『マイ・スィート・ディジー 1』

 
 

 それは、確かに恋だった。
 少なくとも、彼にとっては初めての恋だった。
 初めて見掛けた時から、心を奪われてしまった。柔らかな微笑みを浮かべた、黒髪のその娘に。

 少女から娘へと成り代わるぎりぎりの年齢の彼女は、日だまりの中で優しく微笑みかけている。
 その笑顔に、一目で心を奪われてしまったのだ。

 特に際立って美しい娘ではない。
 確かに標準以上に整った目鼻立ちをしてはいるが、今一つ垢抜けないというか、華やぎに劣る。可愛いことは可愛いが、飛び抜けた美人と呼ぶにはいささか地味な娘だ。
 もっと美貌を誇る女性は他に幾らでも見たし、望むのなら手に入るだろう。

 だが、彼が心惹かれたのは、彼女だった。
 質素な衣装に身を包んだその慎ましさすら、愛しく思える。
 誰に対しても公平な笑顔を向けるその娘を、自分だけのものにしたいと思った。

 だが、彼女は決して振り向いてはくれない。
 優しい微笑みを浮かべてはくれるものの、彼の愛の籠った視線に応じてくれることはない。
 『彼女』を見つめながら、彼は深々と溜め息をついた。

「――フッ。恋とは、美しくも切ないものだな……」

 気障に髪をかき上げつつ、思いいれたっぷりにそう言ってのけたのは若い男だった。
 緩いウェーブの掛かった金髪を華麗に靡かせた彼は、ちょっと軟弱そうな雰囲気はあるが、ハンサムと呼んで差し支えのない美青年だ。
 金糸で彩られた豪奢な服を当たり前の様に着こなした姿から、一目で貴族と分かる。

 彼の名は、ジュリアーノ・フォルクス。
 ベンガーナでも指折りの名家、フォルクス大公の長男だ。広大な領地を誇る歴史ある旧家であり、王家とは縁戚関係にあたるため王位継承権も取得している大貴族の一員である。――が、『彼女』も、すぐ側にいる男も、一向に彼の発言に注目する気配が無かった。
 

「はあ。そーゆーもんですかね」

 ジュリアーノの少し後ろに控えた位置に立っているのは、同年齢ぐらいの若い男だ。
 ジュリアーノとは対照的に、暗い色合いの髪のがっちりとした体格の青年で、いかにも面倒臭そうにあくびなんかをしている。

 地味に押さえた黒系の服は貴族の従者のお仕着せの衣装だが、正直言って田舎っぽい逞しさ全開の彼にはまるで似合っていない。
 そんな従者に軽蔑の眼差しを向けつつ、ジュリアーノは大仰に首を振る。

「まったく、おまえという奴はいつまで経っても主人の好みを把握できないようだな。彼女のこの慎ましやかな美しさが理解できないとは、なんと心の貧しい男よ」

 と、どこか芝居掛かった嘆きを、従者はやる気なさげに流す。

「はいはい、そーですか、坊っちゃん」

 その呼び名が気に食わなかったのか、ジュリアーノは露骨に顔をしかめる。

「こらぁーっ、坊っちゃんはやめろと言っているだろうが!」

 と、怒鳴ったところでびくともする従者ではなかった。

「しょーがないでしょう、昔っから坊っちゃんと呼ぶ様にと躾られたもんで、すっかり癖になってるんですよ。
 文句なら、母さんに言ってくださいや。――ま、言えるもんなら、ですけど」

 と、嫌味たっぷりに言ってのける従者に対して、ジュリアーノはますます顔をしかめ、恨めしそうにボソッと言った。

「…………ばあやに対してそんなこと、言えるわけがないだろう」

 従者の母――彼女は、ジュリアーノにとっては乳母に当たる。
 貴族階級では子供を乳母の手に委ねるのは、ごく当たり前のことだ。ごく小さい頃から、時によっては成人後しかるべき地位につくまで乳母は貴族の子息の養育に責任を持つ。

 なにせ、実の母親以上にこまめに面倒を見てもらうわけであり、ある意味で頭の上がらない存在となる。
 そして、乳母の実の子は貴族の子息にとっては乳兄弟に当たるわけであり、共に兄弟の様に育つだけあって、並の主従よりも遥かに親密な関係になるのが普通だ。

 だがまあ、それを考慮に入れたとしても、この従者が並外れた意味で図々しく、主人を主人とも思っていない不遜な態度なのには変わりはないが。
 クラウスと言う名の乳兄弟は、口調こそは一応敬語の体裁は整えているものの、話す内容は出来の悪い弟分に対するものと大差がなかった。

「しかしですねえ、坊っちゃん。この絵の娘っこは確かに可愛いかもしれませんが、所詮は20年以上も前の絵ですよ? この絵のモデルになった娘も今ごろは、いい年齢のおばさんになってますってば」

 この絵は、ベンガーナで一番と評判の画家の作品だ。美人画で有名な彼は、実在のモデルに忠実に書くことでもまた知られている。
 つまり、この絵の中の娘は幻ではないのだ。
 だが、絵に書かれた日付は、正確には今から22年前。

 当時娘盛りだったモデルも、今は30代後半から40代初めほどの年齢の女性へと成長しているのは自明の理だ。
 そうなれば、当然、この絵とは印象は変わっているだろう。

 もっとも、その年齢ならではの魅力を醸し出すと考える男も多いだろうが、今年で21歳になったばかりの青年はそうは考えなかった。

「うぉおおっ、言うなぁ〜っ?! そんなのは考えたくはなぁいっ!! 熟女はボクの専門外なんだっ、だいたいだなあ、可愛い娘はいつまでも可愛い娘でいなくちゃならんのだっ!」


「んな、無茶な……」

 と、クラウスが呆れるのなど気にも止めず、ジュリアーノは熱心に演説めいてぶちあげた。

「全く、この絵をもし20年前に見つけていれば、どんな手を使ってもこの娘を探し出して我が妻へとしたものをっ!」

「その情熱と思い込みはたいしたもんですがね、20年前にはあなたはまだ1才でしょうが、坊っちゃん」

 しごくもっともなツッコミなど丸無視して、ジュリアーノは熱烈な投げキッスを絵の中の娘に向かって送る。

「また来るよ、マイ・スィート・ディジー」

「へいへい、勝手にしてくださいや。さ、坊っちゃん、もうすぐ雨が降りそうですし、早く城に行きましょうや」

 貴族には、定期的に王宮に顔を出す義務と習慣がある。
 特に、社交界にデビューする年齢になった貴族の子弟や子女は、こまめにそれを繰り返すものだ。

 将来の結婚相手と探しながら、家同士の誼を結ぶためには欠かせない社交の一つだ。
 だが、絵の中の美少女に恋したジュリアーノにしてみれば、そんな用事には全く興味が惹かれないし、面倒なだけとしか思えない。

「まったく、大貴族たるこのボクが、なんで城まで歩かないといかんのだ?」

 通常、貴族の移動は馬車で行う。
 ごく短い距離でも、専用の馬車をしつらえて移動するのが貴族のステータスの一つであり、常識だ。

 ぶつくさ言いながら小雨の中を歩くジュリアーノに対して、クラウスはあっさりとしたものだった。

「そりゃあ、坊っちゃんがあの美術館にどうしても寄り道したいと駄々を捏ねて、馬車を返してしまったからじゃないですか。
 どうせたいした距離じゃないんですから、足腰の鍛練とでも思ってたまにはしっかり歩いてくださいや」

 ベンガーナ美術館は、城からの距離はごく近い。馬車だと専用の城門から入り正規の手続きを踏まなければならないことを考えれば、歩いて移動した方が手間も掛からない。

 合理的というか、面倒臭がり家の傾向が強いクラウスにしてみれば、その方がずっと楽だ。
 しかし、体面だの面目にこだわるジュリアーノはしつこくぶつぶつと文句を言う。

「しかしだな、一般市民でも入るような城門から入場だなんて、ボクの様な大貴族にしては相応しくはあるまいに。――おおっとっ?!」

 大仰に声を上げたのは、後ろから走ってきた人とぶつかりそうになったからだ。
 雨を避けるためか、マントの半ば折り返して頭にかぶっていた相手は、前を良く見えていなかったらしい。

 まあ、文句に夢中だったジュリアーノもその点は同罪だが、貴族の常として自分が悪いだなんてかけらも思わない彼は、すぐさま相手に責任転嫁した。

「キミィッ?! どこを見て……」

 と、ジュリアーノが文句を言おうとするよりも、相手の方が早かった。

「悪い! 急いでたから、前、見なかったや。怪我とか、しなかったかい?」

 予想以上に若く、気さくな調子の声。
 マントを撥ねあげ、顔をはっきりと見せて謝罪したのは、まだ20才にも届いていないであろう若者だった。

 青年と少年の境目ほどの年齢だが、線の細さや顔立ちのせいで少年という印象に落ち着く。
 少年は、ゆったりとした裾と袖の目立つ法衣を身にまとっていた。

 見る者が見れば、一見質素に見えながらも手のこんだその衣装が、賢者としての盛装だと一目で分かるだろう。
 服装は申し分なく立派だが、装飾品が極端に少なく、頭に巻いているのが黄色のバンダナだけなのが、少しアンバランスと言えばアンバランスだ。

 貴族の目から見れば少々飾り気がない格好と見えるが、かえってその質素さが新鮮に映る。
 その若さで賢者として異例だと言うのが目を引くが、そう目立つタイプでは無い。

 そこそこ程度には顔立ちは整ってはいるが、突出した美少年とは言えまい。衣装さえ除けば、むしろ凡庸と言った方がいい少年だ。
 だが、その顔はジュリアーノにとっては見覚えがあり過ぎるほど、見覚えのあるものだった。

(…………………っ?!)

 雷に打たれた様な衝撃に、ジュリアーノは立ちすくむ。

(こ、これは、夢か、幻かっ?! ああっ、夢ならせめて覚めないでくれ……っ)

 と、衝撃に打ち震えるジュリアーノのすぐ側で、クラウスはごく普通の調子で言ってのけた。

「ああ、気にしなくっていいっすよ。ぶつかったってわけでもないんですし、こっちもうちの腐れぼっちゃんがボーッとしくさってたわけですしね」

「そう言ってもらえると、助かるよ。じゃ、おれはこれで」

 商店街の挨拶のような気さくさで会話を交わし、少年がさくさくと去っていこうとするのを見て、ジュリアーノはやっと正気に返る。

「ちょっ、ちょっと待ちたまえっ、キミぃいっ!」

「は?」

 いきなり腕を掴まれ、少年はびっくりしたように立ち止まった。
 その顔を真正面から覗き込み――ジュリアーノは大きく息をついた。

(間違いない……!)

 目の錯覚かとも思ったが、そうではなかった。
 少年の目鼻立ちは、あの絵の中の娘と瓜二つだった。

「まだ、おれになんか用? それとも、どっかで会ったっけ? 初めて会ったと思うんだけど……」

 当惑した様に少年がそう問い掛けてくるが、そんなものはジュリアーノの耳を素通りしていく。ましてや、従者がやめておけなどと言っているのさえ、耳に入らなかった。 ジュリアーノの目も心も、少年に奪われていたのだから。

 あの絵に生き写しの顔が、表情豊かに生き生きと動く様子に、釘付けにされてしまった。 ちょうど、年頃もあの絵の中の娘と同じくらい――はっきり言って、どストライクだった。

 性別は残念ながら男の様だったが、だが、ジュリアーノ的にはそれは減点対象ではならない。
 あの絵のままの娘であるのが一番望ましいが、年齢か性別かで妥協を強いられるのであれば、ジュリアーノは後者を選択するタイプの人間だった。

(いけるっ! これなら全然、いけるっ、まったく問題無しだっ!!)

 と、思った瞬間、ジュリアーノは早速行動を開始していた。
 少年の手をしっかりと掴み、ぐいっと引き寄せる。

「初めて? いやいや、そんなつれない言葉を言われると、この胸が張り裂けてしまいそうになるね。ボクはこんなにも、キミに恋い焦がれ続けていたというのに」

「はぁあ?」

 びっくりしたのか、ぽかんと口を開ける少年の驚きを、ジュリアーノはひどく前向きに解釈した。

(ふっ、自分の幸運が信じられない様だな、可愛いものだ)

 自分よりも頭半分ほど背の低い少年を見下ろし、視線を合わせさせるためにジュリアーノは彼の顎に指をかけて上を向かせる。

「キミとの出会いは運命だったのだよ、マイ・スィート・ディジー」

 愛を込めて、ジュリアーノは絵の中の娘を呼ぶ名で、少年を呼ぶ。
 呼び掛けにきょとんとしているものの、自分を見上げる目に満足せずにはいられない。上目遣いに見上げるその角度を楽しみながら、ジュリアーノは惜しみのない称賛を送る。


「その目が、いいね。とても綺麗な闇の色だ……。ああ、髪も同じ色なのか。ふうむ、この二つがこうまでもそろうのは見事だね」

 基本的に、黒髪は珍しい色合いとは言えない。どちらかと言えば、どこでも見掛けるありふれた色合いと言えるだろう。
 だが、混じりっ気無しの漆黒で、髪だけでなく目までも同色ともなれば、話は別だ。

 普通ならば、黒髪とは言えわずかに茶色味を帯びているものだし、目の色合いも色の濃さゆえに黒く見える場合がほとんどだ。
 完全な漆黒は、テランや今はなきアルキード地方辺りなど、ごく一部の地域でしか見られない。

 しかし、テランは人口が少ない上に人々が国外に流出しがちだし、アルキードは謎の滅亡を迎えてしまったため、漆黒の髪や目を持つ者はいまやずいぶんと少なくなってしまったはずだ。

 一見平凡に見えるが、その真の価値を見出だせる者にとっては希少価値のあるもの――その特殊性は、ジュリアーノをひどく満足させる。
 あの絵の娘や、この少年の価値を見抜けるのは自分の様に目のある者だけだと、心地好く自尊心をくすぐってくれるからだ。

「この髪は少し癖があるんだね。でも、柔らかで手触りがいいな。きっと、伸ばした方が素敵だよ」

 いかにも少年っぽく切ってある短い髪を惜しみながら、ジュリアーノは少年の髪を優しく手で梳いた。
 絵の中の娘のストレートヘアとは違うが、この髪はこれで気に入った。

 小雨のせいで少し湿った髪が、しっとりと手に馴染むのが心地好い。毛並みのよいペットの毛を撫でるのを楽しむがごとく、その手触りを堪能していたが、思いがけず邪魔が入った。

 パシッと小気味の良い音を立ててジュリアーノの手を撥ね除けたのは、他ならぬその少年だった。

「いきなりなにすんだよ、てめえっ?!」

 さっきまでのざっくばらんながらも一応はそれなりの丁寧さを取り繕っていた言葉が、乱暴なものへと変わる。

 いかにも堂に入った口調や態度からこちらが地なのだと一目で分かるし、なおかつ、彼が馴々しい男に対して腹を立てているのは、なお分かりやすい。
 しかし、恋は無敵なまでに盲目だった。

「おやおや、そんなに照れなくてもいいんだよ、マイ・スィート・ディジー」

 にこやかに笑いつつ、そのくせジュリアーノは実にすばやくポップを掴まえ、抱き締める。

「な、なにしやがるんだよっ、はーなーせーっ!」

 と、少年は必死にもがくが体格差は歴然としている。
 それをいいことに、自分よりも一回り小柄な少年を腕の中に閉じ込める様にしっかと抱き締め、ジュリアーノは情熱的に愛を囁く。

「一目でこのボクの心を、これほどまでに捕らえるとは……罪な人だな、キミは。こんなに可愛い恋泥棒を、放っておけるわけがないじゃないか、マイ・スィート・ディジー」

「うわぁあああーーっ、いい加減にやめろ、気色悪いなっ、だいたい人をけったいな名前で呼んでんじゃねえっ!! つーか、なんだよ、その勝手な拡大解釈はっ?!」

「フッ、その口の悪さは少々いただけないが、聞き心地のよい声だね。気に入ったよ、ボクの小鳥さん。願わくば、ボクのためだけに歌って欲しいものだ」

「耳が腐ってるか、脳味噌に虫でも沸いてんのか、てめえわっ?! 少しは人の話を聞けよ、てめえっ!」

 まるっきり噛み合わない二人の会話を、近くに控えているクラウスは呆れ果てたような目で見ていた。

「あー、もしもし、坊っちゃん? それに、そちらの人も、こんなところでイチャつくのはやめてもらいませんかねえ? いつまでもここにいたんじゃ、雨に濡れて風邪を引いてしまいますけどね」

 と、いかにもやる気なさげに声を掛けたクラウスに対して、少年は辛うじて動く首だけ動かし、きっと睨みつけてくる。

「バカか、てめえはっ?! これのどこがイチャついてるように見えるってんだよっ、このスットコドッコイ! あんたもこの男の連れなら、なんとかしてくれよっ!」

「そりゃ、同情はしますし、お気の毒にとも思っていますけどね、うちの坊っちゃんときたら夢中になると聞く耳もたねえアホたれボンボンでしてねー。
 でもまあ、これでも人は悪くないしそのくせ頭は悪いし、金と家柄だけはありますから、よければ付き合ってみちゃあくれませんかね」

 クラウスにしてみれば、それは悪気のある提案ではなかった。
 目の前にいる少年は賢者かそれに類いする職業であるのは確かだが、口の聞き方から見てどう見ても庶民階級の人間だろう。

 宮廷に出入りする年若い少年少女の中には、自分の見目を武器に、貴族に取り入るのを目的として出仕する者も珍しくはない。
 この少年もそんな一員だとしたら、双方ともに丸く収まると思ったのだが――少年は猛然と怒りだした。

「冗談じゃねえっ、何が悲しくて男なんかと付き合わなきゃなんねえんだよっ?! ふざけんなっ、離せっつーのっ!!」

 話に耳を貸すどころか、鳥肌すら立てて嫌がるところを見ると、全く脈はないらしい。その気が全く無い少年に、男の相手をする様にと薦めるほどには、クラウスも人は悪くなかった。

「やれやれ、お互いに合意ってんなら、別にお節介しなくてすむから楽だと思ったんですが。
 ま、しゃあない、無理強いはヤバいっすからね」

 肩を竦めてそう言い、クラウスはジュリアーノの肩を軽く叩いて注意を引きつける。すると、初めて気がついたとばかりにジュリアーノがクラウスの方を見た。

「おや、クラウス。いつからいたんだ?」

「そりゃあ最初からですよ、坊っちゃん。ところでいくらなんでも、初対面の相手をいきなり抱き締めるってのは感心しませんぜ。
 口説くにしてもまずは順番ってものがあるでしょうに、せっかちな男は嫌われますぜ」


 いかにもおざなりな口調とはいえ、そこは乳兄弟と言うべきか、クラウスの言葉はジュリアーノの心を動かす程度の説得力は込められていたらしい。
 ジュリアーノは自分の胸に抱き締めていた少年からいったん身を離し、確かめるように真正面から見つめる。

 「……ふむ、それも一理あるな。これは失礼をした、マイ・スィート・デイジー。こんな雨の中を引き止めて悪かったね、可哀相に、こんなに濡れて……」

 可哀相もなにも、少年が濡れたのはジュリアーノのせいとしかいいようがないのだが。 が、とりあえず男の腕から逃れたことにホッとしたらしい少年は完全に油断していた。次の瞬間、ジュリアーノは少年をさっと両手で持ち上げる。

 いわゆる、お姫様だっこという形で少年をよりしっかりと拘束したジュリアーノは、今まで以上に満足そうだった。

「これ以上、キミが雨に打たれない様に、ボクが守ってあげよう。
 こんなに震えて……安心したまえ、ボクが暖めてあげるからね。ささっ、いざゆかん、二人の愛の褥へ!」

「えぇええええええっ?!」

「おいおいおいっ、坊っちゃん、いくらなんでもそりゃ犯罪ってもんでしょうがっ?!」

 少年とクラウスがそろってすっ頓狂な声を上げるが、スキップしつつ城へと向かうジュリアーノの足は緩まない。

「はっ、離せっ、離せっつーのっ!! この変態ーーっ!」

 少年が必死になってもがくが、完全に抱え上げられた態勢ではろくな抵抗にもなっていない。
 しかも、ジュリアーノのボジティブ思考ときたら、羨ましい程に前向きだった。

「ふふっ、そんなに焦らなくても、ボクの今夜は全てキミに捧げるよ、マイ・スイート・ディジー。
 はっはっは、それにしてもはキミは小鳥の様に軽いなぁ」

 実に幸せなたわごとをほざきつつ、城へと足を踏み入れようとしたジュリアーノの前に、一人の少年が立ちはだかる。
 一目で戦士と分かる、がっちりとした体付きと気迫。
 やけに剣呑な目付きをした少年は、殺気だった声音をジュリアーノに叩きつけてきた。


「おいっ、おまえっ! ポップに何をしてるんだよっ?!」
                                   《続く》
 

2に続く
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