97 とどめを刺す伝言者(1) |
前章で告げた通り、助けたはずの人間から寄せられた『恐怖』の感情はダイを心理的に追い詰めている。仲間のフォローも届かずに孤独感を味わうダイはこの時、相当に厳しい精神状態になっていると言っていい。 生まれて始めて寄せられた差別意識に竦むダイに対して、どこからともなく謎の声が響き渡る。 『……キミが人間じゃないからさ……!!』 この一言が、ものの見事に核心を突いてしまった。 大袈裟に言うのならば、この時のダイは今までの人生観を崩される衝撃を受けた。だが、人間には自己修復能力があるし、ましてやダイはまだ成長途中だ。 これは、ダイだけの問題ではない。 赤ん坊から幼児期にかけての時期、ほとんどの哺乳類は親の手厚い庇護の元、全能感を味わう。大切に愛され、何をしても許され、欲しいと思うものは与えられる……言わば、自分こそが世界の王様なのである。 しかし、成長と共に、生き物は自分が決して全能の存在でないことを知る。 肉親の死のような大事件から、欲しいと泣いてねだったのにおやつをもらえなかったというような日常の小さな出来事まで、人生には思い通りにいかないことばかりが待ち受けている。だが、それらの試練を乗り越え、受け入れていく方法を身に付けていくことこそが成長というものだ。 だが、ダイの場合はこの試練はあまりにも大きすぎた。 人間だけでなく、すべての生き物は急激な変化に弱い。 熱湯を注いで熱くしたコップに冷水を注ぎ込めば割れてしまうように、急激な変化に人間の心もついていけないものだ。 それを承知しているからこそ、カウンセラーは心を痛めている人に対して解決策や事実を突き付けたりはしない。カウンセラー自体は問題の根底を分析し、本人がどう振る舞うのかベストであるか分かっていたとしても、その結論を押しつけたりはしない。 だが、苦痛や悲しみに押し潰されそうになっている人間は、心が弱っているからこそ一気に救いを求めてしまう。その結果、変なアドバイスに耳を貸して極端な結論に達してしまうことが少なくない。 失恋の直後の男女が一番、誘惑対象として付け込みやすいように、心の弱っている人間こそが一番詐欺に引っ掛かりやすいものだ。 その好例が、ヒュンケルだ。 心の弱っている相手に衝撃的な事実を突き付けてさらに傷を広げ、打って変わってそこから救われる方法を指し示す……これは、洗脳するための基本的な手順だ。
だが、それはダイが人間でないからだとは言い切れない。確かにダイの力が人間離れしていたことは事実だが、この時点ではベンガーナの人々はダイの正体は知らなかった。ダイを怖いとは思っても、ダイが『人間ではない』から怖いとは言ってはいないのだ。 ダイにもう少し冷静さと時間があれば、もしくはレオナやポップの誘導があれば、人間は相手の正体を敏感に察知して怯えるのではなく、相手の言動に対して感情を動かすものだと理解できただろう。 そして、人間は気が変わりやすい生き物でもある。 互いに落ち着けるだけの時間を置き、助けられた者達がダイへ謝罪と共に感謝をしていれば、この件のフォローはできたはずなのである。 恐怖の感情を完全に拭い去ることができなくても、レオナやベンガーナ王のように他者から信頼される立場の人間がフォローに回れば、うまくいけば双方の誤解を解いて和解を、少なくとも最低限の表面を取り繕うことはできたはずなのである。 本来ならダイはこの時受けた衝撃に対して、成長と共に時間を掛けて自力で納得のできる回答を見つけ、心を癒す方法を探し出す……それが、ベストな選択肢だったはずだ。その場合、信頼の置ける家族や友人は大きな力になる。 ダイには祖父と慕うブラスもいるし、レオナやポップを初めとして信頼できる仲間もいる。彼らとゆっくりと時間を掛けて話し合えば、ダイの悩みは別の形で回答を見出だせたかもしれない。 だが、謎の声はその可能性を潰した。 それによって、ダイには人間への不信感が生まれてしまった。しかも、この不信感はじわじわとダイに作用し、最終的に絶望を与えるものになる。 『人間ではない生まれ』が全ての原因だと言われても、ダイ自身にもどうすることもできない。つまり、この説を受け入れてしまえば、遅かれ早かれ人間ではない存在と人間は絶対に分かりあえないという結論にまで辿り着いてしまう――遅効性の嫌な毒のように陰険な一言なのである。
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