『死神の誘惑 ー後編ー』 |
「ダイに……会える?」 強い意志の光はそのままだが、それを隠すかのように瞬きの回数が増える。 「……タダで、ってわけじゃなさそうだな」 「それはもちろん♪ ボランティアをする程、慈善精神に溢れた死神なんているわけないじゃないか」 ひとしきり笑った後、キルバーンはフッと真面目になってから言った。 「交換条件は――キミ自身だよ」 「…おれ?」 よほど意外だったのか、ポップはきょとんとして呟いた。 「なんで、おれなんかを……」 「さあ? 残念ながら、これってボクの望んだ取引じゃないからねえ。だけどボクのご主人様が、えらくキミにご関心がある様子なんだよ」 キルバーンが主人と呼ぶ存在を、ポップは知っている。 大魔王バーンと勢力を二分した古代種のドラゴンで、ダイの父バランに倒されて石となってなお、虎視眈々と地上を狙っている邪悪な存在。 バーンとの戦いの最中、その声だけは聞いたものの……ヴェルザーがなぜ自分に関心を持つのか、ポップには理解できない。 「でも、どっちにしろ、構わないんじゃない? どうせ、キミは勇者クンと再会できるなら、自分の命と引き換えにしてもいい覚悟でいるんだろ?」 「ああ……、その通りだな」 ダイに再会できるなら。 「取引を受け入れるつもりがあるなら、……そうだなあ、キミの手でアバンのしるしを差し出してもらおうかねえ」 キルバーンの指がまた動き、ポップの胸の中央辺りに止まる。 それは、アバンの使徒が常に身につけているものだ。 「……だったら、おれの上からどけよ。 このままじゃ差し出すも何も、動けやしないだろうが」 「おや、これは失礼」 人を食った一礼をすると、キルバーンはあっさりと身を起こすと同時に、ポップから手を離してくれた。 ベッドの真横に立ち、面白そうに自分を見下ろすキルバーンを見ながら、ポップは手に力を込めてベッドの上に起き上がる。 そして、両手を首の後ろに回して、普段は服の下に隠しているペンダントを引っ張りだす。 ぺンダントを外す際、名残を惜しむように、ポップは一度、アバンのしるしを手に握り込む。 持ち主の魂の色を映しだし、光り輝く奇跡の石。 「フフフ……珍しく素直だねえ、魔法使いクン」 キルバーンの掌の上に、輝聖石が落ちる。 「――――ッ?!」 それは、人間には何の影響もない光。 並の怪物レベルなら一瞬で浄化するその光だが、キルバーンの身体はそれに耐えた。 その隙を逃さず、追撃の閃熱呪文が襲いかかる。収束され、だがその分だけ効力と威力を増した魔法は、横殴りの雨のようにキルバーンに降り懸かった。 「失せろ、死神野郎! おまえの誘いなんざ、真っ平御免だ」 ダイに会いたい。 不安は、今もある。 自分や、ダイが目指したものがなんだったのか、忘れてしまう程に自分を見失いはしない。 「なんと、交渉決裂とはねえ。ちょっとショックだね、ご執心の勇者クンとの再会の機会を蹴るほどに、ボクって信用されてない?」 一度、壁に叩きつけられ、閃熱呪文の洗礼を浴びたとはいえ、キルバーンにはさしたるダメージも認められない。ゆらりと立ちあがって、くぐもった笑い声を立てる。 「いいや、その点だけは信頼してるよ。この取引に乗ったら、おまえはダイには会わせてくれるだろうさ」 アバンのしるしを握りしめたまま、ポップは身構えた。 「どーせ、すっげえ悪趣味極まりない状況で、おれとダイを引き合わせるつもりなんだろう? いまわの際で再会できたって、嬉しくも何ともないぜ。あ、それとも洗脳されて、敵対するとかもごめんだな」 それはそれで素敵だねえ、なんて嫌な相槌をうつ死神を無視して、ポップは両手から魔法力を放ちだす。 「それに、そうじゃなかったとしても……おれが敵に屈して、泣きついたなんて思われちゃ迷惑だ」 正反対の輝きを持つ火と氷のエネルギーが解け合い、一つの光へと変わった。 「いいか? 一度しか言わないから、耳の穴をかっぽじってよーく聞きやがれ! おれはな――」 光の矢を引き絞りながら、ポップは不敵にいい放つ。 「ダイに顔向けできなくなるような再会なんて、する気もねえんだよ!」 「なるほどね……それが、キミの決意というわけか」 キルバーンの身体が、ズブリと後ろの壁にめりこんだ。水面に沈み込むように、ずぶずぶと壁へと消えていくその姿を見て、ポップの目つきが一段と険しくなる。 「――その言葉、後悔しないといいねえ。フフッフ……じゃあネ、魔法使いクン。またの再会を楽しみにしてるよ♪」 最後まで残った仮面の部分が別れの言葉を告げ、そしてそれさえも消えていった。 「……逃げやがった、か」 完全に気配が消えてから、ポップは手に浮かんでいた魔法力を消し去った。そして、手を見て顔をしかめる。 「あーあ、火傷しちまったじゃねえか」 手袋も魔法衣も身につけないで、強力な呪文を唱えるのはかなりの無理がある。 今の体調や精神状態では制御に失敗して、自滅の可能性も少なからずあった。キルバーンがハッタリに引っかかって逃げてくれたのは、正直な話、有り難いぐらいだ。 (この部屋を台無しにでもしたら、姫さんに一生弱味握られるもんな〜) この部屋は、本来は王族を幽閉するための部屋……パプニカ城でもっとも強固な貴賓室を改造したものだ。 さらに言うのなら、この部屋の中にある本の大方は、パプニカ王国の禁書や重要古文書だ。 ポップが安静にするのと引き換えに、やっと貸してもらった貴重本ばかりだ。 (さて……この後始末、どうしようかな?) 相当騒いでしまったから、いつ、誰かが様子を見に来てもおかしくはない。 「ポップ?! 何があった?!」 真っ先に飛び込んできたのは、ヒュンケルだった。兵士か侍女が駆けつけてきたのならごまかしようもあるのだが、よりによって面倒な相手がきたものだ。 (どうしてこいつって、いつもいつも、来て欲しくない時に限って駆けつけてくるんだか)
「なんでもねえよ」 「…………」 無言のまま、ヒュンケルの目が壁の一角に向けられる。 これで何もないと言い張ったところで、ただでさえ高いとは言えないポップの信用度が水面下まで下がるだけだろう。 「ちょっと侵入者がいただけだけだ。もう追い払ったし、問題ないって」 「侵入者だと? どんな奴だ」 ヒュンケルの表情が険しくなるのが分かる。 「魔物だった。多分……あの暖炉から侵入してきたんだと思う」 ポップは見てはいなかったが、それは偶然にもキルバーンの出現位置でもあった。 「それで、おまえはなんともないのか?」 「あったり前だろ、誰に言ってんだよ? おれがそんじょそこらの魔物なんかに引けをとると思ってんの?」 「いや……そういう意味じゃない」 ヒュンケルが、物言いたげにじっとポップを見つめる。 「そっちだって大丈夫だ! 何回も言ったろ、こんなのただの微熱だって。それに、強い魔法なんか使っていない!」 両手を後ろに回し、自分で自分に回復魔法をかけてごまかそうとしたポップだが、ヒュンケルは素早くその手を掴んで引っ張りだす。 「いててっ、さわんなっ」 火傷を負った手と、凍傷じみた赤みを帯びた手をじっと見つめられて、ポップは観念したように息をつく。 「……本気じゃなかったって。途中でやめたから、身体には影響ない」 自分の言い訳がどこまで通用するのか、正直怪しい物だと思う。 「……まずは、姫に手当てをしてもらえ。話は、その後だ」
「ああ、ありがとな、姫さん」 あてがわれた部屋は、さっきまでいた部屋と遜色のない広さと、それを上回る豪華さがある。だがポップにとって肝心なのは、読みたいと望んだ本が運び込まれたという事実だ。
小さめの物とはいえ、中身がぎっしりと詰まった本棚をいとも軽々と運んできたのは、ラーハルトだった。 「読書もいいけど、あまり根を詰めないでね、ポップ君。あくまで、休養の合間ならって条件で貸してあげているんだから」 「分かってるって。だから、ここんとこずっとおとなしくしてたじゃないか。…んー、ラーハルト、もう少し頼みがあるから、ちょっとそこにいてくんない?」 無言のままで部屋を出ていこうとしたラーハルトを引き止めてから、ポップはレオナに話しかける。 「で、姫さん、悪いんだけど、破邪系の魔法の増幅元になるようなアイテムって、何かないかな?」 「そうね……宝物庫を探せば、なくはないでしょうけれど。でも、珍しいわね、君がそんなものを欲しがるなんて」 以前と違い、ポップはすでに破邪呪文を正式に習得している。 (だけど……あの野郎に狙われてるとなりゃ、用心にこしたこたぁねえからな) キルバーンの力を、ポップは決して軽んじていない。 「そりゃあ、のんびりと寝ているところを魔物に襲われるなんて目に、二度と会いたくないもんな。少しは用心もするさ」 ことさら軽い調子を装ってそう言うと、レオナは納得してくれる。 「それはなかなかいい心掛けね。いくらなんでもこんなことが続いたら、たまったものじゃないもの」 「おいおい、姫さん、そりゃないんじゃないの? 今回のは不可抗力ってやつでしょーに。おれだって、いい迷惑だったよ」 ここばかりは本心からの実感を込め、ポップはしみじみと呟いた。 「それもそうね。今回ばかり君のせいじゃないものね。……でも、調査のためには、正確な情報ってものが必要なんだけど?」 目をキラリと光らせ、レオナが意味ありげにポップを見つめる。その鋭さに、ポップは背筋に冷や汗が流れるのを止められなかった。 (……ほんっと、食えない姫さんだぜ…) 基本的に、ポップは正直にありのままを話した。侵入者に襲われかけたことも、予想以上に強敵だったことも。 しかし、ポップが何か隠し事をしているのは、この聡明な姫にはお見通しらしい。 「まあ、いいわ。君は今のところ病人なんだし、今回は大目に見てあげる。だから、もうしばらくおとなしくしていてよ?」 念を押すと、レオナはかろやかな足取りで去っていった。 「おい。貴様、用があるなら早く言え」 レオナが消えてしばらく経ってから、ラーハルトがいきなりそう言ってきた。 「あー、言うのは言うけど……姫さんには聞かれたくないんだよ」 さすがに小声で囁きながら、ポップはちらっとドアの方を見た。 「あの女の気配なら、もう近くにはない」 (あの女って……おい) 仮にも一国の王女をつかまえて、不遜にもほどがある。 「手を貸してくれないか、ラーハルト」 いきなり切り出したポップに、ラーハルトは驚いた様子も見せなかった。 「……貴様からそう頼まれるのは、二度目だな。また、命をくれとでも言うつもりか?」 「――場合になっては、そうなるかもな。嫌か?」 強気に言っては見たものの、内心は冷や汗ものだった。 「ダイ様のため、か?」 「ああ…、そうだ」 迷わず、ポップは頷いた。 「詳しく話せ」 「おれの護衛を頼みたいんだ」 真っ先にそう言ってから、ポップは補足説明を付け加える。 「今じゃない。三ヶ月後……ベンガーナ王国への留学が終わってからだ。調べたい遺跡が幾つかあるんだ。それに、手を貸して欲しい」 その言葉をどう受け止めたのか、ラーハルトは表情一つ動かさなかった。元々、ヒュンケル以上に鉄扉面な男だ、心の内など全く読み取れない。 「よかろう。時間を空けておく」 抑揚もない、そっけない返事。 ラーハルトは嘘やごまかしなぞを口にする男ではないと、確信している。 「ありがとな。ヒュンケルには……いや、他の誰にも、このことは言わないでくれよ」 ついでとばかりに押しつけた約束に、ラーハルトは珍しく眉をしかめて見せる。が、それでも彼は頷いた。 「……承知した」
ラーハルトもいなくなってから、ポップはベッドの上に身を投げ出すように横になった。 さっきまでバタバタ続きで忘れかけていたが、今になってから気怠さや熱っぽさが蘇ってくる。 今にも眠りたいぐらい身体は疲れを訴えているし、今は休んだ方がいいと判断もしている。 仲間に隠し事をしているというわずかな罪悪感があるが、それを上回る高揚感がある。 ついに、手掛かりを得た。 あのキルバーンの言葉からのヒントというのが癪だが、この際、それぐらいは目をつぶってもいい。 「ダイ……生きててくれよ」 祈る思いで、ポップは呟く。 犠牲も厭わず、なりふりかまず、ダイ以外には一切目もくれずに行動することで開ける道を。 仲間をも切り捨て、全てを滅ぼしても切り開く道。 手遅れになる危険を承知の上で、胸を切り裂く思いで自ら選びとったこの選択が、間違いだったと後悔などしたくはない。 なぜなら、ポップは知っている。 隷属の道も、選びはしない。 ダイの笑顔を、曇らせたくない。 太陽のように曇りがない、あの笑顔をポップは今でも思い浮かべられる。 そのために、ポップは一つの道を選んだ。 全力を尽くし、仲間達の助けを借りた上で、やっと到達できるかどうかも危うい、細い道。 それが、ポップの選んだ道だ。 「待ってろよ、ダイ……」 小さく呟いて、ポップは目を閉じた――。 《後書き》
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