が、客などすっからかんの武器屋に大きく響き渡る。商売人にあるまじき有様だが、以前はこの武器屋ではよく見掛けた光景だった。 それは、数年前にはよく見掛けた光景――だが、今となってはもう二度と見ることはできないのではないかと、半分以上諦めかけていた光景だった。 「ポップ……ッ?!」 思わず呼びかけた名に、少年……ポップがびっくりしたように振り返った――。
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