『村から消えた少年 5』 |
「……ポップが……」 無意識に呟いた名前に、まるで現実感が沸かなかった。 村にいた時は漠然とした噂のみだったが、ベンガーナの学校に行ってから、ずいぶんと詳しく知った。 現在はパプニカ王国の宮廷魔道士として、世界平和のために貢献しているという、まさに伝説級の魔法使い。 一般人とはまるでかけ離れた、それこそ星のように遠くにいる存在だと思っていた。 学校の友達と夢中になって噂していたあの偉大な大魔道士と、今、目の前で気まずそうに頭を掻いているポップがどうしても一致してくれない。 (――そう言えば……ポップ、小さい頃は勇者になりたがってたよなぁ) 『勇者』と呼ばれる存在に、なること。 男の子なら、誰だって一度はそんな勇者に憧れる。ジンやポップだって、その例外じゃなかった。まだ、ほんの小さな頃は木でできた剣を振り回しながら、勇者ごっこをして遊んだものだ。 憧れや夢はともかくとして、誰もが勇者になれるわけじゃない。少し成長してしまうと、小さな頃の自分の無謀な夢に苦笑しつつ、思い出としてしまい込んでしまうのが普通だろう。 (ポップのこのバンダナって、あの頃のやつじゃなかったのかな) ポップのトレードマークである黄色のバンダナを巻く様になったのは、まだ勇者ごっこに夢中だった頃のことだ。 生きている友達で持ち主にしか聞こえない声でしゃべるぬいぐるみとか、一見ビー玉に見えるけど、本当はドラゴンの目玉が結晶化した物だとか、魔法がかけられていて百発百中のパチンコだとか。 実際にはそれは、ただのぬいぐるみだし、ビー玉はビー玉に過ぎないし、パチンコだってただの玩具にすぎない。 成長して、その魅力が色褪せてしまうまでは、それらは本物の宝として子供の心にとどまる。 ジンだって、そんな風に宝物としていていたのに、いつの間にかなくしてしまった玩具がいくつもある。 勇気の出るおまじないなんだと言っていたあのバンダナを、ポップは成長してからも手放さなかった。今でさえ、そのバンダナは冠の様に、ポップの頭を飾っている。 ずっと勇者や冒険への憧れを持ち続けていたポップは、4年前、それを実現させるために村を飛び出したのだ。 だが、ポップが、ひどく遠くに行ってしまったような気がする。 今のポップは、以前のポップとは別人のように変わっているのに。 調子のいい明るさこそはそのままだが、いざという時のあの踏ん張りは、以前にはなかったものだった。 それは、強くなったからできたこととは思えなかった。あの時はポップ自身だって危なかったのに、それでも彼はラミー達を庇うことを優先した。 いざとなればとんでもない無茶はすることもあったけど、困った時や大変な時は、ポップは逃げたりジンの後ろに隠れるのが常だったのから。 一足飛びに自分を飛び越え、信じられないほどに成長してしまった幼馴染みの少年を前にして、ジンは置き去りにされたような寂しさを感じていた――。
そう呼びかける声が遠くの方から聞こえてくるまで、ジンはぼうっとしていたらしい。 声の聞こえてくる方向に目をやると、まだ夕方なのにカンテラ持ってきたのか、灯が木々の間からチラチラと見えていた。 ランカークス村は小さいだけに、村人の結束は固い。何かのトラブルが起きた時は、全員が助力し合うのが普通だ。 それは普段ならばありがたい心遣いには違いなかったが、今はちょっとばかり問題があった。 「あ……やべっ?!」 誰よりもギョッとしたの表情を見せたのは、ポップだった。 なにしろ、ポップはラミーの父を助けたのだし、結果的に村人全員を助けたと言っても過言ではない。 本来ならポップは、この災害から村を救った恩人として、大威張りしたって構わない。しかも、その正体が勇者一行の大魔道士であるとみんなが知ったなら、ポップは一躍、村のヒーローに間違い無しだ。 ……が、今のポップときたら、どう贔屓目に見てもヒーローとは程遠かった。 そのピンチを救ったのは、ラミーだった。 「ポップ……これ、一つ、貸しだからね」 「え?」 きょとんとするポップを差し置いて、ラミーは母の手を引いて自分からカンテラの光の方へ歩いて行く。 「えっ、おい、待てよっ?!」 より慌てたポップがラミー達の後を追うのに釣られ、ジンも後を追う。 ゴーレムの姿が見えない場所まで足を進めると、ラミーは声を張り上げながら手を振った。 「ここよ、ここ!」 「おおっ、ラミーか! 無事だったのか」 そう言いながら駆け寄ってきたのは、馬を連れてやってきた三人の村人だった。その中の一人に、ジャンクが混じっているのを見て、何となくホッとするのを感じる。 「どうしたんだ、何かあったのか?」 「それが大変だったの、父さん達が帰ってくる時に、馬車が転んでしまったらしいの」 「なんだって?! それで、二人とも無事なのかい」 「ええ、大丈夫よ。父さんがちょっと気絶してしまっただけ」 白々しい嘘を堂々と言い切るラミーに、ジンは半ば呆れつつも感心してしまう。 「でも、たいしたことはなかったから、よかったわ。……ねえ、母さん?」 「え…? え、ええっ」 娘に比べるとラミーの母は正直者というべきか、答える声が多少裏返っていたが、村人はそれを単に事故の動揺の証しと見た様だった。 「そりゃあ、大変だったな。じゃあ、すぐにお父さんを村へ運ばないと」 ちょうどその時、ヒュンケルがラミーの父親を残った馬の背に乗せ、ゆっくりと手綱を引きながらやってきた。 「ああ、こりゃあ、早く村に連れて帰った方がいいな。おい、そっちを抑えてくれ」 本人が気絶しているだけに、馬の揺れで落馬しかねないため、一人がラミーの父の身体を抑え、もう一人が手綱を引く。 「そんじゃ馬車の片付けの方は、オレがやっとこう。おい、ポップ、てめえも手伝いな」 「ええ〜っ?」 と、露骨に嫌な顔をする息子に向かって、ジャンクはお得意の鉄拳制裁とばかりに拳を振り上げる。 「なにが『ええ〜っ』だっ、そんぐらい手伝いやがれっ」 だが、それをやんわりと止めたのはヒュンケルだった。 「いや、ジャンクさん。ポップは帰した方がいいと思うが」 ヒュンケルの言葉に、ジャンクは少し考える様なそぶりでポップを眺め……その揚げ句、肩を竦めて見せる。 「……そうだな、よくよく考えりゃ、こんな非力な馬鹿息子じゃ何の役にも立たねえか。よっしゃ、ポップ、おめえは帰んな。ここは、お客人に手伝ってもらうからよ」 と、野良猫でも追い払うようなしぐさで手で払われ、ポップは再びムッとしたような顔を見せたが、それ以上は文句も言わなかった。 「ああ、じゃあ任せたよ。もし、もっと人手がいる様なら、連絡をくれればすぐに応援を寄越すから」 「なぁに、このお客人がいるし馬もあるから平気だよ。心配はいらねえって」 ジャンクのその言葉に、ジンは少しばかり悩まないでもなかった。なまじ、あの現場を知っているだけにジャンクやヒュンケルだけに全てを押しつけていい物かどうか……。 「おう、ジン。すまないがうちの馬鹿息子が寄り道しないでちゃんと帰るかどうか、見張ってってくんないか?」 「任せて、おじさん!」 と、打てば響く様な勢いで即答したのは、ラミーだった。ポップの腕をさりげなく、だかしっかりと組んでから、ラミーはジンを振り返って目配せする。 「はい、分かりました、おじさん」 ジンがそう頷くと、ジャンクはもちろん、ヒュンケルもわずかにホッとした様に頷いた――。
実際にその現場を見て、ジャンクはいささか呆れた様にそう言った。 魔法による攻撃の跡も見た経験がないわけでもないが……それにしても、ゴーレムをこれほど徹底的に魔法で破壊した後の現場など、初めて見た。 「フン……まったく、おまえの息子はたいした魔法使いだな。オレ達が手を貸すまでもなかったようだ」 そう言いながら、木立ちの中からひょっこりと現れたのは、完全武装したロン・ベルクとノヴァだった。 人間のために積極的に怪物を退治する程の正義感や熱意はないが、ロン・ベルクにとってはランカークスは住み心地の良い隠れ家だ。数十年や数百年は住んでも良いと思えるこの地で、怪物の暴走を許す気などはない。そのために戦うのならば、文句はなかった。 ヒュンケルから知らせを聞いたロン・ベルクは、ランカークス周辺に怪物が来たならば必ず手を打つと約束した。 「けっ、そんなに御大層な魔法使いなら、後始末ぐらいして欲しいもんだけどよ。親や知り合いに尻拭いされているうちは、まだまだガキだっつーの」 ぶつくさボヤきながらも、ジャンクは壊れた馬車を潔くぶち壊しに掛かる。ここまで壊れたのなら修復は無理と割り切って、使える部品だけを持って帰る意向だ。 ヒュンケルやノヴァにとっては、それは慣れた作業の一つだ。 それだけに、この程度の作業ならばそれ程時間も掛けずに終わらせられる。 「それにしても、ポップは大丈夫なんですか? 彼は、この村では自分の正体を隠しておきたかったんじゃ……?」 ポップが帰郷する機会はそうはないが、その数少ない時間の中、ポップはいつも魔法を極力使わないようにしている。 ポップがそう望むのであれば、戦闘の後始末の手助けぐらいは喜んでやるぐらいの仲間意識がノヴァにもある。 だが、そう心配しているのはノヴァだけの様で、ロン・ベルクやヒュンケルは我関せずとばかりに黙々と作業に没頭している。そして、ジャンクは自信たっぷりに言ってのけた。 「大丈夫だろ。あの馬鹿息子と一緒にいたのは、あいつがガキの頃からの友達なんでね」
「あのよー、いいよ、手を離してくれても。おれ、ちゃんと一人で帰るからよ」 当惑気味にそう言うポップを、ラミーはピシャッと叱りつける。 「何言ってるのよ、こんなにふらふらしているくせに!」 「だって、おじさんだって怪我したんだし、おまえも急いで家に帰った方が……」 「父さんなら、母さんや他の人が見ていてくれるから平気よ。言われなくても、ポップを送っていったらちゃんと帰るわよ。 と、そこまできっぱりと言われると、さすがに口の回るポップも言葉をなくしたのか、しぶしぶのように黙り込む。 ラミーの父が心配だから早く行く様にと先に村人達に帰る様に促しながら、ポップの足取りは極端に遅い。 「あのさあ、ポップ。おまえが大魔道士様なら……どんな呪文でも使えるってのは、ホントなのか?」 そう聞くと、ポップはうんざりしたような表情をして見せる。 「あー、その、大魔道士様ってのは勘弁してくれよ。様呼ばわりされるのなんて、おれの柄じゃないって。 「じゃ、移動呪文は?」 移動呪文――ルーラは、極端に使い手の少ない魔法だ。術者が知っている場所になら一瞬で移動できるという便利さから、この呪文の使える魔法使いはひどく優遇されると聞く。
と、ポップが答えるのを聞いて、ジンは深く納得する。 「ところで、ポップ……ッ、どうして今まで、あんなすごい魔法を使えること、黙ってたのよ? それに、ポップが大魔道士様だったなんて、あたし、全然聞いてなかったわ! 水臭いわね、どうして教えてくれなかったのよ!」 烈火のごとく怒りまくる少女を前にして、ポップはひどく困った様な表情を見せる。――その理由が、ジンには分かる気がした。 ジンだって少なからず尊敬の対象として見ていたし、学校などでは心酔したように大魔道士様に憧れている魔法使い志願者は何人もいた。 ましてや、本人がその場にいると知ったなら、なおさらだろう。いくらポップの昔からの知り合いだとは言え、このランカークス村の者だって例外ではあるまい。 村で唯一奨学生へと選ばれ、都会の学校に行くと決まった時から、他の子とは違う目で見られるようになった時のことを、ジンは忘れてはいない。 自分は前とたいして変わっていないのに、何かというと「都会に行くと違う」と言われるのは、変に差別されている様な気がして、微妙に壁を感じてしまう。 隠し事をされたのが多少寂しくはあるが、ポップが自分の正体を隠していた理由は理解できなくもない。 (……思えば、あの進路指導は変だと思ってたんだよなー) 王城から派遣された役人や兵士、それに教頭……彼らがやけに熱心にジンを文官になるようにと進めた理由が、今になってから見えてくる。 各国の王達が大魔道士ポップを自国に招きたがっていると言う話は、有名な噂だ。 隣接したテランかベンガーナのどちらかの国の領土となることの多いランカークス村だが、ここ十数年以上もテラン領土のままだった。 国同士で和平を結ぶ……例えば、戦争後とや、双方の国の王子や王女が結婚する際に、持参金替わりとしてどちらかの国に譲渡される小さな土地の一つ ランカークスは、そんな位置付けの場所だ。
だが、今になってからなら分かる。 ベンガーナ王国がポップを宮廷魔道士に勧誘したいと本気で望んでいるのなら、そんな風に配慮することも有り得るだろう。 実際にポップの力を目の当たりにして、ジンは強くそう思う。あんな力を持っている偉人が側にいるのなら、思わず縋りたくもなるだろう。 致命傷とも思える怪我を魔法で跡形もなく治し、ゴーレムの大群を一掃した力は、確かに奇跡とも思える凄い力だ。 奇跡の代償は、きっと低くはあるまい――。 そのためにも、ポップが大魔道士ポップだと、知られない方がいい……ジンにはそう思えた。 「あ、あのさー、ラミー。怒る気持ちも分かるけど、でもポップにだって事情があったんだし、それにそのことは隠……」 できるだけ穏やかに話しかけたつもりだったが、その途端、ラミーはポップに向けていた怒りの眼差しをジンに向ける。 「そんなの、あたしだって分かってるわよっ!! 詳しい事情とか、そーゆーのは全然分からないけどっ、でも、ポップが大魔道士様だってのがバレたくないって思ってるのは、分かるもの! でもね、分かっていたってムカつくのよっ! 変に隠そうとなんかしないで、言ってくれたっていいじゃない! 黙ってて欲しいんなら、黙っていたのに! あんただってそう思うでしょ、ジン?!」 そこまで一息に言ってから、さすがに息を切らしたラミーがやっと黙り込む。 「まあ、そこまで文句を言う気がないけど、おれが言いたいこともだいたいそんな感じだよ、ポップ。
ひどく心配そうにそう聞き返してくるポップに、胸を張って答えたのはラミーの方だった。 「何言ってんのよ。あたりまえでしょ、幼馴染みなんだから。心配しないでよ、父さんと母さんはあたしが説き伏せるから」 ジン自身の本音とも一致したその言葉を聞いて、ポップはやっと笑顔を見せた。 「えー、でもよぉ〜。昔、三人で絶対秘密だって言って作った秘密基地、たった一日でバラしたのってラミーだったしなぁ」 明らかにふざけて言ってみただけのその軽口に、激しく食いついたのはラミーだった。
「あー、今更あれを言うかよ?! そんなこと言うなら、ジンだって覚えてるだろ?! 宝の地図を三人で作った時のことをさ」 ふざけ半分に、懐かしい記憶を持ち出してまで文句を言い合う。 幼馴染みならではの言い争いは、実に楽しく、わずかに感じていた亀裂を埋めてくれるものだった。 笑い過ぎたせいで、腹を抱えるような格好だった。
力なく寄り掛かっていたポップの腕に、わずかに力が篭るのを感じて、ジンはなんとなく昔を思い出す。 まだ、ジンが自分が三人の中で一番先頭にいるだなんて、思いもしなかった頃もあったのだ。 一番大事なのは、三人そろって遊ぶことだった。……そんな簡単で、でも一番大事なことを、ずいぶんと長い間、忘れていたような気がする。 「――ポップ。おまえ、忙しいんだろうけど、帰れる時間があるなら、いつでもランカークスに帰ってこいよ。おれ達は、いつでも待っているからさ」 確信を込めて、ジンはそう言った。 ポップの知り合いというだけの理由に縋って出世コースに乗る気など、さらさらない。そんな風に利用されたいだなんて、かけらも思えない。 「……」 返事こそしなかったが、深く俯いたままのポップの頭が小さく揺れる。頷きと捕らえていいのか、ただの揺れか分かりかねるような微妙な動きだったが、それでもいい。
村に再び住んでいるわけではないが、時々ひょっこりと里帰りしにきている彼を、時折不思議に思う村人がいないわけでもないが、誰もが深くは詮索しない。 それに、目立ちはしないがそこには道具屋の娘と村長の息子の働きも、加わっている。 普段のポップが何をやっているのかという話題になると、巧みに逸らしてしまう二人の言動に気がついているのは、武器屋夫婦ぐらいのものだろう。
END 《後書き》
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