(駄目……とても、眠れやしないわ) 吐息混じりにしみじみと想い、マァムはくるりと寝返りを打つ。が、それぐらいで逃げられるほど甘くは無い。 「ぐわーっ、ぐごごごーっ!!」 耳を塞ぐ手をそのまますり抜け、ほとんど暴力的に飛び込んでくるイビキのうるささに、マァムは何度目かの溜め息をついた。 「ピピピー……ッ」 金色の小さなスライムも、小鳥に似た声で鳴く。ダイの小さな頃からの友達だというこのゴールデンスライムもまた、騒音には不満があるらしい。 ダイとポップの寝ているベッドで寝ていたはずだが、パタパタと翼をはためかせてマァムのベッドまで逃げてきた。 ぷにぷにした手触りのスライムの頭を撫でてやりながら、マァムは頭痛すら感じていた。 ダイとポップと一緒に旅に出る際、マァムにはそれなりの覚悟があった。 なんといってもダイは魔王と戦うと宣言した勇者の卵だ、その旅につきあうともなればそれ相応の危険や苦労はあるとは思っていたが……。 まさか、のっけからこんな苦労があるとは思いもしなかった。 ポップのイビキがうるさくて、ろくに眠れなくなるとは――。 男手も少ない寒村育ちであり、なおかつ父親を早くに亡くしたマァムは、イビキの騒音に慣れてはいないだけにきつかった。 あまりの眠れなさにとうとうマァムは起き上がって、隣のベッドで寝ている少年を睨みつける。 ダイは、まあいい。 ベッドの片隅で身体を丸めて、この騒音の中で気持ち良さそうに眠っている様子にはいささか呆れるが、それに文句を言うのは筋違いだろう。 問題は、ポップの方だ。 一番寝付きが悪く、やけにモゾモゾと何度も寝返りを打っていた時もうるさくて邪魔だなと思ったが、今の騒音の比ではない。 ひっきりなしに聞こえるイビキは、盛大かつ喧しいことこの上ない。 さらに言うのなら、ポップは寝相もかなり悪い。いや、遠慮なく言えば、すごく悪いのかもしれない。 掛け布団はものの見事に蹴っとばしているし、枕なんかもベッドの下に転がっている。寝冷えしそうな格好だが、そこは本人も自覚があるのか、長袖長ズボンのままで眠っているから問題はなさそうだ。 しかし、そんな用心はイビキの被害を満面に受けている身としては、腹立たしさをかきたてる一方だが。 (ああ……っ、こんなことなら一緒の部屋に泊まってもいいなんて言わなきゃよかった!) 今更後悔しても手遅れだが、マァムはしみじみと思う。 (とにかく、寝なきゃ……明日も、早いんだし) 毛布を頭の上まですっぽりとかぶって、マァムは固く、ギュッと目を閉じた――。
「なあ〜、マァム、まだ着かないのかよ? おれ、もう疲れちまったよ〜」 ひっきりなしに訴えかけるその甘えた声音に、マァムは苛立ちを押さえきれない。 「さっきから何度聞けば気がすむのよ。目的地は、まだよ」 ダイの目的地は魔の森の北に位置するロモス城だから、ネイル村から直進すれば半日と掛からずに城下町に辿り着ける場所だ。 だが、一度森の外に外れてから、再び森に入って西北の方向に突っ切るなんて遠回りのルートをわざわざ選んだのは、安全のためだった。 ダイは、勇者の卵としてすでに魔王軍に目をつけられている。 ロモスを侵略している魔王軍百獣王軍団長、クロコダインが直々にダイを狙って戦いを挑んできたぐらいだ。 獣王クロコダインとほぼ互角に戦っていたダイの力は認めるが、危険を避けるに越したことはない。 魔の森を歩き回った経験を活かして、マァムは細心の注意を払って最も安全と思える道を選び、案内しているつもりだ。 それなのにこうも甘えた文句ばかり言われると、むかむかと腹が立つのは抑えられない。ただでさえ、ポップのイビキのせいで寝不足だというのに。 ともすれば込み上げるアクビを噛み殺しながら、マァムはいささかつっけんどんに言った。 「だいたい、あんた旅には慣れているって豪語していたじゃないの。あれってやっぱり、口先だけのハッタリなの?」 「ハッタリってのはなんだよ、ホントだったら! おれはアバン先生と、ずーっと旅してたんだよ」 「だったら、文句ばっかり言ってないで、足を動かしなさいよ!」 足の遅いポップは、すでにマァムやダイから数メートルの後れを取っている。ダイはポップの遅れを気にして何度も後ろを振り向いているが、マァムは腹立ちも手伝って自分のペースを貫いていた。 一緒に旅をすればするほど、ポップへの評価は下降していくばかりだ。 なんせ、ポップときたら口ばかり達者なくせに、バテるのが早くてすぐに休みたがるし、怪物の気配を感じようものならいち早く逃げ出す始末だ。 目を覆いたくなるようなダメっぷりは、一緒に旅に出たのを後悔したくなる程だ。 だが、おおらかなダイはそんなポップの様子に怒る様子もない。 「まあまあ、マァム……、そう怒らないでよ。それより、ちょっと休まない? おれも、疲れちゃったし」 ダイのその言葉は嘘だと、マァムにはすぐ分かった。 小柄ながら体力のあるダイは、マァムがどんな早足で歩いても十分についてくる。怪物に対しても勇敢で、仲間を庇って先頭に出ようとする態度には感心させられる。 それだけに、ダイの頼みは無下には出来なかった。 「仕方がないわね。……じゃ、少しだけ休みましょうか」 「やった!」 休めると分かった途端、ポップはぐたっとその場に寝っ転がってしまう。 小休憩ならば腰を下ろすなとは、山歩きをする者ならば初歩で習う常識のはずなのだが、ポップは休憩の度に座り込むか、寝転んでしまうだらしなさだ。 (あれのどこが旅慣れているのよ!?) ほとんど必要のない休憩を取る空しさを感じながら、マァムは側の木に寄りかかるだけにとどめる。自分から休みたいと言った割に、ダイは全然疲れていないのか、木に寄りかかるどころかその辺をプラプラ歩いている。 が、マァムのアクビを聞きつけたのか、声を掛けてきた。 「あれ? マァム、寝不足なの?」 「ん……ちょっとね。ねえ、ダイは気にならないの? その……ポップのイビキって」 さすがに声を潜めて、マァムはこっそりと聞く。 「ああ、そういや、ポップ、昨日はずいぶんイビキかいてたね。おれ、あれを聞くとなんか安心するけど」 マァムにしてみればあの猛烈なイビキが気にならないのか、不思議でならないが、ダイは一向に気にした様子もない。 「あいつって、いつもああなの?」 「んーと……そうでもないよ。普段は、そんなにイビキかかないし。えーとね、うんと寝不足で、疲れている時だけかな?」 普段から、というわけではないが疲れているとイビキをかくタチのようだ。 その答えはマァムをがっかりさせる。疲れているとイビキ魔になるというのならば、今夜もまた、期待はできまい。 今から夜を思い、マァムは小さく溜め息をついた――。 「あ〜あ、やっぱり今日は野宿かよ? 面倒くさいんだよなあ」 「うるさいわね、文句ばっかり言わないでよ!」 だいたい、誰のせいで野宿すると思っているの? との文句だけは、辛うじてこらえる。 本来なら、今ごろはもっと先まで進んでいるはずだった。 だが、歩くのが遅いポップに合わせているため、距離が予想よりもはかどらない。予定の半分も行かないうちに、日が暮れてしまった。 ダイの足はマァムよりも達者なので、自分とダイだけならもっと早く、遠くまでいけるのに……とつい考えてしまう。 「おれ、水汲んでくるね!」 ダイはまだまだ元気いっぱいで、全員の分の水筒を抱えて水を探してくると言って飛び出していく。 が、ポップはいきなり寝転んでしまって、動く様子もない。 「おー、任せたー。おれの分、多めに頼むー」 と、手だけヒラヒラさせて横着に頼む始末だ。 (ホントにサイッテー! こんなダメな奴、なんだって先生は弟子になんかしたのかしら……?) 考えれば考えるほど、なんとも癪な話だった。 あれは、もう4年も前――マァムが、まだ12歳だった頃の話だった。 アバンがネイル村を訪れた際、滞在したのは二週間足らずだが、先生と過ごした日々は今もマァムにとっては忘れがたく、懐かしくて暖かな記憶として残っている。 アバンは、優しい教師だった。 戦士としての基礎体術と、呪文契約のやり方を教えてくれた。残念ながら素養がなく、マァムが習得出来たのは僧侶系の呪文のみだったが、それを補うためにも力を貸してくれた。 魔法を弾に打ち込めておいて、必要において銃で打ち出す魔弾銃。それは、マァムの弱点を大きく補ってくれる武器だった。 父親であるロカの若い頃の話を聞かせてもらったり、アバンの旅の最中にあった面白い話を教えてもらったり、勉強の時間は幾らあっても足りないぐらいだった。 しかし、楽しい時間はすぐに過ぎる。 アバンから別れを告げられた日を、マァムは今も覚えている。また旅に出るというアバンに、連れて行って欲しいと頼んだ。 弟子の頼みならばいつも快く引き受けてくれる優しい師は、その時だけは少しばかり困った笑顔で首を横に振った。 『マァム……『連れて行って欲しい』と思うだけでは、まだ駄目なんですよ』 家や故郷と離れても、どうしても旅をしたい人や目的――それに出会った時、その時にこそ旅に出なさいとアバンは教えてくれた。 『いつか、また、必ずこの村に来ます。その時は、そう……別の弟子も一緒かもしれませんね。あなたの兄弟弟子に当たる子達です、会えたら仲良くしてあげてくださいね』 (なのに、こんな奴がその弟子だなんて……っ) ダイは、いい。 ダイの飛び抜けた素質や勇気は、マァムにも素直に受け入れられる。いかにもアバンが選びそうな少年だと、最初から思えた。 アバンの死を嘆き、敵を討つためにも魔王を倒したいと言っていたダイにはマァムも共感出来るし、協力したいと思う。 だが――ポップのどこを、褒めればいいのやら。 確かに、魔法だけはそこそこ使えるようだ。そこだけは認めてもいい。 が、体力はないわ、根性はないわ、勇気のかけらも感じられない臆病者だわと、正直、足手まといとしか思えない。 ……実際に、この上なく足手まといではあるし。 マァムは寝たままのポップにツンと背を向け、自分の荷物の中を探りだした。 それは、自分で用意したものではない。ダイの旅についていきたいと思いながらも、故郷や母が心配でギリギリまで村に残るつもりで迷っていたマァムは、荷造りなどしなかった。 それが、娘の気持ちを察した母親が、旅立つ際にあらかじめ準備し、持たせてくれた物だ。 元は勇者一行の僧侶だったマァムの母、レイラの持たせてくれた荷物は、コンパクトながら旅に必要不可欠な物がたっぷりと詰まっていて、なかなかに奴に立つ。 干し肉や固パンなどもちゃんと入っているが、三人分の食料にするとなるとせいぜい二日分といったところだ。 真っ直ぐロモスに向かうには十分な量だが、今のように回り道し、しかもこのスローペースで進むとなると多少心細い。 (もう一泊したら、間に合わなくなるかも……) そう考えながら火打ち石を取り出したマァムは、薪や火口がないのに気がつく。 自宅にではごく当たり前にあるものだから、考えもしなかったが、まず薪集めから始めないといけない。 それに、薪があればいいという物じゃない。 火をつけるというのは、意外に厄介な物だ。 火打ち石から出る小さな火花を、いくら木に直接かけたところで燃えはしない。 まずは紙や藁屑など、燃えやすい物につけてやり、火を大きくしてから薪に移さないといけない。 結構な難事業を思って気が重くなった時、後ろからボッと何か燃えあがる音が聞こえた。 振り向くと、小さいながらも焚き火がちゃんと燃え上がっていた。一休みを終えたポップが、いつの間にか焚き火をこしらえている。 「……薪なんて、いつ集めたの?」 「ん? そんなの、歩いてる途中に決まってるじゃん」 やけにゆっくり歩いているなとは思っていたが、ポップは道すがら、ちょうどいい枝を見つけると拾っていたらしい。 最初の日はそんな真似はしていなかったから、野宿が予測出来る日だけはそうするのが習慣のようだ。 ポップの集めた枯れ枝の量は少ないが、薪に丁度いい樹脂のたっぷりとついた枝ばかりだ。これならば一度燃え上がったなら勢いがつくから、後は生木であっても燃やせるだろう。 「でも……どうやってこんなに早く火をつけたの?」 「どうやってって、そりゃメラでだよ」 言いながら、ポップは指先からボワッと火を吹きあげて見せる。 いとも簡単にやってみせたその火炎系魔法に、マァムは驚かずにはいられなかった。本人があまりにも何気なくやっているから見逃しそうになるが、これはそう簡単な技じゃない。 火炎系呪文の強さを、自在に強弱をつけて打ち出せるなんて、よっぽどの魔法制御能力がなければできることではない。現に、マァムの村の長老はネイル村で一番の魔法の使い手ではあるが、薪に火をつける時は普通に火打ち石を使う。 マァムも魔弾銃で試したことがあるが、火炎呪文で焚き火に火をつけようなんて、危険もいいところだ。 勢い余って薪をふっとばしてしまうか、あるいは逆に燃やし過ぎて火事にしてしまうのが関の山で、日常的に使えるものじゃない。 少し――ほんの少しばかりだが、マァムはポップを見直してもいいかなと思った。 「へー、意外ね。結構やるじゃない」 「こんぐらい、軽い、軽い。先生って割とセコくて、旅っつーてもなにかというと野宿専門だったもんね。慣れもするって」 屈託なく笑いながらそう言うポップに、ふと、マァムは聞いてみたくなった。考えれば、今がチャンスだ。 ダイは、アバンの死を隠した。 マァムやレイラを悲しませまいと、アバンは元気だと嘘をついたダイを、責める気はない。 ダイが長老に特訓を頼み込んでいるところ、マァムは偶然立ち聞きしてしまった。 アバンの死を嘆き、涙ながらに強くなりたいと言ったダイ……あれを聞いた以上、ダイの優しさには感謝すれど、文句などない。 しかし、気になるのも事実だった。 あの強かったアバンが、死んだなんてどうしても信じられない。いったいなぜ死んでしまったのか……どんな最後だったのかと、せめて知りたいと思ってしまう。 でも、ダイに本当のことを話せと頼むのは酷な気がして、とても聞けなかった。 だが、気安くアバンの話を出来るポップになら、聞いてもいいかもしれない――そう思ったからだ。 「ねえ……少し、アバン先生の話を聞きたいんだけど。先生が――」 そこまで言った時、丁度、ダイが戻ってきた。 「ただいまー! ポップ、水と薪、いっぱい持ってきたよー」 「おっ、ダイ、サンキュ!」 水を汲んだダイが戻ってくると、ポップは途端に忙しく立ち動きだした。自分の荷物の中から、折り畳んだ紙を取り出して広げてトポトポと水を注ぎだす。 「なに、それ?」 「鍋だよ。見た目はしょぼいけど、結構優れ物なんだぜ、これ。先生からもらったんだ」
四角い形の紙は、鍋代わり。 水さえ入っていれば、紙でも燃える心配はない。長旅に当たって、携帯用の鍋を持つには力に欠けるポップのために、アバンが教えてくれた生活の知恵だ。 簡易性の鍋を火の真上の枝から紐でつるすと、ポップは高い木の上からぶら下がっている木の実を指した。 「ゴメ、あそこに赤い実がいくつかなっているだろ? あれ、取れるか?」 「ピピピッ!」 張り切って飛び上がったゴメちゃんが木の実を落とすのを、ダイが下で器用にうけとめる。 その間、ポップはどう見ても雑草としか思えない草を幾つか摘んで、煎じはじめる。 「この草は、人間が食べても大丈夫なんだ。甘くって、割とうまいぜ」 「すごい、びっくりしちゃった。ポップって、魔法使いみたいなこと知っているのね」 「…………あのな〜。おれ、ホントに魔法使いだって、分かっていってんのかよ?」 文句を言いつつも、ポップはその後の惜しげもなく先生から教えてもらったという野宿術を披露する。 おかげで、ほとんど手持ちの食料を減らさずに夕食の支度が整った。これで、食料不足の心配はしなくて済みそうだ。 「ポップはどのくらい前から、先生に弟子入りしてたの?」 「そうだな……一年ちょい前、かな」 それは、ちょっと意外だった。 マァムがアバンの修行を受けたのは、実質二週間あまりだし、ダイは三日間だけだと聞いていた。 だからなんとなく、ポップももっと短い期間しか修行を受けていないのかと思っていたのだ。戦いとかには、全然慣れていないように見えたし。 だが、実際におしゃべりを聞いていても、ポップの方がアバンの話に詳しかった。それはマァムの望んでいたアバンの最後の話ではなかったが、気楽で楽しい旅の話を聞くのは悪くなかった。 ちょっぴりは、胸が痛んだけれども――。 「そうそう、あん時はそれでさー、先生ったらおかしいんだぜ。今みたいに旅先で料理を作ろうとした時にさー――」 陽気にしゃべり続けるポップの話を、マァムは笑顔で聞いていた――。
《続く》
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