『お風呂でモシャス 1』

  
 

 お風呂。
 それは、単に身体を綺麗にする場、というだけの場所ではない。裸になって湯につかることで、人は心を解いてリラックスし、心身共に癒やされる。

 温泉をこよなく愛したパプニカの先々王は、その効力を愛でてパプニカ城に大浴場をしつらえた。
 一人で入ってくつろぐもよし、他人と一緒入って裸の付き合いを経て、より親しみを味わうもよし。

 魔王軍の攻撃により一度は破壊されかけたパプニカ城だが、幸いにも大浴場は無事だったため、今は勇者一行の疲れを癒やす場として活用されている。
 人間も魔物も一緒になって風呂に漬かり、種族の区別なく背を洗い流すなど、彼等にとってはごく当たり前の光景だ。

 が――。
 勇者一行の魔法使い、ポップ君(15才)は、最近、風呂は断固として一人で入る派になった。

 一行の中で魔族や怪物に対する偏見が最も薄く、ざっくばらんな性格の彼は、大勢で湯につかるのが好きな方だっただけに、急な心境の変化と言わざるを得ない。

 その原因が何なのか……その理由を本人は黙し……、決して語らなかった――。








「あー、えーと、ちょっと待っててくれよ。パデキアの根っこなら、確かアバンの奴から15年ぐらい前にもらったから、この辺にあるはずなんだが……」

 衛生面からも効力面からも、いささか不穏当な意見を吐きつつ、マトリフはごちゃごちゃっと散らかった雑多な品を引っ掻き回していた。

 男やもめの哀しさというべきか、埃にまみれ薄汚く散らかった洞窟は、他者から見ればひどく住み心地悪そうに見えるのだが、マトリフ自身は気にいっているらしい。

「あのー、よろしければ少し、お掃除しましょうか? いくらなんでも、これじゃあんまりじゃないですか」

 綺麗好きのエイミの善意から出た申し出を、マトリフは面倒そうに手を振って一蹴した。

「あー、いらねえ、いらねえ。他人に下手に片付けられちまうと、どこになにがあるか、分かんなくなっちまうんだよ」

「何言ってんですか、今だってじゅーぶんに分かっていないですよ!」

 目を吊り上げ、エイミは手厳しく文句をつける。
 彼女はパプニカ王国の三賢者の一人、エイミ。王家に絶対の忠誠を誓い、主君の身を守る護衛として、また主君の勅命をこなす側近として常に王族の身近にいるのが三賢者の役割だ。

 まだ18歳と若い年齢ながら、エイミはこの重責をよくこなしていた。今日も今日とて、主君であるパプニカ王女レオナの依頼により大魔道士マトリフに貴重な薬草を分けてもらいに来たものの、この汚さには全く閉口してしまう。

 まだ掃除でもした方が気晴らしになるのにと内心恨めしく思いながら、エイミは当てもなくその辺を眺め回していた。

「あら? これ、なんですか?」

 と、エイミがそれに目を留めたのは、それが魔法道具だからではない。
 他の場所ならいざ知らず、この洞窟では魔法道具など珍しいものじゃない。

 なんせ、ここは大魔道士マトリフが居住する洞窟。
 すべての魔法使いの頂点に立つとまで言われた大魔道士の自宅だけに、洞窟を改造された部屋の中には、めったにお目にかかれないような貴重な資料や、魔法道具が揃っている。

 ……とゆーか、片付けや整理整頓が苦手なマトリフが適当にその辺にほうり出しているため、ゴミと並んでゴロゴロと転がっているので、逆に有り難みもへったくれもありはしないが。

 エイミがそれに目を留めたのは、単に綺麗だったからだ。
 小さなガラス瓶にたった一個だけ入った、七色にきらめく飴玉。他のアイテムに比べて場違いな綺麗さを持つそれを、彼女は手に取ってみた。

「ん? ああ?」

 散らかしているとしか思えない手を止めて振り返ったマトリフは、それを見てフンと鼻を鳴らした。

「そいつは、まあ……いわゆるアレだ、若気の至りって奴だな。30年ぐらい前に魔法道具の研究をしていた時に、ちょいと悪戯で作ったシロモンだよ」

 彼がただ高齢なだけの並の魔法使いならば、その言い訳にも説得力があるだろう。しかし、マトリフは今年で98歳。
 30年前と言えば、すでに御年68歳だったはずである。

(それって、全然若気の至りとは言わないんじゃ……)

「ところがこれがとんだ失敗作でなァ。ずっと前に処分したと思ってたが、まだ一個だけ残っていたとはな」

「失敗作って……これ、どんな効果を持つ魔法道具なんですか?」

「そいつは口にした瞬間の思念を固定化して情報として読み取り、疑似的な魔法効果の発生を促す薬品を固めたもんでな。まあ、平たく言えば変身魔法……モシャスの効果を持つ飴玉で、モシャス玉ってんだ」

(ダサッ……! ってゆーか、そのまんまじゃない)

 あまりのネーミングセンスのなさに、エイミは思わず心の中で突っ込んでしまう。
 だがセンスはともかくとして、超一流の魔法使いの腕の方は確かな物だった。

「一応効き目があるっていやあるんだが、どうにも呪文の完成度が低くてな。本来のモシャスなら外見だけでなく能力も変身できるが、こいつは外見だけしか変化させられない。

 しかも飴が溶けきるまで……まあ、ほんの30分間程度しか効かない欠陥品ときている。これじゃ到底役に立たないってんで、放り出したシロモンだ。
 お、あったあった。おい、パデキアの根、見つかったぜ」

 やっと目的の荷物を発見したマトリフは、すでに自分の若き日の忘れ物などに何の関心も持たなかった。
 だが、エイミは――。

「……外見だけ……」
 呟き、エイミは手の中の飴の輝きに見入った。
 神官や賢者の血筋を色濃く伝えるパプニカ王国の三賢者とは呼ばれても、エイミはさしたる攻撃魔法は使えない。

 ましてやモシャスのような高度かつ変則的な補助魔法など、使えるはずもない。
 それだけに、自分では到底手の届かない魔法に、憧れる気持ちは強かった。

「コレ……まだ、使えるんですか?」

 期待を込めて聞いた一言を聞いて、マトリフは彼女の執着を悟ったらしい。
 老魔道士の顔にニヤリと、人の悪い笑みが浮かぶ。

「まあ、使えるだろうな。魔法薬の類いってのは、基本的に完成した段階で腐敗止めの魔法を施すから、数百年やそこらじゃ劣化しねえようにできているんだ。……で、あんた、これが欲しいのかい?」

「え……」

 戸惑い、なぜかパッと顔を赤らめる若い娘に対して、マトリフは手をわきわきとうごめかしながら言った。

「欲しけりゃくれてやるぜ、代わりに『ぱふぱふ』してくれるんならな♪」

 冗談じゃない。
 が、ちょっとスキを見せれば、胸を触られたり、尻を撫でられたりとセクハラ三昧しまくられてきたエイミは、これが冗談でもなんでもなく、マトリフの本気の発言だと分かった。

 世界一の魔法使いの称号をほしいままにしながら実に俗っぽく、齢98歳にして枯淡とは全く無縁な男なのだから。

 普段のエイミなら、こんな誘いはぴしゃっと断り、立ち去るだろう。だが、今は……エイミは手に握り込んだモシャス玉を見下ろし続ける。
 法外な要求とはいえ、一度、手の中に握りこんだ希少な魔法道具は、手放すには惜しすぎる。

「どうした、どうした、三賢者のネエちゃん。『ぱふぱふ』ぐらい、どってこたぁあるまい。好きな男とはもっとお熱く、イチャついてんだろうが?」

 からかい混じりのマトリフの下品な笑いが、エイミの躊躇を吹き飛ばした。

「……マトリフさん、わたし、このアイテム、気に入りましたわ。ぜひ、分けてくださいな」

 エイミはにっこりとマトリフに笑いかけ、力強く彼に近付いた――。







 
 パプニカ王城の東寄りに位置する、簡素な部屋。
 客間を改装したこの一室は、エイミに与えられた自室だった。質素な客間と言った体裁の画一的な部屋とはいえ、いかにも若い娘の部屋らしく、パステル調の明るい色合いの小物が細々と置かれている。

 だが、どんな小物よりも、今のエイミにとって大切なのは、手の中に握り込んだモシャス玉だった。

(これ、本当に効くのかしら……?)

 マトリフを張り倒して奪ってきたモシャス玉を、エイミはしげしげと見つめる。姫の護衛のために肉体的訓練もきっちりと積んだエイミは、並の兵士以上の体力と腕力を誇る。

 その技を生かして、パプニカ王国の恩人とも言える老人をぶんなぐって気絶させた行為を、エイミは決して後悔はしていなかった。

(どうせあれぐらいで、どうにかなる人なんかじゃないし)

 あの人を食った老人は、見た目以上にしぶとい。なにより、その気になれば、エイミどころかパプニカ王国随一の回復魔法の使い手であるレオナ姫を上回る、治療術の持ち主だ。

 手加減無しで殴ってしまったが、まあ、なんとかなるだろう。なにせ、あまりにも腹が立って、手加減どころじゃなかったことだし。

(だって……、あんな台詞だけは許せないわよ……!)

 エイミを怒らせたのは、セクハラな発言のせいではない。彼女の逆鱗に触れたのは、好きな男とイチャついてるんだろうという、スケベ親父根性まるだしの他愛もない軽口のせいだった。

 国の重責を担う一員とはいえ、エイミも年頃の娘として、意中の男性くらいはいる。

 が……パフパフやイチャつくなんて、論外。それどころか……手すら握ったことすらない! さらに言うのなら、用件以外の会話なぞほぼ皆無に等しいという、年頃の娘としてはいささか情けない恋愛体験のなさっぷりである。

 常日頃から気にしていただけに、軽口を受け流すなんて到底出来なかった。それに、マトリフには今までさんっざんセクハラされまくった恨みだってある。ちょっとばかり殴ったって、このモシャス玉をもらったって罰は当たるまい。

 完全に自分の都合のよい方向に理屈を発展させ、彼女はひたすら気にかけているのは、マトリフよりもモシャス玉の方だった。
 うさん臭いアイテムではあるが、面白そうでもあり、思わず試したくなる魅力はある。

 もし、モシャスが使えたなら――。
 エイミに思い浮かぶのは、大好きなあの人……ヒュンケルともっと近付きたいと言う乙女な願いだった。

 アバンの使徒の一人で、魔剣士と呼ばれる男。
 一時は魔王軍の軍団長でもあり、パプニカ王国に壊滅的な被害を与えたのは、間違いなく彼と彼の配下達の仕業だった。

 そんな恐ろしい人なのに――エイミは、いつの間にか、彼に恋をしていた。
 いつ、好きになってしまったのか……。
 そんなのは、正直、自分でもよく分からない。

 ただ、気が付いたら彼の孤独や隠れた優しさにたまらなく惹かれ、もう後戻りできないほど好きになっていた。

 しかし、この思いは、哀しい程にエイミ一人の片思いのままだ。
 行動的なエイミは、お淑やかとは程遠い性格をしているし、好きな人に対して口すらもきけなくなるというタイプでは断じてない。

 むしろ、積極的にヒュンケルに声をかけるようにしているし、彼と一緒にいられる機会を増やすための努力も惜しまない。

 だが、いかにエイミが積極的に振る舞おうと、ヒュンケルの方は全く他人に関わりを持とうとしないのだから話にならない。なんせ朝の挨拶に対しても、無言で会釈するだけという寡黙な男だ。

 まあ、パプニカを襲撃した罪を必要以上に自覚しているため、他者との付き合いを自粛しているヒュンケルの気持ちは分からないでもない。

 だが、エイミにとって少々嫉妬を感じてしまうのは――マァムの存在だ。
 パプニカ国民に対してはどこまでも打ち解けないヒュンケルも、同じアバンの使徒の仲間には気を許しているのか、割と普通に話している。

 その中でも、唯一の女の子であるマァムに対する嫉妬を、一番強く感じてしまうのは乙女としては当然の心理だろう。

 全ての人間に対して拒絶している風があるヒュンケルなのに、マァムに対してはやけに親しげというか、心を許しているように見えるのもまた、エイミにとっては羨ましくてならない。

(もし、わたしがマァムの立場なら……)

 一度ならず、エイミはそう思ったものだ。
 そして、今、目の前にはその夢を叶えてくれる魔法道具がある。
 確かマァムは今日、付近の山辺りを見回りに出かけ、一日城を不在にする予定だと聞いていた。

 つまり、今日ならば、彼女と顔を合わせないよう、そして、こっそりとヒュンケルと一緒に居られる……。

 ここまでお膳立てが整っては、もう、抑えなんてきかない。
 ドキドキする心臓に手を当てながら、エイミはできるだけ正確にマァムの姿を思い浮かべようとした。

 マトリフはモシャス玉を口に含んだ瞬間の思考を固定化すると言っていたし、普通のモシャスでも、強いイメージを持っている方が変身が完全に近くなると言われている。

 淡い赤毛の、健康美に溢れた武闘家の少女を強く連想し……ごくりと生唾を飲み込み、エイミは飴を口に含む。

(わぁ……変な味)

 いかにもファンシーな七色の飴は見掛けに反して、少しも甘くはない。ミントのように、ぴりっと舌を刺す刺激の強い味わいに驚きを感じた瞬間――ドアの外側から大きな声が聞こえてきた。

「ポップ! ポップ、どこだよーっ?」

「……っ!?」

 不意打ちの大声に、エイミは危うく喉に飴を詰まらせかけて、噎せる。

「ご……っ、ごほっ、ごほほっ!?」

 散々咳き込むその声を聞きつけたのか、外にいる誰かはドアを叩きながら、声をかけてくる。

「あれ? 大丈夫? どうかしたの?」

 心配そうな声は、ダイのものだった。
 声と同時に、ガチャガチャといきなりドアを開けようとする音が聞こえ、エイミはひやりとさせられる。

 一応、鍵はかけておいたが、いくら心配だからとはいえ女性の部屋をいきなり開けようとするからお子様は怖い。
 王女レオナとパプニカの危機を救ってくれた勇者とはいえ、まだ12歳なダイにはデリカシーという物が欠けているようだ。

「な、なんでもない……えっ!?」

 言いかけて、エイミはその場で硬直した――。


 
                                              《続く》

 

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