『村から消えた少年 4』

  
 

 耳が痛くなるような凄まじい轟音と、目を焼く光の点滅――それは、そう長くは続かなかった。むしろ、一瞬に近いほど短い時間だったのだろう。
 恐る恐る目を開けると、黒焦げになって崩れ、倒れたゴーレムの群れが見えた。

「嘘……だろ……?」

 外へさえ漏れない驚きの言葉は、掠れて口の中で消えた。
 到底、有り得ない光景。
 そうとしか、思えなかった。攻撃魔法を見る機会などそうそうないとはいえ、ジンは何度かは魔法を見た経験がある。

 大半は、魔法というのもおこがましいような、小さな炎やら氷やらちょっとした閃熱を生み出すのが目一杯といったレベルだった。
 使い手の力量によって威力が強くなるとは聞いたものの、正直な話それ程たいしたものと思ったことはなかった。

 だが、ポップが今見せた魔法は、まさに桁外れだ。
 たった一発の魔法で、これほどまでの凄まじい威力を発揮できる魔法使いなど、現実に存在するとは思いもしなかった。

 半ば呆然とするジンの目の前で、ポップが壊れかけた馬車に手をかける。だが、ポップの手には明らかに馬車の残骸は重いらしく、息を切らしながら呼びかけてきた。

「ジンッ、手を貸してくれよ!」

「あ、ああ」

 声をかけられてやっと、ジンは正気を取り戻したようにポップの側に近寄った。

「父さんっ、父さんっ!」

 幸か不幸か、父親の怪我に動転しているラミーや母親には、ポップの魔法に驚くだけの余裕がないらしい。
 ジンも慌てて馬車に手をかける。

 半分壊れたのが幸いしていた。重みを確かめ、一人で動かせない程のものではないなと、ジンは判断した。
 さすがに女子供の手には余る重さだが、成人男性ならばなんとか持てなくもない程度の重みだった。

 あれほどの魔法を使って見せたのに、ポップはいまだに力仕事には向いていないのかとチラッと思ったものの、ジンはすぐに雑念を振り払って力を振り絞る。

「ポップ、おれが馬車を持ちあげるから、おまえらはおじさんを助けてくれ!」

 ジンが馬車を浮かしている間、ポップ達が三人がかりで父親の身体を引っ張りだす。
 馬車の残骸が微妙な支えになっていて、ラミーの父の足を完全に押し潰していないのは幸いだった。

 だが、それでも目を覆うようなひどい怪我だった。
 単なる知人であるジンでさえ胸が潰れてしまいそうな傷を目の当たりにして、ラミーや母親が悲鳴を上げるのも無理はなかった。

「ああ……っ! 父さんっ、父さんっ、聞こえるっ?!」

 苦悶の表情のまま気絶している父親に、ラミーが取りすがり、ラミーの母が泣き崩れる。 それを、ジンは呆然と見ているしかできなかった。怪我の程度が、あまりにもひどすぎてどうすればいいのか咄嗟には頭に浮かばなかった。
 自分で思っているよりも動揺しまくっているジンの耳に、ポップの声が飛び込んできた。


「だめだっ、揺さぶるな、ラミー!」

 強い調子ではあるが、不思議なぐらい落ち着いて聞こえる声に、泣いていたラミーも気を呑まれたように従った。

「すみません、おばさんもしばらくおじさんから離れていてください! ジンッ、ラミーとおばさんを頼む」

 ラミーの母をやんわりと倒れている父から引き離し、ポップはその場に屈み込んだ。
 その様子を見て、ジンの頭がやっと動きだす。
 この怪我は、素人の手当て程度でどうにかなるようなレベルではない。

 むしろ、下手に手を出せばかえって傷を深めてしまう様な……、控え目に言っても命に関わるかもしれない重傷だ。

「ポップ、手当てよりも医者を呼んだ方が――」

 言おうとした言葉は、最期まで発せられることなく喉の奥に消える。
 血に憶することなくラミーの父に触れたポップの手が、眩い光を発しだしたのを見たからだ。

「ポップ、それ……?!」

 ジンは、その光に見覚えがあった。
 学校でひどい傷を負った生徒が、学校在中の僧侶に回復魔法をかけてもらったのを見たことがある。

 普通ならばすぐに治るはずもない怪我が、見る見る内に回復していく様は、まさに魔法だと思った。
 その時はあまりの便利さに感激したが、回復魔法の使い手はそう多くはいないし、魔法は精神の力を消費してかける力だ。

 些細な怪我程度では普通は回復魔法はかけはしないので、一度っきりしか見たことがなかったが、その効力は印象的だった。
 どう見ても冴えない中年男としか見えなかった僧侶が、暖かな魔法の光を操っていると、不思議に神秘的で特別な存在に見えたものだ。

 しかし、今、ポップの手から放たれている光は、あの時の比ではない。
 まさに溢れださんばかりの光が、聖なる輝きと共にポップを照らしだしている。
 そのせいか、見慣れたはずの幼馴染みの横顔が、ずいぶんと遠くかけ離れた存在のように目に映る。

 今まで見たこともないほど真剣な表情で、一心に傷口を見つめているポップは、初めて見る人のように思えた。
 しかも、その効力もまた、学校にいる僧侶よりも格段に上だった。

 苦痛に呻いていたはずのラミーの父の表情が和らぎ、流れていた血がぴたりと止まった。目を背けたくなるような生傷が、見る見るうちに癒されていくのも分かる。
 さっきまで蒼白だった顔色が幾分か明るくなり、苦しげだった呼吸も安定してきたのが見て取れる。

「ポ、ポップ……? なんで、そんなことできるの……?」

 戸惑ったようなラミーの小声は、おそらくはポップの耳に届いていなかったのだろう。それぐらいポップは集中しきっていたし、ラミーの声はごくごく小さなものだったから。 だが、ポップは黒焦げになったゴーレム達を踏み越え、蠢くものにはいち早く気がついた。

 最初の群れから少しばかり遅れて動いていたゴーレム達は、無傷のまま一定の速度で進んでくる。
 その姿を見て、ポップは片手をそちらの方へと伸ばす。

「てめえら、邪魔すんなっ! ――ベタン!」

 ポップが叫んだ途端、伸ばされた左手から不可思議な揺れが放出されたように見えた。目には見えなくても熱気が空気を揺るがすように、ポップの手のひらからも目には見えない力が放出されたのが、はっきりと分かる。

 その効力は、すぐさまに周囲に影響を及ばした。
 数体いたゴーレムの身体が、突然、何かに押されたように地面に屈した。
 ゴーレムの身体と、地面にひびが入っていく音がはっきりと聞こえた。まるで、見えない球状の固まりを地べたに押しつけたかのように、見る見るうちに地面が歪む。

 巨大な図体を中心に、地面に大きなクレーターが発生してじわじわと沈んでいく。
 それでいて、その効力はすぐ近くにいるポップやラミーの父にはいっさい影響を及ぼさない。
 そして、ポップの右手からは相変わらず回復魔法の光が放たれていた。

「え……?!」

 文字通り魔法の不思議さに目を見張った三人だが、中でも一番驚きが大きかったのはジンだった。

「…………?!」

 それがどんなに凄まじいことなのか、理解出来るだけの知識がジンにはあった。

(う、嘘だろ?! 有り得ない……!)

 学校の授業では魔法は正式なカリキュラムには入ってはいないが、魔法というものがどんなものかぐらいかは常識として習う。
 村を出て学校に入学してから、ジンは何人かの魔法使いや僧侶に出会ったし、魔法を使うところも実際に見た。

 それだけに、ジンには分かった。
 今、ポップが使って見せた魔法が、並外れて凄いものである事実が。最初に放った魔法もさることながら、今の魔法の凄まじさはどうだ。

 ましてや、ポップは攻撃魔法だけでなく、回復魔法も使った。その両方を使える存在は、賢者と呼ばれるごく一部の人間だけだと聞いた。
 僧侶の数も多くないが、魔法使いの数はもっと少なく、さらにその両者の特徴を持つ賢者は数える程しかいないと聞いた。

 しかも、同時に二種類の魔法を使える魔法使いなど、聞いたこともない。
 そんなことができる存在は、世界にたった一人しか思いつかなかった――。

(いや……、でも、まさか……)

 頭に浮かんだ答えを、ジンは疑いつつ一度は否定する。だが、否定しきれない現実を目の前にして動揺するジンの耳に、つんざくような悲鳴が響き渡った。 

「きゃあっ?! ポップ、危ないっ!」

 ポップの最初の魔法の一撃で倒れ、完全に破壊されたと思っていたゴーレムの中から、一体がゆらりと起き上がっていた。
 多少の傷は負っているのか動きはぎこちないが、ゴーレムは迷わずにポップに向かって歩いて行く。

 それを見て、ポップがわずかに舌打ちする。だが、それ以上の行動は取らなかった。
 二つの魔法を同時に操っているポップには、さすがにそれ以上を操る余裕はないらしい。
 

「ポップッ、逃げろっ!」

 思わずそう叫んだが、ポップは明らかに顔色を変えているのに、それでもギュッと唇を噛み締めて首を左右に振った。

「ダメだっ、今、治療を止めたら……っ」

 そこで言葉を途切れさせたのは、ラミー達に対する気遣いだろう。
 ポップのかけている魔法こそがラミーの父の命を繋いでいるのが、ジンにさえ見て取れる。

 その治療を途中で止めるということは、彼の命に関わる問題なのだろうと、簡単に予測がつく。
 そして、同時にゴーレムに掛けている魔法も緩めるわけにはいかないらしい。

 だが、このまま放っておけばポップがどうなるかは、目に見えている。
 助けたいと思う気持ちと、でも自分の力ではどうしようもないという気持ち――身動きもできずに金縛りされてしまったジンの目の前で、ゴーレムがポップに迫る。

「いやぁあああーーっ?!」

 ラミーの金切り声を自分のものの様に感じたその時――奇跡は起こった。
 再び、ジンは有り得ない驚きに目を見開いた。
 たった一撃、だった。

 一瞬、剣が閃いたかと思った――たったそれだけで、ゴーレムはものの見事に真半分に切り裂かれていた。
 轟音を立てて、崩れ落ちるゴーレムの身体が地面に落下するが、まるで計ったように、その破片すらポップやラミーの父には当たらなかった。

 地響きを立てる土煙の向こうで、落ち着き払ったしぐさで剣を腰の鞘に戻していたのは、見覚えのある美形の青年だった。
 吟遊詩人の語る物語の英雄もかくやという、見事なタイミングで現れたヒュンケルは、ごく当たり前のことをしたかのように平然としていた。

 それは、自分の行動だけでなくポップの行動に対しても同じで、特に驚いた様子も見せなかった。
 数えきれない程のゴーレムが黒焦げとなって倒れ、さらには大きなクレーターが発生したこの状況を、ごく当たり前のように見やる。

 だが、ゴーレム達にはほとんど関心がないようで、ヒュンケルはポップの様子を見てわずかに眉を潜めた。

「ポップ。魔法は使わないはずじゃなかったのか?」

 驚きすら見せず、些細な悪戯を咎める口調でそう言っただけだった。

「うっせーな。不可抗力だろ、こんなの! 目の前で知り合いが怪我したり、おれの村が襲われるのを指をくわえて見とけっていうのかよ?」

 憎まれ口を叩きながら、ポップは両手をラミーの父に当てて軽く目を閉じる。その途端、一際強い光がポップの両手から生まれ、ラミーの父の全身を覆う。

 それが治療の仕上げだったのか、ラミーの父の顔色は格段に明るいものへと変わる。目を閉じ、意識はないようだが、その姿はすでに安らかな眠りにしか見えなかった。
 そして、ポップは大きく息をついてラミーの父から手を離した。

「もう、大丈夫だ。おじさんは、助かったよ」

「あなたっ!」

「父さん……っ」

 慌てて駆け寄ってくるラミーと、ラミーの母を、ポップは今度は止めなかった。興奮のせいか、泣きながら父親にしがみつくラミーとラミーの母を満足そうに見ているものの、ポップは疲れきったようにぐったりとして、その場に蹲ったまま動かない。

 魔法には無縁なジンは詳しくはないとはいえ、強力な魔法ほど精神力を消費するとは聞いたことがある。

「おい……ポップ、おまえ、平気なのか?」

 心配になって声を掛けると、ポップはやっと顔を上げる。はっきりとした疲れの見える顔だったが、ポップはへらりとした笑顔を浮かべ、なんでもないような軽い調子で言った。
「へーき、へーき。最近、ちょっと魔法って使ってなかったから、コツを取り戻せなくって手こずっただけだって」

 その言い訳を信じていいものかどうか、ジンは少しだけ迷う。
 普段は些細な怪我でも大騒ぎする癖に、ポップは肝心な時だけはそれを隠して妙に強がることがある。

 いつだったか雪の日に三人そろって迷子になった時、ポップは明らかに調子が悪そうだったのに、一貫して平気だと言い張った。ラミーが上着を貸そうとしたり、ジンがおぶってやろうかと提案しても聞き入れず、頑として自力で村に帰りついた。それはいいが、後になってから熱を出して寝込み、ずいぶん心配させられたことがあった。

 今も、ポップが無理をしているのではないか――そう疑ったジンだが、そう考えたのは彼だけではなかったようだ。

 立てもしないでへたりこんでいるポップに、ジンよりも早く手を差し伸べたのはヒュンケルだった。
 その手を、ポップは膨れっ面で払いのけ、ふらつきつつも自力で立ち上がった。

「これっくらい、平気だっつーの! いちいち助けなんかなくったって、一人で立てらぁ」
 

 せっかくの親切に対してちょっと呆れてしまう様な態度だが、ヒュンケルはポップのその態度に怒った様子もなかった。
 そんな反応に慣れているのか、怒るどことかむしろそれを待っていたとばかりに言う。


「……確かに、それだけ元気なら平気な様だな」

 彫刻の様に整った顔は表情がほとんど分からないが、どこか苦笑している風に見えるのは、ジンの気のせいだろうか。

(ああ、そうか、この人は……)

 ポップの無茶や強がりを見越した上で、わざと怒らせるようなことを言って具合を測った――ジンには、ヒュンケルの言動はそう見えた。
 無口なだけに何を考えているのか分かりにくかったが、肝心なところが見えればヒュンケルの言動には一貫した共通点が見えてくる。

 まるで兄の様な立場から、ポップを気遣い、守ろうとする……それは、数年前はジンがいたはずの場所だった。

「あったりまえだろ! それより、てめえ、そっちの方から来たからには、他のゴーレムとかはやっつけたんだろ? なら、ラミーのおじさんを運ぶのを手伝えよ」

 そして、ポップも当たり前の様に力仕事を、ジンではなくヒュンケルに頼む。それに対して、ヒュンケルも異議を唱えなかった。

「ああ、後始末はオレが引き受けよう。おまえは一足先に戻って、休んでいろ」

 ヒュンケルのその言葉に、ポップはどこかムッとした顔は見せるものの、案外素直にこくんと頷く。

「分かったよ……!」

 ポップがやたらと突っ掛かるせいで一見仲が悪く見えるこの二人の、分かりにくいが確かな信頼関係が垣間見えた気がした。
 桁外れの実力に加えて、互いに対して持っているこの信頼感――それらはジンの中の疑惑を確信へと変えてくれた。

「ポップ……おまえ…………まさか、と思ったけど、おまえって……」

 噂だけとは言え、ジンは知っていた。
 世界を救った勇者と、その仲間達の話を。
 その中でも、大魔道士の名前は印象に深かった。

 偶然とはいえ、自分の幼馴染みと同じ名前だったのだから。少なくとも、ジンは今までそれを偶然の一致と信じていた。大魔道士の名はありふれた名前というわけでもないが、そう珍しい名前でもなかったから。

 そして、今、思い出した。
 勇者一行の戦士は一際目立つ銀髪で、目も眩むような美形の男だと聞いた。

 ……まあ、噂では大魔道士も似たような美形という噂だったから当てになどしてはいなかったが、戦士に関しては掛け値なしだったようだと思いながら、ジンは銀の髪の青年をちらっと眺めやる。

 勇者一行の戦士の名も、確かヒュンケルだった――。

「ポップ……、おまえが、大魔道士ポップ様だったのか……?」

 恐る恐る問いかけた言葉に、ポップは気まずそうな表情を見せながらも、小さく頷いた。 それは、四年前によく見かけた顔。隠し事がバレてしまった時に、このやんちゃな幼馴染みがよく浮かべていた表情だった。

 不思議なもので、魔法という証拠よりも何よりも、ポップのその表情を見た時の方がすんなりと納得出来た。

(本当、だったんだ……)
                                    《続く》
 
 

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