05 竜の騎士の伝説(5) |
ここで少し横道に逸れるようだが、ナバラやメルルの視点で物事を見てみたい。 尋ねられたことに自分の分かる範囲の回答をするという、まさに占い師としての本領を発揮しての対応をしているだけのように見える。 だが、伝承と道を教えればそれで済む話を、わざわざ同行してまで実際にテランにまで付き添ったのはそれなりの理由があるはずだ。なにしろ、ナバラとメルルは故郷では商売ができないからこそ旅に出たという事情まで抱えているのに、わざわざ帰郷しているのである。 いくら助けられた恩があるからとはいえ、この二人がそこまでしたのはダイのためではあるまい。 テランは竜の騎士と神と崇める国であり、人々の間には深くその信仰が根差している描写が物語中で語られている。 だからこそナバラやメルルはダイを伝説で語られている竜の騎士だと断じているが、それでいながらその事実に疑惑を感じているのが見て取れる。 実際にナバラもメルルもダイを竜の騎士として尊敬し、崇めるシーンはない。それどころかナバラなどはダイをボウヤと呼んでいるし、竜の騎士の神殿へ行かせる時も『もしボウヤが本当に竜の騎士さまに関係があるとしたら〜』と、敬意どころかその正体を疑っているような発言さえしている。 淡々と竜の騎士についての情報を告げる占い師達は、ポップやレオナのようにダイの心理を気にしているようには見えない。 ところで、同じように竜の騎士に拘りを持っていても、祖母と孫では信仰の度合いに大きく差があるようだ。 皮肉な口調とは裏腹にナバラは竜の騎士と神の使いと信じ込んでおり、自分達とはそもそも次元の違う生き物だと考えている傾向が強い。その証拠に後にバランが登場した際、ナバラはあっさりと人間の未来を諦めてさえいる。自国を捨てたといいながら、ナバラは竜の神に対して敬虔であり、その不可侵に疑問を抱かない辺りが生粋のテラン国民だ。 だが、メルルはナバラとは違う。 自分自身もテラン国民でありながら、神に祈るしかできないテランの民をやや批判気味に、客観的に見つめる目を持っているメルルは、竜の騎士が人か神か分からないと発言している。実際にメルルは後のバランを悪い『人』だと発言しているし、竜の神に対する信仰度は低そうだ。 そのせいかダイを積極的に道案内しているのは基本的にナバラであり、メルルはほんの補佐的な説明をする程度でダイ達にそれほど関心を持っているようには見えない。ベンガーナで少女を助けた時の積極性が嘘のように、テランを訪れたメルルは淡々としている。 そんなメルルの関心や熱意が一変するのは、ポップの言葉がきっかけだった。 自分の感情のままに、友達を想う言葉を口にできる少年――その印象は、メルルにとっては鮮烈だったはずだ。 メルルは信仰を拠り所としてただ成り行きに任せるだけのテラン国民の在り方を、良しとはしていなかった。そして、ナバラのように自分の特殊能力を活かして自分や身近な人だけを助ける生き方も良しとはしていない。 逃げるのは嫌だと思っているし、人を助けたいという意思も持っている……だが、メルルはその気持ちのままに行動するにはいささか引っ込み思案がすぎるようだ。ベンガーナで気の毒な母娘を助けようとした時も、メルルの必死さや彼女なりの全力を尽くしたことは認めるが、あまりにもやり方が拙すぎる。 自分の気持ちを押し殺し気味の物静かな占い師の少女は、幼い少女を本当に助けてあげたいと思ったことを、本人にも、周囲の人々にも伝えることができなかった。行動力や能力以上に、メルルには『自分の気持ちや意思を他人に伝えようとする意思』が欠けているのである。 メルル自身もそれを自覚し、コンプレックスを抱いているらしいことは後に随所で描かれている。 だからこそ、メルルの目にはポップの言葉や存在は眩い程に輝いて見えたのだろう。生き神かもしれないダイや、とても年下とは思えない程のしっかりとした意思の強さを見せるレオナよりも、メルルの目を捕らえたのはポップだった。 この時を境に、メルルは公平な傍観者ではなくなる。
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