『村から消えた少年 1』

  

 数年前の秋。
 村から、一人の少年がいなくなった。
 平穏かつ平凡な田舎の村では、ここ十数年の中でそれが一番の事件といえば事件だった――。

 

 


「おーいっ、駄目だっ、駄目だっ。雨のせいで、どんどん崩れてきている、土嚢をもっと運んできてくれっ!」

「分かった! もっと人手を集めるように、声をかけてくる!」

 発生したばかりの崖崩れを前にして、スコップやらつるはしを手にした男達が大声で隣り合っていた。
 街道を塞ぐ土砂を前にして、大勢集まった男達は慣れた様子で協力し合って作業に当たる。

 土嚢を積んで、崩れた土砂を食い止める者、街道を塞ぐ土をせっせと畚(もっこ)に乗せる者、その土を運んでいく者。
 雨にもかかわらず、彼らは休むこと無く熱心に動く。

 それはここ、ランカークス村では数年に一度は見られる光景だった。
 なにせランカークス村は山間に位置する寒村だ、街道整備も行き届いていないせいか時折落石や土砂崩れが発生する。

 そんな時は、村の男衆が力を合わせて補修作業に当たるのが常だった。
 子供や老人を除く全員の男が集合するこの作業を、拒む村人などいない。
 だが――。

(けど、正直きっついよな〜)

 と、こっそりと心の中で思ってしまうぐらいは、仕方の無いことだろう。
 なんせ、いくら合羽を着ているとはいえ、雨の中での作業だ。身体は濡れるし、湿った土は重いし、重労働この上ない。

 いくら村の男の義務とはいえ、この作業にあたるのが今回で二度目のジンにとっては、慣れないだけにきつかった。
 それも、たまたま村に里帰りした日に限ってこんな事故にでっ食わすとは運が悪いとしか言い様がない。

 だが、村の男の一員としては、これをサボるなんて有り得ない。
 そう思って頑張って荷運びをしていたが、水溜まりに足をとられ、バランスを崩してしまう。

 押している手押し車に逆に振り回され、転びかけたジンだったが――がっしりとした手がジンを支えた。

「おっと、気ィつけな」

 そう言ったのは、ジンよりもわずかに背が低い男だった。もっとも、背丈こそはジンが勝っていても、横にがっちりとした肩幅や旨板の厚みではジンの比では無い。
 見るからに逞しい男は、ジンを見ると厳つい顔を綻ばせる。

「お、村長さんとこのジンじゃないか。大きくなったもんだなー」

「ジャンクおじさん……」

 狭い村なだけに、村人全員が知り合いという環境だ。ましてや、商店だの村の役員を務めている者同志の交流は、家族ぐるみで付き合いがある。
 手を貸そうといって、ジャンクはジンと並んで手押し車を押し始める。

 村で唯一の武器屋の主人であるジャンクは、そのごつい身体に見合った腕力の持ち主でもある。
 それに、この作業には慣れているせいもあり、まだヘッピリ腰が抜けないジンに比べれば安定度は比べ物にならない。

「確か、おまえさんはベンガーナの学校に行ってたんじゃなかったのか?」

 ジャンクの問いに、ジンは頷いた。

「はい。今は収穫期の休暇なので、帰ってきているんですよ」

 二年前から、ジンはベンガーナの学校へ行っている。
 正直、それはジンにとっては思いがけない幸運に恵まれての出来事だった。

 なんせ、学校なんてものは本来は貴族や裕福な商人の家の子供、もしくは天才の名を冠するに値するほど成績優秀な子――つまりは、ごく一部の選ばれた者にしか開かれていない狭き門だった。

 なにしろ今までは奨学生となるのさえ、難しいものだった。
 学校に入学出来る人数が限られている上、貴族優先の傾向が強かったため、本人の成績よりも推薦する者のコネやツテがものを言う有様だった。

 今までは複数の村の中で一人か二人だけが、やっと奨学生として入学を許されている有様だったのだ。
 だが、二年前、勇者が大魔王を倒した後、国々の教育方針は大きく変化した。

 未来ある子供達、若者達に教育のチャンスを平等に与えるためにと、これまでより格段に教育機関の設立に援助が与えられた。学校の数も格段に増やされ、奨学金制度が大きく変化した。
 そして、変化したのはそこだけではない。

 コネやツテよりも、実力優先主義に。
 これまでと違い、いかに実家からの寄付金が大きかろうとも、入学試験の基準にたっさない生徒の入学は認めないとの規律が定められた。

 その結果、貴族や有力商人の子供達が全体の9割以上を占める学校が、半数近くからそれ以上の奨学生が集まる学校へと変わったのだ。
 さらには、農家の子供達に合わせ、農作業の忙しい時期にまとまった休暇を与えるという配慮がされたのも大きかった。

 枠が大きく広げられたおかげでどんな小さな村からでも、最低一人は入学試験を受ける自由が与えられたのだ。
 そうでもなければ、片田舎の秀才程度のジンが学校に行けるなど、天地がひっくり返ってでも有り得なかっただろう。

「どうだ、学校って奴は楽しいか?」

「ええ、まあ。いろいろと大変なこともありますけど、楽しいですよ」

 学校が家から遠い生徒のためには、寮なり格安の下宿が用意されるのが通例だ。ジンもその制度を利用して、現在はベンガーナの寮で暮らしている。
 最初の頃は不慣れでなにかと苦労したが、今ではすっかり慣れてしまった。村にいるのとは全く違う生活は、毎日が刺激があってそれなりに楽しかった。

「それは良かったな、若いうちに大都市で暮らすのもいい経験になるだろうさ。ベンガーナも悪くはない町だからな」

 事も無げにそう言われるのが、ジンにとっては気楽だった。
 村の大人達の中には、大都市ベンガーナに偏見じみた考えを持つ者も少なからずいる。なにせ、こんなに小さな山間の村では、一生を村から出ないで過ごす者も珍しくはないのだ。

 そのせいか、都会に行く若者に眉を潜める者や、逆に珍しがって都会の珍しい話を聞きたがる村人は多い。

 休暇で家に帰る度に、根掘り葉掘りと都会の話を聞かれたり、逆にさっさと村に帰れと説教をされるのに、ジンはいささか閉口している。
 その中では、都会に興味も偏見も持たないジャンクは珍しい部類だろう。

(そういや、父さんが前に言ってたっけ)

 ジャンクは生粋のこの村の人間ではなく、若い頃はベンガーナに住んでいたらしい  それは有名な噂だ。
 都会っぽい雰囲気が微塵もない上、本人がやたらと短気で偏屈なせいで確認した者はいないが、少なくともランカークス生まれでないのは事実だ。

 もっとも20年以上もこの村に住み着きすっかりと馴染んでいるため、普段はそれを意識することなどない。
 特にジンにとっては、ジャンクは生まれた時からずっと村に存在している人だし、友達の父親だった。

「よい……しょっと!」

 二人がかりでも、濡れた土のぎっしりと詰まった手押し車を所定の場所に移動させるのは重労働だった。
 ジンは大汗をかいてしまったが、ジャンクの方は平気な顔をしている。一人で手押し車を反転させると、さっさと戻ろうとした。

「あ、おれも手伝います!」

「いや、いいって。どうせ、この雨じゃ作業はそう長く続かんし、もうじき打ち切られる。よく頑張ったな、おまえさんは手伝いはもういいから先に休んでいていいぜ」

 気遣うようなその言葉は正直ありがたかったものの、少しばかり悔しいような気持ちを感じてしまうのは否めない。
 まだ子供だった初参加の時はそう言われて、一もにもなく喜んで休みに飛びついたが、今となっては男の意地がある。

「平気ですよ、まだ。おれも最後まで付き合いますよ、もう子供じゃないんだし」

 そう言うと、ジャンクは少しばかり意外そうな顔をする。

「あー? えっと、そういやおまえさん、いくつになるんだっけ?」

「18ですよ」

 それを聞いた時、ジャンクの表情がわずかに苦笑したように見えた――のは、雨のせいなのだろうか。

「……そうか。早いものだな」

 しみじみと呟く声が、やけに情感の籠った言葉に聞こえた――。

 

 

 

「はぁいっ、差し入れよ」

 元気にそう言いながら、湯気の立った大きめのコップを持ってきてくれたのは、ラミーだった。
 村で唯一の道具屋の娘であり、ジンにとっては幼馴染みに当たる子でもある。

 予め用意されたタオルで濡れた髪や身体を拭き終わる頃合を、見事に見計らうタイミングだった。

「ありがとう」

 村の女達の心遣いで作られたスープは、冷えきった身体を心地好く暖めてくれた。
 土砂崩れの後片付けが村の男達の義務ならば、男衆が働いている間に暖かい飲み物や、身体を拭くタオルや着替えを用意するのは村の女達の義務だ。
 村のほとんどの女性が村長宅に集まり、忙しげに立ち働いている。

「早かったのね、もう作業は終わったの?」

 ラミーにそう聞かれ、ジンは苦笑しながら首を横に振った。

「いいや、まだだけど。でも、もうじき終わるから先に戻っていいって、ジャンクおじさんに言われたんだよ」

 まだ、他の男達が戻ってこないうちに一人だけ先に戻ってくるのは決まりが悪かったが、全員が一斉に戻るよりも時間を置きながら少しずつ戻った方がいいと説得された。

「そう……、ジャンクおじさんが……」

 いつも元気で、はきはきした態度が自慢のラミーの表情が、いささか曇る。

「――あたしも、さっきスティーヌおばさんと会ったわ」

 ぽつりと呟かれた言葉に、ジンもまた彼女と同じ表情になる。
 ジャンクとスティーヌは夫婦だが、ジンやラミーにとっては『友達のお父さんとお母さん』という認識が強い。

 二人が思うことは、一つだった。
 ちょうど、数年前に起きた土砂崩れの日に起きた、忘れられない事件の記憶だった。
 奇しくも、季節も同じ。
 あの日も、こんな風に雨の降る日だった――。

 

 

 村から、子供が一人いなくなった。
 それは、山間の小さな村では大事件だった。
 なにせ山間にある小さな田舎の村だ、子供の数はそうそう多くはない。

 村にいる子供は全員が幼馴染みだが、それでもやはり年齢が同じ子には特別の親しみを感じるのは当然だろう。
 ジンと、ラミーと、ポップ。
 ほとんど同じ年に生まれた三人は、特に仲が良かった。

 それだけに、ジンとラミーにとっては、ポップの行方不明になった意味は大きかった。 小さな頃からごく当然のように、毎日のように顔を合わせていた幼馴染み。
 その関係は、成長しても変わらないと思っていた。

 三人で、いつまでも一緒にいるのだと……彼らは何の疑いも無く、そう信じていたのだ。少なくとも、ジンはそのつもりだった。
 三人で肩を並べて、と言うつもりは無い。

 ジンにしてみれば、自分の方がほんのちょっとだけ、ポップやラミーよりも先にいる――そう思っていた。
 それは意地の悪い気持ちでもなんでもなく、ある意味では事実だった。

 春生まれのジンの方がその半年後の冬生まれのポップやラミーよりも、ほんの数か月とはいえ上には違いない。
 成長してしまえば半年ぐらいの年の差などは何の意味もないが、幼い頃はその差は大きかった。

 いつだって、ジンはポップよりも背も高かったし、体格だって上だった。ついでにいうのなら、女の子の方が成長が早いせいかラミーもかなりの時期まで、ポップよりも背が高かったものである。

 見た目によらず負けん気の強いポップが、それを悔しがっていたのを覚えている。
 足の早さでも、木登りの巧さでも、男の子が競うような遊びでは、いつだってジンはポップよりも上回っていた。

 特に腕力がなかったポップに比べれば、腕相撲なんかは圧勝だったりもしたが、その分、口の達者では彼の方が勝っていたように思う。
 こんな村なんか退屈でつまんない、親の仕事を継ぐのなんか嫌だし、どこか遠くに行ってみたいだなんて、口癖のように言っていた幼馴染み。

 だけど、明るくって調子が良くって、どうにも憎めない男の子だった。
 冒険やら勇者に憧れているポップの夢語りを、ジンやラミーはいつだって楽しく聞いたものだ。

 もっとも、勇者とかになりたいなどと大きなことを言う割には、剣の修行をするのは面倒だし痛そうだから嫌だと平気でいうわがままっぷりに、苦笑させられたものだけど。
 だが、そのわがままささえ、憎めなかった。

 むしろ手のかかる弟に対するような、親しみさえ感じていた。
 だからこそ、ジンも、そしておそらくはラミーも、ポップがいなくなる日がくるだなんて、考えたこともなかった――。

 

 


 それは、今でも悔いが残る記憶だった。
 数年前、やっぱり今日と同じように村の主要な街道であるこの道が土砂崩れで塞がれた。 当時、14才だったジンは、父親に連れられて復旧作業の手伝いをやらされた。当時は、嫌な仕事に取っ捕まったとしか思えなかった。

 だが、村の一大事には村の男衆が揃って力仕事に当たるのは、慣習だ。成人に達した大人はもちろん、その一歩手前の少年も漏れなく掻き集められる。
 言わば、この作業は大人へと認められる第一歩のようなものだ。

 それだけに父親と一緒に行くのを許された時は嬉しかったが、それが後悔や不満に変わるのに30分とかからなかった。
 雨の中、土砂運びをやらされた時のは正直、きつくてしんどくて、とんでもない貧乏くじを引いたとしか思えなかった。

 ほんの半年違いの差とはいえ、いまだに子供扱いされて留守番しているポップが、羨ましいとさえ思ったものだ。
 だが、後で、村に珍しくやってきた旅人達が実は悪い連中で、武器屋を襲おうとしたと聞かされた時は目玉が飛び出るかと思った。

 あの時、すぐにでもポップの所に駆けつけようとかと思ったものだ。
 だが、もう夜遅いんだし、明日にしなさないと親に言われてしぶしぶ眠った翌日……ポップは、いなくなっていた。

 あの時の大騒ぎは、未だに記憶に新しい。
 ポップがいなくなったのは、旅人に誘拐されたからじゃないかとか、村の大人達が寄ると触ると噂していたのを覚えている。

 ポップを捜すために、大掛かりな捜索隊を作って山狩りをしようかとか、領主様に頼んで兵士を派遣してもらおうかなどと、ずいぶんと騒がれたものだった。
 だが、結局のところ、ポップの捜索は行われなかった。

 勝手に家出したからこっちからも勘当した、あんな馬鹿息子は探すにも及ばない。
 もし戻ってきても二度と家に入れないと、ポップの父であるジャンクが言い張ったためにそれっきりになってしまった。

 

 

 

「……もう、4年も経つのよね。ポップ、今頃はどうしているのかしら?」

 ラミーの呟きに、ジンは答える言葉を見つけられなかった。
 生きているのか、死んでいるのか――それさえ分からない。おまけに、なまじ都会で暮らす機会に恵まれたジンは、素朴な村娘であるラミーよりも、村の外の恐ろしさを知っている。

 世の中には、誘拐した子供をいかがわしい商売に売り飛ばすような、悪辣な者もいる。そうでなかったとしても、家出した若者が都会ぐらしで転落していく例なら、脅し半分にいくらでも聞いた。

 ポップが無事でいればいい……そう思うからこそ、そんな架空の話を口にすることすら憚られる。
 ジンは無言のまま、雨の降り続く空を見上げるばかりだった――。

 

 


(い、ちちち、ちっ……!)

 山道の封鎖の翌日。
 文字通りの生き地獄を味わいつつ、ジンはへっぴり腰で武器屋へと向かっていた。慣れない力仕事の翌日の筋肉痛は、はっきりいって半端なものではない。
 出会う村人達が平気な顔で歩いているのが、信じられないぐらいだ。

(うう〜……、死ぬる〜っ)

 父親から、数名の村人への伝言を頼まれたのだが、身体が痛くて痛くてたまらない。
 さっさと用を済ませて、家に帰って休もうと考えたジンだが――最後に武器屋に入った途端、目を見張った。

「だからっ、月末はいっつも忙しいんだっつってんだろ?! だいたい用事があるんなら、勿体つけてないで、今、さっさと言えばいいじゃねえかよ!」

「なんだと、このクソガキッ! 生意気言ってるんじゃねえっ!」

 怒鳴り合う声が、客などすっからかんの武器屋に大きく響き渡る。商売人にあるまじき有様だが、以前はこの武器屋ではよく見掛けた光景だった。
 ごく当たり前の様に、父親であるジャンクと口ゲンカしつつカウンターに座っている少年。

 それは、数年前にはよく見掛けた光景――だが、今となってはもう二度と見ることはできないのではないかと、半分以上諦めかけていた光景だった。

「ポップ……ッ?!」

 思わず呼びかけた名に、少年……ポップがびっくりしたように振り返った――。


                                      《続く》
 

2に続く
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