『夜明け前 5 ー混沌ー』 |
「……」 一瞬、夜空に光った信号弾を、ヒュンケルは見逃さなかった。 そして、彼女に向けた信号弾を打った側の気持ちもまた、ヒュンケルには理解できる。 無理を重ねているマァム自身を見兼ねる気持ちと……なにより、彼女に対する期待のせいだ。 ポップは、マァムに恋している。 ヒュンケル自身でさえ、心のどこかでそう思っていることを否めない。マァムに対する過剰な期待が生真面目な彼女を追い詰めてしまうと分かってはいるが、それでも期待をかけてしまうのが人情というものだろう。 「…………」 ベッドに眠ったままのポップに、ヒュンケルは目を向ける。眠ったままのポップは今の信号弾にも気づかず、静かに横たわったままだ。 (…まったく……、つくづく、オレはこんな時は無力だな) ヒュンケルは、戦士だ。 魔法も使えなければ、他者を説得できるような弁論術も持ち合わせていない。感情を殺して剣に徹する精神を早い内から極めた彼は、感情を表現するのはひどく不得手だ。 いっそポップを助けるために、百万の敵に立ち向かえと言われた方がずっと気楽だ。それならば力の限り剣を振ればすむ。だが、こんな時にどうすればいいのか――。 (……変われるものなら、オレが変わりたい) 自分が身代わりになってポップが救えるのなら、ヒュンケルは何の躊躇もなくそうするだろう。 そんな自分を救ってくれたマァムや、仲間として信頼を寄せてくれたダイやポップの存在は、ヒュンケルにとっては宝物にも等しい。 ポップの明るさも、見掛けによらず持っている強い意志も、他人に大きな影響を与える物だ。それが失われつつあるのを、見ているのは辛かった――。 「……、誰だ?」 ドアがノックされる前に、ヒュンケルは誰何(すいか)の声を上げた。廊下を歩くわずかな足音に気づいたのだ。 「あー、オレ達だよ。看病交替の時間だが……奴の様子はどうだ?」 部屋に入ってきたのは、ヒムとラーハルトだった。 「変化はない」 素っ気のないヒュンケルの返答に、ヒムは少々がっかりとした表情を見せる。魔族の割には、感情が豊かな男なのだ。 「そうか。まあ、しばらくオレ達が看病するから、休んでいるといいさ。何か、変化があったら呼ぶから」 「感謝する」 軽く頭を下げるヒュンケルに、ラーハルトは彼を上回る素っ気無さで言い返す。 「別に、礼には及ばない。オレは望んできたわけじゃない。この木偶人形に無理やり引っ張ってこられたに過ぎない」 「おいおい、木偶人形とはご挨拶だなぁ」 軽くボヤくヒムを、ラーハルトは相手にすらしない。無愛想というか、金属製であるヒムよりもはるかに無機質な反応をする男だ。 「それでも、やはりオレはおまえ達に感謝する。おまえ達は……ダイとポップのために、盾になってくれた。それだけでも、感謝に値する」 大魔王バーン戦の際、ヒュンケルは何もできなかった。 せめて、ダイ達の盾になれればいいと思う一心でバーンの所まで行ったのに、盾にすらなれなかったのだ。 それを思えばどんなに感謝しても、し足りない。 「……しかし、ホントにこいつ、目を覚まさないんだなぁ」 残ったヒムは、あらためてポップを除き込む。そのついでに、ちょいと頬の辺りをつついてみたが、ポップはなんの反応も示さない。 「オレ達に、こいつが救えるとは思えない」 「まあ、正直言えばオレだってそう思うけどよぉ。だが、オレ達にも頼んでくれたってのが、嬉しいじゃねえか」 ヒムやラーハルトが、敵だったのは遠い昔ではない。……というより、バーンとの戦いの最中にダイ達一行に加わったんだから、まだ仲間になってから一週間と経っていないのだ。 にも拘らず、レオナを初めとする勇者一行は、ヒムやラーハルトを他のメンバーと同様に扱ってくれた。 もし、ポップを救ってくれる気があるならと、看病の時間を与えてくれたのだから。ポップが勇者一行の要とも言える存在であることを考えると、これは破格の信頼と言える。その信頼が嬉しいと思うし、だからこそ自分のできることはしたいと思うヒムだが……だが、実際に何ができるかというと、また、別の問題になる。 「さて、どうすればいいのかね? あのお姫さんは、なんでもいいから、ポップに呼び掛けてくれって言ってたけどよ」 果たしてそれに意味があるだろうか――そう思いつつも、口を閉ざしたヒムの目の前で、ラーハルトが吐き捨てるように言った。 「……人間は、これだから嫌いだ」 聞き捨てするには穏やかならぬ呟きに、ヒム、少々気色ばむ。 「おい、てめえ、そういう言い方ってのはねえんじゃないのか?」 ヒムは、人間ではない。 だが、ヒムを生み出したのが魔王ハドラーという桁外れの魔族であるが故に、彼は普通の人間と比べても遜色のない感情や意思を備えている。 ことにアバンの使徒の一人であり魔族に対して偏見を見せないポップには、はっきりと好意を抱いている。
さすがに抗議をしかけたヒムの言葉を、ラーハルトは聞いてさえいなかった。 「だから…っ、人間など嫌いなんだ!…!」 強い怒りのこもった言葉。 「……人間は…嫌いだ! どうして……どうして、こんなにもひ弱なんだ?! あんなにも強い精神力を持っている癖に、なぜ、こんなにもたやすく死にかける…?!」 無表情に近い表情のまま、ラーハルトが語りかけている相手は、ポップだった。感情を押し殺そうとしながらも、隠し切れない怒りが溢れている。 部屋のすぐ前で、ヒムは壁に背を当てて寄り掛かる。まだ、中からラーハルトの声がかすかに響くが、正確に聞き取れる程の大きさではない。 なぜなら今こそヒムは、すとんと、腑に落ちたのだから。 (へ…っ、やっぱり人間って奴には、かなわないもんかねえ…) ヒムにとって、ポップが死なせたくない男だというのは間違いない。だが、勇者一行にとって、ポップはそれ以上の意味がある。 魔族から見れば不可解な程に、人間は自分以外の者に執着心を抱く。 半分だけ人間の血を引き、魔族として育ったラーハルト――だが、彼も、また、人間だった。 冷静な彼の態度は、見せかけだけだ。押さえ切れずに溢れる怒りは、悲しみの感情の裏返しに他ならない。 ヒュンケルとラーハルトの間に、余人には分かりにくい複雑なライバル感情があったように、おそらくラーハルトとポップの間にもなんらかの繋がりがあったのだろう。 (まったく…ホント、人間って奴は素直じゃない生き物だぜ) 廊下で一人、物思いに耽っていたヒムだが――不意に開けられたドアのノブが、彼のどてっ腹を直撃した。 「ぃいつぅっ?!」 地上で一番堅い金属でできた肉体だろうと、痛みを感じる感覚がないわけじゃない。ましてや、不意打ちは結構効く。痛みに呻きながらヒムは、扉を開けたラーハルトに食ってかかった。 「てんめぇ、何をしやがるんだっ?! 今のは…っ」 怒鳴りかけてから、ヒムは気がついた。 「ポップの様子が、変だ! 急いで、誰かを呼んでくれ!」
マァムが北の砦に戻った時、出迎えてくれたメルルは挨拶もそこそこに心配そうに手を差し延べてきた。 「私のことはいいの。それより、教えて。ポップに何かあったの?!」 「い、いいえ…特に変わりはありません」 「そう。それなら、私は、もう少しダイを探してくるわ」 そう言って、マァムはすぐに踵を返そうとした。休もうとは、一瞬も思わなかった。ポップが目覚めていないのなら、少しの時間も無駄にしたくない。 「あの……マァムさん…お願いです。ポップさんの側についていて…くれませんか?」 そんなマァムを、メルルはおずおずと引き止める。物静かな占い師の少女は、思い詰めた目をマァムに向けている。 対バーン戦の寸前、メルルがポップにした告白を、マァムは覚えている。彼女は命を投げ出してもいとわないぐらいポップを愛していて――その想いの強さに、マァムは圧倒されるばかりだった。 それ程までにポップが好きだと言う少女を前にして、気持ちを決め切れない自分がポップの側にいるのは僣越ではないか……そんな想いが、マァムにはある。 「私より、メルルがついていた方が…。私じゃ、なんの力にもなれないもの。特別な力なんかないし……」 元僧侶戦士で、今は武闘家のマァムは、ろくな魔法が使えない。それは、彼女の密かなコンプレックスだった。 その力があれば、眠っているポップを呼び起こせるんじゃないか……マァムはそう思わずにはいられなかった。 「いいえ…違います! 今のポップさんを助けられるのは、私なんかじゃありません」 一瞬、哀しげに伏せられた目は、すぐにまた、マァムへと向けられた。 「……あなたです、マァムさん。ポップさんが共に未来を見たいと願ったのは、他の誰でもない、あなたなんです」 「…………」 「ごめんなさい…私は、ポップさんがバーンパレスで見たこと、聞いたことを全て知ってしまいました。ポップさんがあなたに告白したことも……あなたの答えも」 申し訳なさそうに言うメルルに、マァムはどう反応したらいいか分からずに立ちすくむ。今すぐにでも逃げ出したい……一瞬、そうとさえ思ったが、マァムの足を止めたのは聞き慣れた少女の声だった。 「マァム! やっと戻ったのね、待っていたわ」 優美な服の裾をなびかせながら現れたのは、パプニカ王女レオナだった。 「あなたを呼び戻したのは、あたしよ。そろそろ休んだ方がいい頃合だし、それにもし、その気があるのなら、ポップ君を見舞って欲しいと思ったから」 はっきりと物をいう主義のレオナは、そのすぐ後に包み隠さずに言った。 「けど……今は、それどころじゃないの。マァムも、メルルも、すぐに来て! ポップ君が危ないのよ!」 《続く》 |