『望まざる明日 ー前編ー』

 

 初夏のテランは、少し歩いただけでも汗ばむような陽気。
 移動魔法でその地に降り立った緑衣の魔道師が、眩しげに太陽を見上げた。
 雲ひとつない、蒼天。あの瞬間を髣髴させるような、空。

 魔道師の口元が軽くゆがむ。
 ――勇者の剣は、あの岬で今でも輝いている。それでも、勇者は戻って来ない。
 
 あれから、13年の歳月が過ぎようとしていた。

 気を取り直したように前を向く魔道師のおもては、まだ若い。
 裾の長い法衣を纏い、強い癖を持っていた筈の前髪は、今ではサークレットによって押さえつけられている。

 「賢者の冠」そう呼ばれるサークレット。だが、そこに刻まれた模様は、賢者の国パプニカを象徴するものではない。それは、彼のためだけに作られたもの。
 サークレット――円環は「世界」を意味し、ちりばめられた七色の宝玉は「七王国」を意味する。

 白、赤、緑、紫、琥珀、水色、橙。順に、パプニカ、カール、ロモス、テラン、ベンガーナ、リンガイア、オーザムの貴色だ。――あまりに目立つ事を嫌がった本人の希望により、それらは外側ではなく内側に、それはそれはひそやかに散りばめられたのだが。

 13年前、「少年」が「大魔道師」と呼ばれるようになった時。各国が彼の力を欲し、士官を願った。
 だが彼は、どの国にも士官せず、それでも乞われればその稀なる力を惜しみもせずに使う。

 そうやって、世界中をまたにかける事を望んだ。
 世界の大魔道師ポップ。それが彼の、有名すぎる名前だった。
 28歳という微妙な年齢だが、30歳近いようには見えない。

 師であるアバンも、年相応に見えない精悍さをいつまでも保っているが、そういうものでもない。
 一言でいえば、「童顔」なのだ。
 この「ありふれた童顔」で得をした事は一度もないと、ポップは思っている。

 諸国を渡り歩き、政治にも口を出すようになった「少年」の頃、一国の重鎮に「女の子のような外観に見合わぬ頭脳をお持ちの方」とかなんとか陰口を叩かれていたことだって知っている。

 今では「思っていたより、更にお若い」とか「20歳そこそこにしか見えませんな」が、定番だ。要するに「若造」だと言いたいのだろう。
 もっとも、「若造」である事は間違いないし、そもそもがポップのひがみなのかも知れないが。

 ポップの故郷であるランカークス村の人間の40%は「老化」が解りにくいという特徴を持っている。
 特に長寿というわけではないが、老化しにくいのだ。

 その謎を解くために、特にパプニカの女王が大魔道師に論文の提出を求め、得た結論が「生活水」の一言だった。
 ギルドメイン山脈から湧き出る水の恩恵を受けているのだろうと。

 大魔道師がそう告げたせいで、ギルドメインの湧水に銘をつけて売り出したベンガーナがたいそう繁盛したらしい。この物語には、関係がないが。

 


「遠路はるばるのお越し、いたみ入ります」

 王宮ではなく、神殿に向かったポップを迎えたのは、全身に神秘的な雰囲気を纏った、長い黒髪の巫女姫。ドレスの裾を軽くつまんで正式な礼を取るのを、ポップは軽く手を挙げて制した。

「あんたからの、呼び出しだ。事は切迫してるんじゃねぇのか? メルル。いや、メルロ……」

「メルルで、お願いします。事は切迫しておりますので」

 顔を上げて、黒髪の姫が微笑む。まるで、小さな花がほころんだような印象の笑顔だ。 「やっぱ、メルルは話が早いや」と、嬉しげに笑う魔道師を少し眩しげに見つめた後で、彼女はどこか厳かな口調で告げた。

「朝の礼拝の時に、予知がありました。凶兆です」

 その言葉に、ポップのおもても自然と引き締まる。
 テランの巫女姫メルローズ――元々は、旅の占い師メルルと名乗っていた。
 魔法とも違う神秘の力の持ち主で、特に感知能力や予知能力に長けており、その力で何度も勇者一向の危機を救ってくれた。

 そんなメルルの力を知りすぎてるポップだから、メルルが口にした「凶兆」という言葉に眉を寄せた。
 本来、彼女は不吉な予知を口にする事を嫌がる。

「具体的には?」

「近い未来、世界は再び危機に陥る。引き金になるのは、私たちに深く関わる、ある人の死」

 「それは」と、ポップが言う前に、

「その人が、あなたでない事は、事実です」

 きっぱりと告げたメルルの頬は、心なしか紅潮しているようにも見える。
 「あなたの事なら、解ります」そう言いたいのかも知れない。そんなことを考えたポップも、少し居心地が悪そうにメルルから目をそらした。
 神に純潔を誓った巫女姫の純真が、今のポップには少し眩しい。

「近い未来、黒い影が地上を埋め尽くす。そして――」

 目を伏せ、メルルは少し考えているようだ。
 きっと、その先も見えているのだろう。だが、占い師はうかつな予言を口にすることは出来ない。

 予知により、回避できる危機は確かにある。だが、起こるべくした事実が起こらなかった時、それでも運命はつじつまを合わせようと働く。
 容易に回避できる危機は、更に容易に別の危機に振り替えられるものだ。

 たとえば、事故に逢うはずの運命の者がそれを知り、外出を控えたとしても、別の誰かが同じ場所で事故にあう。そんなものだ。
 だから、たとえ一から十まで見えていたとしても、占い師はすべてを口にはしない。

「希望は、たった一瞬の、輝き」

 小さく息をつき、メルルは瞼を上げる。黒水晶のような眸が、ポップを正面からとらえた。

「闇を切り裂く、閃き」

 はっと、ポップは息を飲んだ。

(結果が見えていても、もがきぬいてやる)
(一瞬……、だけど、閃光のように!)

 それは、かつて彼自身が口にした台詞。
 黒の核投下まで、5分。その地上最大の危機の時に、叫んだ言葉。

「滅亡の危機って、そういう事なのか?」

 メルルは、そっと目を伏せる。小さくうなずいた。それで、ポップは解ってしまった。何故、凶兆を告げられたのが、自分だったのか。

 大魔道師は、乞われればどの王にも力を貸す。だが、メルルが呼んだのは「大魔道師」ではなく「元勇者一行の魔法使い」だったのだ。
 アバンのしるしを持つ「勇気の使徒」。

「おれは、どうすれば良い?」

 ポップの問いに、メルルは首を振った。

「占い師は、見えた事を告げるだけです。そこから、道を決めるのはポップさんの役目ですよ」

 未来は、変えられる。
 それでも、占い師はあくまで「見者」だ。見えてしまった未来をおのずから変えるのは、占い師の本分に違う。

 ポップは両手で前髪をくしゃりと掻き上げ――まるで、頭を抱えて考え込むようにも見えた。
 それでも、顔を上げた時、そのおもてには笑みを浮かべていた。

「そっか、そりゃあそうだよな。悪かった」

 いつものように、軽く告げる。

「ポップさん?」

「なんか、最近、こう……このあたりがさ、ざわついてて」

 自らの胸を右手の親指でさしながら、ポップが笑う。

「メルルからの呼び出しで、そのざわつきの理由がわかるかなって、甘えていた。ごめん」
 と、不意に黒い影がポップの胸の中に飛び込んできた。白いかいなが、絡みつく。

「え? メルル……」

「……ごめんなさい!」

 ポップに抱きついた、メルルの手は震えていた。いや、こうやって体を密着させていると、全身が震えていることがポップにも解った。

「私、ポップさんの力になれなくて。それどころか……」

 普段なら、決してこのような大胆な行動を取る事などない巫女姫に、ポップはまるで少年のようにわたわたと焦ってしまう。

「いや、その。メルルはちゃんと……」

「約束してください。死なないって。決して自分から、死を選ばないって」

 間近で、正面から見据えらえてしまっては、もうどうにも逃げられない。
 ポップ的には半分以上パニック状態で、「うわ、どうしよう。このまま流されちまったら……いや、ダメだダメだ、相手は神に純潔を誓った巫女姫だぞ。ばれたら国際問題勃発だって。

それに、万が一にでもマァムの耳に入りでもしたら……」と、マァムの鉄拳が絵になって脳裏に浮かぶ。
 かくして、男としては不本意な事に見事な自制心で据え膳を食わず。

 落ち着いてから、やっとメルルの言葉の意味に気づいた。
 そう、気づいてしまった。
 だから。

「そっか」

 メルルの髪を、そっと撫でる。

「ありがとうな、メルル。でもさ、解っちまったから、約束できない」

 メルルは、最初に告げた。
 自分たちに深く関わる誰かの死が、引き金になる。だが、それはポップではない、と。 どこかの国王が崩御して、そのせいで世界大戦が起こるというのなら、メルルは引き合いにポップを出したりしないだろう。

 さらに、「希望は、一瞬の閃光」。そう告げながら、「死を選ぶな」と言った。
 13年前の「あの時」を髣髴させるものを、メルルは見たのだろう。

「メルル、あんたの罪はおれが背負う。安いもんだぜ? なんたって、おれは大魔道師様なんだからよ」

 ポップの目の前で、メルルは小さく、身をすくませた。

「教えてくれ。近い未来、誰かが命を落とす。その未来は変えられるのか?」

 占い師は、悲しげな瞳でポップを見上げ、そして首を振った。

 


「ねぇマァム。ポップ、いつ帰って来るの?」

 そう言いながらまとわりついてくる息子に、マァムは、はぁとため息をついた。
 一日、何度この子は同じ質問をするのだろう。ここ数日のうちに、百回は聞いたような気分になってしまい、三日前に「ちょっと出かけてくるわ」と言ったまま、まだ戻らないポップに、憎しみまで湧いてくる。

「そのうち、帰って来るわよ。それと、マァムじゃなくて『お母さん』でしょ?」

 答えまで、なんだかおざなりなってしまうのは仕方ないだろう。本当に下手をすれば百回は答えているかも知れないのだから。

「はーい、母さん。でも、ポップいつ帰って来るの? 最近全然家に居てくれないし」

 マァムとポップの息子。もうじき10歳の誕生日を迎える「ダイ」がぷっと頬を膨らました。すると、頭の上に鎮座した金色の小さなスライムが賛同するように、羽をばたつかせる。

 このスライムはゴメちゃん。世界に一匹しかいない、ゴールデンメタルスライムという品種のモンスターだ。
 ダイが、3年前にデルムリン島で見つけて、連れて来た。以来、ダイの大切な友達になっている。

「おれ、つまんないよ。チウと組み手をしていても、相手にもならないし」

「ふふふ。それじゃあ、お母さんがちょっと揉んであげましょうか?」

 マァムの言葉に、「ダイ」は少しおびえたように後じさった。

「やだよ! 母さんの『ちょっと』は、ちょっとじゃないもん!」

 そこまで、怖がることないじゃないと、少し困ったようにマァムが笑う。
 マァムの名誉の為に言っておくならば、マァムはダイを相手に本気で組み手をしたことなど、一度もない。

 ただ――父親に対しては、「ごくたまに」本気の蹴りや拳が顔や脇腹に入ることは、ある。

 「魔法使いが、あれを喰らってよく生きているねぇ」とは、夫婦喧嘩の場にたまたま居合わせたノヴァの言葉だったか……一度、絞め技がまともに極まってしまい、一瞬でも回復魔法が間に合わなければあわや、というシーンをダイに見られてしまったのが、マァムにとっては一生の不覚になってしまったようだ。

 おかげで「揉んであげる」と口にすると、しばらくの間、ダイがおとなしくしていてくれるのは、有り難いのだが。

「キミ、マァムさん程の格闘の師に恵まれながら、剣術遊びはいただけないね」

 そのダイに「相手にならない」と言われたチゥが、マァムのフォローに入った。

「え? だって剣って恰好いいじゃん! おれ、ヒュンケルやアバン先生みたいな剣の使い手になりたいんだ」

 そう、「大魔道師ポップ」と「拳聖マァム」の間に生まれたダイは、魔法でも武術でもなく剣術修行に力を入れている。
 男の子は、そういうものだと解っていたが、マァムにしてみれば少し面白くない。

「ポップじゃないけど、張り合いがないったら」

 マァムに言われて、ダイは慌てたように再びマァムにすがりついた。その態度があまりに真剣だったので、マァムは少し驚く。

「何? ポップがそう言っていたの?」

「どうしたの? 急に」

「この間、トビーが言っていたんだ。大魔道師の息子なのに、魔法がからっきしだなんてコケンに関わるって」

 なるほど。さすだのダイにもコンプレックスはあったのかと、マァムは少し安心した。 「偉大な父」などと言われても「えー、ポップはポップじゃん」とへらへらと笑っている、息子。

 それはそれで、良いのだけれども……少しは、父親の事を尊敬しても良いかなと、思っていたから。

「魔法なんて使えなくても、ポップはダイの事が大好きよ。もちろん、私もね」

 マァムに抱きしめられ、そう告げられて、ダイは安心したようだ。

「前にさ、大火事があった時に、ポップ、魔法を使っていたよね」

「ああ、ラナリオンね」

 一年ほど前、魔の森で山火事が起こり、消火の為にポップが「天候制御呪文」を使った。 久しぶりに使う魔法だったので、詠唱を必要としたのだが――実は、マァムですらポップの「詠唱」を見るのは、初めてだった。使い慣れた魔法には、「詠唱」はおろか「力の言葉」を唱える必要もないほど、ポップは魔法に精通している。

 普通なら、一瞬で終わる事。それが、「詠唱」の間に見る事が出来た。
 空気中の精霊たちがポップを取り巻き、かすかに燐光を放つ。燐光に包まれたポップは、とても神秘的に見えた。

「あの時のポップ、本当に……何ていうのかな、ポップじゃないみたいだった。光に包まれて……」

「ダイ、わんわん泣いていたわね。ポップにしがみついて」

「だって、光と一緒に、ポップがどこか遠くに行ってしまうみたいだったんだ。だから、おれ……」

 魔法を使う時のポップは、どこかどきりとしてしまうほど、綺麗だと、マァムは昔から思っていた。
 この瞬間が、自分の為にあれば良いのにと。

 料理中に指を切ってしまった時など、ポップに甘えたいが八割、甘えるのが面倒くさいから自分で治すが二割の戦いに、いつも負けていた。
 マァムにとって至福の瞬間だったが、ダイにとっては「いつものポップ」が一番大切なのだろう。

「あの時、おれ、思ったんだ。ポップが遠くに行ってしまいそうになったら、絶対に追いかけるって」

「だったら、飛翔呪文を覚えないとね。あ、それより絶対に逃がさない技を教えてあげようかな」

「絞め技は、やめてあげてよ。ポップ、本当に死んじゃうよ」

「簡単に、死んだりしないわよ。ああいう男はね」

 自分でその言葉を口にしながら、マァムは心のどこかに不安を感じていた。
 絶対に、ああいうタイプは死んだりしない。そう思いながら、道を分かった。13年前、魔の森で。
 武道家になるべく、一心に修行に励んでいた、その時に。

 ポップは一度、命を落とした。
 後になってそれを聞いた、あの時の事をマァムは忘れない。忘れられない。
 世界の全部が、嘘なのかと思った。

 ポップを締め上げ、「痛い」と言う言葉を聞くまで、今、生きていることを確信できなかった。
 マァムが強くなろうと努力している間に、無茶をして自己犠牲魔法まで使った、魔法使い。

 出会ったばかりの時は、詰めの甘い駆け出しくんだと思っていた。どんどん成長して行く姿を見て、負けていられないと思った。
 でも、いつの間にか無茶をするポップを、ぎりぎりで止めるのは自分の役目だと思えるようになっていた。

 好きだと気が付いたのは、少し遅かったけど。
 だから、ポップの本心を聞き出す時、マァムはいつも本気だ。本気でないと、うっかり騙されてしまうから。

「ばーか。いつまでも、騙されないわよ」

「ばかって、おれ?」

 ダイの言葉で、自分が心の内を口に出していたことを、マァムは知る。

「ダイくん。キミはまだ子供だね。いまの馬鹿は、もちろんあの変態魔道師に向けられたものなのであるよ。そうですよね、マァムさん」

 自信満々で告げた、チゥの言動を聞きとめた者は、残念ながら居なかったが。
 なぜなら、その言葉より前に、光が彼らの前に降り立っていたから。
 瞬間移動呪文で地面より数メートル上の中空に出現し、飛翔呪文でブレーキをかけながら着地する。

 いつまでも瞬間移動魔法の着地が下手なポップが編み出した、小手先の技である。
 だが、今回は上手にいかなかった。着地地点にダイが駆け込んで来たせいだ。

 ダイを避けようとしてバランスを崩し、転ぶ。
 それを待っていたように、ダイが上から飛びついて来た。続いて、小さなスライムがポップの頭にダイブする。

「ポップ! 待っていたよ! どっか行こう!」

 ダイが言えば。

「ピィィィ!! ピィピィ!」

 と、ゴメちゃんも甲高い声でわめきたてる。

「いきなりか? いきなりそれなのか? 先ずは、久しぶりに我が家に戻った父親に、言う事はないのか?」

 ぎゅうぎゅうとポップに抱きつくダイに、ポップは苦笑まじりに叫んだ。

「てゆか、痛えよ。お前、マァムに似て馬鹿力なんだから、少しは手加減しろよ」

「なんですって?」

 と、今度はお約束とばかりに腕をくみ、ダイの下敷きになっているポップを見下ろす、マァム。

「待て、マァム。『馬鹿力』は、おれにとっては褒め言葉だ、多分」

「ふぅん。じゃあ、このスキンシップは私にとっての愛情表現ね、多分」

 ヘッドロックが、まともに極まる。

「ま、マァム。ダメだよ。ポップが死んじゃうって!!」

 いわゆる、大騒動である。
 チゥが呆れたように、それでもってかなり羨ましげな視線を向けているのに、一番最初に気づいたのは、ゴメちゃんだった。
 混ざるよう、勧めているかのようにチゥにまとわりついて来る。

「そ、そんなに誘っても、ぼ、ボクは決して混ざらないぞ。ば、ばかばかしい」

 そんなチゥの頭をくしゃりと掴んだのは、ポップ。

「そんなこと言うなよ。13年来の付き合いだろ? 土産があるんだ。一緒に茶でもどうだ?」

「そうね。おいしいお茶があるんだったわ。ダイ、泉の水を汲んで来て頂戴」

 たちまち、嬉しそうに立ち上がったのは、マァム。
 そして名指しにされたダイは、面白くなさそうだ。

「えぇー。泉は遠いじゃないか。井戸じゃダメなの?」

「だーめ。井戸の水は硬水だからね。あのお茶は軟水でないと美味しい味が出ないのよ」
 渋るダイを促しながら、一緒に家の中に入るマァムに、ポップは口の中で「サンキュ」と呟く。

「いいのか?」

 チゥの言葉に、意味が解らず振り返ると、

「いいのか? 回復呪文をかけなくて」

 そっぽを向いたまま、ネズミが苛立たしげに足踏みをした。

「貴様の土産なんぞ、期待してはいないが、マァムさんがボクの為にお茶を入れてくれるのだ。飲まないわけには行くまい。というわけで、貴様はとっとと回復して、家に戻れ」
「ああ、大丈夫。あいつ、手加減しやがったからな」

「手加減?」

「いつまでも、騙されちゃくれないよな。そりゃあ」

 マァムの後姿を見送りながら、ポップがくすんと笑う。
 そう。ポップは最初からずっと、チゥの様子をうかがっていた。勿論、話があったからだが、それをマァムが察してくれたのだ。
 だが、チゥにしてみれば、その意味ありげな言動を聞いて、黙っていられるわけがない。
「おいこら、変態魔法使い」

 呼ばれて、ポップが深く嘆息する。
 せっかく、マァムが気を利かせてくれたのに、これでは台無しだ。

「なぁ、そろそろその呼び名やめねぇか? おれが、節操なしみたいじゃねぇか」

「何を言うか! あの純真なマァムさんをに、あ、あ、あんなことやこんなことをした貴様など、変態で十分だ」

「ああ、そうかよ」

 年甲斐もなくぶんむくれるポップに、チウがさらに追い打ちをかける。

「ボクは、マァムさんのことを大切に思っているし、ダイくんだって可愛いと思って面倒を見てきた」

「おれだって、てめえの何倍も大切に思ってるっつーの!」

「どこがだ! この三日間、ダイくんはとても寂しそうだったぞ。マァムさんも笑っていたけど、どこかうつろだった」

 ポップが、驚いたようにチゥを見る。

「お前、ずっとここに居たのか?」

「当たり前だ。獣王遊撃隊の主な任務はマァムさんとダイくんを守る事なのだからな!」
 「お前なぁ」と、ポップは大きく息をつく。

「その言葉、ロモス王が聞いたら怒るぞ」

「何を言うか! ちゃんとロモス森林警備隊の任務も果たしておる! ボクにとって、兼業など屁ほどのものではない!」

 13年来の、その自信はどこから来るのか、など考えて苦笑する、ポップ。

「でも、安心した」

 かえって、すっきりしたように告げる魔道師に、大ネズミは首をかしげる。

「ヒュンケルの奴が、頭が固くてよ。どうあっても『断る』だと」

 大ネズミの両肩に両手を置き、ポップは初めて、チゥに「お願い」をした。

「これからもさ、マァムとダイをさ、守ってくれ」

「勿論だ! 当たり前だ! ボクに任せておきたまえ!」

 自信満々に、胸を叩く、チゥ。
 ポップが、小さく頭を下げた。

「ありがとうよ。じゃあ、うちに寄ってくれよ。オーザム新銘菓、『雪の花』。試食したら結構美味かったぜ」

 ポップは、10年程前から、特にオーザムの復興には力を貸しているし、オーザム方面に出向くことも多い。
 だから、チゥは「またか」と顔をしかめた。

「しかし、貴様も物好きだな、よくもまあ、あんなにくそ寒い僻地に何度も何度も行くものだ。なんだってあんな国に肩入れをするのか、シティボーイのボクには、検討もつかないね」

「どこがシティボーイだ。文明からかけ離れた生活をしている奴が」

「むきぃ! 貴様、その言葉、忘れれるなよ。絶対に忘れるなよ……」

 ぷんぷんにむくれるチゥを、ポップが自宅へと促す。

「ほら、ダイとマァムが待ってるぞ。早く来いよ」

 


 夜中。ダイを寝かしつけてから、マァムは居間に戻って来た。
 熱心に調べものをしているポップの傍にお茶を置き、その正面に座る。

「そろそろ教えて頂戴。何があったの?」

「ん? 何がだよ?」

 正直、ポップが読んでいる本が何と書いてあるのかもマァムには解らないし、だから彼が必死に何を調べているのかが解らない。
 そして、ポップは自分で決めた事は誰にも言わずに実行してしまう悪い癖がある。
 これが、本当にやっかいなのだ。

「あの日、大きな地震があって。あなた飛んで行ったわよね」

 三日前。
 激しい揺れがロモスを襲った。ロモスだけではない。後で聞いたのだが、それは全国規模で起こったらしい。
 その時に、血相を変えて飛び出して行ったのがポップだ。

 マァム達には家から動かないように告げ、瞬間移動魔法を唱えた、ポップ。瞬間移動魔法に伴う光の軌跡は、北に向かっていた。
 ポップがオーザムに向かうのは、よくある事。一番復興が遅れた国だからと彼は言うが――それだけだろうかと、マァムは実は疑っている。

 三日間の留守だって、「被害状況をざっと調べてから戻る」というメッセージ一本で、その後は連絡も寄越さなかった。自作の連絡用魔法を込めた水晶を、持ち歩いているくせに、だ。

 それを使うと、解る者には術者であるポップがどこに居るかが解ってしまうらしい。つまり、他人に知られると厄介な事をしていたに違いない。

「三日間も、何処にいたの? ううん、その前。一か月ほど前にテランから帰って来た、あの頃からあなた、変よ」

 分厚い本を閉じ、ポップが口の中で「参ったな」と呟いた。

「ごまかさないで。北に――オーザムに、何があるの? あなたは何に関わっているの?」
 はぁと、大きく嘆息し、ポップは前髪をくしゃりと掻き上げる。

「あの地震はさ、ただの地震じゃないんだ」

 マァムの目に映ったポップは、どこか弱々しく見えた。まるで、大魔王の前で絶望をしかけていた時のように。

「オーザムには、おれが管理を任された土地がある――正しくは『土地』じゃねぇんだけど」

「そんな事、一言も……!」

 ポップとマァムはロモスに住んでいる。マァムの故郷、ネイル村と王城のほぼ中間ぐらい。それが、二人が決めた住居だった。
 でも、ポップはいつだって「瞬間移動呪文」が使える。マァムだって、キメラの翼を使えば移動は一瞬でできるが――それだって、ポップほど容易く使えるわけではない。

 結婚してから、ポップは色んな場所にマァムを連れて行ってくれたが、実はオーザムだけは数えるほどしかない。
 しかも、いつも行きつく先は王都のみ。

 その国にマァムに内緒で土地を持っている?
 まさか、女? などと、勘ぐってしまう。
 その考えが顔に出てしまったのだろう。マァムを見て、ポップが苦笑した。

「違うよ、そんな理由じゃない。おれは、『土地』じゃなくて『結界』を見守っていたんだ」

「結界?」

「そう。太古からそこにある、この地上を守る結界」

 閉じた本の表紙をなぞりながら、ポップが呟く。

「あの地震の時、その結界が大きく揺らいだんだ」

 


 それは、オーザムの氷の下で見つかった。
 深い深い、まるで地の底まで続くかのような、氷の裂け目。
 だが、それが何なのかはわからない。

 勇気ある者が調査に向かったが、何日、何十日、何年をかけても裂け目の果てに行きつく事は出来なかった。
 通称「地獄の裂け目」。
 復興に力を貸す時にその噂を聞いて、ポップも裂け目に潜った。そして、知ったのだ。
 無限ループの魔法を重ねてかけた、これは、結界。
 この、緑なす大地と、それ以外の世界を隔てる結界なのだと。
 だからポップはそこに常駐する者を配置して、異変があれば自分をすぐに呼ぶように連絡用の水晶を渡した。

 何度も何度も、オーザムに足を運んだ。
 結界が揺らいだ時も、すぐにそれと解ったので連絡が来る前に駆け付けたのだ。
 大地を震撼させる、あれだけの揺らぎはただ事ではない。

 この結界を作ったのは、人間ではない。神が、地上を作った時に同時に作ったのだ。魔界の瘴気を地上に与えないように、世界を隔てた。
 この結界があればこそ、地上は魔界を拒み続ける事が出来た。

 かつて、大魔王バーンは地上を消し去ろうとした。地上そのものが結界につながっているため、地上を消し去れば結界は消え、魔界は太陽の恩恵を受ける事が出来るようになるからだ。
 そして、ポップは気づいた。この結界が一度大きく揺らいだ日の事を。

 それは、地上からはるか上空で黒の核が爆発した、あの日。
 勇者が結界に飲み込まれたのだと仮説を立て、どうにかこの結界を越えられないものなのかと散々試した。だが、ポップの魔法力では結界を越えるほどの力を作り出す事は出来なかった。

 ならば、別の力を使えば、あるいは。そう、あの時と同じ状況を作れば良いのだ。魔界で作られた超爆弾をもう一度爆発させることができたら、結界は再び揺らぐであろうことは。
 実行できるわけがない方法を思いつき、苦しんだ。

 勇者がいなくなって、13年。
 もう、誰も勇者を探してはいない。

 前触れもなく現れた大魔道師に、魔道師と兵士が駆け寄ってきた。
 「結界」の傍に建てた小さな石造りの建物には、交代制でオーザムの魔道師と兵士が常に二人、配置されている。

 「何が起こったのですか?」と叫ぶ年配の魔道師に、ポップは裂け目を顎でしゃくってみせる。

「おれが、何度もすり抜けようとして失敗した、結界がゆらいだ」

 地獄まで続くとされる黒い穴の奥には、何やら黒い瘴気のようなものが漂っているように見える。いつも以上に禍々しい。

「間違いなく、魔界で何か起こったんだ」

 あの時。メルルは首を振った。
 この結界がある限り、運命を変えることは不可能だと。
 魔界と地上との道は、一方通行。バーンほどの魔力をもってすれば、魔界から地上に降臨する事は出来る。

 だが、地上から魔界に行く事は、不可能なのだ。それこそ、結界ごと地上を消し去らない限り。
 「神」の思惑は、「魔界」を消し去る事。
 「魔界」の魔族は、力を持ちすぎた。

 魔族の王たるものは、すでに人の「神」よりも強い力を持っている。その魔力の源である「魔界」を消し去り、安定を取り戻す筈だった。
 冥竜王ヴェルザーが、その思惑に気づき地上侵攻など企まなければ、それはすみやかに行われた筈だ。

 そして、ヴェルザーの封印に力を使い果たした神の領域に、バーンが土足で踏み込んで来た。
 それに立ち向かったのは、力のない人間たち。

 愚かで、臆病で、まっすぐで、頑固で、気高い。「アバンの使徒」と呼ばれた子供たち。 そして、その中心に居た少年は、戻って来ない。

 ポップは、掌を握りしめていた。
 そうしないと、「嫌な予想」に負けてしまう。
 「冷静になれ」。少年だった頃に師からもらった言葉を、噛みしめる。最悪な事態が起こってしまったのだとしても、対処できるように。

「何が起こったと言うのですか?」

「おれだって、千里眼ってわけじゃねぇんだ」

 まるで、敵の姿でも見るように、裂け目を睨みつける。

「おれが、直接行って見て来たら早いんだろうけどよ」

 そう口にして、今ならばそれも有りかと、思いつく。あれだけの、揺らぎだ。今なら、結界をすり抜けられるかも知れない。

「そうだな、ちょっくら、行ってみるか」

「な、何を言われるのですか!」

 若い兵士が、あわててポップの前に立ちふさがる。

「んなマジな顔すんなよ。ただの偵察だろ?」

「そちらこそ、ちょっとそこまで様子を見にいくような顔はお止め下さい!」

「どんな顔だよ、それ」

 続いて、年かさの魔道師がこほんと咳払いをした。

「お願いですから、ご自分の立場を考えてからの発言をお願いいたします。魔界との間にある結界が揺らいだのですよ?」

「だから、何かが起こったのか、先ず知るべきだろうが」

「でしたら、私が行きます。その……やり方を教えて頂ければ」

 大仰に、ポップは嘆息した。
 確かに空間は大きく揺らいだが、結界はいまだ存在している。存在している結界のほころびを利用して、次元を移動するなど、言葉にするには簡単だが、「やってみろ」と言われて出来ることではないだろう。

 ポップ自身、何度も失敗している。たまたま、「今」だから「出来るかも知れない」と思っただけだ。
 ポップには、そういう魔法使いのセンスというものがある。そこが、「大魔道師」の大魔道師たるゆえんなのだ。

 ゆえに、ポップが人を教える時には言葉よりも実践あるのみ。もちろん、それに耐えうる人材であるかどうかは納得が行くまで推敲するが。

「自分でもやったことがねぇことを、他人に教える事は出来ねぇよ。ちょっと、様子を見てくるだけだって」

「へぇ」

 一瞬前まで、何もいなかったところから、不意にその声は放たれた。

「君から来てくれるつもりだったのか。だったら、ボクがわざわざ出向く必要はなかったかなぁ」

 振り返った、ポップの目が見開かれたのは、一瞬。次の瞬間には、光の矢が完成している。
 極大消滅呪文。

 ポップが得意とする中でも最大の殺傷力があるこの魔法は、13年前のバーン戦以来、実は一度も使ったこともない。それを、一瞬で完成させた。
 そして、間髪を置かずに放つ。

 直線にして数キロメートルに渡る距離の、すべての物体を消し去る、超魔法。だが、黒い影は辛くも直撃を回避した。

「怖い怖い」

 だが、完全に回避できたわけではない。その左二の腕から先にかけて、綺麗に失われていたのだから。
 黒い着衣と、黒い仮面の男。それは、13年前の悪夢に、良く似ていた。

 だが、違う。『奴』と何度も顔を合わせたポップだから、解る。
 存在する、その空気がまるで違う。「奴」は常に「危険」な気配がしていた。だが、此処に有るのはただの人形に過ぎない。

「しかし、噂には聞いていたけど詰めが甘いね、魔法使いくん」

「てめぇ、誰だ?」

「えっと、人の左手を吹き飛ばしてから、誰何ってアリなのかな?」

 だが、吹き飛ばされた左腕からは血も流れていないし、痛がっているわけでもない。断面から血がにじんでいるわけでもなく、ただ綺麗な肌の色が見えるだけ。
 やはり、人形なのだろう。

「今のは、威嚇だ。狙うなら、普通は心臓だろう」

 ポップの言葉に、人形はくすりと笑った。

「最少の威力で撃って、これってわけだ。やっぱり食えない男だね」

「食ってみるか? 消化不良ぐらいは起こしてやるよ」

 負けじと、笑顔で応戦する、ポップ。
 ポップは、基本、負けん気の強い性格だ。
 自覚していたし、それを指摘されても受け流す度量はある。

「遠慮しておくよ。大魔道師ポップ、キミはヴェルザー様の獲物だからね」

 だが、黒服の人形はあっさりと引いた。

「で、お前は誰だ?」

「死神、マーダー。かつての勇者一向には、そう名乗れと言われているよ。キミの暗殺にすら、失敗した奴とはふつうに出来が違うけどね」

 やはり、あのキルバーンと似せて作ってあるのは、わざとのようだ。嫌がらせにも程があるなと、ポップは思う。

 存在そのものを、消してしまいたかった相手だ。なぜ、もっと早くに極大消滅呪文を打ち込んでおかなかったのかと、何度も後悔した。
 バーンよりも先に、消しておかなければならない相手だったのに! と。

「キミに、伝言がある。心して聞きたまえ」

 マーダーと名乗る人形は、ポップのそんな葛藤には気づかないように、淡々と告げる。キルバーンのように、悪辣な人形使いのおまけはついていないらしい。

「冥竜王ヴェルザー様は、地上を席捲する前に、人間に選択の余地を残すつもりらしい。だが、冥竜王様は、この世に竜の騎士の遺産を残すつもりは、全くない」

 感情を眼が、ポップをとらえる。その瞳の奥に潜む気配に、ポップの全身が総毛だった。 多分、冥竜王は、この人形を通して今のこの光景を見ているのだろう。

「勇者ダイは、魔界にて、ヴェルザー様によって倒されたよ」

 握りしめた掌に、爪が食い込む。

「小物だったけど、陸戦騎のラーハルトもね、倒して来た。残すところはキミだけなのだけど――ま、そんなに焦りなさんなって」

 兵士が、ポップとマーダーの前に立ちふさがる。魔道師は、いつでも威嚇できるように右手に炎を宿していた。

「そうだな。丁度良い。キミたちに証人になってもらおう。冥竜王ヴェルザー様は、こう宣言された。地上は、これより冥竜王様のものとなる。人間が生き延びるには、冥竜王様に忠誠を誓わなければならない。その証として、大魔道師などと語る魔法使いを捧げよ」
 剣を抜こうとしていた兵士の、そして魔法を放つべく右手を掲げた魔道師の動きが、一瞬止まる。

 その後で、兵士がマーダーに切りかかったのは、言われた意味を正確に理解したからなのだろう。
 マーダーは、鎌の一振りで兵士の攻撃をいなし、魔道師が放った火球を避ける。

「そんな事が、認められるわけがない! 王も同じ判断をされる筈!」

「自分の一存で握りつぶそうっての? 無駄無駄。この勅命はすでに各王室に届けられているのだからね」

 高らかに、マーダーは笑った。それを睨みつける兵士も魔道師も、蒼白になってポップと死神を交互に見やる。
 ただ、ポップだけは死神を――その瞳の奥に居る筈のものを身じろぎもせずに睨みつけていた。

「逃がさないよ。大魔道師くん」

「だったら、期待に答えなきゃなぁ」

 にっと、笑うポップの手から凍気があふれる。

「とりあえず、尖兵は殺っておくわ。短い付き合いだったなぁ。マーダー」
                                    《続く》

 

 

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