『夜明け前 6 ー曙光ー』

  

「…………!」

 マァムが駆けつけた時は、すでに部屋には主だったメンバーが集まっていた。人がひしめき合っていたが、マァムの目に映っているのはポップだけだった。

 ベッドに横たわったままのポップは最後にマァムが見た時よりも、一段とやつれて見える。
 そんなポップを、マトリフが慎重に診察しているのが見えた。

「まずいな……」

 長く続いた微熱が引き、逆に身体が冷え始めている。
 通常の昏睡と比べても、よりひどい体温低下だ。
 そして、脈が弱まっている。――それらが何の兆候なのか、経験豊富なマトリフには嫌というほどよく分かっていた。

「……アバン。おまえは、こいつの実家の場所に瞬間移動呪文で行けるんだろ?」

 その言葉の不吉な意味合いを瞬時に理解できたのが、この部屋に何人いただろう?

「なら、親御さんを……連れてきてやった方がいい」

 そう言ってから、マトリフは静かに告げた。

「ポップはもう……数時間と持たない」

 その瞬間、マァムの中で何かが断ち切れた。
 弾かれたように、彼女は走り出す。
 意識しないまま何人かの人を押し退け、マァムはポップの側に駆けつけた。

「ポップッ!!」

 ポップが、死ぬかもしれない。
 そう考えていた間、マァムはずっと不安だった。
 不安の余り、ポップの側に寄ることすら怖かった。

 周囲の皆が自分に期待をしているのが分かっていただけに、期待を裏切るのが怖かった。ポップに想いに寄せるメルルの前で、彼の側にいることに、遠慮を感じていた。
 だが、死の宣告を聞いた瞬間、それらすべてが吹き飛んだ。

「いや……ポップ、返事をしてよ、ポップ! このまま逝ったり、しないで…っ!」

 ポップが死ぬ。
 その恐怖の前では、遠慮もためらいもない。
 ポップの身体にしがみつき、マァムは心のままに叫んでいた。

「ポップ…ッ、目を覚まして……! いやよ、そんなの……言ったじゃない、一緒に未来を見たいって。…それなのに、なんで…っ!」

 たがが外れたように、マァムの口から言葉がこぼれ出す。止まらない言葉と同様に、彼女の目から涙が止めどなく流れていた。

「そんなの…ひどい…自分勝手すぎるわよ…っ! 私が答えを出せるまで待っててって、言ったじゃない…っ! だいたい、ポップはいつだってそうなんだから……っ。いつも一人で無茶をして、私を置き去りにして…っ!!」

 泣きながら怒るマァムを、誰も止めようとはしなかった。皆、悲痛なものを見つめる目で、彼女の嘆きを見守っている。
 だが、それさえも今のマァムの目には映っていなかった。
 今、彼女の目と心を占めているのは、ポップだけだ。

「どうして、返事をしないのよっ?! いつもみたいに、なにか言ってよ……! お願いだから……ポ…ップ……ッ、…答えて、ポ…ップ…!」

 最初は頼りないと思っていた、魔法使い。
 だが、彼はいつの間にか驚く程に強い精神力を身につけ、誰よりも頼りになる大切な仲間になった。

 より強くなろうとするあまり無茶を重ねて――気づけば、マァムを追い越して先に行ってしまうポップに焦りや羨望を感じたこともある。
 でも、それでもマァムが望んだのは、ポップが存在する未来だ。

 恋愛対象として見ているかどうか定かではなくとも、ポップを失う先にある未来なんて、想像もつかない。
 決して失えない、大切な光――。
 だが、こんなにも強くポップを抱きしめているのに、感じられるのはひんやりと冷たく、なんの反応もない身体の感触だけだ。

「……ポップの――ポップのバカっ!」

 今にもポップをひっぱたきそうな勢いで、マァムが叫ぶ。そして、そのまま顔を伏せて激しく泣きだした。
 ――と、その時だった。
 ポップが、動いたのは。

 ポップの瞼が、痙攣でもするようにぴくぴくと動き――不意に、ぱっちりと開かれた。何度か瞬きを繰り返し、少し間をおいて、ポップが口を開く。

「…マァム…泣いてんのか……?」

「…ポッ…プ?」

 泣き顔のまま顔を上げたマァムと、寝起きのポップの目が合う。

「……ダイ…は?」

 頭を起こすだけの力がないのか、ポップはキョロキョロと目だけを回りに配る。
 その動きは緩慢で、ちゃんと状況が把握できているかどうか分からないほど頼りない様子だったが、それでもポップは事情を察したらしい。

(……どうしよう、なんて言えばいいの?)

 今のポップは、ひどく衰弱している。
 精神的な気落ちが、生死を分け兼ねない。
 そんなポップに、ダイの捜索の目途さえ立たないなんて言っていいものかどうか……。


 だが、根が正直なマァムには、気休めであれ嘘を口にできるような性格じゃない。
 他の誰もが口をきかない重い沈黙……それを破ったのはポップだった。

「そっか…。でも、ダイ…は、大丈夫…だ、きっと」

 ごく当たり前のように、ポップはそう言った。
 弱々しい声ながらも、いつもと変わりのない他人の気を引き立てるような明るさで。

「オレなんかでも生きてるんだ…ダイが死ぬわけねえよ。……あいつは、生きている。絶対だ」

 根拠のある発言ではなかった。
 なにしろポップはずっと眠っていて、現状すら知らないのだから。
 だが、ポップの口から聞いたその言葉は、揺るぎのない真実のごとく皆の心に強く響いた。

「だから…泣くなよ、マァム。……おれがきっと、ダイを探してみせるから…」

「ポップ……!」

「……でも、今は勘弁な。…マジで眠いや…も少し…寝かせて……」

 言い終わらないうちに、ポップは再び寝入ってしまった。
 瞬間、部屋に緊張が走ったが、マトリフは素早く脈を取りながら軽く杖を翳す。
 そして、苦笑して言った。

「呆れたもんだぜ、……脈が平常値まで戻りやがった。呼吸も整ったし、体温も上がり始めたらしいな」

 再びの眠りは、昏睡ではない。
 ごく普通の眠りだ。
 小さな寝息を立てながら、ポップはころんと寝返りを打つ。

「これなら問題はねえ。……アバン、親御さんを呼ぶ話は白紙に戻していいぜ。この様子なら大丈夫だ」

 その言葉を聞いて、マァムはへなへなと床に崩れ込む。

「ポップのバカ…っ。本当に、バカなんだから……!」

 マァムの目から、涙があふれる。
 いくら拭っても拭っても、押さえきれない涙が、彼女の頬を熱く濡らす。
 泣くな、とポップは言ってくれた。
 だが、とうてい無理だ。どうして、この涙が止められるだろう?

「自分の方が死にかけているくせに……私やダイの心配ばかりして…」

 泣きじゃくるマァムを、ヒュンケルやレオナが慰めようとしているのか、それとも喜びを分かち合うためにか、取り囲んで軽く背を叩いているのが見える。
 喜びに沸いているのは、彼等だけではない。

 この部屋にいるすべての人間……魔族や怪物も含めた勇者一行の全員が、喜びを押さえ切れない。
 少し離れた場所から見ているラーハルトでさえ、その例外ではなかった。

「へえ……、おまえさんでも笑ったりするんだな」

 ヒムにそう言われるまで、ラーハルトは自分が笑みを浮かべている自覚など無かった。だが、すぐに開き直ったように言い返す。

「ああ。それが悪いのか?」

 純粋な人間ではないだけに、ラーハルトにはよく分かる。
 これが――これこそが、人間の素晴らしさだと。
 弱々しい命しか持っていないのに、どこまでも強く生き、他人を思う気持ちを持てる生き物。

 ダイが命を懸けても世界を救おうと決意したのは、人間のこの素晴らしさを……奇跡さえ起こす、人の心を知っていたからだ。

「……驚かされてばかりだ。本当に…」

 人間とは、不可解な生き物だ。
 その中でも、ポップはとびっきり変わっていると、ラーハルトは思う。
 ポップの強さと脆さは、常にラーハルトの予測を越えている。

 大魔王を前にしても一歩も引かない頭脳戦を仕掛ける度胸や冷静さを持っているかと思えば、敵に同情してつい助け手を延ばしてしまう甘さを合わせ持っている……それが、ポップという少年だ。

 だが――そんな無茶な部分でさえ、好ましく思えるのはなぜだろう。
 有り得ない奇跡を何度なく起こした人間の少年を、ラーハルトは畏敬の念すら込めて見つめた。

「すごいものだな、人間は……」

「何を言っていやがる、おまえだって半分は人間だろうが」

 独り言のつもりのラーハルトの言葉に、思いがけず突っ込んできたのはヒムだった。
 その言葉を、嬉しく感じたのが自分でも不思議だった。

 今まで、人間の血を引いているのは、ラーハルトにとってはコンプレックスにすぎなかったのだから。
 だが――今は、むしろ、それを誇りたいとさえ思う。

「……ああ、そうだ。羨ましいか?」

 珍しく軽口めかせて答えながら、ラーハルトはわずかに目を細めた。
 窓から差し込む光が、目を射る。
 いつの間にか、夜が明けていたらしい。他の誰も気がつかないままだが、光は静かに、だが確実に部屋を満たしていく。
 全く、曙光の見えなかった暗闇に、光が差し込んできた――そんな風に思えた。

                                    END


《後書き》
 長めのお話、ご愛読ありがとうございました! 連載最終回の捏造話っす!
 しかし、ポップ中心の話をかこうとしたのに……しまった! 瀕死中だっただけに、出番、ほとんどなかった! …え、えーっと、続きでは、ポップが大活躍……予定!(我ながらなんていい加減)
 
 

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