98 とどめを刺す伝言者(2)

 

 ごく短い会話の間にたっぷりと毒を仕込ませた謎の声――だが、その発生源はなかなか分からない。
 その場にいるもの全てが不審そうに周囲を見回しているのに、声の主は見つからない。
 中でも熱心に探しているのはダイとポップだが、この時の二人の反応には差がある。
 ポップはキョロキョロ見回しているのに相手を見つけられず、苛立って怒鳴っている。
 

『だれだっ?! どこにいやがる?!』

 これではポップがまったく相手の正体も居場所が分かっていないこと、しかもそのことに対して怒りの感情を抱いていると相手に知らせるだけのことだ。わざわざ居場所を伏せたまま声を掛け、ダイの弱点を的確につついてきた謎の声の主から見れば、笑いたくなる程に感情的な反応だろう。

 戦略的に見るなら、ポップの行動に意味はない。
 だが、ダイの味方として見るのなら、一つの意味を見出だせる。

 この時、ほとんどの者達は謎の声に不信感や驚きは見せるものの、これといった反応を示さなかった。戦いが終わったばかりで心の余裕もなかっただろうし、不気味な存在ではあってもその声が自分達へ直接危害を加えるものでなかったことが大きいだろう。

 だが、ダイやポップは戦いには慣れているし、いつも通りの反応ができる。
 この時ポップが見せている感情が、謎の敵への警戒心や不安ではなく、怒りだというのが面白い。この時、ポップの怒りの琴線を揺らしたのが何かは明確に表現されていない。


 ダイが人間ではないと決め付けたことへの怒りか、あるいは身勝手な人間達をけなしたことへの怒りか……あるいはその両方が合わさった怒りかもしれないが、謎の声の意見にポップが反発を感じたのは間違いがない。
 ポップの心理的な位置が、一般市民側からダイの側に移動しているのが分かる。

 そして、感情的に謎の声に怒りを感じるポップに比べると、ダイの反応はひどく冷静だ。声の気配にだけ精神を集中し、見事に居場所につき止めている。

 ここで注目したいのは、ダイの精神力の特化方向だ。
 ダイがここで精神的なダメージを負ったのは間違いないのだが、それにも関わらずダイは敵の存在を感知し、すぐさまドラゴンキラーを投げ付けるという行動を取っている。つまりダイは悩みがどうであれ、戦いに反応しているのである。

 しかもダイがドラゴンキラーを投げたのは、何の変哲もない壁だ。
 普通の人間なら、壁から気配を感じたとしてもそこに攻撃しようだなんて思いもしないだろう。『壁の中に人がいるはずがない』という常識に縛られて、気配よりもそちらを重視するからだ。だが、ダイは常識以上に直感を重視するようだ。

 その直感は大当たりで、壁につき立ったドラゴンキラーの横から壁を貫いて腕が突き出してくる。壁を壊すのではなく、まるで壁が水面であるかの様に壁からヌウッと突き出てくる演出で登場するのは、不気味な仮面を被った黒装束の男だ。

 彼がご丁寧にも壁に刺さったドラゴンキラーを手で引き抜きながら登場するが、その際、彼の左胸にはっきりと傷が刻まれているのを目視できる。だが、血は一滴もでていない――実に不気味さを引き立たせる演出だ。

 ここで特筆すべきは、ダイの攻撃の確かさだ。
 ダイの攻撃はものの見事に彼の左胸……本来なら心臓のある位置を貫いている。ダイには相手が見えていなかったのだが狙ってやったわけではないのに、この命中率である。

 ダイは意識している時よりも、無意識の攻撃の方がより的確に敵の急所を狙える傾向がある様だ。

 また、ダイは謎の男を見てすぐに魔王軍かとも追究している。
 ドラゴンの来襲を見た時もそうだったが、ダイは魔王軍の存在を強く意識し、警戒している様である。

 ところで、ここで謎の男は自分は『キルバーン』だと名乗る。面白いことに自ら死神だと言ってのけるキルバーンは、魔王軍かとの問いには否定も肯定もしていない。後に明かされることだが、キルバーンがバーンの配下ではない事実と照らし合わせて考えると、彼の言動は意味深長だ。

 ミストバーンもそうだったが、彼らは自分が秘密を抱え込んでいることを自負し、その秘密を守ろうとはするが嘘はつかないという点で共通している。この時点では目立たない特徴であり、理由も明らかにされていないが物語が進むにつれ明確化されていく謎の一つなので、心に留めておいてもらいたい。

 ドラゴンが超竜軍団の一員だと直感したダイは、キルバーンの正体が超竜軍団の軍団長かとの疑問を直接ぶつけているが、それに対するキルバーンの返答が秀逸だ。

 まず、彼は自分は軍団長ほど偉くはないと言い、使い魔だと名乗る。だが、それにも関わらず魔王軍とかかわりがあること、超竜軍団から竜を借りてダイの正体を見極めにきたことなどを話す。

 今までの敵が自分が魔王軍でどんな地位にいるかを声高に名乗ってきた態度に比べると、キルバーンの言動は分かりにくく遠回しなものだ。
 これは、意図的にやっていると見ていいだろう。

 軽薄な口調で自分の意図を紛れさせながら相手を上手く誘導し、自分の都合のよい方向へと導こうとする狡猾さが、キルバーンにはある。
 事実、ダイはこの言葉の軽薄さにすっかりと惑わされている。

 よーく聞いてみれば分かるのだが、要はキルバーンは自分がドラゴンやヒドラを操って攻め込ませたと自白しているも同然なのだ。普通なら正義感の強いダイはその事実に憤り、キルバーンを敵と認識して戦いを挑むところである。

 が、キルバーンが『ダイの正体』について思わせぶりに強調したため、まだ動揺していたダイの意識はそちらへと向かってしまった。また、ダイ自身は  もしかするとレオナやポップでさえも気がついてはいないが、キルバーンのこの言葉はダイに対してだけでなく、周囲の人間達への根回しの意図を含んでいる可能性がある。

 魔王軍の目的がベンガーナへの攻撃ではなく、ダイの正体を探るためだと強調することで、人間達に都合のいい逃げ道を与えているのだから。
 ついさっき自分達を助けてくれた少年に対して怯えるという行為をとった人間達だが、前の章でも考察した様に時間を置き冷静になりさえすればそれを反省する可能性はある。


 人間は、基本的に正義を好むものだ。
 もちろん人によって考えが大幅に差はあるし、全ての人が正義を好むとは言い切れまい。だが、多くの人間が善良な一般市民として生きたいと望んでいるからこそ、世界は法と秩序を基盤とした社会生活によって営まれるのである。

 秩序を源に考えれば、自分達を助けてくれた相手を嫌い、排除しようとする行為は正義と呼べるはずがない。それを実行した場合、人々は多かれ少なかれ罪悪感や申し訳なさを感じるだろう。

 だが、自分達を助けてくれた相手とはいえ、彼こそが全ての元凶だと判明したらどうだろうか。
 その場合、人々は巻き込まれただけの被害者になる。

 ダイのせいで自分達は被害を受けたのだと考えることで、彼を恐れた事実を正当化し、自己弁護できる言い訳になる。
 言わば、彼らにとっては都合のいい免罪符となる『事実』を、キルバーンはさりげなく残していっているのである。……つくづく、この辺りに悪意を感じる。

 さらにキルバーンはさんざんダイに気を持たせた揚げ句、自分の正体を知りたがるダイの問いを無視して去っている。最後に、ダイと本物の超竜軍団長との近い将来での出会いを予言して壁に消えてしまったキルバーンは、最初から最後まで一切戦う気配を見せていない。

 彼は状況を探り、伝言を伝えているだけ……本人が自称した通り、使い魔的な行動を取っているのだがそこかしこに悪意を感じる上に、実力を伏せて行動している不気味さがつきまとう。

 キルバーンが去った後、ポップがドラゴンキラーが腐食するのを発見している。鋼鉄以上の堅さを持つドラゴンの皮膚をも切り裂く刃が、キルバーンの身体に刺さっただけであっけなく駄目になり、短時間で腐食して消滅してしまっているのだ。

『使い魔なんてとんでもねえ…。おっそろしい野郎だぜ…!!』

 ポップがキルバーンの恐ろしさを感じ取り、青ざめている姿が印象的だ。ポップはどちらかといえば空元気であっても敵をけなして平気だと強がる傾向が強いのだが、敵が去った後になっても怯えを隠せないのは珍しい。

 それだけポップはキルバーンが恐ろしさを肌で感じ取り、気を許せない敵だと警戒したのだろう。
 後にキルバーンがポップを特別視して付け狙うようになることを考えると、実に象徴的なシーンだ。

 この時、キルバーンの思惑通りにことが進んだのなら、ベンガーナの人々がダイのせいで町が襲われたと責め立て、ダイが人間に対して不信感を強める展開になったかもしれない。

 自分が人間ではないと知り、人間に嫌われた絶望や自分の正体に対して不安が最高に高まったダイの前に、超竜軍団長が現れる……キルバーン的にはそれが最高の展開だったに違いない。

 だが、幸か不幸かダイはその前に、自分の正体を知ることになる。
 戦いの最中、ナバラとメルルが漏らした『竜の騎士』の一言を聞き逃さなかったレオナが、二人に対してそれを問い質したからだ。

 賢者の卵のせいか、単に本来の資質か、レオナは自分が疑問に感じたことはきちんと追究しないと気が済まない性質のようだ。事実がいいことか悪いことかを考える前に、まず真相を追究したいという気持ちがあるのだろう。
 結果、レオナはダイの目の前でその質問をしている。

 それに対し、答えたのはナバラだ。
 さすがに年の功というべきか、彼女は改まった口調でダイが竜の騎士に間違いないと断言している。この時、初めてダイは竜の騎士という名前を耳にした。

 この時がダイのターニングポイントだと、筆者は考えている。
 怪物しか住んでいない怪物島でたった一人の人間として育ち、勇者に憧れるままに旅だった少年の運命が、大きく動きだした瞬間である――。

 

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