『村から消えた少年 2』 |
「え……っ?! えっと――、え、まさか……ジン?! ジンなのか?!」 心底驚いた表情で何度となく瞬きを繰り返しながら、少年はカウンターから飛び下りてきた。 昔もよく、ポップはあんな風にカウンターに座っていて、知り合いが来てから飛び下りるのが癖だった。 「ああ、そうだよ、おれだよ! それにしても、すっげー久しぶりだよなぁ、ポップ! 4年ぶり、だろ?」 興奮したまま、行方不明だった幼馴染みを迎え入れようとしたジンだったが、ポップは彼の手前でぴたりと足を止める。 「……にしても、ジン、おまえってずいぶん背が伸びたよなー。おれ、すぐには分かんなかったよ、すっかり変わってんだもんなー」 多少やっかみの混じったようなその口調に、ジンは思わず苦笑する。
嬉しさと懐かしさが同時に込み上げてきて、どうしても抑えきれない。 あるいは、個人差と言うべきか。 昔より広がってしまった差が、なんだかおかしかった。 だが、それにも関わらず、昔通りのままでいるポップの姿が、なんとも言えずに嬉しかった。 「そうか? おれはすぐに分かったぜ。だって、おまえってスティーヌおばさんにそっくりのままだしよ」 からかうとポップはムッとした表情はするものの、それは長続きしなかった。やはり数年振りに再会した幼馴染みに対する懐かしさが勝るのか、すぐに笑顔に戻る。 「それにしても、ポップ、おまえ、いつ帰ってきたんだよ?」 ジンにとって……いや、村の者にとっても、ポップの行方はこの数年で村の最大の心配事であり、言わば迷宮入りしてしまった重大事件だった。 「んー、実はちょっと用事があるついでに、少しだけ里帰りにきただけなんだよ、おれ」
――もっとも、その気楽さがポップらしいと思ってしまう。 「急がないといけないから、あんま長居できねえんだよ。そろそろ、帰んなきゃなんないし」 と、ポップは時間を気にするように、ちらりと窓の外に目をやる。 (帰るって――ここがおまえの家なのにか?) そう思わず言いたい気分が込み上げたが、ジンもその感覚が分からないでもない。ベンガーナの学校の寮で暮らし始めてからと言うもの、自分でも無意識に「寮に帰る」という言い回しを使ってしまう。 故郷の村で暮らした時間よりもずっと短いはずだった。最初は不慣れで、ちょっとホームシックにも掛かっていたはずだった。だがいつの間にか、あの狭くて散らかっている学校の寮こそが、今の自分の部屋として認識するようになっていた。 それは、多分、ポップも同じなのだろう。 「帰るって、どうやって……いや、それ以前に、おまえ、どうやってこの村に帰ってきたんだよ?」 「え?」 何を聞かれているのか分からないとばかりに、ポップはきょとんと首を傾げる。だが、ジンにしてみれば、ポップのその反応も、そもそもポップがここにいること自体が、解せない。 「だって、村の街道は昨日から塞がってるんだ……! おまえ、いったいどこから帰ってきたんだよ?」 本心からの疑問が、ジンの脳裏を占める。 険しい上にあまり使われていない山道がないでもないが、昨日のように村中大騒ぎしている最中ならば、村に来る旅人を見逃すはずがない。 「そ、その話は、またな。じゃあ、そのうち、また来るから!」 「あ、待てよ、ポップ!」 いきなり店を飛び出していったポップを、ジンは追った。だが、店の前で、またもぽかんとしてしまうことになる。 「え? あれっ?!」 たった今、出て行った――そのはずだった。だが、それにも関わらずポップの姿は忽然と消えていた。 どこかに隠れているのかと探してみたが、それらしい気配もない。確かにポップの逃げ足の早さは村でも評判だったとは言え、それでもこの早さはちょっと考えられない。 「よお、すまねえな、うちの馬鹿息子のことで驚かしちまって。詫びに、今、うちの奴に茶でも入れさせらぁ」 「あ、い、いえ、それはいいんですけど、でも、おじさん、ポップを探さなくていいんですか?! せっかく帰ってきたのに……っ」 なんと言ってもポップがいなくなったのはたった今だ、探せばすぐに見つかるだろうし、連れ戻せるだろう。 「あ、おれ、父さんに知らせてきましょうか。村の人全員で探せば――」 「いや、待て、待て。んなことは、しなくっていいって!」 慌てた口調でジンを止めると、ジャンクはいかにも決まり悪げに話しだした。 「あー、そのな……内緒にしてたのはちと悪かったかもしれんが、あのクソガキは二年前にとっくに見つかってたんだよ。家出してから一年以上も手紙もよこさなかったくせに、ある日、ひょっこりと帰ってきやがってな」 「ええっ?!」 ジャンクの言葉に、ジンは思いっきり目を剥いた。 ジャンクの言葉よりも、スティーヌのその遠慮がちな謝罪の方がかえってリアルに、この二人がポップの消息を知ってて隠していたのだと証明しているように見えた。 「ど、どうしてそれを早く教えてくれなかったんですかっ?!」 と、思わずジンはジャンクに噛みついてしまう。 厳つい顔も相俟って、ジャンクを少しばかり恐れる気持ちはこの村の少年なら多かれ少なかれ持っているものだ。 「ま、ちょいと事情があってな。勘弁してくれや。あのクソガキもいろいろとあってよ、家には帰る気はねえみたいだし、来ても今みたいにすぐにいなくなっちまうしで、どうも説明するタイミングがなくってな」 ポリポリと頭を掻きながら、ジャンクは珍しく言い訳じみた台詞を言う。 「あいつもそろそろ落ち着いたようだし、これからは時々は村に戻ることもあるだろうさ。そういうことで、納得してくれや」
あまりの衝撃の大きさに、筋肉痛すら忘れてジンはとぼとぼと家路を辿る。 だが、そんな疑問点や不自然さを上回って感じるのは、幼馴染みの生存が保証された喜びだった。 とりあえずポップが無事で、またいつか戻ってくるというのなら、詳しい事情や疑問はその時に聞けばいいと、ジンは考え直した。 (そうだ、ラミーにも教えておいてあげよう) あの幼馴染みの少女も、今の話を聞いたらさぞや驚くだろう。……驚く余り、なぜ早く教えなかったのかと、自分にまで八つ当たりがきそうな気もするが、まあ、それでもいい。 ラミーもまた、ポップの無事を心から祈り、帰郷を待ち望んでいた一人なのだから。 普段はベンガーナの学校に行っているジンよりも、常にこの村にいるラミーの方が、ポップへの遭遇率が高そうだ。
それは、降誕祭も間近に迫った学期末のこと。 「うむ、考えてみる気はないかね? これは実に名誉な話だと思うが」 それは、ジンも否定をする気はしなかった。 だが、人気のある就職先なだけに競争率も高いし、実際に文官になれるのはほんの一握りにすぎない。憧れる気持ちがないとは言わないが、身近な夢とは言いがたいものだ。 「うむ、幸いにも成績もなんとか合格ラインに達しているし、なんと言ってもランカークス村出身だというしな。もし、その気があるのなら特別に便宜を図る様に、上に申請しておいてやろう」 「それとも、ベンガーナ城への文官就職を前提に、特別奨学金を組んで上の学校に進むのも悪くはないと思うが」 「いやいや、さすがにその特例はどうかと……」 などと、本人そっちのけで進められる進路相談に、ジンは当惑せざるをえない。 (こ、こんな話、聞いてないのに〜) ジンの知っている限り、生徒の進路を決める進路相談は、担任教師との一対一の面談が普通のはずだ。 しかし、教頭やらベンガーナ王城から派遣された人まで来て、一介の生徒の進路に口を出すなんて聞いたこともない。
「あー、おれも、おれも! 今年は特に文官の就職希望者が多いんだってよ。世の中も落ち着いてきたし、兵士希望よりも文官希望の方が多くなってきたらしいぜ」 教室に戻るとクラスメート達が、わいわいと騒ぎながら進路相談の結果を愚痴っぽく話ていた。 元々、ジンは明確な目標を持って学校に入ったわけではない。 さらに費用がかかる上に、優秀な成績でなければ入れない上の学校への進学など、考えたこともない。 両親にこれ以上負担をかけるのも心苦しいものがあるし、だいたい両親の方はジンが学校を終えたら村に戻るのを希望している。 だが、こんな風にはっきりとしたチャンスを指し示されると、ぐらついてしまう。 (でも、なんでおれなんだろ?) 自分でも自覚しているが、ジンはさして成績のよい方ではない。決して悪いわけでもないが、せいぜいがところ中の上といったところか。 選ばれても不思議はないと思える程、自惚れてはいない。 (ポップだったなら、納得できたのにな……) 学校の成績では真面目なジンの方が上だったとは言え、ポップは飛び抜けた利口さを持った少年だった。 理屈を並べ立てる達者さでは大人も舌を巻く程だったし、一度覚えたことは決して忘れない記憶力の良さもあった。 ただ、むらっ気が強くてやらなきゃならない宿題は嫌がるわ、嫌いな授業は徹底してサボるわと、ろくでもないことばかりしていた印象が強いせいで、優等生とは程遠かったのだが。 そのせいで村にいた頃はすごいとは思わなかったが、学校に来てからはポップのその資質が並外れたものだと分かるようになった。 そんなとりとめのない思考にふけっていたジンは、友人達の話題がいつの間にか移っているのにも気がつかず、相槌に乗り遅れた。 「――って、おまえも思わないか?」 「え、あ、悪ぃ、なんだって?」 「なんだよ、聞いてなかったのかよー。最近、ベンガーナ王国周辺の山沿いに、怪物が集団でうろついてるらしいって、アレだよ、アレ!」 「ああ、アレか。えっと、徘徊するゴーレムとかに注意って奴だっけ」 言われてから、ジンはやっと思い当たった。 だが、それでも稀に、怪物が人間に被害をもたらす事件は起こる。 「そうそう! やっぱり怪物ってのは信用なんねえよな、兵士を派遣して捜索しても埒があかねえみたいだし、この際大軍を出して一斉に退治しちまった方がいいんじゃねえの?」
「いやいや、あんなのただの理想論だろー」 「えー、でもあれって、確か勇者一行の大魔道士様の論文なんだぜ?!」 と、さらにズレた方向へと進んでいく話題に巻き込まれたジンは、いつの間にか自分の進路への不安やその他諸々の疑問や悩みも忘れていた――。 |