『マイ・スィート・ディジー 2』 |
「聞こえないのか?! ポップを離せよ……!」 普段は誰に対しても分け隔てなく、朗らかに話しかける声音に、凄まじいまでの気迫が漲る。 ダイにしてみれば、目の前にいるのは敵だ。 それも、ある意味ではバーン以上の強敵と言える。 (ずるいや! あんなこと、おれだってそうそうしたことないのに……っ!) ともすれば暴走してしまいそうな怒りを、ダイは必死で抑えようとしていた。 最初は仕事の邪魔だからと素っ気なく断っていたポップだったが、渋々折れる形で護衛としてついてくることを認めてくれた。 だから、ダイはダイなりに自重しようと考えていた。 「もう一度だけ、言ってやる……!! ポップを放せ!」 それでも、もう一度そう繰り返したのは、剣で攻撃を仕掛ける際にポップに巻き添えを食らわせてしまう危険を嫌ったためだ。 ――などと当たり前の様に考えてしまう発想こそがすでに危険思想なのだが、頭に血が昇りきったダイにはもう善悪の区別などどうでもよくなっていた。 もはや殺気を隠そうともせず、ダイは腰にした剣に手を伸ばしかける。
尋常ならざる殺気を感じて、顔色を変えたのはクラウスの方だった。 というよりも、どんなド素人であっても、目の前にいる少年の本気さと危険さを察知できるだろう。 この少年の剣呑さは肌を刺すようにピリピリとした刺激として、感じられる。一刻も早く、逃げた方がいい……普通の人間なら、間違いなくそう思うだろう。 「ん? なんだい、キミは? ああ、悪いけど今、ボクは忙しいからそこをどいてくれないか?」 …………ここまで危険に関して鈍いのも、ある意味ですごいと言うしかない。 「え? あれっ?」 しっかりとポップを抱えていたジュリアーノが、空になった自分の腕を見て戸惑うのも無理はないだろう。 トベルーラを使って男の腕から抜けだし、その勢いのままダイに踵落としを決めたのだ。 普段ならポップの蹴りぐらいじゃダメージにもならないダイだが、さすがにトベルーラで勢いをつけまくった一撃だと、話が違う。 おまけにポップからそんな真似をされるとは夢にも思っていなかっただけに、痛みやショックも倍増だった。 「な、なにするんだよ〜、ポップ?」 ちょっと涙目になりかかりながら訴えるダイに、ポップはカンカンになって怒鳴りつけてきた。 「それはこっちのセリフなんだよ、このバカッ?! なにする気だったんだよっ、てめえはっ、あれほどベンガーナではおとなしくしていろって言っただろうがっ!!」 「だ、だって、ポップがあんなことされてたから、おれ、つい……」 「『つい』で、いきなり人に斬りつけようとすんなっ!! それが仮にも勇者のやることかっ?!」 ――げしげしと『勇者』を足げにすることこそ、どうかと思う行動だが。 「勇者……っ?! それに、ポップって……」 まじまじとダイとポップを見比べたクラウスは、弾かれたように主人を振り返った。 「そうかっ、どこかで聞いた名だと思ったら、ポップってのはあの大魔道士の名前ですぜ、坊っちゃんっ!!」 世界が大魔王に滅ぼされかけたところを救ってくれた勇者とその一行は、世間的に見えれば大英雄だ。 駆け付けてきた兵士達が、この状況にどう対応していいのか分からないのか、おたおたとしているばかりなのも頷ける。 勇者と大魔道士ならば超国賓級の客人だ、危害を加えるどころか失礼があっても、国際問題になりかねない。 「勇者? ……ああ、そう言えばそんな話を、前に爺やから聞いたような気もするな。ふうん、勇者ってのはこんな子供だったのか」 と、珍しいものを見る目でダイをちらっと見たものの、ジュリアーノは勇者にはほとんど関心を見せなかった。 それはベンガーナご自慢の軍事力のおかげではなく、単にバーンの攻撃目標から運良く外れただけにすぎないのだが、本人達はそうは思わない。 ことに、貴族階級にはそう考える者は多かった。 ましてや生まれついての特権階級で、優遇されるのが当然と考える苦労知らずの貴族の子息には、勇者でさえ一般人と大差がない。 「ふうん、キミが大魔道士ポップだったのか。それはさすがに多少驚きだが、キミが何者でもボクの愛に変わりはないよ、マイ・スィート・ディジー」 熱っぽい視線のまま、恥ずかしげもなく人前でそうぶち上げるジュリアーノ――ある意味で、ものすごい大物と言えるかもしれない。
ベンガーナ王国の中枢部分、限られた者しか入ることのできない居住区の一角に、『大魔道士の部屋』がある。 ポップにしてみれば、年に何度か泊まりにくるだけの他国に自分の部屋など必要ないと思っているのだが、他国の王の厚意ともなれば拒否できない。 今まではそれに不満もなかったのだが……今回に限ってはちょっとした問題が発生していた。 (またかよ……) と、ポップは口に出さないように気をつけて、溜め息をこぼす。 「おはよう。今日も、気持ちのいい朝だね」 朝の挨拶ともに、スッと、ポップの目の前に差し出されたのは、一輪の薔薇だった。 が、残念ながら相手は他国の貴族。ダイやヒュンケルに対するような対応は、できやしない。 会議だの面会だのの用事が、それこそ分刻みで詰まっているのだ、部屋に籠っている訳にもいかない。 「…………おはよーございます。で、その薔薇がなにか?」 どう聞いてもお義理なその挨拶を聞いて、ジュリアーノは我が意を得たりとばかりに力強く頷いた。 「ああ、不審に思うのも無理はないよ、マイ・スィート・ディジー! キミへの愛を薔薇の花の数で示すのであれば、この城いっぱいを薔薇で埋めてもまだ足りないのだから。 「分かんないし、興味も全くないっすけど」 身も蓋もない、木で鼻を括ったような返答だが、ジュリアーノの心は不滅だった。 「薔薇は、美しい。だが、ヒナゲシの魅力はそれ以上だよ、キミの魅力の前では、薔薇の美しささえ色褪せる……! 自分自身に陶酔しきったように、大仰な愛の言葉を訴えてくる男の姿と声は、非常に目立つ。 こんな光景が朝だけと言わず、城内で顔を合わせるごとに繰り返されるのだから、たまったものじゃない。 「あー、どーも。それじゃ、おれは急ぐのでこれで。――ほらっ、ダイ、行くぞ」 めいっぱい不機嫌そうなダイを無理やり引っ張って、ポップはそそくさと逃げるようにその場を立ち去る。 「待ってくれよ、マイ・スィート……」 未練たっぷりにまだ追いすがろうとするジュリアーノを諫めるのは、クラウスだ。 「ほらほら、坊っちゃん、一応用事は済んだんだし、気はすんだんでしょ? いい男ってのは引き際もいいもんですよ」 「え? そ、そうなのか?」 暴走しそうなジュリアーノとダイをそれぞれの相方が抑えることで、なんとかバランスを保つ。
ベンガーナ城の回廊を歩きながら、ポップはダイに向かって気楽にそんなことを言うが……ダイはすぐには返事もできなかった。 (もーっ、どうしてポップってこんなにニブいんだよぉっ?!) 大好きな大好きな、世界で一番大切な恋人。 その相手に言い寄ってくる男がいるというのに、上機嫌でいられるはずがない。 「だって! あいつってば、毎日、ポップに会いにくるじゃないか!」 口に出す以上の不満を込めたダイのその言葉の意味は 残念ながらポップにはあまり伝わらなかったようだ。 「あー、あいつもまったく、マメっていうか暇だよな。いーかげん迷惑だし、やめてくれりゃいいのによ」 ポップも嫌がってはいるようだが、ダイのように強い敵意を感じているわけじゃなさそうだ。 「そんなの、おれだって嫌だし、やめてほしいよ! ポップ、あいつを止める方法ってないの?」 そう聞いたのは、ポップならそれを知っているんじゃないかという期待があったからだ。 が、ポップは考える素振りもせず、逆にダイに質問を投げ返してくる。 「じゃあ、なんとかする方法をおまえが考えてみろよ。あ、言っておくけど、戦いと魔法は一切禁止な」 「えっ?! それじゃ、あいつをどうやって倒せばいいんだよ?」 「だから別に、『倒す』必要はないだろうがっ!! つーか、倒すな、絶対にっ!」 強く釘を刺され、ダイはしぶしぶながら頷いた。 「う〜、分かったよ」 ダイ的にはアバンストラッシュXをぶちこんでしまいたいぐらいだが、ポップに嫌われたくはないのでなんとかその考えはしまい込む。 「えっと、えっと? ベンガーナ王に、頼んでみるとか、だめかな?」
稚拙ではあるが、ダイはダイなりに一生懸命考えたに違いない言葉を、ポップはすげなく切り捨てた。 「だめだ。ぜーんぜん、だめだっつーの」 「えー、なんでだよ? 頼むだけ、頼んでみてもいいじゃないか」 「やだって言ったら、やだ! 男に口説かれて困ってますだなんて、ンなみっともないこと、言えるもんか!」 ダイに釘を刺す意味を込めて、ポップは強く言い切った。 ベンガーナ王にポップが困っていることを教えれば、なんらかの対処をしてくれるのは間違いはない。 魔王軍時代からの知り合いでもあるし、ポップを自国に招きたいと考えているだけに、多少のわがままでも聞いてくれる可能性は高い。 だが、そうと分かっているだけに、ポップは彼に助けを求める気になどなかった。 それは単にこの場限りの選択ですまず、下手をすれば国を揺らす元になりかねない危険な選択になりかねない。 ポップやレオナが理想とする、人間も怪物も平等に暮らせる平和な世界への第一歩だ。 それは、いいことには違いない。 新興勢力の誕生は国を勢い付ける代わりに、古くから国を支配してきた貴族達の力が弱まることを意味している。 それを一番感じ取っているのは、新興勢力の中で一番の出世頭ともいうべきポップだ。 庶民出身なのに各国の王の信頼も厚く、古くからの慣習に囚われないポップの行動は、貴族階級にとってはひどく目障りなものだ。 ポップの活躍に焦りを感じている貴族連中は、常に彼の足を引っ張るスキを狙っていると言っても過言ではない。 「じゃあ、レオナに頼むってのは、どう?」 その途端、ポップはまさに飛び上がるような勢いで拒絶した。 「じょおっだんじゃないぜ! んな話、姫さんになんか言った日には、腹を抱えて笑い転げまくった揚げ句、一生からかいのネタにするに決まってるっつーの!」
咄嗟に、ダイはそう思ってしまった。それは、ぜんぜん否定できない。 「…………あー、えっと……でも、レオナ、助けては、くれると思うよ?」 あえてポップの言葉は否定せず、ダイはそれでも控え目に頼りになる女友達の弁護してみる。
――まあ、代償としてからかわれるのはダイも否定はしないが、ダイにしてみればそれぐらいどうってことはないと思える。
きっぱりはっきりと、ポップは宣言する。 ポップがミスをすれば、それは同時に、政治的同盟者であるレオナの失脚にも結び付くのだから。 恵まれ過ぎていて、世間知らずな貴族の子息。 「それに、あの男ってけったいな上に趣味も悪くてどうかしてるけど、それ程悪い奴でもなさそうだしよ。 男に口説かれるなんぞ、ポップとしてはゾッとしないが――旅の恥はかき捨て、という言葉もある。 はっきりいって、ポップにしてみればジュリアーノが本気で自分に惚れただなんて、思っちゃいない。 遊び半分の誘いだろうと考えていたし、それなら目の前から対象が消えれば熱が冷める程度のものだろう。
(ポップ……ッ、ポップって、ホントに分かってないよ) 楽観するポップとは対照的に、ダイは焦りや不安を抑えきれない。 一般市民ではさすがに少ないが暇を持て余した貴族階級では、それも一つの趣向としてそれなりに広まっている。 別にその風潮自体には、ダイはどうこういうつもりはない。ダイ自身だって、そうなのだから。 だが、たった一つ気に入らないのは、ポップをその対象として見る者が、少なからずいることだ。 それでも、今まではポップが拒否すれば、大抵の男は諦めてくれた。 ポップを本気で怒らせれば、最強魔法で反撃されるのは目に見えている。それを考えれば、大抵の男が涙を飲んで引き下がるのは当たり前だろう。 ひたすら熱心にポップの元に押しかける情熱や、手酷く断られてもまったく気にせずに話しかけるあの態度。 彼が、本気だと。 ポップは、基本的に人がいい。 そんなポップの甘さや優しさが、ダイは好きだ。 「……ポップ」 腕の中にポップを閉じ込めるように壁に押しつけると、呆気なさすぎる程あっさりと実行できてしまう。 「ほら、ポップって油断しすぎなんだよ。こんなに簡単に、掴まっちゃうじゃないか」 「そりゃ、てめえがいきなり掴むからだろうがっ?!」 文句を言いつつ手をふりほどこうとポップが身動ぎするが、そんなものは簡単に押さえ込めてしまう。 「ちょ…っ!! ダ、ダイ、待てよっ?! ここ、どこだと思って……っ」 いきなりダイに顔を寄せられたポップが焦った声をあげるが、ダイは構わなかった。真剣な表情でポップの目を覗き込み、心配そうに言う。 「ポップ……約束してよ」 「な、なにをだよ……」 少し怯えた様に自分を見上げるポップに対して、ダイは囁くように言った。 「あいつに、気を許したりしないって。おれが側にいない時は、油断したりしないで」
いきなりの抱擁で、いきなり迫られて。 (い、いやっ、別に期待してたとか、そんなんじゃ全然ないから!) 誰にも聞かれていないのに強く否定し、一人で顔を赤らめているポップに、ダイはなおも真剣に言って聞かせてくる。 「ホントに、気をつけてくれよ? ポップって結構スキが多いから、おれ、心配なんだ……」 ダイの真剣さは、分かる。本気で自分を心配してくれているのも、分かる。 が、それでもポップだって男の端くれだ。 「なんだよ、あんまり人のことをバカにすんなよな。そんなに心配しなくったって、自分の身ぐらい自分で守れるし、そうそう油断なんかしねーよ!」 それは今は掴まってしまったが、それは相手がダイだからだ。 「うん、それならいいんだ」 こくりと頷く子供っぽい仕草のすぐ後、年下の勇者はやけに大人びた印象の笑みを浮かべ、不意に顔を寄せてくる。 「――おれ以外の誰にも、こんなことさせちゃだめだよ」 時間差でされたキスに、ポップの顔がさっきとは違う意味で赤くなった――。 |