『夜明け前 5 ー混沌ー』

  
 

「……」

 一瞬、夜空に光った信号弾を、ヒュンケルは見逃さなかった。
 彼は、その意味も知っている。
 未だにあてもなくダイを探しているマァムの心理を、ヒュンケルは理解していた。ポップの衰弱を直視したくない気持ちは痛いほど分かる。

 そして、彼女に向けた信号弾を打った側の気持ちもまた、ヒュンケルには理解できる。 無理を重ねているマァム自身を見兼ねる気持ちと……なにより、彼女に対する期待のせいだ。

 ポップは、マァムに恋している。
 それは傍目からでもはっきりと分かる、強い想いだ。
 彼女ならば、ポップを目覚めさせられるかもしれない。
 その期待は、一行の誰もが持っている。

 ヒュンケル自身でさえ、心のどこかでそう思っていることを否めない。マァムに対する過剰な期待が生真面目な彼女を追い詰めてしまうと分かってはいるが、それでも期待をかけてしまうのが人情というものだろう。
 ポップの目覚めを、ヒュンケルも望んでやまないのだから。

「…………」

 ベッドに眠ったままのポップに、ヒュンケルは目を向ける。眠ったままのポップは今の信号弾にも気づかず、静かに横たわったままだ。
 そんな彼を前にして、ヒュンケルは無力感に打ちのめされるばかりだ。

(…まったく……、つくづく、オレはこんな時は無力だな)

 ヒュンケルは、戦士だ。
 骸骨剣士という魔物に育てられた経歴を持つヒュンケルは、物心ついた頃から剣を手にしていた。数奇な運命の悪戯で、正義と悪の両極端な二人の師匠に剣の手解きを受けたヒュンケルは、根っからの戦士だ。

 魔法も使えなければ、他者を説得できるような弁論術も持ち合わせていない。感情を殺して剣に徹する精神を早い内から極めた彼は、感情を表現するのはひどく不得手だ。
 眠っているポップに呼び掛けてみるといいという忠告を聞いても、何一つ口にできないままでいる。

 いっそポップを助けるために、百万の敵に立ち向かえと言われた方がずっと気楽だ。それならば力の限り剣を振ればすむ。だが、こんな時にどうすればいいのか――。

(……変われるものなら、オレが変わりたい)

 自分が身代わりになってポップが救えるのなら、ヒュンケルは何の躊躇もなくそうするだろう。
 改心したとは言え、一度は魔王軍の一員として人間を滅ぼそうとした自分の罪深さは充分に自覚している。身勝手な憎しみに取り付かれ、ヒュンケルは前に弟弟子に当たるダイやポップをも殺そうとした。

 そんな自分を救ってくれたマァムや、仲間として信頼を寄せてくれたダイやポップの存在は、ヒュンケルにとっては宝物にも等しい。
 実際、自分が生き延びてポップが死にかけているのは、ひどく不当な仕打ちに思えてならない。

 ポップの明るさも、見掛けによらず持っている強い意志も、他人に大きな影響を与える物だ。それが失われつつあるのを、見ているのは辛かった――。

「……、誰だ?」

 ドアがノックされる前に、ヒュンケルは誰何(すいか)の声を上げた。廊下を歩くわずかな足音に気づいたのだ。

「あー、オレ達だよ。看病交替の時間だが……奴の様子はどうだ?」

 部屋に入ってきたのは、ヒムとラーハルトだった。
 金属の塊でできた人間型の魔物であるヒムと、人間の母を持つハーフ魔族のラーハルトは、最初は敵対していたが大魔王バーン戦の中で新たに仲間になったばかりだ。
 だが、戦いを通して堅い絆で結ばれた仲間だ。

「変化はない」

 素っ気のないヒュンケルの返答に、ヒムは少々がっかりとした表情を見せる。魔族の割には、感情が豊かな男なのだ。

「そうか。まあ、しばらくオレ達が看病するから、休んでいるといいさ。何か、変化があったら呼ぶから」

「感謝する」

 軽く頭を下げるヒュンケルに、ラーハルトは彼を上回る素っ気無さで言い返す。

「別に、礼には及ばない。オレは望んできたわけじゃない。この木偶人形に無理やり引っ張ってこられたに過ぎない」

「おいおい、木偶人形とはご挨拶だなぁ」

 軽くボヤくヒムを、ラーハルトは相手にすらしない。無愛想というか、金属製であるヒムよりもはるかに無機質な反応をする男だ。
 対照的な二人を見ながら、ヒュンケルは生真面目に一礼する。

「それでも、やはりオレはおまえ達に感謝する。おまえ達は……ダイとポップのために、盾になってくれた。それだけでも、感謝に値する」

 大魔王バーン戦の際、ヒュンケルは何もできなかった。
 戦うに値しない敵を選別するため、バーンは『瞳』の呪法を発動させた。バーンと戦うまでの力もない者を『瞳』と呼ばれる特殊空間に封印し、身動きすら封じてしまう厄介な術……勇者一行の多くの連中のように、ヒュンケルもそれに引っ掛かってしまった。

 せめて、ダイ達の盾になれればいいと思う一心でバーンの所まで行ったのに、盾にすらなれなかったのだ。
 だが、選別を免れたヒムやラーハルトは、ダイ達に助力してくれた。それもポップの無茶な頼みを聞き入れてくれ、囮となる覚悟で玉砕戦法をとってくれたのだ。

 それを思えばどんなに感謝しても、し足りない。
 部屋を出る間際にも軽く目礼し、ヒュンケルは出ていった。

「……しかし、ホントにこいつ、目を覚まさないんだなぁ」

 残ったヒムは、あらためてポップを除き込む。そのついでに、ちょいと頬の辺りをつついてみたが、ポップはなんの反応も示さない。
 だが、ラーハルトはポップに触れようとしないまま、静かに言った。

「オレ達に、こいつが救えるとは思えない」

「まあ、正直言えばオレだってそう思うけどよぉ。だが、オレ達にも頼んでくれたってのが、嬉しいじゃねえか」

 ヒムやラーハルトが、敵だったのは遠い昔ではない。……というより、バーンとの戦いの最中にダイ達一行に加わったんだから、まだ仲間になってから一週間と経っていないのだ。

 にも拘らず、レオナを初めとする勇者一行は、ヒムやラーハルトを他のメンバーと同様に扱ってくれた。

 もし、ポップを救ってくれる気があるならと、看病の時間を与えてくれたのだから。ポップが勇者一行の要とも言える存在であることを考えると、これは破格の信頼と言える。その信頼が嬉しいと思うし、だからこそ自分のできることはしたいと思うヒムだが……だが、実際に何ができるかというと、また、別の問題になる。

「さて、どうすればいいのかね? あのお姫さんは、なんでもいいから、ポップに呼び掛けてくれって言ってたけどよ」

 果たしてそれに意味があるだろうか――そう思いつつも、口を閉ざしたヒムの目の前で、ラーハルトが吐き捨てるように言った。

「……人間は、これだから嫌いだ」

 聞き捨てするには穏やかならぬ呟きに、ヒム、少々気色ばむ。

「おい、てめえ、そういう言い方ってのはねえんじゃないのか?」

 ヒムは、人間ではない。
 それどころか、生命体でさえない。元はと言えば、超金属で出来たチェスの駒に魔力と意思を注ぎ込まれて生まれた、魔族の分身体である。生まれてからの時間で言えば、彼はほんの1ヶ月程度しか生きていない。

 だが、ヒムを生み出したのが魔王ハドラーという桁外れの魔族であるが故に、彼は普通の人間と比べても遜色のない感情や意思を備えている。
 人間に強いこだわりや感情を持つ時期のハドラーの手によって誕生したヒムは、その精神の影響を受け、魔族離れした感情を持ち人間に親しみを感じてさえいる。

 ことにアバンの使徒の一人であり魔族に対して偏見を見せないポップには、はっきりと好意を抱いている。
 ポップを死なせたくない男だと思っているし、彼を大事にする人間の気持ちも尊重したいと思っているだけに、それらを否定するようなラーハルトの言葉だけは見過ごせない。


「おまえさんが口が悪いのは分かっているが、言っていいことと悪いことが……」

 さすがに抗議をしかけたヒムの言葉を、ラーハルトは聞いてさえいなかった。

「だから…っ、人間など嫌いなんだ!…!」

 強い怒りのこもった言葉。
 ラーハルトは、ポップを睨みつけていた。傍で話しかけているヒムには目もくれず、意識すらないポップだけを。

「……人間は…嫌いだ! どうして……どうして、こんなにもひ弱なんだ?! あんなにも強い精神力を持っている癖に、なぜ、こんなにもたやすく死にかける…?!」

 無表情に近い表情のまま、ラーハルトが語りかけている相手は、ポップだった。感情を押し殺そうとしながらも、隠し切れない怒りが溢れている。
 その姿を驚きの表情で見ていたヒムは……、やがて、黙って部屋を出た。

 部屋のすぐ前で、ヒムは壁に背を当てて寄り掛かる。まだ、中からラーハルトの声がかすかに響くが、正確に聞き取れる程の大きさではない。
 それに、別に聞きたいとは思えなかった。

 なぜなら今こそヒムは、すとんと、腑に落ちたのだから。
 冷やかし半分、そしてやっかみ半分ぐらいの気持ちで、ヒムは内心、一人、思う。

(へ…っ、やっぱり人間って奴には、かなわないもんかねえ…)

 ヒムにとって、ポップが死なせたくない男だというのは間違いない。だが、勇者一行にとって、ポップはそれ以上の意味がある。
 死なせたくない、どころではない。失えない、のだ。

 魔族から見れば不可解な程に、人間は自分以外の者に執着心を抱く。
 特に家族などの身近な存在を失うことを、極端に嫌い、悲しむ。それこそ、その人を失った後の人生など考えられないほど、その人を大事に思う。

 半分だけ人間の血を引き、魔族として育ったラーハルト――だが、彼も、また、人間だった。
 そういうことなのだろう。

 冷静な彼の態度は、見せかけだけだ。押さえ切れずに溢れる怒りは、悲しみの感情の裏返しに他ならない。
 思えば、ラーハルトはヒムよりもずっと前から、勇者一行と関わりがあったはずだ。

 ヒュンケルとラーハルトの間に、余人には分かりにくい複雑なライバル感情があったように、おそらくラーハルトとポップの間にもなんらかの繋がりがあったのだろう。
 一緒に見舞いに行こうと誘った時は冷たく拒絶したくせに、軽く引っ張っただけの手をラーハルトが降り払わなかった理由が、今になって見えてきた。

(まったく…ホント、人間って奴は素直じゃない生き物だぜ)

 廊下で一人、物思いに耽っていたヒムだが――不意に開けられたドアのノブが、彼のどてっ腹を直撃した。

「ぃいつぅっ?!」

 地上で一番堅い金属でできた肉体だろうと、痛みを感じる感覚がないわけじゃない。ましてや、不意打ちは結構効く。痛みに呻きながらヒムは、扉を開けたラーハルトに食ってかかった。

「てんめぇ、何をしやがるんだっ?! 今のは…っ」

 怒鳴りかけてから、ヒムは気がついた。
 小憎らしいほど冷静なはずのラーハルトが、今は顔色を変えている事実に。

「ポップの様子が、変だ! 急いで、誰かを呼んでくれ!」

 

 


「まあ……、マァムさん、大丈夫ですか?」

 マァムが北の砦に戻った時、出迎えてくれたメルルは挨拶もそこそこに心配そうに手を差し延べてきた。
 それも無理はあるまい。
 ここ二日ほどほぼ飲まず食わずで、夜もろくに寝ないで森をさまよっていたマァムは、ひどい有様だった。だが、マァムはそんな自分を自覚していなかった。

「私のことはいいの。それより、教えて。ポップに何かあったの?!」

「い、いいえ…特に変わりはありません」

「そう。それなら、私は、もう少しダイを探してくるわ」

 そう言って、マァムはすぐに踵を返そうとした。休もうとは、一瞬も思わなかった。ポップが目覚めていないのなら、少しの時間も無駄にしたくない。

「あの……マァムさん…お願いです。ポップさんの側についていて…くれませんか?」

 そんなマァムを、メルルはおずおずと引き止める。物静かな占い師の少女は、思い詰めた目をマァムに向けている。
 そのひたむきさに、マァムは無意識に目を反らしてしまった。

 対バーン戦の寸前、メルルがポップにした告白を、マァムは覚えている。彼女は命を投げ出してもいとわないぐらいポップを愛していて――その想いの強さに、マァムは圧倒されるばかりだった。

 それ程までにポップが好きだと言う少女を前にして、気持ちを決め切れない自分がポップの側にいるのは僣越ではないか……そんな想いが、マァムにはある。
 誰にでさえ慈愛の心を抱くマァムは、恋敵にさえ優しさを忘れられない。

「私より、メルルがついていた方が…。私じゃ、なんの力にもなれないもの。特別な力なんかないし……」

 元僧侶戦士で、今は武闘家のマァムは、ろくな魔法が使えない。それは、彼女の密かなコンプレックスだった。
 バーンとの戦いの時、メルルとポップの心が通じ合っていた。

 その力があれば、眠っているポップを呼び起こせるんじゃないか……マァムはそう思わずにはいられなかった。
 しかし、メルルは大きく首を振った。

「いいえ…違います! 今のポップさんを助けられるのは、私なんかじゃありません」

 一瞬、哀しげに伏せられた目は、すぐにまた、マァムへと向けられた。

「……あなたです、マァムさん。ポップさんが共に未来を見たいと願ったのは、他の誰でもない、あなたなんです」

「…………」

「ごめんなさい…私は、ポップさんがバーンパレスで見たこと、聞いたことを全て知ってしまいました。ポップさんがあなたに告白したことも……あなたの答えも」

 申し訳なさそうに言うメルルに、マァムはどう反応したらいいか分からずに立ちすくむ。今すぐにでも逃げ出したい……一瞬、そうとさえ思ったが、マァムの足を止めたのは聞き慣れた少女の声だった。

「マァム! やっと戻ったのね、待っていたわ」

 優美な服の裾をなびかせながら現れたのは、パプニカ王女レオナだった。

「あなたを呼び戻したのは、あたしよ。そろそろ休んだ方がいい頃合だし、それにもし、その気があるのなら、ポップ君を見舞って欲しいと思ったから」

 はっきりと物をいう主義のレオナは、そのすぐ後に包み隠さずに言った。

「けど……今は、それどころじゃないの。マァムも、メルルも、すぐに来て! ポップ君が危ないのよ!」

                                            《続く》
 

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