『勇者になりたいっ! 1』

 

 角度は、斜め45度。
 そこからの流し目こそが効果抜群のはずだと、彼は鏡の前で一人、悦にいっていた。
 準備はまさに、万全にして完璧である。

 時間をかけてせっせととかし続けた毛並みは、つやつやとした輝きを見せている。耳の先から尻尾の先まで、ケチのつけどころもない。
 ずんぐりむっくりした体型の大ネズミは、鏡に映る自分に満足しきってやっとブラシを手放した。

 彼の名前は、チウ。
 勇者一行に新たに加わった期待の新星……と、本人は固く信じている。

 実際の位置といえば、怪物を差別しない主義の勇者達が、お情けで入れてくれたおまけ要員と言った方が正しいのだが。
 だが、チウは志と野心だけは、やたらめったらと大きかった。

(むふふっ、今日こそマァムさんとっ?)

 チウの憧れの人であり、初恋の女性。
 それは、勇者一行の武道家マァムだ。
 共に、拳聖ブロキーナの元で修行した兄弟弟子の間柄でもある彼女に、チウはほとんど一目惚れしてしまった。

 淡い赤毛の似合う、きりっとした意思の強さを感じさせる少女。
 優しく、そして凛々しく、清純な雰囲気を持つ戦う乙女。
 昨日、チウがパプニカの町を案内してほしいと頼んだら、マァムは快諾してくれた。チウ的には、それはデートの誘いに乗ってくれたも同じことっ!

 種族の差などなんのその、チウの脳裏にはすでに、マァムと自分が楽しくデートする姿しか浮かんでいなかった。

『うふふっ、私を掴まえてごらんなさい〜?』

 目に浮かぶのは、浜辺を楽しげに走る彼女を追いかける自分の姿。
 そして、都合よく誰もいない浜辺で、夕日が感動的に沈む時に、チウは彼女に言うのだ。
『結婚してください!』

 と。

(ふ…っふっっふ、完璧だっ! 恐ろしいぐらい完璧な作戦じゃないか、これでマァムさんのハートはぼくのものだっ)

 すでに、心は一気に第七天国。
 結婚式の披露宴の客に誰を呼ぼうかと言う限りなく無意味な心配までしつつ、浮かれているチウの耳にノックの音が響く。途端に、チウは喜び勇んですっ飛んでいく。

「はいは〜い、今開けますともっ!!」

 浮かれは最高潮だった。
 待ち合わせは城の城門前だったのに、待ちきれずにわざわざ迎えにきてくれたマイハニーを抱きしめようと、チウは大きく手を広げて扉を開ける。
 が、その姿勢のまんま彼は固まってしまった。

「おい、女の支度じゃあるまいし、いつまでかけりゃ気がすむんだよ? いい加減にしないと、日が暮れちゃうぜ」

 目の前にいるのは愛しの少女ならぬ、魔法使いポップ。
 魔法使いと言えば寡黙な年寄りと相場が決まっているものだが、この魔法使いときたらまだ少年だ。
 ついでにいうなら、やかましい上に口も悪い。

「どうした? 町を見に行くんだろ、案内してやるから早くこいよ」

「ど、どうしておまえなんかとっ?! ぼくはマァムさんに案内を頼んだんだぞ」

 愛しの少女の姿を探してキョロキョロするチウに対し、ポップは平然として答えた。

「おれはそのマァムから、おまえの案内を頼まれたんだよ」

「へ?」

 思いっきり間抜け顔で、チウはきょとんと目を見張った――。

 

 


「案内と言っても、私、実はパプニカの町にはあまり詳しくないのよ。その点、ポップならずっとここにいたから、詳しいし」

 ニコニコしながらのマァムの言葉を、チウは呆気に取られた顔で聞いているしかなかった。

「でっ、でも、それだったら、マァムさんも一緒に……っ」

「ごめんなさいね、今日はみんなと稽古をしたいの。魔王軍との戦いの前に、お互いにどのくらい腕を上げたか、把握しておきたいの。こんな機会はめったにないもの」

「それだったらぼくも稽古を――」

 とにかくマァムの側にいたいチウは食い下がろうとしたが、それを邪魔してくれたのは勇者ダイだった。

「チウ、遠慮しなくていいから行ってきなよ。昨日、すっごく行きたがってたじゃないか」
 

 ダイの発言は、善意の塊だった。
 昨夜、チウがみんなの前でマァムに案内をねだった熱心さを見ていたダイは、彼のおねだりを実に素直に受け止めていた。

 が、チウにしてみれば、本気で行きたかったのは町なんかじゃない。『マァムと一緒』に、行きたかったのだ。
 マァム抜きで町見物に行くぐらいなら、一緒に稽古の方がずっといい。

「いや、ぼくは――」

 なおも言いつのろうとしたチウの肩に、ズゥンと重い手がのしかかる。

「気を使わずに、行ってくるといい。本当なら、同じ怪物仲間として稽古したいところだがな!」

 わっはっはと豪快に笑いつつそう言うクロコダインに、チウは今度こそ完全沈黙した。 見上げるような巨体のリザードマン。
 元魔王軍軍団長を務めていた根っからの武人である彼は、見た目の怖さと違っていたって気さくな性格であり、なかなか話せる人物だ。

 が、自分より強い生物に怯えを感じてしまう動物的本能を持ち合わせるチウにとっては、いささか苦手な相手でもある。ネズミとリザードマンの力の差を考えれば、当然の話だが。


「今日は遠慮しないで、のんびりパプニカ見物をしてきてね、チウ」

 とどめに笑顔のマァムにそう言われてしまっては、もうごねられない。

「じゃ、ポップ、よろしく頼むわね。面倒なことを頼んで悪いわね」

「いいさ、たいしたことじゃないし」

 マァムとポップが、いかにも通じ合っているようにそんな会話を交わしているのを、チウはすでに呆然として見ているばかりだった――。

 

 


「おい、チウ。さっきから何を拗ねてるんだよ? どこか見たい所があるんだったら、どこでも案内するぞ」

「おまえなんかに案内されたって、面白くもなんともないやいっ!」

 機嫌悪く、チウは言い返す。
 デートの計画が総崩れになったあげく、よりにもよってポップと一緒に出かけなくてはならないとは!
 はっきり言って、チウはポップが気に入らない。

 だいたい、初対面の時の印象が悪すぎた。
 チウにとって、ポップはいきなりマァムの胸に触るだなんて、とんでもない暴挙をしでかした変質者だ。
 その上、マァムと親しそうなのが、チウの神経を逆撫でてくれる。

(ホントに、マァムさんはなんだってこんな奴を!)

 実際に会う前から、マァムから話は聞いていた。
 一緒に旅をした仲間であり、同じアバンの使徒同士である勇者ダイと、魔法使いポップ。二人の話をする時のマァムは嬉しそうであり、チウとしてはちょっと妬けるぐらいだった。
 でもまあ――過去の男に嫉妬し女性を責めるような男は、男としての価値はないと、チウは思っている。

 だが、相手の男に対しても同様の寛大さを見せるには、チウはまだまだ子供だった。不機嫌や文句の矛先は、自然にポップに向けられる。

「だいたいおまえはなんで、稽古に参加しないんだ?!」

「魔法使いと戦士が、一緒に稽古できるわきゃないだろ? 足を引っ張るだけだって」

 ポップにしてみれば、それは当たり前の答えだ。
 戦士同士ならば、剣を交えての稽古で得るものは大きいだろう。
 だが、魔法使いにとっての戦いとは、相手の攻撃を受ける前に自分の術を放てるかどうかに尽きる。

 敵の攻撃をどう受けるか考えるなど、最初から想定する必要すらない。魔法使いのやわな防御力で敵の攻撃を受ければ、それは死を意味するのだから。
 それを知っているからこそ、ポップはみんなとの稽古に参加する気はなかった。

 参加すれば、護身術レベルの格闘訓練しか受けていないポップに合わせてくれるとは分かっている。
 が、それではポップにとってはプラスになっても、他のみんなの足を引っ張るだけだ。
 かといって本気で行えば、それは仲間内で殺しあいを演じるだけである。


 それよりは、戦士は戦士同士で訓練し、魔法使いは別行動を取った方が効率がいい。
 が、半端な武術をかじっている程度のチウにとっては、ポップのその意見は単に弱気な発言としか受け取れなかった。

(やっぱり、こいつって未熟者だな……!)

 内心呆れ果てているチウの思いに気づきもせず、ポップはのんびりと足を進める。

「ま、せっかくだから、港でも見に行くか?」

 

 


「ほー、なかなか立派じゃないか」

 不機嫌さいっぱいだったチウだが、物珍しい光景を目の当たりするとそれも薄れる。ロモスの山奥育ちで、国から国の移動はポップの瞬間移動呪文で来たチウにとって、港を見るのは初めてだった。

 以前の賑やかさとは比べ物にならないとはいえ、復興されたばかりのパプニカ港には活気があった。
 外国からの船も来ているようだし、荷運びに行き交う人々の数も多く、さらにはその人々を対象にした露店もいくつか並んでいる。

 忙しさに追われる彼らは、魔法使いの少年に怪物という珍妙な取り合わせの二人組にほとんど気を使わない。
 が、それはポップの読み通りだった。

 昨日、マァムにチウの案内を頼まれた時、ポップは内心、少し面倒だなとは思った。別にチウを案内するのが、嫌なわけじゃない。問題なのは、怪物を嫌う人間が少なからずいるという事実だ。

 まあ、それを責めるのは酷というものだろう。
 実際に大半の怪物が凶暴化して人間を襲っている日常の中で、怪物を恐れるなと言う方が無茶な話だ。

 いきなり町中に連れ出していけば、他人から警戒されるような目を向けられる可能性がある。そう思ったからこそ、ポップは見物先に港を選んだ。
 適度に賑やかだし、出入りする人間が多い分、警戒心も薄い。

 さらに――チウは、ポップが思っていた以上に無神経な性格でもあるようだ。多少は向けられる嫌悪の目に、全く気づいた様子もない。

(ダイもこれくらい無神経になれりゃいいんだけどな……)

 自分が純粋な人間でないと知ってしまって以来、ダイが少しばかり悩んでいるのをポップは知っている。

 まあ、いくらなんでもチウのこの脳天気はどうかとは思うが――。
 そう考えていた時、嗄れた声で呼びかけられた。

「ポップ君! ポップ君じゃないか!!」

 足を止めると、年老いた兵士がポップに向かって手を大きく振っている。

「あれっ、じいさんか。なんでこんなとこに?」

 自称、パプニカ一の剣豪にして発明王、バダック。
 レオナ姫の小さい頃からの守役でもあるこの老人は、パプニカ王国に使える兵士の一人であり、主に雑用をせっせとこなしている働き者である。
 彼は何やら書類の束を手に、今ついたばかりの船の前にいた。

「何、今日は入船管理の仕事を任されたんじゃよ。ポップ君は散歩かの? おお、そっちのネズミ君は新入りさんだそうだな、よろしくの!」

 いたって気さくで人好きのする老人は、チウを差別したりはしない。
 が、外国からきたばかりの船から下りてくる人達は、大ネズミとは言え怪物の姿を見て、一瞬ぎょっとした顔を見せる。
 が、船から下りてくる人間の中からも、思いがけず呼びかける声が聞こえてきた。

「ああ、やっぱりポップ君だったのか! これは驚いた。こんな所で、君にまた会えるとは……」

 親しげに話しかけられ、ポップが戸惑ったのはほんの一瞬のことだった。

「あ、あんたはロモス王国の……っ! ネルソン船長だっけ?」

 以前、まだポップが瞬間移動呪文を覚える前に、ダイ達はロモス王国の好意で船で送ってもらった。その時に船を動かしていたのは、このネルソン船長だった。
 他の乗組員や乗客の顔までは覚えていなかったが、彼らの方はポップを忘れるはずもない。

 なにせ、彼は大勇者アバンの使徒の一人であり、勇者ダイとともに、ロモス王国の危機を二度までも救ってくれたのだから。
 わらわらと、群がって取り囲んだ。

「ポップさん、あの時はありとうございました! 勇者様はお元気ですか?」

「ロモス王も、とても感謝しておられましたよ。勇者ダイと魔法使いポップのおかげで、ロモス王国は救われたのですから!」

「我がパプニカ王国でも、ダイ君とポップ君は英雄じゃよ! それにポップ君は、パプニカに来てからあのマトリフ殿の弟子になって魔法を教わっておるんじゃ」

 ポップを口々に称賛するロモスからの旅人に、ちゃっかりとバダックまでもが便乗して褒めたたえるものだから、盛り上がりはいっそう大きなものになっていく。

「おお、あの世界一の魔法使いの?! さすがはポップ君ですな!」

 手放しに褒めたたえられ、持ち上げられる。
 ちょっと照れくさいものの、はっきり言ってそれは悪い気がするものじゃない。
 ……が、その場にいるのにまるっきり無視されているチウにしてみれば、面白いものではなかった。

 ポップばかりが褒められるのにムッとして、チウは話の途中だと言うのに彼の手首を掴んでズカズカと歩きだす。

 身体こそ小柄で、ついでに手足もごく短いとは言え、さすがは怪物の端くれだけあってチウは力だけは結構強い。掴まった上に引っ張られると、ポップは抵抗できずに引きずられてしまう。

「おいっ、いきなりなにすんだよっ?!」

「おまえ、パプニカを案内するって言っただろう? サボってないで、ちゃんと歩けよ」


 力づくで引っ張られた上に、このエラそうな言い方――これに腹を立てない程、ポップは寛大な性格じゃない。

「その言い方はなんだ?! マァムに頼まれたから優しくしてやってりゃ、つけあがりやがって!」

 腕を振り払って真っ向から文句をつけてくるポップと同じくらいに、チウもまた子供だった。

「なんだ、やる気か?! だいたいぼくは最初に会った時からおまえが気に入らなかったんだっ!」

 いきなりもめだした一人と一匹に、周囲の人達は唖然とするばかりで仲裁すらとっさにできない。
 と、その一瞬をついたように、チウの足下に火炎呪文が炸裂した。

「うわぁっちっ?!」

 突然燃えあがった炎に驚いたのは、チウだけじゃない。ポップにとってさえ、それは不意打ちだった。
 今の魔法は、ポップが放ったものではなかったのだから。

「チウッ?!」

 ケンカも忘れて思わず駆けよろうとしてしまったポップのすぐ後ろに、今度は風が吹き抜けた。
 真空魔法だ。

 威力はたいしたことはないものの、小麦袋を切り裂いたせいで、周囲は一気に雲に包まれた。

「うわっぷ、ゴホ…ッ」

「げほほっ、な、なんだっ?!」

 ポップやチウだけでなく、周囲の人間もまた一様にその雲の洗礼を受けた。視界を奪うだけでなく、いがらっぽく喉に絡みついて咳を誘う煙幕に対しては誰もが無力だ。
 しばらく咳き込んで目をこする程度のことしか、できない。
 と、ポップのすぐ後ろに大柄な人影が回り込む。

「さあっ、来るんだ、ポップ!」

「え?」

 急に名前を呼ばれ、びっくりしているポップの腕を、謎の人影が掴んで引っ張ろうとする。

「離せっ、なにすんだよっ?!」

 とりあえずそれを振りほどこうとするポップだが、人影は二人いた。

「騒ぐな、早くっ!」

 もう一人もまた、ポップを掴まえてどこかに連れて行こうとする。
 それに気づいたチウは、焦げた毛皮をさするのもやめて立ちあがった。欠陥は数あれど、見かけによらぬ正義感と勇気は、紛れもないチウの長所だ。

 いくらポップが気に入らないとはいえ、仲間と認めた相手の窮地を見捨てるような彼ではない。

「待てっ! 貴様らっ、その魔法使いを離せっ!」

 叫ぶなり、チウは思いっきり突進をかけた。
 石頭のチウの突進は、まともに当たれば大岩でも砕く。

 運良く相手にぶち当たれば、一撃必殺の武器となる。……まあ、運悪くポップに当たったとしても、そうなるだろうが。

 良かったのか悪かったのか、目が眩んだままのチウが突っ込んだのは、敵でもポップでもなく、山と積まれた荷物のど真ん中だった。

「うわっ、危ない…っ、早くしろよ、おいっ、なにグズグズしてんだっ?!」

「仕方ない……暴れてくれるなよ?」

 人影が焦ったようにそう会話し、一人がポップを無理やり担ぎあげるのが見えた。その拍子に、ポップは相手の顔を見たらしい。

「あっ、おまえは……んぐっ?!」

 驚きの声が途中で不自然に途切れ、ポップの抵抗がやんだ。
 それと同時に、二人組は素晴らしい速度で走り出した。ポップを担いだままなのに、その早いことときたら、とても兵士やバダックの追いつける速度じゃない。

 ましてや、荷物の山に埋もれてしまったチウは、スタートすら切れない有様だ。
 やがて、煙が薄れた後には……すでにポップも謎の二人組も、影も形も見えなかった――。
 
                                                   《続く》

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