『ひどい女 ―前編―』

 

 荒い、苦しげな息遣いに、押し殺した声が密やかな響く。そして、感きわまったように甲高い声が上げられる。

「……ぅ……、……あ……。……いやっ!」

 その声と同時に、彼女の身体が跳ね上がる。釣られたばかりの魚のように大きく跳ねた身体は、重力に負けたのか起きあがることなくシーツの海に再び沈んだ。

 全力疾走した直後のように、荒い息をついてぎゅっとシーツを握りしめる少女に、恐る恐るのようにかけられるのは、少年の声。

「おい……、大丈夫か?」

 驚愕に見開かれた彼女の目が、声の主の方を向けられる。
 と、その途端、柔らかい微笑みが彼女の顔に浮かんだ。二、三度深呼吸をして荒い息を抑えると、今度はたやすくベッドの上に起き上がる。自分の身体を覆う布を握りしめたまま、顔だけを覗かせて彼女は誘う。

「ねえ、ポップ……一緒に寝て」

 淡い赤毛の武闘家は、どこか舌足らずな、おねだりする響きの声でそう言った。
 折しも、ここは二人っきりしかいない部屋で。
 しかも、互いにベッドの上にいて。

「は……?」

 そんな状況をまったく理解できずに、黒髪の魔法使いは間の抜けた声を上げたままの顔で、固まった。







「マ……マァム、なに、言ってるわけ……?」

 当惑しきった声をポップが上げるまで、優に2分ほどかかった。
 実際、理解できない。

 間違ったって、彼女と自分……マァムとポップは、そういう関係じゃない。
 勇者一行の一員だし、同じ先生に習った兄弟弟子同士でもあり、大事な仲間ではあるものの残念ながらそういう色っぽい関係とは無縁だ。

 ポップとしては、彼女を仲間以上に思っているし、あわよくば一歩踏み込んだ関係になりたいとは思ってはいるものの……相手は、あのマァムだ。

 上に超がつくほど鈍感で、天然記念物並に天然過ぎる女である。だいたい、年頃の若い娘でありながら、平気で自分やダイの前で着替えをしたり、下着姿のままで同室で眠ったりするような女だ。

 要するに恋愛音痴というか、その分野だけ極端に精神年齢が低すぎるのだろうとポップは解釈している。
 そんなマァムが、いきなりこんな台詞を言うだなんて――有り得ない。しかも、相手がヒュンケルならまだしも、自分に対してだなんて。

 混乱し、戸惑いながら……ポップはようやく、比較的可能性が高そうな答えを思いついた。

「な、なに、寝ぼけてんだよ、マァム」

 声を絞り出すようにそう言ってから、ポップは自分の言葉に後押しされるように、それが正解なのだろうと思う。

 考えてみれば、今のマァムは寝起きだ。
 しかも、ただ寝起きならまだしも、状況が状況だ。
 最悪を通り越して、絶望的なのだから。

 最終目標である大魔王バーンに戦いを挑んだものの、全く手も足も出ないまま惨敗した。ダイの父親バランは死に、ダイの持つ最強の剣も折れてしまった。

 さらに言うのなら、主戦力であるダイやヒュンケル、クロコダインの生死も分からぬまま、一行は散り散りになってしまった。かろうじてポップとマァムは生還し、待機していた仲間達とは合流できた。

 だが、他の仲間達の行方は掴めないままだし、四日間も海を漂流したせいで、ポップもマァムも体調万全とは言いがたい。

(特に、マァムはおれよりも疲れているよなぁ……)

 戦いに負けた直後、ポップとマァムは海の中に落とされた。途中で力つき気絶したポップを、彼女はこともあろうに抱え込んだまま陸地まで泳ぎきったのだから恐れいる。

 よほど疲れていたのか、マァムは手当てを受け、夕食を取った後はすぐに眠りに就いてしまった。そして、やけにうなされているなと思ったら、いきなり悲鳴を上げて起きてしまったところだ。
 意識や記憶が混乱していても、無理はない。

「ショックだったのは分かるけど、そんなに悪い夢でも見てたのか? 落ち着けよ、な?」

 とりあえずベッドの上に座り込み、ポップはマァムに声をかける。
 しかし、しっかりと目を見開いてはいるものの、毛布にくるまって寒そうに震えているマァムは落ち着いているようには見えなかった。

「ええ……、すごく……悪い夢、だった……。だから、一緒に寝て、ポップ」

「ちょっと待て! そこで、なんでそう繋がるんだよっ!?」

 思わず大声を出したポップに対して、マァムは不満そうに頬を膨らませる。その顔が、妙に子供っぽく見えた。

「だって……、聞いたんだもの。恐い夢を見た時の、とっておきのおまじない」

「お。おまじない?」

「ええ。ポップと一緒に眠れば、恐い夢なんか見なくなるって」

「誰だよ、そんなの言ったの!?」

 本人にさえ初耳な話に思わずポップは怒鳴り返したが、マァムはいともあっさりと答えた。

「ダイよ」

(あいつかよ……! 余計なこと言いやがって!)

 一瞬、本人が行方不明中だというのも忘れて、文句を言いたい衝動に駆られる。

 確かにバランとの戦いの後しばらくの間、ダイがやけに悪夢にうなされている様子だったから、夜に一緒のベッドで眠ることはあった。
 勇者ともあろうものが悪夢なんかで不安がっているとは、ちょっと情けないが、勇者とはいえダイはまだ12才の子供だ。

 たまには心細くなる時もあるだろうし、そんな時ぐらいは甘えさせてやってもいいと思った。

 だが、それは相手がダイだからそうしてもいいと思ったのだ。
 同性ではあるし、まだ子供だから許せるのであって、その対象が同年代の女の子ともなれば平静ではいられない。

「いいでしょう、ポップ……一緒に、寝て」

 無邪気な口調で、ドキッとする程大胆な台詞を言われて、ポップは激しく首を横に振った。

「じょっ……冗談じゃねえぜっ、できるかよ、そんなのっ!!」

「なによ、それ? ダイとは寝れて、私とは寝れないわけ?」

 なにやら誤解を招きかねないその発言に冷や汗を垂らしながらも、ポップはじりじりと後に下がって抗弁しようとした。

「だっ、だからそれは……っ、意味が違うし、いろいろとまずいだろ、やっぱ!」

「どうして? なにがいけないの? 私、知っているのよ、ダイとはよく抱き合ったまま寝ているくせに」

「いや、あれはダイが勝手にやってるだけで、おれが好きでやってるわけじゃないって!」

 実際、単に同じベッドで一緒に寝るだけならまだしも、いくら親友が相手といえ男に抱きつかれたまま眠るのは正直、あまり嬉しいものじゃなかった。
 が、ねぼけて無意識に抱きついているとは言え、ダイの力をポップが振りほどくのは不可能だ。

 小柄とはいえ、勇者であるダイは見た目以上の怪力がある。とてもじゃないが、ポップの比にならない。
 魔法を使って全力で抵抗すれば別だろうが――仲間に対して、いくらなんでもそこまでするのは抵抗がありまくりだ。

 しかたなく妥協して、ダイの好きなようにさせていただけなのだが……それをマァムにもさせろと言われても。
 だが、マァムはいつになく強引だった。

「じゃあ、私も勝手にやっちゃう」

 毛布を払いのけると、マァムはひょいっと身軽にベッドから飛び下りてきた。その動きはいつもよりは鈍いものの、一般人や魔法使いのポップに比べれば充分以上に軽やかだ。

 ポップの方もベッドから飛び下りて逃げにかかったが、たいして広くもない部屋の中で逃げ場などあるはずがない。あっという間に部屋の隅に追い詰められ、立ちはだかられる。

「ポップ……! もう逃がさないわよ」

                                             《続く》

 

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