『ひどい女 ー後編ー』 |
「な、何かって、何をっ?」 「なんでもいいの。ダイが言っていたもの……ベッドでポップの声を聞いていると、安心できるって。ねえ、ダイには何を話しているの?」 「何って……別に、たいしたことじゃねえよ。おとぎ話とか、そんなのだし。あいつ、全然そーゆーの知らないから、何を話しても結構喜ぶからさ」 無人島育ちのダイは、普通の子供なら寝物語に聞かされるようなおとぎ話などまるっきり知らない。 「そう……ダイはおとぎ話が好きなの……」 一瞬、マァムの顔に浮かびかけた微笑みは、すぐに雪が解けるように儚く消えてしまった。かわりに浮かぶのは、今にも泣き出しそうな沈痛な表情だった。 「……ダイ……無事、……かしら?」 その声は震えていた。 バーンとの戦いでひどいダメージを負ったダイを、マザードラゴンが連れて行ってしまった。ダイがどこに行ったのか……そもそも、生きているかどうかさえ分からないままだ。 あの時の光景を思い出すだけで、胃の底にひどく重苦しくて冷たいものが押し込まれたように気分が沈み込む。 「なーに、大丈夫だって。あいつが死ぬわけない。ダイは、生きているよ」 自分でも、意外なくらい明るい声を出せた。まるで、本気でそう信じているかのように。 「……本当?」 「ああ、本当も本当、大マジだって。ダイなら大丈夫、生きているに決まっているって」 もしかしたら嘘になるかもしれない言葉を、そうと承知で口にするのはちくりと胸が痛む。だけど、自分がそう言う度にマァムの表情が明るくなるのなら、それでも構わないと思えた。 「じゃあ……ヒュンケル、や、クロコダインは……?」 不安げなその言葉だって、ポップは笑い飛ばしてやった。 「はあ? あいつらの心配なんか、するだけ無駄だって。バッカだなぁ、無事に決まっているじゃんか。心配なんかしたら、十年早いって逆に怒られちまうぜ」 思い出すのは、倒れているダイを庇うように、バーンの前に立ちはだかった二人の背中。せめて最後までバーンの攻撃を受け止める盾になろうと、雄々しく立っていたその背中が忘れられない。 文字通り身を盾にして自分達を庇い、攻撃の直撃をくらってはね飛ばされた姿など、誰が思い出すものか。 「……生きているよ、おっさんも、ヒュンケルも」 「ポップ……、もっと、言って」 決してこの手を放さないでとばかりにすがりつきがら、マァムはその言葉を何度も繰り返す。 「ああ……、言ってやるよ。大丈夫だ。おれ達は、まだまだ大丈夫だ。ダイは生きている。おっさんも、……ヒュンケルも生きている」 マァムが望むなら。 まだ立ち上がれるのだと、保証してやろう。 「大丈夫だ……誰も、死なない。死なせたりするもんか……!」 この言葉を、嘘などにはしない。 「死なない? ポップも……?」 じっと見つめる目が潤んで見えるのは、多分、熱と酒のせいだろう。少し腫れぼったくなった目が、泣きだす寸前の子供の目に見えて、ポップの鼓動を高めていく。 「あ、ああ……、おれはここにいるだろ?」 「……どこにも行かない?」 マァムとはとても思えないような、甘えた声にどきんとする。 「心配すんな、どこにも行かねえよ。ずっとおまえの……マァムの側にいる」 重ねての繰り返しが、効いたのだろうか。 「うん……絶対、離さないでね」 背に回された彼女の手に、わずかに力が籠もる。 なにせ、少しでも身を引こうとすると、不安がるマァムが力を込めて抱きよせてくるのだから。さっきのように身体を密着させられたら、とても理性なんて保てそうもない。 いや、今でさえ、ポップの理性は限界すれすれである。自分でもよく我慢できているなと感心するぐらい、よく耐えていると思う。 今のマァムは、正気じゃない。 一時的に子供返りしているだけなのだ。身も心も弱っている少女の弱みにつけこむような真似だけは、してはいけない。 何度も、ポップは強く自分を戒める。 互いの吐息を感じる距離で、ほんのわずかの隙間を感じながら抱き合う時間。 「……マァム? 眠ったのか?」 いつの間にか、彼女の目は閉じられていた。 起こさないように気をつけながら、ポップはマァムにかけた手を放し、同時に自分の背に回るマァムの手を外す。 だが、固く握られた左手はそうはいかない。しっかりと指を絡ませ、ポップの手を握り込んだ手だけは、そこだけは意志を持っているかのように強く握り込まれたままだ。 眠ってしまってでさえ自分を逃がしてくれない少女を前にして、ポップは思わず溜め息をついた。 「ほんっと…………ひどい女だよなー」 信じられないくらい、ひどい女だ。 自覚が無いにも、程がある。 (…………おれって、そこまで男として意識されてないのかねえ?) 男としてのプライドがかなりのレベルで傷つくが、それでいてほんの少し嬉しい気がしないでもない。 確かに、男として意識はされていないかもしれない。 ……正直、それはポップの望んでいるものではないが、それでもいいからこの少女と繋がりを持っていたいと願う自分がいる。まだ繋いだままの手に、ポップはほんの少しだけ力を込めた。 この手に、いつも救われている。 鍛練を積んだためにちょっと堅くなり、手入れの行き届いていない荒れた手でありながら、それでもこの手は女の子らしさを失ってはいない。 何度となく、この手に引き起こされた。 奥歯が折れるような手加減なしのビンタを思い出し、ポップは苦笑する。あの時は不意打ちを食らったせいもあり、壁に叩きつけられるほど強くひっぱたかれたものだ。 (やっぱりひでえ女だよ、おまえって……) 誰に対しても慈悲深いこの少女は、ポップにだけは妙に当たりがキツい。 普段は文句ばかり言っている乱暴な少女とは結びつかないくらい、回復魔法をかけるマァムは優しい。 それは普通の女の子なんて俗っぽい存在ではなくって――天使とか、聖母とか……うかつに手を触れてはいけない、神聖な存在にさえ思えてしまう。 限りない優しさと、正義を信じる強さ。 こうしてすぐ目の前、自分の手の中にいてでさえ、欲望と同時に罪悪感を抱いてしまう。 これほど近くにいながら、こんなにも自分にすがりついてきてくれながら、手を出すのをためらわせる、ひどい女。 「……ったく、おれもつくづくとんでもない女に惚れちまったよなー」 マァムを起こさない程度の声でぼやきながら、ポップは慎重に一本一本の指を解いて、ようやく手を引き剥がした。 だが、ポップはその未練をあえて振り払う。 だけど、まだまだだ。 名残惜しさを感じつつも、ポップはもう一つのベッドへ移動し、彼女に背を向ける形で潜り込んだ――。
翌朝。 「ええ、もうすっかり大丈夫よ。今日から起きられるわ」 (……どーゆー体力なんだ、この女は……) 口には出さずに、ポップは呆れつつ思う。 マァムの体力を普通の女の子と比べてもしょうがないとは分かってはいたが、こうやって見せつけられると呆れてしまう。 「うーん、熱もないし問題もなさそうだけど……ポップ君は、ちょっと寝不足なんじゃないの? 顔色も悪いし、目の下にクマができているわよ」 レオナの指摘に、ポップはあいまいに頷いた。 「う、うん、まあ……でも、たいしたことねえよ」 眠れるわけがない。 「そう? ところで……。ねえ、ポップ君?」 「ん? なんだよ、姫さん」 「どうしてかしらね? なんで君とマァムって、夕べと逆のベッドで寝ているの?」 「……っ!?」 突然の質問に咄嗟に取り繕うことも忘れて赤面したポップを見て、レオナはにんまりとした笑みを浮かべる。 「あ、そう言えばそうね。どうして、ポップ?」 「ど、どうしてって……?」 覚えてないんかいっ!? と、全力で叫びたかったが、その気力すら残っていない。 ならば、考えられるのは一つ……酒の酔いが覚めるのと一緒に、昨夜の記憶もきれいさっぱりと忘れ去ってしまったに違いない。 「いや……夜中におれ、寝ぼけてベッドから落ちてさ。その時、マァムもちょっと起こしちゃったんだけど、覚えてないか?」 「覚えてないけど……そうだったの?」 そりゃあ、覚えている方が不思議だ。口から出任せなんだから。 「そうだったんだよ。で、暗かったからお互いベッドを間違えちゃったみたいだな」 でっちあげのポップの説明に、マァムはあっさりと納得してくれたようだ。 「ふぅうん♪ そぉおだったのぉ?」 と、意味ありげに見ているレオナが気にはなるが、もはや全ての気力が尽きはてたポップはごそごそともう一度毛布の中に潜り込む。 「悪いけどもう少し休んでるよ、おれ」 もう平気だから起きるなんて、意地を張る気力さえない。 精神的にも大ダメージだが、肉体的にも結構きついものがある。昨夜はまんじりとも眠れなかったせいで、今になってからひどく眠気が込みあげてきている。 看病や付き添いを断り一人で眠りたいと頼むと、レオナもマァムもそれを叶えてくれた。人々のざわめきを遠くに聞き、一人、朝の光の中で横たわりながら、ポップはぼんやりと思う。 覚えていてほしかったような、忘れられてホッとしたような――。 「ほんっっとひどい女だぜ、おまえって奴は……」 小さく呟き……ポップは引き込まれるように眠りに就いた――。
《後書き》
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