『其は竜の神を崇める者達 ー前編ー』 |
「すみません。少しばかり、お話をしてもよろしいでしょうか?」 控え目に、だが、どことなく媚びを含んでかけられた女性の声に、ラーハルトは内心うんざりする。 (まったく、これだからパーティに参加するのは嫌なんだ) パーティに参加するのも、その場で女性に声をかけられるのも、ラーハルトにとっては面白いものではない。 だが、夜に行われるパーティでは少しばかり事情が違う。 ラーハルトのすらりとした長身、細身に見えて逞しい体付き、なによりも端正な顔立ちに惹かれて、積極的に声をかけてくる女性は少なくはない。 なにせ、今日のパーティは特別だ。 しかも、関係者を集めて開く大規模なパーティをメインにした、前夜祭。 それは世界が救われてからというもの、人間達がひどく熱心に行っている祭りの一つであり、大行事だ。 もはや魔王軍になんら未練もなければ義理もないし、それとは逆に勇者一行には少なからぬ恩義と、好感を抱いている。 積極的に自分から協力する程の熱意はないし、半分魔族の血を引く自分がでしゃばるのは僣越だろうと思って表立っては動いてはいない。 だからこそ、ラーハルトはダイにどうしてもと頼まれれば、嫌であろうともパーティへの参加は断らない。 だが、それを見通していたとしても、ラーハルトは主君からの頼み事を軽視する男ではなかった。 もっとも、ラーハルトの役割ははっきりいって頭数に近いものがある。要は、勇者一行のメンバーがベンガーナや他国の意向を尊重していることを示すために。 そのため、最初の挨拶が済んだ後は、ラーハルトはもう役割は済んだとばかりに隅の方に引き込んで、パーティが終わるのをひたすら待っていた。 退屈を持て余しながら佇んでいる美青年は、パーティの華やぎに浮かれた若い娘にとってはかなり魅力的に写る様で、隅の方にいるにもかかわらず何度も声をかけられる。 いくら夜だから目立ちにくいとはいえ、間近まで来ればラーハルトの肌の色の差にはさすがに気がつく。 「悪いが、断る。パーティを楽しみたい気分では、ないからな。今夜を楽しみたいのなら、別の相手を探すことだな」 普通の娘なら、ラーハルトの肌の色に気がつくか、あるいは冷たく拒絶されたのにショックを受けてそそくさと立ち去る。 「あら……奇遇ですこと。私も今宵のパーティを少しも楽しんではおりませんの」 意表を突いた言葉に、思わずラーハルトは彼女に目をやった。 見た目は十分に若々しいが、彼女には年若い娘にありがちな浮ついたところが少しもない。
「そして、私はラーハルト様と一度お話をしてみたいと、以前より切望しておりましたわ。竜の騎士様についての、忌憚のないお話など……ね」 「…………」 わずかに目を見張り、ラーハルトは突然現れた貴婦人を見返す。 「いかがかしら、決してあなた様にとっても損になる話ではありませんことよ?」 貴婦人の言葉に答える前に、ラーハルトはしばし沈黙する。彼女を見定める様に何度も見返し、静かに問いかけた。 「……おまえは、何者なんだ?」 「それをお知りになりたいのなら、ご覧になって」 くすりと笑ってそう言いながら、貴婦人は扇の角度を変えて胸元を隠す。そうしながら、もう片方の手で大胆に胸元をくつろげて見せた。 普通の男だったら、たわわな乳房や、双丘の間にくっきりと刻まれた谷間に自然に目がいくだろう。だが、ラーハルトの目に留まったのは、彼女の乳房に刻まれた入れ墨だった。 そう大きなものではない。 コインほどの大きさのその入れ墨は、普通にドレスを着ていれば隠される位置に彫られている。 「いかがかしら? 私達の仲間は、必ずこの証しを身体のどこかに刻みつけていますの。 我らの誓いと、崇高な思いを証明するためにね」 ラーハルトが入れ墨を見たのを確認すると、貴婦人は服の乱れを直した。 色っぽい貴婦人から、不屈の闘志を持つ女戦士へ――だが、ラーハルトの目には、今の彼女の方がよほど自然な様に見えた。 「私は――いえ、我々は、竜の騎士様を至上の存在と崇める者。竜の騎士様の忠実なる僕……つまりは貴方様と志を共にする者ですわ」 竜の騎士とは、古代より変わらずに人の世に現れ、神の遣いとも伝えられる存在だ。その相手を神と崇め、信仰する者達が発生するのは、むしろ自然な成り行きと言うものだろう。 現在ではその信仰は廃れてきたものの、かつては狂信的なまでに竜の騎士を崇め奉る者達も存在したという。 かなり歴史のありそうな、なおかつ少なからぬ人数の組織を想起させる彼女の話を聞きながら、ラーハルトも淡々と答える。 「それで、オレに何の用だ。ダイ様への取次でも、オレにしろとでも言うのか」 「まさか。 扇を音を立ててパチリと閉じた彼女は、その扇である一方向を指した。 それは勇者一行や彼らを尊敬する者達にとっては、見ていて微笑ましくなる光景だっただろう。 偉大なる伝説を持つ勇者とその魔法使いのごく人間的な一面を目の当たりにするのは、大半の人間にとってはホッとできるものであり、彼らを身近に感じられるものなのだから。 だが――そうとは受け取らない者達も、存在するものだ。 「……許しがたい行為とは、思いませんか?」 冷ややかな言葉に明らかな敵意を込めて、貴婦人は手にした扇に力を込める。ほっそりとした指が力を込め過ぎて真っ白になり、小刻みに震えていた。 それを察っせない程、ラーハルトは鈍くもなかった。 神の眷属である竜の騎士を人間の一員と認めさせ、貶めているとさえ思っているのかもしれない。 「あの人間めは、ダイ様には相応しくありませんわ。抹消されるべき存在……そうは思われませんか?」 貴婦人然とした微笑みを浮かべたまま暗殺計画を仄めかす彼女に対して、ラーハルトは驚き一つ見せずに、不敵に笑う。 「……なるほど、こんな退屈なパーティなんかよりはよほど楽しめそうな話だな。詳しく聞かせてもらおうか」
そう言いながらわざとラーハルトに見せつけた男の手の甲には、入れ墨が刻まれていた。ちょうど、ダイと同じ場所にある入れ墨を眺めながら、ラーハルトは目を動かさないまま周囲を伺う。 パーティの後、貴婦人に誘われるまま連れて行かれたのは、町外れの館だった。 急遽、取り繕われた感の強い館の広間には、ラーハルトをここにつれてきた貴婦人も含め十数人ほどの男女がいた。 「……そんなことだけで、いいのか?」 「ええ、それこそが重要なのです」 リーダー格だと名乗った男は、穏やかな口調のままで淡々と語る。 「もちろん、我らとて竜の騎士様を攻撃に巻き込む気など毛頭ありませぬ。だが……、竜の騎士様はあの魔法使いをずいぶんとお気に召している様子。 彼らがポップの暗殺を試みる上で、最大の障壁となるのは、皮肉にも彼らが最大限に尊敬するダイの存在だ。 少しでも調査すれば、ダイとポップが一緒にいる時間の多さに驚くだろう。 ポップを助けようとして、ダイが自ら攻撃範囲に入ることは、充分にあり得る。 「竜の騎士様の御身を思えば、危険の芽は可能な限り排除したい。 真剣に依頼するリーダーの言葉を、メンバー全員が固唾を飲みこんで見守っている。それを理解した上で、ラーハルトの口から漏れたのは失笑にも似た言葉だった。 「ダイ様さえ、引き離せばそれでいいとはな。 疑惑の目を隠しもしないラーハルトの問い掛けに、その場にいた者達の大半が、ムッとした様な表情を見せる。 「お疑いは、ご尤も。 世界最高の魔法使いの名をあげろと言われれば、今や十中八九の人間がポップの名をあげるだろう。 また、外見や若さに似合わず、彼の実力は折り紙付きだ。 魔法使いとしてトップレベルの実力を持ち、高いレベルの回復魔法を自在に操るポップを、暗殺するのは至難の業と言える。
穏やかなその言葉は、普通に聞けばただの一般的な精神論と聞き流せたかもしれない。だが、大魔道士について詳しく知ってる者にとっては、別の意味を持って聞こえる言葉だった。 「……なるほどな。おまえ達はどうやら、かなりの情報網を握っているらしいな」 感心したとも、皮肉ともつかない口調で、ラーハルトは言う。 世界会議の最中は全ての者が武装を全て外すと言うルールに従って、魔法を使える者はその魔法を封じられるのだ。 本人も望み、魔法抵抗力をぎりぎりまで下げた状態で、複数の術者によってかけられる魔法封じの呪文は、ほぼ一週間弱続く。 ポップにとっては最大の弱みとも言えるこの期間は、周囲の人間には厳重に口止めされ、警戒が強められている。 どんなに秘密にしようとしても、いつの間にか漏れる。どんなに固い約束も、口止めにも、絶対の効力の保証にはならない。
「よく調べているものだ」 今度は心からの驚きを交えて、ラーハルトは言う。 だが、今回の記念式典は特別だ。 本当なら、ポップの魔法が明日いっぱいは封じられたままな以上、旅行自体を避けたかった。 それだけにパプニカ側は念を入れて、情報操作やら護衛に気を使っていたと聞いていたが、それはかなり穴があったようだ。 「お褒めいただいて光栄ですな。 物柔らかな誘いだが、周囲にピリピリとした緊張感が走る。 もし、ラーハルトが拒絶すれば、この場で戦いは始まるだろう。 「……無理だな」 その返答に、周囲の空気がサッと張り詰めるのに気付かないでもないだろうに、ラーハルトは拒絶したのと全く同じ口調で淡々と語る。 「儀式の場でのダイ様達の立ち位置は、すでにずいぶんと前から決められている。それを無理やり変えようなどとしたら、それだけでちょっとした騒動になる」 「それは存じていますが、我らはこの時が最適な狙い目かと考えております。 食い下がるリーダーの言葉を、ラーハルトはあっさりと否定した。 「いいや。狙うのなら、もっといい機会があると言っている。それよりも狙うのなら、後夜祭の方だろう。 整いすぎて無表情に感じられる半魔族の顔に、皮肉めいた笑みが浮かぶ。 「あいつは馬鹿にも程があることに、魔法が使えなくなっても普段と対して変わらない行動を取る」 そこまで言って、わずかに舌打ちするラーハルトの表情には、演技とは思えない苛立ちが宿っていた。 「そして、あいつは普段からこっそり城を抜け出して、息抜きをするのも珍しくはない。……本当に、馬鹿な奴だ」 ラーハルトの言葉に、その場にいた者達は互いに顔を見合わせ、小声で囁き合う。それが、情報を確認するためだと分かっていたから、ラーハルトはそのさざめきが収まるのを待った。 ポップがお忍び好きで、ちょくちょく城を抜け出してうろついているのは、限られた人間だけが知っている情報だ。
その言葉に、一同の間に小さなどよめきが上がる。 「あの馬鹿は、そんな時はいつも護衛の目を盗んで撒こうとする。 突き放す様なラーハルトの言葉に、もはや一同は歓喜の表情を隠しもしなかった。最初の頃と比べても、ずっと友好的な態度でにこやかに礼を述べてくる。 「それはそれは……! 耳寄りな情報をありがとうございます、ラーハルト様。 揉み手せんばかりに頭を下げる竜の騎士の信仰者達を前にして、ラーハルトは淡々と言葉を結んだ。 「後夜祭は、ダイ様は城から一歩もでないように説得しておく。 |