『お風呂にご用心♪ 4 ー男と女の誤解ー』

 
 

 だが、ポップのその寛大な態度は、周囲の人間を苛立たせる一方だった。
 怒りをなだめるどころか、火に油を注がれた勢いで、マァムが燃えあがる。

「ポップ、なんだってこんなスケベ男を庇うのよ!? それになに!? さっきだってろくに抵抗もしないで……! 身体を見せたり、いいように触らせたりしていたってわけ? 何してたのよっ!?」

「いや、別におれ、好きであんなコトされたわけじゃ……」

 慈愛の使徒とはとても思えぬ、もの凄い勢いの少女に押されて、ポップの反論はしどろもどろな物になる。
 が、マァムは容赦しなかった。

「だったら、なんで魔法を使わなかったのよ!? 得意のメドローア(極大消滅呪文)でも撃てば、あんな男に指一本触れさせることはなかったのに!」

「できるか、そんなのっ! そこまでやり返すようなことじゃないだろ!?」

 いくらなんでも、それはやり過ぎというものである。
 正当防衛どころか相手を確実に殺害して消滅させてしまう呪文など、仲間に向かって撃てるはずがない。
 しかし、マァムの目は完全に据わっていた。

「そこまで――って、じゃあ、どんなことまでされたの?」

「え……っ?」

 聞かれた内容よりも、思い詰めたようなマァムの表情に気圧されてしまう。

「いったい……ヒムに、何をされたの?」

「なにって、別に……」

「答えて! ちゃんと、こっちを見て!」

 と、言われても――。
 自分に詰め寄ってくるマァムがいまだに下着姿のままなだけに、ポップはとても直視できない。

「……言うほどのことじゃ、ねーよ」

 目を反らしてそう答えたのは、明らかに思春期の少年にとっては眩すぎるマァムの今の姿のせいと思われるが、聞き手はそうはとらえなかった。
 いつものポップらしくもない口ごもり方、はっきりとは答えぬ内容に、あらぬ想像を描いてしまうのも当然だろう。

「言えないようなことなのっ!?」

(ど、どーして、そうなるんだよっ!?)

 ポップにしてみれば、理由も分からないことで一方的な責められているも同然だ。
 自分が悪いわけでもないのに、一方的に文句を言われる理不尽さに、今まで我慢して宥め役に徹してきたポップにも、むかむかと怒りが込みあげてくる。
 それは、多分に嫉妬を交えた怒りだった。

「なんでそんなに怒るんだよ? だいたいマァムだって、ヒムに見せたくせに!」

 ヒムに悪気や邪心がないのは重々承知しているが、それでも好きな女の子の裸を、他の男が見たとも知れば穏やかでいられないのが男心というものだ。

「……ど、どこら辺まで見せたんだよ?」

「――なによ、その言い方! まるで、あたしが好きこのんで見せたみたいな言い方、しないでよっ!」

 客観的に見れば、ポップにしろ、マァムにしろ、互いに似たような部分にこだわり、ムキになっている。が、本人達にはその自覚は全くなく、自分は悪くないのに相手が一方的に勘ぐっているようにしか思えない。

「だって、実際に見せたじゃないか! だいたい、前から思っていたけどマァムはスキが多すぎるんだよ、それ、女としてどーかと思うぞ!」

「あれはヒムが勝手に風呂場に入ってきただけよっ! それを言うなら、ポップこそなによっ!? ヒムの前で裸になるだけじゃなく、触らせたりして……っ! ポップの方が、よっぽどスキだらけじゃない!」

「ば、馬鹿っ、それは全然違うだろ、おれは男なんだしっ! でもおまえは女なんだから、もっと気をつけなきゃダメだろ、やっぱ! ……あの時だってろくに抵抗しなかったしよぉ」

「あの時――って……」

 ポップが言わんとした『あの時』がいつなのか、敏感に察知したマァムが、怒りとは違う理由で頬を赤らめる。
 忘れもしない、大魔王バーンとの決戦の真っ直中。

 マァムに告白したポップが、キスしようとしてきた時があった。
 いつになく強引にマァムを抱きよせ、動揺する彼女の耳元に、抗い難い優しい声で囁きかけた。

『……目ェつぶって……』

 いつもお調子者で子供っぽく思えるポップが、やけに大人びて感じられた一瞬――。
 あの時、マァムはただ身を震わせて、されるがままになっていた。

 まあ、次の瞬間にはいつもの調子でおちゃらけて、雰囲気をぶち壊してくれたポップのせいで、キスやら告白どころではなくなってしまったのだが。
 結局は未遂で終わったとはいえ、純真で身持ちの堅いマァムにとっては、一代決心をした一時でもあった。

 力ずくで、ポップの手を振り払えないことはなかっただろう。
 マァムの方が各段に腕力は強いのだし、第一、ポップは無理強いはしなかった。
 本気で嫌だと思ったのなら、抵抗しただろう。

 だが――マァムは、結局抵抗しなかった。
 男の子の強引さに流されたとはいえ、あのままポップとファーストキスをしたって構わないとまで、思ったのだ。

 そんな複雑な乙女心ゆえの、あえて見せた無抵抗さを、スキだらけと言われてしまっては、マァムとしては我慢ならない。
 一瞬の恥じらいは、すぐに火がついた様な怒りに転じた。

「ふ……ふざけないでっ! あの時はあの時じゃないっ、そんな……っ、無神経無機物魔族の一方的なのぞきと一緒になんかしないでよっ! だいたいなによ、ポップだってあの時はなんだか妙に手慣れた感じで……っ、まるで、前にも経験があるみたいだったじゃない!」

「え……」

 マァムの指摘に、ポップが瞬間的に怯む。
 それは、図星を貫かれたがゆえに見せるたじろぎだった。
 だが、そのたじろぎが、マァムの怒りにさらに油を注ぐ。

(嘘……っ! ポップ、前にもしたの!? あたし以外の誰かと……っ!?)

 カッと身を焼くような怒りは、嫉妬を源にしたものだったが、マァムにはその自覚はなかった。

「ポップ……、まさか、あれ、初めてじゃなかったの!? いったい、誰としたのよっ!?」

「だ、誰って――」

 そんなのは、言えるはずがない。
 それこそ口が裂かれようとも、ポップは口に出す気はなかった。
 言えるはずがないではないか――よりによって、変身魔法でマァムに化けたザボエラに、キスされそうになった経験のことなど。

 あれはポップ的には、生涯で忘れたい記憶ナンバー1の痛恨事だ。運よくも未遂で終わったとはいえ、相手がマァムと信じたポップは、それこそ無抵抗でいいなりになってしまったのだから。

 しかも、ポップにとってはなお不愉快なのは、恋愛以上のエピソードに関しては、それが唯一無二の思い出だという事実だ!
 ポップにしても、世界の状況が状況なだけに、色恋沙汰にうつつをぬかしている場合じゃないとは自覚していた。

 それに、ただでさえ奥手なマァムの心が決まらない内に、身体だけを目当てに付け込むような真似をしたくもないと思ってもいた。

 しかし、大魔王バーンとの戦いの最中、ポップはある意味、死を覚悟していた。
 だが……いくらなんでも、ザボエラとのキス未遂だけを唯一の思い出に死んでいくのは嫌すぎた!

 せめて、どうせなら最愛の少女との思い出に塗り替えておきたい――そう思ったからこそ、マァムにキスをしかけたのだ。
 手慣れているも何も、ポップはザボエラにされたことを、そのままそっくりと真似たのみだ。

 それに、ポップはマァムに本気でキスをする気なんかなかった。いつになく大胆に振る舞えたのは、本気ではなかったせいもある。
 女の子に――特に、マァムに無理強いなんか、したくないと思っていたのだから。

『う……うそっ……、でしょ……ポップ!』

 驚き、戸惑いながらも、ぎゅっと固く目を閉じ、赤くなって震えていたマァムの、思いもよらぬ可憐さ――。
 正直、あのままキスしたいと思った。

 だが、それを寸前でやめたのは、彼女を心から大切に思うがゆえだ。
 ――が。
 女の子ゆえの微妙で複雑な想いに揺れるマァムの心理を、ポップが全く理解できなかったように、マァムもまた、ポップの微妙かつ純情な男心を理解してはいなかった。

「なによ、言えないの!?」

「そ、そんなの、マァムには関係ないだろ!」

 顔を真っ赤にして、照れまくっているくせに口を割ろうとしないポップに、マァムの怒りはますますヒートアップする一方だ。

(なによ、あたしにはキスしかけといても途中でやめるくせに……っ!)

「関係ないってことはないでしょ! だいたいポップは、なんでいつもいつも、肝心なことは言わないのよ!? 普段は男なのにペラペラおしゃべりなくせして!」

「そういうマァムだって、女のくせにいつだって乱暴じゃないかよ! だいたい、初めて会った時から、いきなり人を殴り飛ばしやがって……!」

「それを言うなら、ポップだって初対面でいきなり人の胸触ったじゃない! えっち! ほんっと、スケベなんだから!」

「ば、馬鹿言うな、いくらおれでも初対面の女の子の胸なんか触るもんかっ! だいたい、あの時はおまえが女なんて知らなかったんだぞ!?」

「でもポップ、ロモス武術大会で久々に再会した時だって、いきなり胸に触ったじゃないの!」

「あ、あの時は、そんな気は全然なかったんだって! ちょっとした事情があったんで、やむなくしただけだよ!」

 火をついたボールを投げあうがごとく、ぽんぽんやり合う二人は、どんどん論点がズレているのにも気づいていない。
 すでに、風呂での出来事の話じゃない。

 二人とも互いに互いの姿や言葉しか目に入っていないのは明白であり、周囲を完全に置き去りにしてしまっている。
 痴話喧嘩の様相を呈してきた二人に、見物にまわされてしまった三人はあっけにとられるばかりだ。

 もはや、痴漢疑惑だの強姦未遂がどーとか言える状況ではない。
 実際、すっかり盛りあがりきったバカップルほど、周囲の雰囲気を盛り下げるものはない。冷静さを取り戻したともなれば、ヒュンケルもラーハルトも、ちゃんと状況を見て取れた。

 もし、何かあったとすれば、ポップがこれだけいつも通りでいるはずもないだろう。
 それだけに、さっきのポップやヒムの言葉の正しさを確信できた。となれば、これ以上ヒムを追及する理由もない。

「……まあ、問題はなくなったようだな」

 苦笑し、その場を立ち去りかけるヒュンケルに、ラーハルトは軽く声をかけた。

「こいつらをほうっておくのか?」

「……昔から言うだろう。なんとか喧嘩は犬も食わない、とな」

「――違いない」

 今は興奮して頭に血が上りきっているから周囲にまで気が回っていないものの、冷静さを取り戻せば、ポップにとっても、マァムにとっても、見られているのは気まずいものだろう。
 何より、こんな些細な喧嘩など、ほうっておいてもなんの問題もない。

 そう思ったからこそ、ヒュンケルもラーハルトも、仲裁もせずにその場を去った。
 実際に、その読みはそう外れてはいなかった。
 出会いの頃にまで溯ってさんざんに文句を言い合っていた二人の論争は、ポップのくしゃみをきっかけに、唐突に終わりを告げたのだから。

「だいたいマァムは……っくしょん!」

 一つくしゃみが出たのをきっかけに、ポップは数度立て続けにくしゃみを繰り返す。
 と、怒っていたはずのマァムの表情も、心配そうなものに変わった。

「やだ……、ポップ、風邪引いたの? いつまでもそんな格好でいたりするから……」

「風邪なんかじゃないよ、平気だって!」

「でも、震えているじゃないの! 早く、着替えた方がいいわ、このままじゃ本当に風邪引いちゃうわよ」

 さっきまでの激しい口喧嘩はどこにいったのやら、世話女房よろしく、マァムはかいがいしくポップを気遣い、彼を支えながら更衣室を出ていく。
 そして――鎖で縛られたままのヒムだけが、ぽつんと残された。

「ぉーぃ……」

 呼び掛けた声に、応じてくれる人もいない。

(…………せめて……ほどいてってくれても……)

 糾弾され、吊し上げを食らうのはいい気分がするものじゃない。
 が、完全に忘れ去られ放置されてしまうのもまた、ひたすら虚しいものだとヒムはつくづく思い知った。

「……ホントにもう、なんつーかよぉ……。人間ってのは魔物や怪物と違って、デリケートっつーか……面倒なもんだよなぁ」

 ぼやきつつ、ヒムは一人、頭を悩ませる。
 自分自身の裸を見られるのを嫌う点だけでも魔物にとっては驚きだが、それ以上に不思議でならないのは、ポップとマァムの反応だった。

 マァムの悲鳴を聞いた途端、ポップがすっとんできた。
 逆にポップが悲鳴をあげた途端、マァムが即座にやってきた。

 互いの口からは恋人同士じゃないと言っていた二人なのに、互いに互いを思う気持ちや、焼き餅の妬き方は、どう見ても相思相愛の二人としか思えない。

(――ったく、よく分かんねえよなぁ……。あの二人ってのもよ)

 呆然としたまま、ぼんやりそんなことを考えていたヒムが、どのくらいの間そうしていたのか――特大のタオルを片手に更衣室にやってきたクロコダインが、不思議そうに声をかけてきた。

「おや? こんなところで、そんな格好で何をしてるんだ?」

「はははは…………本当に、オレ、なにやってんだかなー?」

「ずいぶんと壁も壊れているし、いったい、何があったんだ?」

「――それはオレの方が、聞きてえよォ……」

 しみじみと呟きつつ、ヒムは深く、深く溜め息をつく。
 誤解が生まれるのは、たやすい。

 が、それを解くのは難しい。
 なにより、往々にして、一度こじれてしまった問題は後々まで響きまくるもの……ヒムは今、それを痛いほど身に染みて思い知ったのである――。






 
 
 さて、後日――。
 事件に関わった連中がそろって冷静さを取り戻した頃、ポップはあらためてヒムに悪気がなかったことを説明し、皆を納得させた。

 が……故事曰く、『あつものに懲りて、なますを吹く』
 その後、ヒムは二度と、パプニカ城の風呂場に足を踏み入れることがなかったと言う――。

   

 
                                    END



《後書き》
 どたばたコメディ、お風呂な話第一段! しかし、勇者行方不明になってからの話なので、主人公ダイ君の出番が皆無だったりするのですが(笑)
 

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