『エピタフ ー前編ー』

  

 バランがそこに辿り着いたのは、すでに夜明け近くになってからだった。
 
 30歳半ばほどの年齢の、鋭い目付きの男。鍛え上げられた体付きを見るまでもなく、一目で戦士と判断できる。
 魔王軍六団長の中で最強と目される、竜騎士団長バラン。
 
 一言で彼を表現するなら、冬の海――とでもいうべきか。
 
 冷たく凍てついた水は、止まることなく荒れ狂っているからこそ、決して凍りつきはしない。全てを拒絶する厳しさと、荒涼としながらも雄大さを同時に漂わせる……それが、バランだった。
 
 その趣は今の姿でさえ変わりはしなかった。鎧も砕け、服さえ破けた激戦直後の姿でありながら、バランの歩調は普段と微塵の変わりもなかった。
 何の事情も知らない者が見れば、彼は勝者にしか見えなかっただろう。
 しかし、現実はバラン自身が一番よく知っていた。
 
 勇者ダイ一行と全力を尽くして戦い、彼は完膚なきまでに敗れた。
 完全なる敗北――。
 長い間、ごく当然のように常勝を極めていたバランにとっては、ほぼ初めてとも思える敗北だった。
 
(……思っていたよりも、さっぱりとしたものだな)
 
 敗北のもたらすものは、屈辱や憎しみだとばかり思っていた。だが、今感じている感情は、それとはほど遠い。
 どこか清々しいような白々とした味気無さ。
 やりきれない虚しさが残るとはいえ、存外悪い気分ではなかった。
 その気持ちのまま、バランは歩いていた。
 
 体力や魔法力が回復しなかったわけではないが、バランは急ぎたいとは思わなかったのだ。
 ゆっくりと歩いて、彼はその場所に戻ったのだ。
 何もない荒野に、激しい戦いの跡が残る場所。
 
 そこには、4匹のドラゴンの死体と共に、三体の魔族が倒れていた。
 近寄って確かめるまでもない。一目見ただけで、彼等が息絶えているのが分かった。
 
 ガルダンディー。
 ボラホーン。
 そして、ラーハルト。
 魔族としては、まだ若い連中ばかり……、だが、その実力は折り紙付きだ。若さに合わない抜きんでた能力を見込んで、バラン直々に抜擢した者ばかりだ。そのせいか、彼に絶対の忠誠を捧げてくれた信頼のおける配下となってくれた。
 
 覚悟はしていたが、やはり部下が死んでいるのを見るのは、心が痛んだ。わずか半日前までは、部下達が生きていたことを思えばなおさらだ。
 最愛の女性との間に生まれた、たった一人っきりの我が子。事情があって生き別れになってしまった息子は、行方不明になって久しかった。
 
 十二年も経ってからようやく見つけた息子は、こともあろうに人間に味方する勇者として成長していた。
 勇者ダイ。

 魔王軍との戦いに徹底抗戦の姿勢をみせ、ダイに希望を託して戦おうとする勇者一行の連中と、息子を取り戻し、魔王軍軍団長の一員として人間全てを滅ぼしたいと願うバランの望みは対立する。
 
 諍いは必然だった。
 ひ弱な人間達揃いとはいえ、中には魔王軍を裏切ってまでダイに味方する元魔王軍軍団長も混じっている。
 その力は決して侮れるものではない。
 
 彼らに対抗するために、バランはめったに勢揃いさせない部下を呼び集めた。
 息子を取り戻したいという、バランの個人的な命令により集まった三人の部下達は、彼に全面的に協力してくれた。
 
 だからこそバランを足止めにきた魔法使いの始末を快く引き受け、彼に先に行けと促してくれた。
  だが、あれが……最後の別れになってしまった。
 あの時、あの魔法使いの少年が挑んできたのを軽く見た自分の判断の甘さが、悔やまれる。
 
 命を懸けて、決死の覚悟で戦いを挑んできた少年――魔法使い、ポップ。
 勇者ダイの側にいつもチョロチョロまとわりついているとしか見えなかったあの魔法使いを、バランはいたって軽く見ていた。
 
 その判断自体は、間違っていなかっただろうと今でも思っている。
 勇者ダイの情報を最も細かく集めていたザボエラでさえ、恐るべき底力を発揮するダイを問題視しながらも、ポップに関してはほぼ気にも止めていなかった。
 
 腐ってもアバンの使徒というべきか、見掛けによらず強力な魔法を操る小僧だという認識はあった。

 だが、魔法力のみ突出していても、魔法使いは基本的に肉体はひ弱だ。
 それに性格的な甘さの目立つポップは、どう見ても強敵とは言い難かった。総合的な強さでは、ヒュンケルやクロコダインの足元にも及ばない、ただの人間の子供だと思っていた。
 
 しかし、あの少年こそが、我が子ディーノを取り戻そうとする自分にとっては、最大の敵だった。
 あの段階でそうと気づいていれば、総掛かりで全力を尽くして戦っただろうに。

 ほんの14、5歳ほどの少年の中に秘められた勇気。そして、死を越えてまで親友を助けようとした、一途な友情。
 
 実際の戦力よりも、その精神力の強さこそが驚異だった。
 敗北を悔いる気はないが、知らず知らずの内に敵を侮った自分の甘さを悔やまずにはいられない。ましてや、その侮りこそが部下の命を奪ったと思えば、なおさらだ。
 
 三人の死体を見回しながら歩いていたバランは、ふと気がついた。
 三人の遺体は埋葬まではされていないものの、きちんと目を閉じさせられ、姿勢を整えられていた。特に、ラーハルトの遺体の側には、護符に描かれてあるのと似た紋様が描かれていた。
 
 今は、知る人も少ない古代文字。
 それは、死に逝く者が黄泉路に迷わないように、昔から使われてきた弔いの言葉だ。
 
(誰が……?)
 
 急いで描いたのか、あまり上手くない。どこか子供っぽさの残る、たどたどしい文字。
 ヒュンケルよりも、ポップの姿が自然に浮かんだ。
 あの魔法使いの少年が、この文字を描いているところが目に見えるようだった。敵の死を悼んで、簡素な葬儀の儀式を行ったのか……。
 
 ガルダンディーとボラホーンはともかく、ラーハルトの表情が、バランの胸を強くうった。
 満足そうで、微笑みすら浮かべた安らいだ表情。今まで、こんな幸せそうなラーハルトを見たことはない。
 不意に、バランはラーハルトと話がしたいと思った。
 
 最も忠実で、自分の心をよく汲み取ってくれた腹心の部下に、先ほどの戦いの全てを打ち明けたくなった。
 父親はれっきとした魔族とはいえ、ラーハルトは人間の母を持つ混血児だ。その生まれ故に人間から迫害された過去を持つラーハルトは、バランにとってはもう一人の息子のようなものだった。
 
 自分でも不思議なくらいに心を動かされた戦いと、人間が見せてくれた奇跡――ラーハルトならば、きっと理解してくれただろう。
 ……だが、ラーハルトは、もう二度と口を開くことはない。それが、しみじみと身に堪えた。
 
「……ラーハルト」
 
 返事が返らないと知っていながら、呼びかけてしまうのは未練というものだろうか。
 だが、出来るなら、聞きたかった。
 ヒュンケルが持っていた、あの槍。あれは、ラーハルトが自分の意思でヒュンケルに譲渡したものだと聞いた。その言葉に嘘がないのは、直感で分かった。
 
 戦いの中でしか、通じあえない思いもあるものだ。
 決して交わらない道を選んで進む者同士でも、戦いという交差の中で、互いになにかを得ることもある。戦いの結果、どちらかの死が待っていたとしても、その価値が減じるわけではない。
 
 少なくとも、戦士にとっては戦いも、死も、己の道に等しく存在するものであるのだから。自分の死も、仲間の死も、同じように受けいれる覚悟がなければ戦士として生き続けるなど適うまい。
 ゆえに、バランはラーハルトや部下達の死を甘受する。
 
 しかし、ヒュンケルが、そしてあの魔法使いが、ラーハルトとどう戦ったのか聞いてみたかった。
 それが、未練といえば唯一の未練だった――。
 
 




 
 穴を掘る音だけが、静かに響く。
 技や魔法を使えば一瞬で作れる穴を、バランはあえて手作業で掘っていた。折れた武器をスコップ替わりにして、黙々と、どこまでも深く。
 自分自身さえも埋めてしまえそうな深さと大きさの穴を掘りながら、バランは思う。

 勇者ダイ。
  生まれた時につけたディーノという名の子供ではなく、ダイを。
 それが、あの少年の名前だった。
 
 母親であるソアラの面立ちを色濃く引いた、だが、明らかに自分に似た部分を持つ少年。
 我が子として自分の分身のように、そして、ソアラの身代わりのように考えていたディーノは、もういない。
 いや、最初からいなかったのだ。
 
 自分の意思を持ち、怪物に育てられながらも人間に肩入れする、人間達の希望である勇者ダイ。
 いたのは、彼だった。
 
 ダイの意思を一方的に砕き、力ずくで連れていけばそれで済むと考えていた自分の愚かしさを、嘲笑いたい気分だった。
 力ずくでは、人の意思が変えられない。
 
 あの時――倒れ、動かなくなったポップを見て、初めて悟った。
 完全に息が止まっていた。心臓も停止し、全ての生命活動を止めていたのに、なお……ポップは、ダイに援護の魔法を放った。
 有り得ないはずの魔法――それは、ポップの強い意志が招き寄せた奇跡だった。
 
 あの瞬間ほど、強い敗北感を味わった覚えはない。
 つくづく、思い知らされた。
 
 打ちのめされたような思いで、バランは悟った。
 力は絶対のものではない、と。それよりもはるかに強いものが存在するのだと。
 
 ――力だけが全てではないわ。人が心を動かすのはね、力に対してではないわ。もっと、大切なこと……それは、もっと暖かくて強いものよ。―― 
 
 最愛の女性……ソアラの言葉が、蘇る。
 人間に混じり、人間として暮らそうとしていた時にはどうしても理解できなかったことが、皮肉にも人の心を捨てた今、やっと理解できた。
 おそらく、ダイはそれを知っていたのだ。
 だからこそ、親に背を向けてでも人間についたのだろう。
 
 ――ポップ〜〜〜〜!!―― 
 
 完全に封じたはずの記憶を蘇らせた時の、あの叫び声が今も耳に残る。竜の騎士の紋章の力は、絶対のはずだった。
 それを利用して記憶を封じた以上、ダイが記憶を回復させる気遣いなど露ほどもなかったはずだ。どんな賢者や、おそらくは大魔王バーンでさえも解除不可能な封印のはずだった。
 
 しかし、それはただの思いあがりだったのだろう。
 実際に、ポップ捨て身の行動こそがダイの記憶を取り戻させたのだから。
 ポップが最後の呪文を唱えた時こそ、ダイは全てを思い出した。あの声は、一生忘れられない響きだった。
 
 メガンテ……どんな強敵の命を奪う代わりに、使用すれば必ず命を落とす自己犠牲呪文。ポップが唱えたのは、その呪文だった。
 地を揺るがす爆音を貫き、上空に一時避難したバランのところにまで聞こえた、ダイの声――。
 
 それは、胸に迫る声だった。
 かつて、自分もなりふり構わずにソアラの名を叫んだ時があった。ダイと同じように、……いや、それ以上の悲嘆を込めてバランは最愛の女性の名を呼んだ。
 
 大切な人間を失う辛さ。
 普通の人間にとっても、それは悲劇に違いあるまい。だが……バランやダイのような、疑似的な人間にとっては、それ以上の意味を持つ。
 
 人間ではない者が、人間として生きようとするのが、どんなに苦しみを味わうものか……それは人間には分かるまい。
 そして、共に生きようと願った人間を失う痛手も、バランは痛いほどよく知っていた。

 最も大切な、誰よりも身近にいた人間が、突然失われる空虚さ。その愛情の大きさの分だけ、胸を悔い荒らす悲しみと苦しみ――。
 
 それは、嫌という程よく知っていた。
 ダイに、あの苦痛は味あわせたくはなかった。
 だからこそ、バランはポップに竜の騎士の血を与えた。奇跡を促す力を秘めた、復活の魔法のこめられた血を――。
 
 竜の騎士の一員として、バランは己の血に秘められた奇跡の力を知っていた。だが、それを他者に与えるのは、もう二度とないだろうと思っていた。
 なぜなら、バランが初めて血を分け与えた相手は、ソアラだったのだから。
 彼女の蘇生を願って血を与え――そして、無残に失敗した記憶はバランの中に色濃く刻まれたままだ。
 
 ソアラは、優しい娘だった。
 だが、強くはなかった。
 
 彼女のその優しさこそをバランは心から愛したのだし、それに不満があるわけではない。
 しかし……戦いを望まない彼女の心は、結局はより大きな災いを招いてしまった。そして、優しさゆえに強く意思を押し通せない彼女が、死の縁から戻ってくることはなかった。
 
 祈る様な気持ちでソアラに血を分け与えた時の気持ちを、バランは今も覚えている。蘇生を望んでやまない想いを抱えて、しっかりと抱きしめたソアラの身体が少しずつ冷たくなっていく時のあの気持ちを、バランは生涯忘れないだろう。
 
 彼女が蘇るのならば、自分の命と引き換えにしてもいいと思った。だが、それは叶わない願いだ。
 奇跡を司る竜の騎士の血にも、限界はある。
 無尽蔵に、誰にでも復活を与えられるわけではない。あるのは蘇生を促す力のみ……真に死の縁から這い戻ってくるのは、本人の精神力の強さにかかっている。
 
 だからこそ、歴代の竜の騎士達は己の血をむやみに人間に与えはしなかった。
 ましてや最愛の女性を失い、人間に絶望した身ともなれば、おそらくはもう一生涯、他人のための血を与えはしまいと思った。
 その決意を覆すだなんて、自分でも驚きだ。
 
(もう……魔王軍には戻れんな)
 
 自分の手で死に追いやった敵に情けをかけるなど、武人としては噴飯ものの愚考であり、主君に対する裏切りでもある。
 なぜなら――ポップはものの見事に蘇生を果たしたのだから。
 魔王軍の一員としては、許されない独断をしでかしたというべきだろう。現在のポップは、確かにたいした戦力とは言えないが……彼の才能と精神力は侮りがたい。
 
 竜の騎士の血の効き目は、魔族よりは人間の方が効き目が強いとはいえ、通常ならば蘇生までに数日から数週間の日数を要するものだ。
 死亡直後という好条件があったのも事実だが、ポップのその精神力には感心せざるをえない。
 
 その意志の強さは、魔法使いにとっては重要な武器となる。
 なにより、ポップは勇者ダイにとって大きな意味を持つ人間だ。彼を生かしておくのは、魔王軍にとっては得策とはいえまい。
 
 だが――あの少年を生き返らせたことを、少しも後悔はしていない。
 ポップのためというよりも、ダイのために生き返らせたようなものだ。
 なにもしてやれなかった我が子に対して、父親としてかけてやったわずかばかりの情けにすぎない。
 それがダイのためになるのかどうか……それさえ、バランには分からなかった――。
 
 
 
 
「……こんなものか」
 
 一人呟き、バランは出来たばかりの墓を眺めやる。
 魔法をほぼ使わず、手作業だけで作りあげたために時間がかかったが、はっきりいって簡素なものだ。

 最低限の粗末なものとしかいいようがない。他者を屠る技術には長けていても、バランは死者を弔う術など縁がなかった。
 
 やけに広範囲に亘って掘り返された跡に比べ、ここが墓であると示す墓標は貧弱だった。

 一際盛り上げられた土饅頭の上に鎮座する、小さめの岩とも、大きめの石とも言える程度の黒い石。
 石の表面に刻み込まれた古い文様だけが、ここが墓と意識させる唯一の物だった。
 死者を悼んで土に書かれた拙い文字。
 
 それが、いずれは風に吹かれて消えていくかと思うと、忍びなかった。その気持ちがあったからこそ、その文字をそのまま真似て石に刻みこんだのだが、……正直、詐欺じみた後ろめたさが残る。
 
 なぜなら、ラーハルトはここには眠っていないのだから。
 ラーハルトにボラボーン、ガルダンディーの死体は、ここには埋めなかった。戦士にとって死は宿命とは言え、さすがに蘇生の最後のチャンスさえ与えずに葬り去るのは抵抗があった。
 
 敵の魔法使いに与えた慈悲を、部下に惜しむのはいくらなんでも気が引ける。そう思い、バランは三人にも血を与えた。
 ……しかし、その結果は芳しくはなかった。彼らは、ポップのようには戻ってはこなかった。
 
 それでも、万に一つの蘇生を祈って棺桶に横たえさせ、瞬間移動呪文を使い、人知れない森の奥に安置しておいた。
 どんな気紛れな旅人でも、決して訪れないだろうと思える場所。時間が経ったらいずれ、土に自然に埋もれるような場所だ。
 
 彼らに意思の強さがあれば、蘇生を果たし……自分の意思で生きなおせるだろう。
 だが、確率はそう高くはあるまい。それに魔王軍の一員としては、これで死んだも同然だ。

 壊れた武具や鎧などは棺桶に運ばずにここに埋めたから、その意味ではラーハルト達の墓と言えなくもないかもしれない。
 
 だが、バランの意識下では、ここはドラゴン達の墓だ。
 人間が愛馬の死を悼むように、魔族にも騎乗する生き物の死を嘆く思いはある。
 ましてや竜の騎士にとっては、ドラゴンはある意味では血族も同然だ。
 
 できるなら彼らにも血を分け与えてやりたい気持ちはあったが、不死に近い長命を持つ種族ほど、蘇生魔法が効かなくなる。
 
 そのため、バランはドラゴン達はそのまま地に返してやることにした。
 だが、この墓を参りにくる者がいるだろうかと考え、苦笑する。こんな人里離れた辺鄙な場所にくる人間なぞ、まず、いるまい。
 
 それにこいつらの死を悼む人間など、いるわけがないだろう。
 だが……それでも、通りすがりの旅人が、この墓に手を合わせるかもしれない。人間とは、他者の死を悼む生き物だから――。
 
(行くとするか……)
 
 バランは一度だけ振り返り、そして潔くルーラ……瞬間移動呪文で飛び立った。

  
  
                                                      《続く》

 

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