『村から消えた少年 2』

  
 

「え……っ?! えっと――、え、まさか……ジン?! ジンなのか?!」

 心底驚いた表情で何度となく瞬きを繰り返しながら、少年はカウンターから飛び下りてきた。
 その様子を見て、間違いなくポップだとジンは改めて確認した。

 昔もよく、ポップはあんな風にカウンターに座っていて、知り合いが来てから飛び下りるのが癖だった。
 客に失礼だからやめろと、ジャンクに何度怒られても懲りなかった癖は、いまだに変わっていないらしい。

「ああ、そうだよ、おれだよ! それにしても、すっげー久しぶりだよなぁ、ポップ! 4年ぶり、だろ?」

 興奮したまま、行方不明だった幼馴染みを迎え入れようとしたジンだったが、ポップは彼の手前でぴたりと足を止める。
 そして、ポップはまじまじとジンを見上げてきた。

「……にしても、ジン、おまえってずいぶん背が伸びたよなー。おれ、すぐには分かんなかったよ、すっかり変わってんだもんなー」

 多少やっかみの混じったようなその口調に、ジンは思わず苦笑する。
 子供の頃、ジンの背の伸びにむくれた時のポップの面影が、そのまま蘇ってきたからだ。


(変わってないな、ポップは……)

 嬉しさと懐かしさが同時に込み上げてきて、どうしても抑えきれない。
 ポップがいなくなった頃、13才と14才の差は大きかったと思ったが、17才と18才の差も結構あるらしい。

 あるいは、個人差と言うべきか。
 あの頃、わずかに見下ろす位置にあったポップの顔は、今はそれよりもやや深い角度で見下ろす位置にある。

 昔より広がってしまった差が、なんだかおかしかった。
 背の伸びが目立たないせいか、ポップの印象はびっくりするほど変わっていない。
 よくよく見れば前よりもずいぶんと大人びているし、声変わりだってしている。

 だが、それにも関わらず、昔通りのままでいるポップの姿が、なんとも言えずに嬉しかった。
 着ている服だって何だか妙に立派な感じがするが、昔からのトレードマークだった黄色のバンダナをしめたままなのが、無性に懐かしい。

「そうか? おれはすぐに分かったぜ。だって、おまえってスティーヌおばさんにそっくりのままだしよ」

 からかうとポップはムッとした表情はするものの、それは長続きしなかった。やはり数年振りに再会した幼馴染みに対する懐かしさが勝るのか、すぐに笑顔に戻る。

「それにしても、ポップ、おまえ、いつ帰ってきたんだよ?」

 ジンにとって……いや、村の者にとっても、ポップの行方はこの数年で村の最大の心配事であり、言わば迷宮入りしてしまった重大事件だった。
 それだけに答えが気になったが、ポップの答えはあっけらかんとしたものだった。

「んー、実はちょっと用事があるついでに、少しだけ里帰りにきただけなんだよ、おれ」


 気楽すぎるぐらい気楽な答えに、ジンは正直、肩透かしでもされた気分だった。
 とても数年前、家出とも事件に巻き込まれたとも分からない形で、行方不明になった人間と思えない発言だ。

 ――もっとも、その気楽さがポップらしいと思ってしまう。
 ポップは時々、他人からみたら信じられないぐらい大胆なことを、平気でしでかすような少年だったのだから。

「急がないといけないから、あんま長居できねえんだよ。そろそろ、帰んなきゃなんないし」

 と、ポップは時間を気にするように、ちらりと窓の外に目をやる。

(帰るって――ここがおまえの家なのにか?)

 そう思わず言いたい気分が込み上げたが、ジンもその感覚が分からないでもない。ベンガーナの学校の寮で暮らし始めてからと言うもの、自分でも無意識に「寮に帰る」という言い回しを使ってしまう。

 故郷の村で暮らした時間よりもずっと短いはずだった。最初は不慣れで、ちょっとホームシックにも掛かっていたはずだった。だがいつの間にか、あの狭くて散らかっている学校の寮こそが、今の自分の部屋として認識するようになっていた。

 それは、多分、ポップも同じなのだろう。
 村を出て、違う場所に住み着いた者だけが知ることが出来る感覚だ。
 それだけにジンもそれを責める気はなかったが、別の疑問が浮かんできた。

「帰るって、どうやって……いや、それ以前に、おまえ、どうやってこの村に帰ってきたんだよ?」

「え?」

 何を聞かれているのか分からないとばかりに、ポップはきょとんと首を傾げる。だが、ジンにしてみれば、ポップのその反応も、そもそもポップがここにいること自体が、解せない。

「だって、村の街道は昨日から塞がってるんだ……! おまえ、いったいどこから帰ってきたんだよ?」

 本心からの疑問が、ジンの脳裏を占める。
 ランカークスは辺鄙な場所にあるだけに、ベンガーナに通じる主要街道が塞がれてしまうとそうそう気軽に移動は出来ない。

 険しい上にあまり使われていない山道がないでもないが、昨日のように村中大騒ぎしている最中ならば、村に来る旅人を見逃すはずがない。
 いったい、ポップがいつ、どこから帰ってきたのか――。
 しかし、それを問い詰める前に、ポップはあたふたとやたらと慌てだした。

「そ、その話は、またな。じゃあ、そのうち、また来るから!」

「あ、待てよ、ポップ!」

 いきなり店を飛び出していったポップを、ジンは追った。だが、店の前で、またもぽかんとしてしまうことになる。

「え? あれっ?!」

 たった今、出て行った――そのはずだった。だが、それにも関わらずポップの姿は忽然と消えていた。

 どこかに隠れているのかと探してみたが、それらしい気配もない。確かにポップの逃げ足の早さは村でも評判だったとは言え、それでもこの早さはちょっと考えられない。
 狐に摘まれたように呆然としているジンの肩を、ポンと叩いたのはジャンクだった。

「よお、すまねえな、うちの馬鹿息子のことで驚かしちまって。詫びに、今、うちの奴に茶でも入れさせらぁ」

「あ、い、いえ、それはいいんですけど、でも、おじさん、ポップを探さなくていいんですか?! せっかく帰ってきたのに……っ」

 なんと言ってもポップがいなくなったのはたった今だ、探せばすぐに見つかるだろうし、連れ戻せるだろう。
 ジンとしてはそう思ったのだが、ジャンクとスティーヌは気まずそうな顔をして顔を見合わせるばかりで、探そうとする気配すら見せない。

「あ、おれ、父さんに知らせてきましょうか。村の人全員で探せば――」

「いや、待て、待て。んなことは、しなくっていいって!」

 慌てた口調でジンを止めると、ジャンクはいかにも決まり悪げに話しだした。

「あー、そのな……内緒にしてたのはちと悪かったかもしれんが、あのクソガキは二年前にとっくに見つかってたんだよ。家出してから一年以上も手紙もよこさなかったくせに、ある日、ひょっこりと帰ってきやがってな」

「ええっ?!」

 ジャンクの言葉に、ジンは思いっきり目を剥いた。
 そんな話など、初耳だ。
 慌ててスティーヌの様子を伺ったが、彼女は驚いた様子は見せずにすまなそうな表情で軽く頭を下げる。

 ジャンクの言葉よりも、スティーヌのその遠慮がちな謝罪の方がかえってリアルに、この二人がポップの消息を知ってて隠していたのだと証明しているように見えた。

「ど、どうしてそれを早く教えてくれなかったんですかっ?!」

 と、思わずジンはジャンクに噛みついてしまう。
 それは、ジンにとってはほとんど初めての暴挙だった。
 実の息子に対してほど厳しくはないとはいえ、ジャンクは余所の子供に対してもきっちりと叱りつける恐い大人でもある。

 厳つい顔も相俟って、ジャンクを少しばかり恐れる気持ちはこの村の少年なら多かれ少なかれ持っているものだ。
 だが、そんな昔からの苦手意識や、大人への遠慮も忘れてしまうぐらい、今のジャンクの言葉は衝撃的だった。

「ま、ちょいと事情があってな。勘弁してくれや。あのクソガキもいろいろとあってよ、家には帰る気はねえみたいだし、来ても今みたいにすぐにいなくなっちまうしで、どうも説明するタイミングがなくってな」

 ポリポリと頭を掻きながら、ジャンクは珍しく言い訳じみた台詞を言う。

「あいつもそろそろ落ち着いたようだし、これからは時々は村に戻ることもあるだろうさ。そういうことで、納得してくれや」

 

 


(……って、とても納得できないんだけどなー)

 あまりの衝撃の大きさに、筋肉痛すら忘れてジンはとぼとぼと家路を辿る。
 正直、ジャンクの説明に全面的に納得できたわけではなかった。
 ……というか納得どころか、煙に巻かれたようにもやもやした気持ちや、不満が燻っている。

 だが、そんな疑問点や不自然さを上回って感じるのは、幼馴染みの生存が保証された喜びだった。
 しかも、ポップは少しも変わっていなかった。ジンが密かに心配していたような、家出人や誘拐された子が巻き込まれる様な事件にも関わらなかったらしい。

 とりあえずポップが無事で、またいつか戻ってくるというのなら、詳しい事情や疑問はその時に聞けばいいと、ジンは考え直した。

(そうだ、ラミーにも教えておいてあげよう)

 あの幼馴染みの少女も、今の話を聞いたらさぞや驚くだろう。……驚く余り、なぜ早く教えなかったのかと、自分にまで八つ当たりがきそうな気もするが、まあ、それでもいい。 ラミーもまた、ポップの無事を心から祈り、帰郷を待ち望んでいた一人なのだから。

 普段はベンガーナの学校に行っているジンよりも、常にこの村にいるラミーの方が、ポップへの遭遇率が高そうだ。
 それを思えば、ぜひ、この件は伝えておきたい。
 そう思って、彼は道具屋に向かって歩を進めた――。

 

 


「おれが文官候補……ですか?」

 それは、降誕祭も間近に迫った学期末のこと。
 ベンガーナの学校の進路指導室で、当惑した様にジンが呟くのを受けて、教頭先生が熱心に頷いた。

「うむ、考えてみる気はないかね? これは実に名誉な話だと思うが」

 それは、ジンも否定をする気はしなかった。
 学校に入学した生徒の進路は様々だが、役人系の仕事が人気が高い。中でも国務に関わることのできる文官は、最大の出世ルートだ。

 だが、人気のある就職先なだけに競争率も高いし、実際に文官になれるのはほんの一握りにすぎない。憧れる気持ちがないとは言わないが、身近な夢とは言いがたいものだ。
 正直な話、ジンからしてみれば考えたこともない将来だ。
 にも拘らず、進路指導室に集まった大人達は口々に輝かしい進路を指し示す。

「うむ、幸いにも成績もなんとか合格ラインに達しているし、なんと言ってもランカークス村出身だというしな。もし、その気があるのなら特別に便宜を図る様に、上に申請しておいてやろう」

「それとも、ベンガーナ城への文官就職を前提に、特別奨学金を組んで上の学校に進むのも悪くはないと思うが」

「いやいや、さすがにその特例はどうかと……」

 などと、本人そっちのけで進められる進路相談に、ジンは当惑せざるをえない。
 だいたいのところ進路相談の場に、担任だけでなく進路指導の教師がいるのは、まだいい。だが、重要な式典の壇上以外ではろくに顔を見たこともなかった教頭先生だの、ベンガーナ城から派遣されたと言う役人やら兵士やらがいるのか、さっぱり分からない。

(こ、こんな話、聞いてないのに〜)

 ジンの知っている限り、生徒の進路を決める進路相談は、担任教師との一対一の面談が普通のはずだ。
 その進路希望が生徒の成績では難しいような場合や、特殊な指示が必要な場合には進路指導専門の教師も補佐するとも聞いた。

 しかし、教頭やらベンガーナ王城から派遣された人まで来て、一介の生徒の進路に口を出すなんて聞いたこともない。
 ましてや、ジンは城勤めの文官になど、なりたいと思ったことすらなかったのに。
 呆然とするばかりのジンを見兼ねたのか、担当教師がやんわりと話を切りあげてくれた。


「まあ、おまえにその気があるのなら、そういう選択もあると言う話だ。悪い話ではないし、一つ、真剣に考えてみたらどうだ。冬休みには故郷に帰るのだろう? ご両親ともよく相談をしてくるといい」

 

 


「よっ、ジン、おまえ、どーだった? おれはさー、もうさんっざんだったよー。こんな成績じゃ逆立ちしたって、下っ端文官にもなれないって言われちまったー」

「あー、おれも、おれも! 今年は特に文官の就職希望者が多いんだってよ。世の中も落ち着いてきたし、兵士希望よりも文官希望の方が多くなってきたらしいぜ」

 教室に戻るとクラスメート達が、わいわいと騒ぎながら進路相談の結果を愚痴っぽく話ていた。
 その輪の中に混じりながらも、ジンは半ば上の空でさっきの勧誘について考えてしまう。
 現在の文官の競争率を思えば、さっきの申し出は破格の条件だ。自分の身に余る様な幸運と言えるだろう。
 ジンにしてみれば、学校に入れたこと自体が夢の様な幸運だった。

 元々、ジンは明確な目標を持って学校に入ったわけではない。
 たまたま、故郷の村で一番成績がいいからと言う理由で奨学生へと推薦され、運良く試験に合格したからという理由でベンガーナの学校に入ったのだ。

 さらに費用がかかる上に、優秀な成績でなければ入れない上の学校への進学など、考えたこともない。
 いくら奨学金をもらったとはいえ、それだけで全生活をやりくりするのは厳しいので、村の両親から少ないとは言えない金額の仕送りも受けている。

 両親にこれ以上負担をかけるのも心苦しいものがあるし、だいたい両親の方はジンが学校を終えたら村に戻るのを希望している。
 ジンもそれが当たり前と思っていたし、そのつもりでいた。……というよりそれ以外の進路など、まず有り得ないと思っていた。

 だが、こんな風にはっきりとしたチャンスを指し示されると、ぐらついてしまう。
 小さな村の村長になるよりも、面白い未来かもしれないと思うと、心が揺らぐのも確かだった。
 しかし――手放しに喜ぶには、ジンはあまりに小心者の上に常識家だった。

(でも、なんでおれなんだろ?)

 自分でも自覚しているが、ジンはさして成績のよい方ではない。決して悪いわけでもないが、せいぜいがところ中の上といったところか。
 とてもトップグループに入れるほどの成績ではないし、成績以上の何かを感じさせるような飛び抜けた才気があるわけでもない。

 選ばれても不思議はないと思える程、自惚れてはいない。
 そもそもジンには、入学する前から抱いているコンプレックスじみた感情があった。
 ――本来ならここにいるのに相応しいのは、自分ではなくて別の少年だったと思えてならない。

(ポップだったなら、納得できたのにな……)

 学校の成績では真面目なジンの方が上だったとは言え、ポップは飛び抜けた利口さを持った少年だった。
 勉強嫌いでサボってばかりいたくせに、難しい本もすらすら読めたし、複雑な計算だって誰よりも得意だった。

 理屈を並べ立てる達者さでは大人も舌を巻く程だったし、一度覚えたことは決して忘れない記憶力の良さもあった。
 村で子供達に勉強を教えてくれていた神父が、ポップならその気になれば学校に行けるはずなのにと何度も残念そうに話していたのを覚えている。

 ただ、むらっ気が強くてやらなきゃならない宿題は嫌がるわ、嫌いな授業は徹底してサボるわと、ろくでもないことばかりしていた印象が強いせいで、優等生とは程遠かったのだが。

 そのせいで村にいた頃はすごいとは思わなかったが、学校に来てからはポップのその資質が並外れたものだと分かるようになった。
 もし、ポップが家出などせずあのまま村に残っていたのなら……今、ここにいたのはジンではなく、ポップだっただろう。

 そんなとりとめのない思考にふけっていたジンは、友人達の話題がいつの間にか移っているのにも気がつかず、相槌に乗り遅れた。

「――って、おまえも思わないか?」

「え、あ、悪ぃ、なんだって?」

「なんだよ、聞いてなかったのかよー。最近、ベンガーナ王国周辺の山沿いに、怪物が集団でうろついてるらしいって、アレだよ、アレ!」

「ああ、アレか。えっと、徘徊するゴーレムとかに注意って奴だっけ」

 言われてから、ジンはやっと思い当たった。
 勇者が大魔王を打ち倒してからというものの、怪物達は急速に沈静化している。無闇に人間を襲うこともなくなり、人里から離れた所へと戻るようになった。

 だが、それでも稀に、怪物が人間に被害をもたらす事件は起こる。
 怪物は元々は邪悪な存在ではなく、人間との共存も十分に可能だと言う学説もあるが、それでも一般の人間にとって怪物は充分に恐ろしい存在だ。

「そうそう! やっぱり怪物ってのは信用なんねえよな、兵士を派遣して捜索しても埒があかねえみたいだし、この際大軍を出して一斉に退治しちまった方がいいんじゃねえの?」


「いや、それは極論ってものだろ。おまえ、こないだ出たばかりの『人間と怪物の共存』って論文、読んでねえの? 怪物ってだけで退治するなんて、暴言ってものだろ」

「いやいや、あんなのただの理想論だろー」

「えー、でもあれって、確か勇者一行の大魔道士様の論文なんだぜ?!」

 と、さらにズレた方向へと進んでいく話題に巻き込まれたジンは、いつの間にか自分の進路への不安やその他諸々の疑問や悩みも忘れていた――。
                                  《続く》
 

3に続く
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