『ひどい女 ー中編ー』

  
 

(おいおいっ、これって男女の立場が逆だろうっ!?)

 情けなさすぎて、泣きたくなってくる。
 何が悲しくて、憎からず思っている女の子に襲われかけなきゃならんのやら。いっそ大声を出してやろうかとも思うが、この状況を見て助けてくれる人がいるかどうか、甚だ疑問だ。

「おいっ、ちょっと待てよ、落ち着けっ、落ち着けったら!」

 息がかかる程接近され、ポップはかすかに、独特な甘さ混じりのアルコールの匂いを感じ取った。

「マァム? おまえ……もしかして、酔ってるのかよ?」

 思い返せば、食事の時にポップとマァムのために、バウスン将軍が差し入れだとワインを持ってきてくれた。
 北国では、冬には身体を暖めるためにアルコールは欠かせない。子供であっても、ワインを嗜むのはごく常識だ。

 風邪に特に効果があると言われているワインだそうで、身体を暖めるのにいいと言っていた。ポップは甘い香りが妙に鼻についてあまり飲みたいとは思わず、味見程度に口をつけた程度だった。

 が、マァムは逆にその甘い香りが気に入ったらしく、おかわりまでして飲んでいた。食事中は普通にしていたから気がつかなかったが……もしかして、かなり強い酒だったのかもしれない。
 ポップがそれに思い当たった時、強い力でぐいっと引きよせられた。

「……っ!?」

 隙間一つない程、身体を密着させられて、ポップは絶句する。ふんわりと柔らかい身体を肌に感じて、一気に頬が赤くなるのが自分でも分かった。
 なんせ、ポップにしろマァムにしろ、今は薄地のパジャマを着ているだけなのだ。薄い布は何の妨げにもならず、互いの体温をダイレクトに伝え合う。

 ちょっと甘酸っぱいような汗ばんだ匂いが、鼻孔をくすぐる。思っていたよりも細く、柔らかく感じる身体を感じた途端、頭の中がカアッとなって我慢できなくなった。
 気がつくと、ポップもまた、マァムを抱きしめていた。

「ん……」

 小さく、マァムが息を漏らす。
 それが拒絶の意味なのか、受諾の意味なのかさえポップは考えなかった。ただただ、手の中の身体を抱きしめる。
 強く。目一杯の力で。

 鍛え抜いているはずなのに、マァムの身体はダイのようにゴツゴツした感じなんかしない。筋肉の張りよりも先に、驚く程しなやかな柔らかみに蕩かされる。女の子とは、背中までもが柔らかいものなのか。

 なら……もっと柔らかい部分はどうなっているんだろう。
 自分の薄い胸に当たっている、二つの胸の弾力が気になってしょうがなかった。心臓の鼓動がうるさいぐらい鳴っているのを感じながら、ポップは抵抗一つしないマァムから手を離せなかった。

「ああ……ポップって、ひんやりしてて気持ちいい」

 完全に、酔っている。
 でなければ、マァムがされるがままに抱かれるのも、ポップを抱きしめ返しながら頬擦りするだなんて有り得ない。

 口調も微妙に間延びしているというか、舌足らずな感じだ。ほとんど初めてと言っていい急接近に大パニックに陥りつつも、それでもポップは気がついてしまった。

「マァム……!? おまえ、熱があるんじゃないのか?」

 触れ合った頬に赤面しながらも、その熱さを感じ取ってポップは焦った。衰弱から貧血を起こしたポップ自身は体温が下がり気味なせいもあるが、マァムの肌が妙に熱く感じる。

 ときめきやら欲望やら諸々のものも一瞬忘れ、ポップは勿体ないと思いつつマァムを押し退けようとした。

「離せよ、マァム。今、誰か呼んでくるから……」

「離せ、なんて言わないで!」

 強い口調でポップの言葉を遮り、マァムが叫ぶ。よりいっそう力を込められ、ポップはさっきとは違って痛みに顔色を変えた。武闘家の力で全力で抱きしめられると、気持ちいいどころではない。
 息が詰まって、肋骨がきしむような痛みが走る。

「……や……っ……ぐ……っ……シ……ぬ……」

 呻きが、言葉になってくれない。必死になってもがこうとするが、力の差は圧倒的だった。
 だが、その力以上に、マァムの泣き声の方がポップの胸を締めつける。

「ポップ! なぜ、そんなことばかり言うんのよ……! 溺れかけている癖に、手を離せだなんて……死んじゃうじゃない、分かっているの!? 嫌よ、もう、聞きたくない……!」

 しゃくり上げる声が、嗚咽が、胸に突き刺さる。

(マァム……)

 ポップの抵抗の力が、抜けていく。
 漂流している間の記憶は、朦朧としてあまりはっきりとしていない。直前の体力も魔法力も使い果たしたポップは、割に早い段階で気を失ってしまっていた。

 だが、それでも気絶する間際のことはうっすらと覚えている。
 気を抜くと海に沈みそうになる自分を、マァムが必死に励まし、支えようとしてくれていた。

 しかし、それはマァムの命を危うくする行為だ。
 どちらが陸かも分からない海で、延々泳ぐだけでも体力を消耗する。それなのに、気絶した人間を助けようなんて、無謀もいいところだ。人を助けようとして自分の命を失うような真似など、この少女にはしてほしくなかった。

 だからこそ、ポップは自分は見捨てていいとマァムに言った。できるならその手を振り払いたかったが、それだけの力さえポップには残っていなかったから。
 それが、こんなにもこの少女を傷つけるだなんて、考えもしなかった――。

「悪……かったよ、マァム。……手、もう、離せ……とはいわないから、力を緩めてくれよ」

 泣きじゃくるマァムの力が緩んだ隙を狙って、ポップは切れ切れに訴えた。

「ん……」

 素直にこっくりと頷き、マァムは手の力を抜いてくれた。その腕の中から開放されないものの、取りあえず自由に手を動かせる程度のゆとりが与えれられる。

 ホッとしつつも、ポップは真っ先にマァムの額に手を伸ばした。
 少し、熱い。
 だが、心配した程は高くない。微熱、と判断できる範囲内だ。

「マァム、手を見せてくれ」

 マァムの片手を掴んで、脈を計ってみる。少し早いがしっかりとしているし、特に問題があるとも思えない。ついでに、涙を拭いてやりながら、首の付け値のリンパ腺の辺りが腫れていないかチェックしてみる。

 アバンから初歩の医療知識を仕込まれたポップは、簡単な病気の診断ぐらいはできる。おそらくは疲労からくる発熱、もしくは軽い風邪といったところか。

 この感情の起伏の激しさは――病気というよりは、明らかに酒のせいだろう。
 だとしたらもっとも有効な手当ては、睡眠につきると言うものだ。

「マァム……、おまえ、もう眠った方がいいよ。寝れば気分も落ち着くし、よくなるから……な?」

 理性を最大動員して宥めると、マァムはかぶりを振る。

「ポップも一緒なら、寝る」

「おれと一緒って……そりゃあ、まずいって」

「一緒じゃなきゃ、いや! じゃないと、寝ないから!」

 幼い子供がだだをこねるような口調に、ポップは内心頭を抱え込む。この甘えっぷりは、はっきり言って反則ものだ。なんというか……すごく、可愛い。

 普段は年上ぶってポップの世話を焼くマァムとは思えない、見事な甘えっぷりだ。こんな風にワガママを言われるなんて、初めてかもしれない。
 それだけに、ポップはそれ以上は拒絶できなかった。

「しょうがないな……分かったよ。一緒に寝るから……、ちゃんと休んでくれよ、頼むから、な?」

「さっきみたいに、ぎゅってしてくれないの?」

 すぐ間近から不満そうにそう言われて、ポップは限界の近さを感じずにはいられない。我慢の限界……それを突破してしまいそうで恐い。歯止めをなくしてしまったら、この先いったいマァムに何をしてしまうやら……。

 しかし、マァムの方はそんな危機感など、まるっきりなかった。
 同じベッドに、向かい合わせに横たわるだけでは足りないとばかりに、手を伸ばして抱きついてこようとする。

「よせよ、マァム。寝るだけだって言ったろ……!」

 あまり密着してしまえば、理性に自信を持てない。だからこそポップはマァムの手を避けようと、押し返そうとする。しばらくそうやって攻防している中、マァムが言った。

「さっきも思ったけど、ポップって意外と力があるのね」

「へ?」

 意外な台詞に、ポップはきょとんとする。
 全く自慢にならないが、ポップは平均的な男子よりも華奢で腕力にかける方だ。力があるなんて言われたのは、初めてかもしれない。
 一瞬、嬉しく思ったが、それも次の台詞を聞くまでだった。

「あの二人だったらこんなに抵抗しないし、もっと簡単に抱きしめられるのに」

「だ……っ、誰と比べてんだよっ!?」

 一瞬、胸を焼いたのは嫉妬の感情だ。咄嗟に頭に浮かんだのはヒュンケルの姿だったが、マァムはあっさりと口にする。

「レオナやメルルよ」

 ホッとするのと同時に込みあげるこの脱力感を、どう言い表すべきかポップは迷う。

「……そりゃあ、女の子と比べりゃ当たり前だろ。おれだって、一応男なんだし」

 確かに、ポップはあまり腕力のある方じゃない。が、年下や同い年の女の子に負けるほどではないだろう、さすがに。

「そうね。身体とかも、固いものね。でも、腕や腰とかこんなに細いのに。んー、もしかして、あの二人と同じくらい?」

 と、マァムはポップの背中から手を滑らせ、脇腹から腰辺りを触る。両手で太さを確かめるように胴の回りを触られて、ポップは焦った。

「や、やめろって! あんま、触るなよ! 眠るんじゃなかったのかっ!?」

 不快なわけじゃない。
 それどころか、くすぐったいような疼きを招く手の動きは気持ちいいとさえ呼べるものだったが、これ以上そんな真似をされればなけなしの理性が今度こそ切れてしまう。

 なんとかもがいて、自分とマァムとの間に隙間を空けようとする。マァムの方は、母親にしがみつく幼児のように抱きつこうとするから、気が抜けない。

 しばらく争った末、やっと、二人は横向きに向かい合ったまま、片手を軽く相手の背に回す姿勢で眠る格好に落ち着いた。それだけでもまだ足りないとばかりに、マァムは身体の下側に敷き込む手も延ばし、しっかりとポップのもう片方の手に絡めてくる。

「だめ、手を離しちゃ……! しっかり、握っていて」

 すぐ目の前に見える、マァムの顔にドキドキする。いくら密着はしていないとはいえ、互いの体温をふわりと感じてしまう程度にしか開いていない距離は、ひどく近い。

 いつもと違って、まとめもしない髪が広がってポップのところまで届きそうだ。ちょっと乱れた髪のまま、じっとこちらを見ているマァムをポップは息を詰めて見つめていた。熱のせいかいつもより紅潮した頬や、妙に艶めいて見える唇がやけに目についてしまう。と、その唇が動いた。

「ねえ、ポップ。何か、言って」

                                                               《続く》

 

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