「友と師と」

  

 人里離れた怪物達の楽園、デルムリン島。その島に接近した魔力の光に気がついて、隻眼のリザードマンは訪問者を迎えに出た。

「お久しぶりです、皆さん。」

 島の長老であるブラスの家近くに訪れたのは、独特の風貌をした眼鏡の男だった。

「アバン殿。」

 ブラスは歓迎の笑みを浮かべたが、すぐ心配そうに訪問の理由を尋ねる。アバンがフローラと結婚し、カール国復興に忙しい身であることを知っているから、彼の来訪には深刻な事情があると判断したのだ。アバンはやわらかく老人に微笑みかけ、心配はいらないと告げる。

「クロコダインさんにちょっとしたご相談があるんですよ。」

 そうしてアバンはクロコダインを伴って木漏れ日がキラキラと降る森のはずれへやってきた。

「相談事とは何だろうか。」

「予測はお付きでしょうが、ロモスの王様よりお願いされている件です。」

「魔の森、ですか。」

 クロコダインは渋面で答える。あまり嬉しい話題ではないのだ。それを見て取ってアバンは気が進みませんかと苦笑を見せる。

「役不足ですか?」

「いや、とんでもない。むしろ、その、」

 ロモス王国にとって魔の森は海から来る異邦者から国を守る遮断壁の役割を持っている。多勢からなる軍隊が侵入すれば、その不穏な気配にモンスター達は反応し、攻撃にでるからだ。

 しかしモンスターが数多く生息する森が国内にあるという事実は、一方で国民の不安を煽る。民達は大戦の時に森からわき出るように現れたモンスター達が襲いかかってきた光景を忘れては居ない。

 そこでシナナ王は魔の森の秩序の担い手をクロコダインに望んできたのだ。しかしクロコダインには納得がいかない。

「オレは一度はモンスターを率いてロモス王国に攻め入った男です。その同じ場所でそのような責任ある地位につく資格がオレにあるのかと。」

 何故ならそれは変則的ではあるが領地を持つ貴族と同格の地位を彼に認めるということだからだ。なにしろ魔の森はデルムリン島に準じて基本的にモンスターを主とする地であるとロモス王は明言しているのだから。

「そうですね、資格云々は置いておくとして、念のため申し上げますが責任とは重荷のことですよ。」

 言うまでもないことでしょうが。とクロコダインを見つめるアバンの瞳は至極真剣なものだ。

「私は最初にロモス王からこのことについてご相談を受けた時、何と巧みな手を打たれる方なのだろうと感心させられたんです。あなたに依託することによって魔の森は安泰です。万が一にも揉め事が起こっても、勇者の仲間であるあなたが責任者ですから、世界中から支援が望める。でも、」

 言ってアバンはクスリと笑みをこぼした。その響きはわずかに自嘲に彩られていてクロコダインの首を傾げさせる。

「あの方の素晴らしさは、私の小狡い、策謀慣れした頭の考えることなど軽く超えていらっしゃいましたね。シナナ王はいつも本当に相手に善かれとしか思っていない。この度のこともあなたが受け止めた通り、あの方のつもりではあなたを高く評価している事実を具体的に表現するための人事でしょう。ちょっと私、あの方を自分の尺度で考えてしまって自己嫌悪に駆られちゃいました。」

 あれが王者の風格というものかも知れませんね、とアバンは微笑う。

「あの方の純真な心が国にとって最善を選ぶ。悪意をもって操ろうとする相手には弱いかもしれませんが、信頼できる相手にはこれほど確かな繋がりもありません。さてそこでクロコダイン、あなたの存在が魔の森にあるということがどういう流れを生み出すのか、ですが。」

 話が若干他所にずれてしまったことを自覚したのか、アバンは頭を一振りしてもう一度クロコダインの眼を見上げてきた。そして描き出してみせる。

 現状でもロモス王はデルムリン島と深い親交を保っているが、いかんせん彼の地は人里から遠く離れた隔離された場所だ。市井の人々がモンスターと触れあう機会は無い。しかしクロコダインが魔の森を治めれば、自ずとモンスターと人の間に太いパイプが生まれることになる。

 ロモス王からの任を受ければ、そこには義務も生じる。魔の森維持のために国王への報告と、様々な要請をすることが必要だ。当然それには任を受けた本人が国王の元に直接赴くことが望ましい。

 つまり必然的にロモス首都に人外の者の定期的な訪問が行われるということなのだ。

「もちろん、嫌な想いをすることもあると思いますよ。責任の重さも理解せずに地位の高さばかりを羨む輩というのは多いものですからね。それこそあなたが引け目に感じていらっしゃる過去の立場や種族の違いは格好の攻撃の的となるでしょう。シナナ王の思惑とは逆に、あなたには気苦労が多いばかりの任だと私は予測します。それでも、私はあなたにこの仕事を引き受けていただきたい。」

 そしてアバンは決定的な一言を口にした。

「本当にそう思われますか。」

「はい。」

 問い正したクロコダインはアバンの揺るぎない強い瞳に迎えられる。

「人間は残念ながら忘れっぽい存在です。特に感謝の念などは至極早くに薄れる。私の昔の仲間は以前、魔王を倒した功績を認められて王宮内部に役職を得ましたが、あっという間に周囲の妬みを買って王宮から追い出されてしまいました。」

 まぁそれは頭の本人には予想済みのことで、最初から大して長く務めるつもりもなかったようですがとアバンは苦笑して話を続けた。

「彼の存在はたかだか十数年でおとぎ話に劣るほど人々の記憶から失われていました。ですがこの地上で、異種族の存在は決して忘れられてはいけません。忘れられても、排除されてもいけないのです。あの子が帰って来た時に曇り無い笑顔でいられるように。」

「だがアバン殿、オレが下手をうてば逆の局面を呼んでしまうのではないだろうか。魔の森で人が傷つくようなことがあれば、」

「そこには魔の森におけるモンスターの権利を認めるロモス王のお言葉が効くわけです。もっともあなたほどの方が失敗をなさるとも思いませんが。」

 元々魔の森周辺の住民はあの土地と長らく付き合ってきたのですしね。とアバンはにこやかに笑った。

 おそらく彼は察しているのだろう。クロコダインがとうに説得されてしまっていることを。アバンはすでに最高の切り札を切っているのだから。

「ダイのために。そう言われてオレに拒否の選択肢はない。ロモス王の依頼に、全力をもってお応えしよう。…しかしアバン殿。伺ってもよろしいだろうか。」

「どうぞ? 何でも、ご遠慮なく。」

 アバンはパチリと瞬きしてわずかに首を傾げながらも柔和な笑みでクロコダインを促す。

「繰り返すがオレはモンスターの長として人間の王国に攻め入った男です。羨望などとは別に、純粋にオレを人間と敵対するものだと考えて怖れる人も少なくないでしょう。オレはむしろそれが当然だと思う。アバン殿、あなたとはお会いしてわずかな時しか共に行動していない。何故そこまでの信頼をオレにくれるのだろうか。」

 クロコダインがアバンにまみえたのは、宙に浮くバーンの城でのことだった。あの時彼は地上で超魔ゾンビに苦戦し、ダメージを負っていたこともあって何かをなすこともできずにバーンに封じられて一傍観者でいるしかなかった。戦いの後はアバンはカール国の仕事に忙殺され、クロコダインとの接点は非常に少なかった。

 アバンが求めているのは魔の森を守ることだけではない。人間社会に積極的に関わり、人々の恐怖心をぬぐい去り、確かな信頼関係を築き上げることを期待している。そんなことが自分に可能なのか、クロコダイン本人にも危ぶまれるのに、何故アバンはこともなげに彼が引き受けさえすればこの問題は片付くという語り方をするのか。

 潮の香りがする風が吹き抜けて梢を揺らしていく。その白い肌の上で木の葉の影を揺らしながらアバンは顎を引いて静かに微笑んだ。

「正直に言っちゃいますと、私、あなたを初めてお見かけした時には大変驚きました。」

 アバンが先行していた弟子達に追い付いた時にあったのは、凄まじい危機的状況だった。なにせ空中に浮かんだポップとブロキーナ(と思われる布をかぶった姿)に、全てを消し去るメドローアが迫っていたのだから。咄嗟にアバンは彼らを通過点とする階段上部へとルーラした。トベルーラよりルーラの方が格段に移動時間が早い。アバンは彼らに激突することでなんとかメドローアの軌道から彼らを救い出したのだ。

 しかし予想だしない方向からの強い衝撃を受けた二人は意識を失っていた。彼らを回復して目覚めさせる為に必要な時間を惜しんだアバンはそのまま彼らを眠らせておき、結果、説明のないまま再会したときより人数の増えた仲間をその場に見いだしたのだ。

「私もまだまだ器が小さいですよね。自分が勇者として戦った時には魔に属する方を仲間にするという発想も、機会もなかったものですから、あなたの姿を見て、それはびっくりしたんです。」

 でもね、とアバンの眼が優しさを増した。

「あなたはあの子を心から悼んで下さいましたから。とても深い信頼関係があるんだってわかったんです。生徒達を信じてくれている仲間を、私は疑ったりしませんよ。」

「しかし、」

「ところでポップって人がいいと思いませんか?」

「? おお、実におおらかで、男気にあふれた奴だと思うが。」

 唐突に引き合いに出された魔法使いの名に、戸惑いながらもクロコダインは答えた。

 一度は自分を殺そうとした相手を、いかに助けられたからといってよくもあそこまで屈託無く暖かく迎え入れてくれたものだと思う。戦いの勝者であるダイならばともかく、ポップには警戒されてあたりまえだ。けれど彼は最初から信頼と笑顔をくれた。

「でもね、あの子のそんな面を知ることができたのは、あなたがあの子を認めてくれたからなんですよ?」

 訝しげに眉を上げるクロコダインに、アバンはすかさず言葉を続けた。

「ポップは非常に自分に対する悪意に敏感な子でね。悪意、というか、侮蔑の念、ですか。ほら、見た目がどういっても非力そうですから、侮られやすいんですよね。今は逆にやたらもちあげられたり怖れられたりすることもあるようですが、根底にあるのはどちらも真実を理解しようとしない狭量な心です。」

 もったいないですよね、あの子のあんなに優しいところも、かわいいところも、そんな心持ちでは知ることができないっていうのに。

 クスリと笑うアバンの顔は、親バカならぬ師匠バカのものだが、その内容に異論は全く無い。彼を知ろうとしない者たちは本当に損をしている。

「ま、あの子もプライドは高いし、面倒臭がりですし、知ろうとしない人たちにまで自分を理解してもらうための努力なんて、まずしないんですけど。でもね、だからおわかりでしょう? 信頼って一方向じゃないんです。」

 丸く見開かれていくクロコダインの眼を、アバンはじっと見つめた。

「どうして信じるのか。そう訊かれましたよね。あなたは私の生徒を理解して、信じてくれる。そして私の生徒も、あなたを心から信頼している。私が疑念を持つ理由は一切ありません。」

 言い切ったアバンが差し出した手を、クロコダインは心の内にあふれる暖かな想いに突き動かされるまま躊躇無く握った。

 ところがぐっと力強く握手を交わした後、アバンの眉が頼りなくハの字に落ちる。力の抜けた手を握りあったまま何とも言えぬ沈黙がしばらく流れると、彼はチラリと上目づかいに見上げてきた。

「本当にね、信頼してます。別にお会いしてなかったからってあなたの動向を把握してなかったわけじゃない。大戦中の話も色々聞きましたしね。ダイ達が最初に出会った敵があなたのような方で良かったとも思います。でもですねぇ…」

 クロコダインはアバンの様子から、片頬をふくらませて拗ねるチウやダイを思い起こしたが、そんなバカなと頭を振る前に自分の連想があながち間違いでないことを知ってしまう。

「ちょーっと私もあなたが羨ましいんですよ。話を聞けば聞くほどあの子達にとってあなたがどれだけ大きな支えであるのか知らされるんですから。」

「いや、それはアバン殿。」

「なんてね。」

 誰よりも深く、大きく彼らを支えている人物が何を言っているのかと慌てるクロコダインに、アバンは前言の重みを軽くする口調で返す。

「わかってます。私が言っているのは、お互い様な無いものねだりの愚かな繰り言です。師として望める以上をすでに受け取っているくせに同時には手に入れられないものまで欲しがるなんて、なんてバカな強欲さ加減だってきちんと知ってます。…知ってますけど、それでもやっぱり私は心のどこかであなたを羨んでるんですよ。」

 クロコダインはわずかにアバンを凝視すると、クツクツと身体を揺らし始めた。さしたる間も置かず、それは爆笑となる。

「いいでしょう、アバン殿! あなたの羨望に値する男であるべく、オレはさらなる努力を惜しみますまい。お約束する!」

 アバンは至極満足げな笑顔になった。クロコダインにとってもその笑顔は喜ばしいものだ。いいように踊らされてる感が無きにしもあらずだが、この相手になら構うことはない。

 酸いも甘いもかみ分けた彼の聡明さは、きっと他の、呆れるほど真っ直ぐな仲間を守ってくれるものだから。むしろ自分から頼んで踊らせて欲しいほどだ。

「ええ、私も負けませんよ。」

 先程慌てた拍子に放してしまった手を、今度は拳に変えて差し出してくるアバンに、クロコダインは自らもまた拳を握って、誓いの印に軽く打ち合わせるのだった。

 

 


 これからしばらくの後、ロモスの森に獣王クロコダインの姿が見られるようになる。


 『日日歩歩』のかの様よりいただいた 素敵小説です! 運よくキリリク権をゲットした時、もう喜び勇んでリクエストさせていただきました♪ 原作でクロコダインがアバン先生に会いたかったというシーンがあるのですが、その割にはこの二人が話す機会がなく終わったのが残念で、一度見てみたかったんです。

 かの様の書かれるクロコダインの素敵さにほれ込んでいただけに、ぜひにとお願いしたら快く引き受けてくださいました!  駆け引き上手なアバン先生と包容力溢れるクロコダインのやり取りが実に素敵で、大人の信頼関係を感じさせてくれますv   直接の出番はないものの、この二人を繋ぐ信頼の基盤にポップの存在があるのを感じられるのも、また嬉しいポイントです。本当に、素敵なお話をどうもありがとうございました!

 

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