『秘密の噂 ー前編ー』 |
「ねえ、最近、ダイ様とポップ様って……な〜んか怪しいと思わない?」 本人は他人の耳を憚って、声を潜めたつもりだったのだろう。 だが、それでも普通ならそんな声など、聞き流すだろう。 仕事をする際、余分なおしゃべりをしてしまうのは女性特有の習慣というもの。 不本意とはいえ城で暮らす様になってから結構長く経つだけに、ポップとてそれぐらいの『常識』は身についた。 しかも、ダイの名前も混じっているから、なおさらだ。 「怪しいって、何が?」 「いやだ、あなたってば知らないの? 今、みんなの間ですっごく噂になっているのにー。ほら、勇者様と大魔道士様って、よくお互いのお部屋に行くじゃない。しかも、人目を憚るように、夜に! あれ、最近多すぎると思わない?」 その言葉に心臓がギクッと跳ね上がるのは、ポップ自身に疚しい部分があるからだ。 「ああ、そう聞くわね。でも、あのお二人って魔王軍との戦いの時からの親友同士なんでしょ? 普段から一緒にいることも多いし」 「やぁだ、あなたって、子供ね。あれには人には話せない理由があるのよ。実はね……」 肝心な部分で、声がより一層潜められた上に、掃除をしている最中の物音がするせいで、会話が聞き取りにくい。 「えっ、うそっ?! あのお二人って、実はそんなコトを……っ?!」 「しーっ、しーっ、声が大きいわよ! でも、そうらしいわよー。ね、びっくりでしょ?」 「でも、それが本当だったら、……レオナ様があまりにもお気の毒だわ。知ってらっしゃるのかしら?」 「ああ、それなら――」 と、さらに何かを言いかけた侍女達の会話は、ぴしっとした厳しい声に遮られた。 「あなた達! 図書室ではお静かに!」 「きゃあ〜っ、す、すみませ〜んっ」 もはやパプニカ図書室の主とも言える、名物司書長に一喝され、侍女達は慌てて謝り、そそくさと逃げ出していく。 普段ならポップとてこの司書長女史を苦手としているのだが、はっきり言って今はそれどころではなかった。 (バッ、バレてるっ?! バレてるのかっ?!) 思い当たることは、ある。 だが、周囲の者にその理由を今まで問い質された覚えはない。……まあ、もし、それを聞かれたしても、ポップは絶対に真実を教える気などないが。 ポップにしてみれば、この関係は死んでも他人には知られたくはない。 ダイときたらいまだにポップの後を追いかけ回してくるし、人前でもお構いなしにベタベタと抱きついてくる始末なのだが だが幸か不幸か、誰もがそれを『普通』と受け止めている。 ダイとポップは魔王軍時代から一緒にいることが多かったし、周囲もその延長線上と受け入れている雰囲気があった。 実際、常識で考えれば、いい年の男二人が朝から晩まで一緒にいる方が変なのだ。怪しい目で見られて、当然といえば当然だろう。 (まずい! それ、ヤバすぎるって) 冗談抜きで、血の気が引いていくのを感じる。貧血にも似た目まいのせいで、くらくらしてきた。 別にポップ自身は偏見を持つ気はないし、自分に関わりのないところでなら、他人の趣向に口を出す気はない。 ……まあ、正直言って、可愛くてボインボインの女の子ではなく、敢えて野郎をそう言う対象として見る奴の気が知れないとは思うが、それでも同性愛を否定する気はない。 だが、それはそれとして、やっぱり一般的な意味ではそれは通常恋愛とはみなされない。宮中では男同士の恋愛や肉体関係も割に珍しくはないのだが……それでも、奇異の目を向けられるのは免れない。 でもまあ、そこは百歩譲って我慢するにしても、真にためらう理由は別にある。世間に知られまくったとしても、それでもこの人にだけは知られたくないと思える相手がいるのだ。 王族には珍しく、結婚適齢期になっても結婚どころか婚約者すらもたないレオナが誰を思っているのか、仲間であるポップは嫌という程よく知っている。 しかし、数年経って成長すれば、勇者は逞しい青年となる。雄々しい男へと成長した勇者が、命を懸けて救ったお姫様と結ばれる――そんな絵に描いた様なハッピーエンドを、望まない者はいないだろう。 ダイから気持ちをぶつけられるまでは、ポップとてその結末を望んでいた一人なのだから。 そんな彼女の想いを知っているからこそ、ポップとしては真相は伏せておきたい。
考え事を始めた途端、スッと目付きが怜悧になるのは大魔道士としての習性というものか。 成果のみを追及するその思考の際、ポップは自分自身の感情や身の安全などは切り捨てる。 勇者に勝利をもたらすために戦略を練った時と同じ思考回路で、ポップはダイにとっての最善を計算する。 答えを出すのは、簡単だ。 (……そうだよな。これが、一番いいんだよな、誰にとっても ) そう考えた時、胸がちくんと痛んだのを、ポップは敢えて気がつかないふりをした――。
「え? なんで……」 それは、ダイにとってはあまりに突然の出来事だった。 「申し訳ありませんが、ここをお通しするわけには参りません。大魔道士様が、ダイ様を決して通すなとお申付けになりましたので……」 ポップの部屋に通じる螺旋階段の前付近は、王族の私室へと繋がる回廊となっている。その都合上、常に二人の近衛兵が見張りをしていて、奥の回廊か、もしくはポップの部屋に行く人物を厳しくチェックしている。 不審者を通さないための、安全策の一つだ。 というか、毎日、何度となくポップの部屋に押しかけるのが日常だ。押しかけられるポップ本人でさえ、仕方がないなと苦笑しながらも歓迎してくれる。 「えっと……それ、ホントにポップがそう言ったの?」 思い当たることが全くなくて、ダイは当惑しながら聞き返す。 「はい、間違いなく」 (なんか、おれ、ポップを怒らせることしたっけ?) 真剣に首を捻って、ダイは考え込む。 ちょっとしたことでもすぐに腹を立てて、怒りだす時がある。時には、完全なる八つ当たりをダイにぶつけてくることだってある。その分、すぐにケロッと機嫌を直して、笑ったりもするのだけど。 そんなポップの気紛れさには、ダイは慣れている。 (……なーんか、ポップらしくないなぁ) ダイが来るのが嫌だと言うのなら、普段のポップならきっぱりとそう言うか、直接魔法をぶつけてくるだろう。 「あのさー……。もしかして、ポップ、具合が悪いとか、ケガをしたとか、そんなんじゃないよね?」 心配になって恐る恐る聞くと、兵士達はいいえと首を振った。 「なら、いいや。今日は、おれ、もう帰るね。明日にでもまた、ポップと話してみるよ」 ここで粘っても兵士達の迷惑になるだけだろうし、無理強いしたところでポップの機嫌がより一層悪くなるだけだろうと考えたダイは、とりあえず引き上げることにした。 だが――帰り道、足取りが自然にしょんぼりとしてしまうのは、どうしようもないことだろう。 (ポップ、……お昼までは、いつも通りだったのになー) 必要以上にがっかりしてしまうのは、今夜が待ちに待ったポップの休日前夜だからだ。 休日前の夜というのは、ダイにとっては特別だ。 恋人関係になってから結構経つが、ポップは未だにダイとベッドを共にするのに積極的とは言えない。 やれ、バレやすいから昼間は嫌だの、翌日の仕事が辛いから平日の夜は嫌だのという口実で拒まれることが多いが、次の日が休日という日は比較的口説きやすい。 今日だって、そうだった。 もちろん、ダイは嬉しかったし二つ返事で快諾した。 (あの時のポップ、可愛かったよなぁ〜。もし、あそこが食堂じゃなかったら、キスしたかったのに……っ! だから、ダイとしてはすっかりその気だったし、頷いてくれたからにはポップの方だってそのつもりでいてくれると思っていたのだ。 だが、ダイの名誉のためにいうのなら、その目的のためだけにポップのところに来たわけじゃない。 ただ、それだけなのだ。 それならそれで、ただ一緒に寝るだけでもいい。それさえも駄目だと言うのなら、せめてポップの顔を一目見て、おやすみと一言、伝えるだけでもよかった。 一晩、ぐっすり寝たのならばポップの機嫌も落ち着いて、いつも通りに戻るだろう。そうしたら、今日の昼にポップが言っていた料理店に、一緒に行こう。
と、ひどくショックを受けた顔で叫ぶ勇者を前にして、近衛兵達はひどく申し訳なさそうな顔をしながらも、それでも道を塞ぐ。 「はい。非常に申し上げにくいのですが……大魔道士様のご命令でして」 「で、でもっ、おれ、もう一週間もポップに会ってないんだよっ?!」 とんでもない不幸に出くわしたかのように必死に訴えるダイに、近衛兵達は居心地悪そうだった。 「ええ、存じ上げています。勇者様がお尋ねになっていることや伝言は、大魔道士様にもお伝えしているのですが……」 近衛兵はそこで口ごもったが、ダイはその先の言葉を自分自身で口にする。 「ポップが……おれに、会いたくないって言ってるんだね?」 自分で言った言葉に、自分で傷ついたような表情で呟く勇者に、誰も相槌も打てなかった。 「…………分かったよ、困らせてごめん」 肩を落とし、悄然とその場を去っていくダイの後ろ姿を、近衛兵達は同情を交えた視線で見送った――。
そう考えながらポップは、図書室の奥まった通路をゆっくりと歩いていた。 ダイを、無視する。 まず、噂を鎮火させるために接触を避けること。それは単に噂を消すのだけが、目的なのではない。 ダイと自分との関係を断ち切らせ、レオナとの付き合いを始めさせる。 魔界での孤独な、そしてなんの希望の見えない絶望的な時間。 それが、ダイの心に与えたダメージは少なくはないだろう。あまりにもその傷が大きすぎて、そこから開放してくれた存在を絶対的なものと誤解し、それを恋と勘違いしているだけではないのか。 そんな風に思ったのは、今回が初めてではない。 実際、ポップにしてみれば、ダイがなんで自分に友情以上の感情を抱くのか分からない時がある。 ダイが、そんな想いを抱くべき相手は他にいる そう思えてならないのだ。 外見が完璧な美少女であるレオナは、その中身も輝かしいまでの魅力を備えている。恐ろしい程勝ち気で気丈なお姫様ではあるものの、それは彼女の魅力を少しも減じないだろう。 少々わがままで勝ち気なところでさえ魅力的に思える彼女と、一緒に居る方がダイにとって正しい選択だと思えてならない。 はっきりフるのも考えないではなかったが、できればそんな修羅場を繰り広げたくはない。それに、そこまでするまでもないだろうという想いも、ポップの中にあった。 迫害される自分をあっさりと受け入れ、人々が自分を厭うのなら地上を去ってもいいと考えるような奴だ。 本当だったらすぐにでもポップがパプニカを出た方がいいのだろうが、今やっている仕事を投げ出してまでそうするのはさすがにためらわれる。 その実現のために、ポップは自分のできる限りの力を貸そうと決めている。それを中途半端で逃げ出すのは、いくらなんでも気が進まない。 きちんと形式さえ整えれば、国外にいたとしてもレオナやパプニカ王国の方針に手を貸すことはできる。 (ほとぼりが覚めるまでどっかに行って……、ダイとレオナがうまくいってからなら、戻ってきてもいいか。 ちくりと心のどこかが痛んだのに気がつかないふりをして、ポップは棚と棚の間の細い通路をゆっくりと移動する。 「……っ?!」 一瞬、体が浮くほど強引に腕を引かれ、通路の奥へと連れ込まれる。 左右には高い本棚がそびえているし、やっと人が擦れ違える程の狭さしかない通路の最奥に押し込められているのだ。目の前にいる人にも協力して端に寄ってもらわなければ、ここから出られない。 だが、どう見ても目の前にいる人物は、道を開けてくれそうもなかった。 「なんで……おれを避けるんだよ、ポップ……!」 いつもより低く、掠れて聞こえる声が自分の名を呼ぶのを、ポップは呆然としたまま聞いていた――。
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