『初めての夜 1』

  
  

 それは、初めての夜――。
 住み慣れた故郷から旅に出て、二人の男友達と一緒に宿屋に泊まった夜。
 マァムにとっての初めての夜は、一生忘れられないものになった――。
 
   
 
 
「えーっ!? 同室でいいのかよ? 二部屋とるんじゃねえの?」
 
 そう言ったのは、ポップだった。
 ネイル村を出発して歩くこと、約半日余り。
 村周辺の道を良く知っているマァムが先導したおかげで、夕方になる前には魔の森をいったん脱出する形で、一番近くにある西の街道沿いの宿屋にまで辿り着いた。
 
「だって、勿体ないじゃない。この先、どのくらい長くかかるか分からないんだし」
 
 ポップは最初、別に部屋をとるつもりだったようだが、金銭節約のために同室にしようと言い出したのはマァムだった。
 
 村を出る際、母が持たせてくれた荷物にはちょっとした金も入っていた。だが、母子家庭でつましい生活を送ってきたマァムは、節約家であり計画性も高い。
 一部屋に抑えて割り勘にすれば節約になると思えば、その発想は当然だった。
 
「まあ……そりゃ、おれだってあんまり持っているわけじゃないし、こいつなんかカンペキに無一文だけどさぁ」
 
 自分の財布をチラッと除きながら、ポップはこつんとダイをこづく。
 
「あははっ、だって、おれの島じゃお金なんか全然なかったんだもん」
 
(……どーいう生活してたのかしらね、ダイって)
 
 
 12歳という年齢を割り引いて考えても、ダイは世間知らずな面の目立つ純朴で素直な男の子だ。
 怪物しか住んでいない無人島育ちとは聞いたが、片田舎育ちのマァムには今一つ想像がつかない生活っぷりだったらしい。
 
「でもよお、いいのかよ、一緒の部屋で? 風呂とか着替えとかもすんのに――」
 
 そこまで言ってから、ポップははたと新たな可能性に気がついたらしい。ぷくっと鼻の穴を膨らませ、にへらーとスケベ面丸出しで、何やら思い浮かべている様子だ。
 そして、ポップは気持ち良いぐらい露骨に態度を豹変させた。
 
「そ、そうだよなー、やっぱ無駄使いもよくないし節約って大事だよな、うんっ」
 
 下心丸見えの魔法使いの少年を半眼で睨み、マァムはピシャッと言ってのける。
 
「……言っときますけどね、変な真似なんかしたら、容赦なくぶっとばすわよ!」
 
 
「な、なんだよ、その変な真似ってのは!? 見損なうようなっ、おれがいつそんな真似したっていうんだよっ!?」
 
「いきなり人の胸を揉んだじゃない! それも二回も!」
 
 それは紛れもない事実なだけに、ポップはちょっと怯む。が、黙って引っ込むほどおとなしい性格ではない。しどろもどろながら反撃を試みだした。
 
「あ、あれはぁー……だから、誤解だって言ったじゃないか! 最初はおまえが男だって思ってたし、二回目の時はその……、ペンダントを見たかっただけだって――」
 
「へー、いつの間に二回も? ポップってホントおっぱいが好きなんだね」
 
「こ、こらっ、ダイっ!? なに人聞き悪いこと言ってんだよっ!?」
 
 慌てて口止めしようとしたが、ダイはきょとんとした顔をする。子供特有の無邪気さを持つダイにとっては、腹芸など全く通用しない。
 実に素直に、ポップから聞いた話をぶちまけた。
 
「だって、ポップが言ったんじゃないか、大人の男ならみーんなおっぱいが好きだって」
 
「わわっ! ば、ばかっ、そんなこと人前で堂々と言うんじゃねーっ」
 
(こ……こいつって……っ)
 
 呆れるやら、腹が立つやら――。
 まだまだ子供っぽいダイと違い、ポップはマァムより一つ下の15歳。
 
 過疎化がかなり進んでいるマァムの村では、同年代の少年や少女などいなかったが、知識としてこの時期の野郎がどうしようもなくおバカなお年頃になるものだと、聞いてはいた。
 
 が、実際に目の当たりにするとここまで気に障るものだとは思いもしなかったが。
 もう一、二発ぶんなぐりたい衝動が込み上げてきたが、マァムはかろうじてそれは抑える。
 
 なんせ、宿の前でこんな会話をしているのだ、通りかかる人がくすくすと笑っているのが気にかかる。
 まだ騒いでいるポップの耳と、ダイの服を引っ張って、マァムは宿屋の中へと入る。
 
「ほら、いつまでも騒いでないで! みっともないじゃない、さっさと宿屋に泊まるわよ」

 ポップのスケベさが気にならないと言えば嘘になるが、マァムは口で言うほどそれは気にしていなかった。
 
 女の子としては少々規格外れなほど男勝りな彼女は、さっぱりとした性格であり、恋愛には至って疎い。年頃の男女が一緒に部屋で寝泊まりする危険性など、全く考えも及ばなかった――。
 
 
 
 
「わあっ、ふっかふかだ。気っ持ちいーっ」
 
「ピピ、ピピピーッ!」
 
 ベッドの上ではしゃぐダイとゴメちゃんに対して、ポップはいかにも不機嫌そうに言った。
 
「いちいち騒ぐなよ、こんなの、そうたいした宿屋じゃねーだろ?」
 
 旅暮らしの長いポップは、宿屋の善し悪しを見抜くぐらいの目はある。実際、この宿やのランクは良くても中の下程度……食事だって在り来たりだったし、部屋もそう凝ったものではない。
 
 何しろ安さを最大の売りにしている宿屋だ、そのレベルなんか知れている。
 もっとも、人間の住む家自体ろくすっぽ見た経験のないダイにとっては物珍しい場所には違いない。
 
 ゴメちゃんもまた宿屋が珍しいのか、部屋の中をパタパタくまなく飛び回っていたが、ベッドに横になったままのポップの胸の上にちょこんと舞い降りた。
 
「ピピ? ピッピピ……?」
 
「ん? なんだよ、ゴメ?」
 
「ピッピピ! ピピ?」
 
 羽の生えた黄金のスライムであるゴメちゃんは、はっきり言って謎の生物だ。
 ダイの育ての親、ブラスの話によると、ゴールデンメタルスライムというごく珍しいこの怪物は、かなりの珍種らしい。
 
 少なくとも、ポップはこんな怪物の存在は知らなかったし、師であるアバンでさえよく知らないと言っていたぐらいだ。
 この小さなスライムは意外なくらい知能が高く、人間の会話はほぼ理解出来るらしい。臆病なくせに妙に人懐っこく、ゴメちゃんはよくポップにも話しかけてくる。
 
 ただ、問題なのは彼が人間の言葉を喋れないという点だ。
 はいやいいえ程度の簡単な返答ならばポップにだって分かるが、少し面倒な会話となるとお手上げだ。
 
「だーかーらーっ、おれにゃあおまえの言葉なんて分かんねえんだってば。ダイに言えよ、ダイに」
 
「ゴメちゃんは、心配しているんだよ。ポップ、なんだか落ち着かないみたいだけど大丈夫? て、言ってるよ」
 
 ダイの通訳を聞いて、ポップはギクッとしつつも強気に否定した。
 
「な、なんだよ、それ!? おれは別に、いつも通りだよっ!」
 
 ムキになる否定は、その通りだと肯定しているも同然である。
 実際のところ、ポップは確かにそわそわと落ち着けず、結果として妙に不機嫌になってしまっていたのだから。
 
 原因は明白、マァムの存在だ。
 好きとまで言えなくとも、ちょっと気になる女の子がたった今、お風呂に入っていて、なおかつこれから一緒の部屋で泊まると知っていて 落ち着き払える男などいるわけがない!
 
 お風呂をちょっとでも覗きたいなあとか、いややっぱりそれはまずいだろと思いつつも、あれこれとつい考えてしまうのが思春期の少年と言うものである。
 が、そんな微妙な心理など、子供なダイやゴメちゃんには全くの理解外だった。そして、マァムの方も、それは同じだった。
 
「ああ、サッパリした。ダイ、ポップ、お風呂空いたわよ」
 
 その声と共に浴室から出てきたマァムを見て、ポップは鼻を押さえてのけ反った!
 
「マッ、マァム!? なん、なんだよッ、その格好はっ!?」
 
 湯上がり特有の上気した肌や洗い髪――それは、まあ予測の範囲内だからいい。が、問題なのはマァムが下着姿のまんま出てきたという事実だ。
 
 小さめ、かつ薄地のタンクトップは、胸の谷間がちらりと見えてしまいそうだ。
 微妙にお臍すら見えそうな短さで、しかもよくよく見ればその下に下着はつけてはいないらしい。
 
 割合大きな胸が、押さえもなくゆさゆさと揺れているのは、実に目の毒と言うべきか、目の保養と言うべきか。
 下半身を覆い隠すのはパンティのみであり、はちきれそうな太股はそのまんま丸出しである。
 
 鼻血が吹き出なかったのが、いっそ不思議だ。
 が、マァムは自分の格好については、微塵も疑問を抱いちゃいなかった。
 
「なによ? 寝間着がないんだから、仕方がないじゃない」
 
 男っけの全くない母子家庭育ちのマァムは、肌の露出に気を使う習慣が薄い。暑い時は家でも今も格好で寝ていたし、問題のある格好とは思っていなかった。
 旅の荷物にはパジャマなんて入っていなかったし、普段着のままで眠るよりは下着姿の方がずっと寝心地が良い。
 
 季節的には確かにちょっと早いとは思うが、毛布を被れば問題はないとマァムは考えていた。
 着衣を気にしないという点では、ダイも変わりがない。マァムの格好をまるで気にも止めず、ごくあたりまえのように風呂に向かう。
 
「お風呂あいたってさ。一緒に入ろうよ、ポップ」
 
「…………」
 
 
 あまりといえばあまりな同行者達に、ポップは呆れ果てた顔のまま絶句する。
 色々と言いたいことが山積みなのは確かだが、この手の問題については全く無知な連中相手に、一人拘ってモラルを主張するのもなんとなく馬鹿らしくなってきた。
 
(おれ――今夜、眠れるのかなぁ……)
 
 
 鼻を押さえつつ、ダイに手を引っ張られるように風呂に向かいながら、ポップは誰にも気づかれないように溜め息をついた――。

  

                                               《続く》

 

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