13 学校について |
この世界では、大半の人間は文字の読み書きや簡単な計算はこなせます。 だいたい朝ご飯が終わった後に教会に集まって授業を受け始め、昼ご飯になる頃に授業が終わります。ですが明確な決まりがあるわけではないので、親の手伝いなどで仕事のある子の場合は休みが多かったり、来る時間がずれている場合もあります。 また、子供の数が多い場合などは午前と午後、二部に分けて授業することもあります。 村での教育では、現在の学校の様に教師が講義をして生徒がそれを聞き、教科書に沿って学習していくという方式をとるところは少ないです。 大抵は教科書自体がなくて、担当する神父が持っている本の写本したもの、もしくは神父が自作した本などを教科書替わりに渡し、基礎的な読み書きを教えた後は各自で勝手に学ぶと言う、半自習方式だったりします。 この場合、年齢が上の子が下の子の面倒を見てやることも珍しくありません。 習うのは基礎的な読み書き、簡単な算数が基本ですが、勉強好きな子にはより詳しい知識を教えてやります。ただし各自の神父やシスターの知識内で教えるため、教育内容は各村や町によって大幅に違います。 上記した例は飽くまで一般的なレベルで、最初から村に教会がない場合や、あってもそこの神父が教育熱心でない場合は教育の場自体が存在しなくなります。 その場合は子供の近親者が暇な時に教える程度で終わってしまうので、学力はさらに下がります。 一般市民の最大人数を占める農家の親達などは正直、読み書きをさして重視しない場合が多いので、農村の子ほど勉強を学ぶ時間は短いです。逆に、商売をしている親は読み書きや計算を重視するので、子供達を比較的長い期間学ばせます。 勉強のために教会に通うのは、だいたい5、6才から14、5才ぐらいまでの間です。 早い子は12、3才頃から勉強をやめて仕事をするようになります。ですが勉強熱心で学習意欲の強い子供の場合、初めて『学校』に進学するという選択肢が生まれます。 学校とは若く優秀な青少年に教育を与えるのが目的であり、主に法を中心とした高等教育について教えます。 学校は通常、三年制です。その後、専門分野について学びたい者は個人の師に弟子入りすることになります。例えば医者になりたければ学校を卒業後、医者に弟子入りして数年修行してから独立するという形です。 学校は入学できる年齢は15才〜20才までと幅があり、留年は二回までという決まりがあるので、学校には15才から25才ぐらいまでの年齢層の生徒が存在します。 学校で優秀な成績を収めた者は、その国の役人に優先的に推薦されるというシステムが構成されています。ですが推薦を受けるのは飽くまで成績上級者のみなので、卒業すれば確実に職につけると言うわけではありません。 そして、学校に行くのには相当なお金がかかります。 現代の感覚で言えば、大学に通う以上の金額がかかります。しかも、学校の数が少なく都市部にしか存在しないので、学費のみならず生活費の獲得も必須です。 学校の多くは寮を併設していますが、もちろん利用するためにはお金がかかります。つまり、学費と寮で生活するための費用を仕送りできる余裕がなければ、学校に行くのは不可能です。 特に優秀な子供の場合は、その才能を見込まれた奨学生制度も存在していますが、この制度を受けるために要求される基準はひどくシビアです。まさに全国トップクラスの学力がなければ、試験に合格できません。 また、学校は年に一度学力試験があり、それに合格できなければ次の学年に進めません。留年は先程記述した通り二回までしか許されないので、三度試験に落ちれば強制的に退学になります。 学費の支払いができなくなっても退学になります。ついでに言うのなら、やっと学校に入っても周囲のレベルの高さについていけなくなる者も多く、無事に卒業できる者は6、7割程度です。 そのせいで一般人には縁のない場所であり、かつては貴族や裕福な商人階級の子息しか入学できませんでしたが、大戦後は学校の規模が拡大されて奨学生の枠がグンと増やされました。 国によって規模は差はありますが、特にこの教育に力を入れているのがベンガーナ王国で、今では学校の生徒の半分以上を占める人数が一般人です。
ところで、筆者はダイ大世界の教育普及について、実は江戸時代をモデルにしています。 資料によって差はありますが、識字率が5〜60%(資料によっては7、8割と判断しているものもあります)というこの時代の社会としては驚異的な学習能力の高さを誇っています。おまけに算盤が得意な日本人は、庶民であっても計算能力に長けていました。 この識字率は庶民も含めての数字であり、武士階級ならばほぼ100%読み書きができましたし、また、歴史や美術に対しての造詣も深い人が多かったんです。大都市である江戸に住んでいる庶民はほぼ9割近い人間が読み書きをこなしていたというデータもあります。 中世ヨーロッパだと、どの国でも識字率はまず30%以下です。 神職で高い地位に就くためには母国語だけでなくラテン語も必修科目でしたので、文字を読める人はとことん読めるけれど、一般人はほとんど読めないという極端な差がありました。
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