『お風呂でモシャス 2』

  
 

「え……ええっ!?」

 ――なんでもなく、なかった。
 今、自分の喉から出た声は、馴染みのある自分の声ではなかった。
 甲高い……だが、少年の声。しかも、確実に知り合いの声に違いなかった。

(ま……まさか……)

 恐る恐る、エイミは鏡を振り返る。
 鏡に映っていたのは、自分の姿でもなければ、武闘家の少女の姿でもない。鏡の中では黒髪の魔法使いの少年――ポップが、驚きの表情でこちらを凝視していた。

(ぇええええっ、うそぉっ!?)

「あれ、ポップ。なんだ、こんなとこにいたの?」

 ドアの外から聞こえるダイの声が、受け止めがたい事実に後押しをかけてくれる。

「ちょうどいいや、ポップ、ここ、開けてよ。用があるんだよ」

「だっ、だめぇっ! そんなの絶対だめーっ!」

 ぎょっとしてエイミは、素のまま叫んでしまう。
 こんな姿、見せるわけにはいかない。
 ポップに変身してしまったのは、まだいい。いや、予定総狂いになっちゃうし全然よくはないのだけれども、それでも、それだけならまだ文句はない。

 が、問題なのは、モシャス玉の効き目が姿のみしか及ばず、服まで変身していない点である! エイミは女賢者としては最も基本的な、チューブトップタイプの短いワンピースを着ている。

 肩紐がなく、胸の膨らみだけで服を抑える型の短いワンピースは、少年の体型では着るのは不可能だ。
 つるぺたになった胸では、あっけなく服が滑り落ちてしまった。

(や……やだぁ……っ!?)

 理屈を超える恥ずかしさに、エイミは思わず赤面し胸を押さえる。……実際には他人の身体なのだから隠す必要などないのだが、身に染みついた羞恥心に理屈など通用しない。

 それに、恥ずかしさという意味を除いても、他人に見せられた姿ではない。
 ポップのスカート姿は、どう贔屓目に見ても似合っていなかった。

 顔立ちや体型は結構女性的なのに、いかにも少年風の髪形のせいでポップには女装は似合っていない。しかも、今、エイミの着ている、いかにも女性らしい身体のラインを強調する服ではなおさらだ。

(う……これ、ポップ君本人が見たら泣くわね)

「ポップー、どうしたのさ? なんか、あったの?」

「な、なんでもないわ……!!」

「わ?」

「あ、えーと、じゃなくって……な、なんでもない……ぜ、それより……いえ、な、何か用?」

 女言葉を意図的に男言葉に変えようとすればするほど、不自然さが際立ち、返ってオカ○っぽいしゃべりになってしまうと、エイミは自覚していなかった。
 しかし、素直かつ単純なダイは不自然さはあまり追及しなかった。

「あ、そうだった。あのさー、ポップ。レオナがね、ポップに用があるんだって。さっきから捜していたよ」

「そ、そう、分かったわ……ぜ。じゃ、じゃあ、後で伺い……い、行くって、そう言っておいてよ」

「うん、分かったー」

 ダイが立ち去っていく足音を聞きながら、エイミはホッと息をつく。……まあ、鏡を見ると、全然安心なんかできないのだが。

(い、いったいなんで、ポップ君なんかに……っ)

 タイミングが悪かった――とでも言うべきなのだろうか。
 確かにエイミが飴を口に含んだ瞬間、ポップの名を聞いたせいで意識がそっちに集中してしまった。

 やり直せるかと、飴を一度口からだし、また含み直したが全然姿に変化はない。……どころか、この姿から元の姿にさえ戻れない。どうやら、効き目が切れるまでこの姿でいるしかなさそうだ。

(こんなはずじゃなかったのに……)

 がっくりと床に跪くも――今の姿のままでは、あまりにもみっともなさすぎる。

(……とりあえず、着替えよ……)

 いくら自分の姿ではないとはいえ、スカート姿の上に半裸の男子の格好のままでいたくはない。

 が、着替えようにも、エイミは当然のごとく、男の子の服など持ってなどいない。なんとか少年服として通用しそうな服といえば、せいぜいパジャマぐらいの物だろうか。

 まあ、それで我慢しようと着替えようとして――エイミは、下着一枚となった自分の下半身に注目した。……微妙に膨らんだパンツの中身に興味を感じてしまうのは、本能的な好奇心だった。

(じ……自分の体だもの、変な意味なんかじゃなくて……い、一応確かめておいた方がいいわよね?)

 言い訳がましく思いつつ、エイミはそっと自分の下半身に手を伸ばした――。
 と、コンコンとノックする音と共に、涼やかな声が響く。

「エイミ、いる?」

「キャァアっ!?」

 自分のパンツに手を掛けたまま、派手な悲鳴を上げたエイミはあたふたと意味もなくうろたえるが、扉の向こうの相手は落ち着いたものだった。

「あら? いるのは、ポップ君だけなの? まあ、いいわ。開けてくれないかしら?」

「ひっ、姫様!? は、はい、今すぐっ」

 扉越しとはいえ、自分の仕える主君の声は聞きまちがえようがない。
 あたふたとパジャマを着て身繕いを整えると、エイミは慌てて扉を開けた。

「お、お待たせしました。何か、ご用ですか……?」

 レオナは一瞬、きょとんとした表情を見せてから、ぷっと吹き出した。

「いやだ、ポップ君ったら! どうしたのよ、そんなかしこまった言葉遣いしちゃって!」

「ゑ……え……、あ……」

 つい、いつもの調子でしゃべってしまったが、考えてみれば……ポップならレオナに対して敬語など使わない。
 良く言えば、ざっくばらんで誰に対しても遠慮しない。
 悪く言えば、口が悪くて無礼者。

 普通ならば王女という存在に対して払うであろう敬意を、全く見せないポップの態度は、ある意味では感心するといってもいい。

 姫に忠義を捧げる護衛の立場としては、その身分を弁えない無礼さに思うところがないでもないが、基本的にはエイミはポップの遠慮のなさが嫌いではない。

 その立場上、対等に付き合える人間の少ないレオナのためにも、身分にこだわりを持たない友人がいるのはいいことだとも思う。
 が、今ばかりはエイミは、ポップのその無礼さが腹立たしい。

「い、いやその……それより、姫さ……ん、何のようで……なんだ?」

 王族に対して敬語を使うという常識が、すでに身体に染み込んだエイミにしてみれば、レオナに普通に話しかけるというだけで、十分以上にハードルの高い難関だった。

「ん、ちょっとね。アポロが実家の倉庫から見つけた古い呪文書があるんだけど、それってポップ君が持っているアバン先生の本と同じみたいなのよ。多分、こちらが写本だと思うけど」

 その呪文書の件なら、実は聞くまでもなくエイミは知っていた。アポロから、直接聞いたのだから。

 エイミやマリンの家もそうだが、アポロの実家も古くから代々続く賢者系の家系であり、蔵書量も多い。

 高度な魔力や魔法道具の力によって正確な複製として作り出される本もあるが、大抵の本は見本を元に写本を繰り返す形で普及していく。当然、字を書くのが人間の手による以上、生産量など自ずと限られている。

 しかも、高度な呪文について書かれた研究書は、悪用の危険性を恐れてあまり量産されない。

「写しが正確かチェックしたいから、君の本と見比べて欲しいの。手伝ってくれる?」

「…………っ」

 ピンチだった。
 それも、かなりも猛烈に。

 もちろん、そんな頼みはポップ本人にとっては、それこそおやすいご用だろう。
 アバンの形見だという呪文書をポップは大切にしまいこんであるし、暇な時はよく読んでいるらしく、その中身にも詳しい。

 いくら写本とはいえ、写しを重ねるごとに書き間違いや解釈違いの危険性が増え、原本とかけ離れてしまう場合が多い。
 より原本を近い作品を持つ者の力を借りて、校正し直せるならそれに越したことはない。

 ――が、エイミは当然、そんな本は持っていない! しかも、もしポップの荷物からその本を探し出したとしても、エイミにはそんな高度な呪文書の説明やら解読はできっこない。

 三賢者の一人とは言われても、どちらかと言えば攻撃魔法が得意とはいえ、エイミはかなりの行動派……リーダーであるアポロはいうに及ばず、姉のマリンに劣る魔法力しか持たないのだ。

 ましてや知識量ではいうに及ばない。戦闘の際、一番頼るのが護身術として習った剣という事実こそが、彼女の賢者としての実力をものの見事に説明している。

「そ、その……あの……今は、ちょっと……」

 しどろもどろに言い訳をひねり出そうとするエイミをさらに追い込むのは、レオナからのごく当然の疑問だった。

「それにしても……ポップ君、いったいエイミの部屋で何をしていたの?」

「そ、そそそれはぁ……っ」

(ど、どうしようっ!? ああっ、まさか今更ホントのことも言えないしっ!?)

 答えあぐねてオタオタするエイミは、まさに自らの嘘に耐えきれずに全てを自白しようとした瞬間――けたたましい声が響き渡った。

「火事じゃーっ! たっ、大変じゃ、火事じゃっ!」

 ガンガンとバケツを薪でぶっ叩きながら声の限りにそう叫び、けたたましく廊下を走る老人。
 それは、エイミにとってもレオナにとっても見慣れた相手だった。

「バダックさん? いったい、なにがあったんですか?」

 つい、演技も忘れて素のままで聞いてしまったエイミだが、慌てているバダック本人も、レオナもそれをやすやすと見逃した。

「お? おおっ、姫様、それにポップ君も! 大変なんじゃ、火事なんじゃよ! それも、城のすぐ近くの避難民用の救済小屋で! しかも風向きが悪くてなぁ、このままじゃ城にまで火が移りかねないぞいっ!」

「なんですって!」

 途端に、レオナの顔色が変わる。
 復興目覚ましいとはいえ、まだまだパプニカ王国は戦果の傷跡が生々しく残っている。怪物との戦いで家を焼かれてしまったり、壊滅的に壊された者も少なくはない。

 そんな不幸な人達を救済するために、王宮では行く当てのない避難民達を一時的に預かる救済小屋を用意した。なにせ物資も建物の数も足りないため、城の敷地内にあった使われていない倉庫を改造したという急ごしらえではあったが。

 それでも家のない者達にとってはありがたい処置だったらしく、好評だった。
 パプニカが復興するにつれて、そこにいる人数は徐々に少なくなっているとは言え、まだかなりの人数が住んでいるはずだ。

「それで、怪我人は? 住人達は全員退避したの!?」

 てきぱきと飛ぶ質問に答えたのは、バダックから一歩遅れて走ってきたダイだった。

「それが、まだみたいなんだ。よく分かんないけど、子供がいないって言ってる人がいるんだって!」

 パプニカ王女たる少女は、一瞬足りとも迷わなかった。

「なら、最優先すべきは住人の救出を! 消火や延焼の処置なんか二の次でいいわ、城なんて燃えてしまってもまた立て直せるもの!」

 惚れ惚れする程の決断力と潔さ。
 まだ少女でありながら、一国を率いるに相応しい度量の広さを持つ主君を、エイミはほとんど感動の面持ちで見つめていた。

(姫様……なんてご立派な……)

 先代国王も名君と評判の良王だったが、レオナの素質はそれ以上だ。この姫に忠義を捧げる身としては、思わず今の言葉の余韻を噛み締めてしまう。
 が、勇者であるダイはさして頓着せず、ただ普通にこっくりと頷いた。

「うん、分かったよ、レオナ。行こう、ポップ!」

「え?」

 ごく当たり前のように、ダイはエイミに駆け寄ってきた。そしてそのまま腕をグイッと掴まれ、ダイに引きずられるままに……窓から外に飛び出していた!


 
                                                 《続く》

 

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