03 竜の騎士の伝説(3)

 

 さて、ここでダイ以外のメンバーの心理について注目してみたい。
 完全に傍観者を決め込みダイに対して全く働きかけようとしないナバラはともかくとして、ポップ、レオナ、メルルの三人の心の動きがきめ細かく表現されている。

 この中でレオナの手際の良さ、判断の適格さ、なによりも自制心の強さは特筆すべきだ。 前項でも触れたように、おそらくはレオナの誘導によりダイ達はテランへと足を運んでいる。

 レオナはダイの気持ちを考えた上で、竜の騎士の正体を調べることに力を注いでいる。レオナは竜の騎士というものがどんな存在かこの時は全く知らないのだが、ダイが自分の出生について悩んでいるようなら早く知った方がいいと判断したのだろう。
 真理を強く追究する精神を持つレオナらしい判断だ。

 また、彼女は非常に手際が良い。あれだけの騒動の直後だったにも関わらずレオナはダイのために武器をきちんと買い入れてあり、必要と感じたタイミングを見計らってダイに渡している。ダイやポップなどはとても武器まで気が回らず手ぶらだったことを考えると、レオナのこの冷静さはずば抜けている。

 だが、皮肉な話だがレオナのこの自制心の強さと公平さは、ダイの心理を落ち着かせるという方向ではあまり役に立ってはいない。

 人生で初めて他人に拒絶される痛みを味わい、心に深い傷を負ったダイは、それを埋めるものを求めていた。たまたま竜の騎士という伝承を聞いたからそれを確かめる方向へと走ったが、人間の心を癒すのは真実ではない。

 もちろん真実をしっかりと受け止めて前を向くことは人間の成長にとって大事なことではあるが、怪我をした時に必要なのは原因の究明よりもまず手当てであるように、心が傷ついた時にもまずは癒しが必要だ。

 人は自分の存在価値を認識することで初めて自分の心を安定させることができるし、幸福感を得ることができるものだ。

 このことは幼い子供に置き換えて考えてみると、理解しやすい。
 母や父など大人から無条件の愛を注がれた子供ほど、自分に対して自信を持てるし健やかに成長するものだ。

 しかし、虐待を受けた子は心に傷を負い、不安定になる傾向が強い。無反応になる、すぐに泣きだす、癇癪をおこしやすいなど、反応は虐待の度合いや本人の性格により様々だが、不安を強く感じている子ほど極端な反応を示しがちだ。

 そんな子供達に必要なのは真実の追求などではなく、十分な愛情と居場所の確保だ。
 たとえ親に拒絶されたとしても自分を愛してくれる存在がいるし、また、ここにいてもいい居場所があるのだと保証があれば、心が安らぐ。

 この時のダイに必要なものも、大差はない。
 自分の正体を知る前に、助けた人々から嫌われてしまったという理不尽な扱いに傷ついた心は、明らかに救いを求めていた。おおらかなダイにしては珍しく、苛立って焦っていた態度は彼のSOS信号と見ていい。

 だが、残念ながらこの時のレオナもポップもダイのSOSには気が付いても、その深刻さにまでは気がつかなかった。
 もちろんダイの様子がいつもと違うのは気がついていたし、さっきの出来事がダイを傷つけたのも理解していた。

 しかし、レオナは精神的な意味ではダイをフォローはしなかった。
 洞察力に長けたレオナにしては珍しいミスだが、これは彼女の資質が指導や叱咤の方向に向いているせいもあるだろう。

 レオナは他人を励ますのを得意としているが、彼女の励まし方は理想を高く掲げ、そこに辿り着くための具体的な方法を指導するというやり方だ。一見きついと思える言葉で相手を叱咤し、やる気を誘うのを何よりも得意としている。

 言ってみれば、彼女の励ましは指導者的なものだ。向上心を持ち、何らかの目的を目指す者にとっては役に立つ励ましではあるものの、心の弱った者に対してこの手の励ましはむしろ逆効果というものだ。

 それを承知しているためか、あるいはレオナ自身がダイの並外れた力にショックを受けた件が尾を引いたせいか――どちらにせよ、レオナはダイを励まそうとも説得しようともしなかった。

 そうしなかったのは、レオナがダイを信じ、誰よりも頼りにしているからだろう。
 レオナにとって、ダイは『勇者』だ。自分やみんなを助けてくれる存在だと認識しているところがあり、ある意味でダイの強さを盲信しているところがある。その信頼がダイを助ける時もあるのだが、残念ながらこの時はマイナスに働いてしまっている。

 湖に飛び込む直前のダイの嘆きの告白を聞いた段階では何も言えなかったレオナだが、彼が水に飛び込んだ瞬間に呼び止めようとはしている。ダイが足を止めなかったため結局レオナが何を言うつもりだったかは、明かされていない。

 その後、湖を悲しそうな目で見つめるレオナは、独り言という形でさえ自分の内心を表に出そうとはしていない。
 感情を抑え込むことに慣れた王女ならではの自制心の高さや、感情を露にしないからこそ感じられる哀しみがよく現れているシーンだ。

 ところで正直な話、ここにいたのがもしマァムだったのなら、話は全く違っていたように思える。
 戦いに関しては判断を間違えがちなマァムだが、彼女は心に傷を負った人に対しては無条件で慈しめる優しさを持っている。

 彼女がまさに慈母の優しさでダイを癒していたのなら、ダイもわざわざこの時期にテランへ行こうとは思わず、バランとの出会いもまた違う形でになっていたかもしれない。

 公式本で、バラン編で激しい戦いが行われるからこそマァムを修行の旅に出す形で場を外させたと記されているが、もしマァムが父と子の熾烈な戦いを目の当たりにした際、どのように動いたか見てみたかった気がする。

 

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