『白銀の夜明け ー前編ー』

  
 

「ポップ、ポップ! 大変だよ! 目を覚ましてくれよっ!」

 夜明け前。
 眠りが一番深い時間に、ポップを叩き起こしたのはその声だった。

「ポップ、ポップ、起きてよ! 起きて!」

 切迫した声は、ダイのものだ。
 呼びかけるだけじゃまだ足りないとばかりに、ゆさゆさと揺さぶられては寝起きの悪いポップも起きざるを得ない。

「な……なんだよ、ダイ? いったい、何が起こったってんだよ……まだ、夜も明けてないじゃないか?」

 眠い目をこすりながら文句をつけるが、ダイはポップの不機嫌さにも構わないで、ベッドの上に飛び乗ってきて強引に引き起こす。

「それどころじゃないんだって! 大変なんだ……っ! 空から、変なものが降ってきているんだっ!」

「変なもの……!? なんだよ、それ」

 やっと、ポップの目が見開かれた。

「分かんない、初めて見るものなんだ! それも、一個や二個じゃなくって、すっごく沢山……っ! もしかしたら、敵の魔法攻撃かなにかかもしれない……!」

 そうとまで聞かされては、さすがに寝ぼけてばかりもいられない。
 ダイは確かに強い。
 伝説の竜の騎士の血を引いているだけ合って、まさに人間離れした強さを持っている。
 それに怪物島育ちのせいで、怪物の種類や特徴にも詳しいが――ダイときたら魔法関連には疎い。

 とても魔法使いになるべく育てられたとは思えない程の魔法音痴っぷりは、一流の家庭教師を自称するアバンにさえ匙を投げられた程だ。
 そのせいで魔法に関するチェックや判断は、勇者一行ではポップが担っている。

「ダイ、それはどこなんだ?」

 聞くと、ダイは窓を大きく開けてポップの手を掴んで引っ張る。

「こっちだよ、早くっ!!」






 一瞬の思考の空白。
 そして、ポップの目に映る景色もまた、どこまでも白かった――。

「どうしよう、ポップ!? ちょっと見ない間に景色まで、変わっちゃって……、ど、どうしよう、他のみんなも呼んでこようか?」

 戸惑ってうろたえるダイを、見つめるポップの目までも白くなる。

「……おい、ダイ。これのどこらへんが大変なんだよ……っ!?」

 聞く声が周囲の空気と同じように冷たくなるのも、無理もない。
 なにせ、謎の敵襲どころか……空から降ってくるのはただの雪。

 うっすらと積もった淡雪の上に、うっかりと素足のままで下り立ってしまったポップは、機嫌と一緒に体感温度も急転直下していた。
 しかし、これが一大事とまだ信じているダイは、どこまでも真剣そのものだ。

「だって! 空からこんなに沢山、ヒャドみたいな変なのが降ってるんだよ!? すっごく大変じゃないかっ!?」

「あのな〜っ、これは氷系魔法なんかじゃねえっ! ただの雪だっ!!」

「ゆ……き?」

 初めて聞く単語のように、ダイはきょとんとした顔で聞き返す。
 と、その顔を見て、ポップも初めて悟る。

「……ああ、そういや、おまえって南の島しか知らないんだもんなー、雪って見るの初めてか。じゃあ、……しょうがねえか、間違えても」

 空からひらひらと降ってくる白い雪をポップは手で受け止め、もう片方の手から魔法の光を放つ。

「これは氷系呪文なんかとは、根本的に違うんだよ。ほら、よく見てみろ」

 右手で受け止めた雪はふんわりとした形のまま、すぐ手の熱で溶けてしまう。
 が、左手から生み出された氷系呪文から生み出されたのは雪ではなく氷であり、なかなか溶けない。

「魔法で生み出した氷だったら、こんなに簡単には溶けないって。これはただの自然現象……、冬にだけ降る物なんだよ」

 ポップの説明に、ダイは目をまんまるくして首を傾げる。

「自然……現象って……、スコールとか大津波みたいなの?」

「その物騒なたとえはどうかと思うけど、まあ、おんなじようなもんだな。うんと寒い日は、雨が凍りついて雪に変わってしまうんだ。本当は冬の寒い時期にしか降らないものだけど……、今日はやけに冷えるもんなぁ」

 寒さにブルッと身震いしながら、ポップは空を見あげた。
 まだ空けていない空に、無数の白い雪が舞っているのが見える。
 温暖な気候を誇るパプニカでは、これはごく珍しい光景だった。

 ダイはもちろんポップも知るはずもないが、まだ秋の半ばを過ぎたばかりなのに初雪が降るだなんて、数年振りの珍事だ。

「じゃあ……これって、怪物の攻撃かなんかじゃないんだ。よかったー、おれ、もしかしてでっかいスライムつむりがこっそり集団でやってきて、氷系呪文使ってんのかって、心配しちゃったよ」

「――もしそれが本当だったら、おれは逃げるぞ、んな気持ち悪いスライムつむりからなんか」

 想像するのも嫌な絵面をついうっかり思い浮かべてしまい、ポップはげんなりして少しだけ宙に浮く。

 裸足に雪だと、いくらなんでも冷たすぎる。
 早くもジンジンとしびれだした足先をさすりながら、ポップはダイを呼んだ。

「ほら、危険なものじゃないって分かったら、もう気が済んだろ? だったら、もう部屋に戻ろうぜ、風邪引いちまうぞ」

 ポップと同じように、ダイもパジャマに素足という格好のままだ。
 が、ポップと違って、ダイは初めて見る雪に対する物珍しさが勝るのか、素足の冷たさなどどうでもいいようだった。
 うっすらと積もった雪の上を、裸足のままで歩いている。

「わあっ、すごいや。砂よりくっきりと足跡がつく! 見てみなよ、ポップ!」

「見てみろじゃねえだろっ!? この寒いっつーのに神経ないのか、おまえはっ!? んな真似してると、シモヤケになるぞっ」

 ポップが止めても、ダイは『真っ白な雪の上に、初めての足跡をつける』喜びに開眼してしまった。
 もはや歩くのももどかしいとばかりに、声を上げて走り回っている。

 子犬そこのけに雪の中を走りまくるダイは、それだけじゃまだ足りないとばかりに、ポップの側まで戻ってきて誘いをかける。

「そんなとこで浮かんでないで、ポップも遊ぼうよ。この雪っていうの、なんか面白いよー」

「な……っ!? なんだって夜明け前に、雪遊びなんかしなきゃいけないんだよっ!!」

「だって、危険な物じゃないって、ポップ、言ったじゃないか」

「危険じゃなくても、寒いんだよっ! 冗談じゃないっ、おれはごめんだっつーのっ!」
 飛翔呪文で飛びあがろうとするポップだが、付き合いの長いダイにはその行動はお見通しだった。
 ひょいっと抱きついてきて、タイミングとバランスを崩す。

 微妙なバランスが重要な飛翔呪文は、いきなり邪魔されると結構モロい。
 飛ぶのに失敗したポップは、ギャーギャーと騒ぎ立てだした。

「うわっ、冷たっ、雪触った手で触るなって! マジで、風邪引くって、絶対! せめて靴と服ーっ!!」

 騒ぐポップの頭の上に、ポコンポコンと愉快な音を立てて雪とは違う何が降ってきた。 雪の上に落ちたのは、ポップとダイの靴。
 それに、頭の上にかぶさってきた布は――ポップの服だ。

「ピピピッ? ピッピッ!」

 見上げれば、ダイの服をくわえたゴメちゃんが得意そうに鳴いている。

「ほら、ゴメちゃんも遊ぼうって言ってるよ。服も持ってきてくれたし」

 期待に目をきらきらと輝かせている一人と一匹を前にして――ポップは、諦めまじりに溜め息をついた。

「……しゃーないな、分かったよ。でも、ちょっとだけだからな」






「雪遊びの基本って言ったら、まずは雪合戦だろ、やっぱ」

 そう言いながら、ポップは植え込みの上から雪をすくいあげ、きゅっと団子のようににぎりこむ。

 パジャマの上から無理やり服を着込み、靴を履いたおかげで、寒さはかなり我慢できるようになった。
 幸いにもポップの服には手袋がついているから、雪の冷たさも多少は緩和してくれる。
「で、こーやって丸い玉を作ったら……」

「うんっ、それで?」

「思いっきり相手にぶっつける」

「うわぁっ!? 冷たっ、何すんだよ、ポップッ!?」

 とさっと軽い音と同時に、ダイの顔の真ん中に雪玉が炸裂する。
 不意打ちを食らって、びっくりして跳ね回るダイを見て、ポップは声を立てて笑った。
「何って、こーゆー遊びなんだって。雪の降る地方の子供なら誰でもやるぜ、こんなの。二手に分かれて、どっちかが降参するまで雪玉をぶつけ合うんだ。ただし、投げるのは雪だけが正式ルール。石や泥を中に仕込むのは禁止! ……ま、建て前はな」

「うん、分かった! じゃあ、おれとポップで投げ合うんだね?」

「そーゆーこと。じゃ、お互いに10歩離れたら、合戦スタートでいいな?」

「ピッピッピーッ!」

 抗議するように、ゴメちゃんが鳴く。

「ん、なんだ、ゴメもやりたいのか? じゃあ、おまえはダイと組めよ」

「え? 二対一でいいの?」

「構わないさ、だっておまえらは雪なんて初めて見る初心者だろ? おれはガキの頃から今まで何十回も雪合戦してるんだぜ、そんぐらいハンデ、ハンデ」

 余裕たっぷりに笑うポップを見て、ダイも嬉しそうに宣戦布告する。

「言ったなぁ! じゃあ、こっちだって手加減しないぞ。行こう、ゴメちゃん」

「ピピッ!」

 気合いの入ったゴメちゃんの鳴き声に答えるように、ダイはさっそく雪をつかんで玉を作ろうとする。
 が、ポップと違って、手袋無しのダイはちょっともたついた。

 そのスキを突いて、ポップは何個かの玉を連続で投げてくる。
 たちまち、ダイの髪が真っ白になった。

「うわっ、冷たっ」

「ははっ、どーした、どーした、ダイ。もう降参かよ?」

「誰がっ!」

 やっと作った雪玉を、ダイは勢いよく投げつける。
 コントロールは確かだったが、ポップは身軽にそれを避けてしまった。
 不器用な上に真面目なダイがようやく一つ雪玉を作る間に、ポップはさっと握り込んだ程度の軽い雪玉を3、4個作って放り投げてくる。

 正直、玉のコントロール能力はダイの方が上だ。
 が、なまじ正確に自分を狙ってくると分かっているからこそ、ポップはそれを確実に避けてしまう。

 逆に、ポップのあまり正確でないコントロールで投げられる雪玉は、ひょろっと飛んでくるせいもあって避けにくい。
 ひどいのは空中でばらけてしまって、飛沫がかかる始末だ。

「うっぷっ、冷たっ、目と背中に雪入ったぁっ」

「ほらほら、ダイ、そろそろ降参時じゃねえのか?」

 からかうポップの笑い声に向かって、ダイは当てずっぽうに雪玉を放り投げた。

「なーんだ、下手くそ。どこ投げてんだよ……うわっ!?」

 どさっと雪の落ちる音と同時に、ポップの声があがる。
 やっと目を開けて見れば、ポップが頭っから雪をかぶって、せっせと降りおとしているところだった。

 その頭上では、雪が落ちたばかりの木の枝が揺れているのが見える。
 どうやら、ダイが投げた雪玉が偶然木の枝に当たって、そこから落ちた雪がポップを直撃したらしい。
 ここがチャンスとばかりに、ダイは雪玉を手に笑った。

「それっ、それっ!」

 連続で投げた雪玉は、再び木の枝を直撃して大量の雪を降らす。
 頭上からの波状攻撃には、さすがのポップも避けにくいのか、全部は避けられない。

「あっ、てめっ、今度は狙ってやってるなっ!? ズリいぞっ」

「ズルくないよっ、だって、これって反則じゃないだろ?」

 確かにダイの言う通り、間接的に雪を落としての攻撃が反則なんてルールはない。……というより、設定したって意味がない。

 なぜなら、普通の子供の力じゃ雪玉を木の枝にぶつけて雪を落とすなんて、できっこないのだから。
 ほとんど氷玉になるぐらいに圧縮した玉を、ここぞという場所に強い力で当てない限り、そんなのは不可能だ。

 だが、ダイにとってはひょいひょいと避けてしまうポップを狙うよりも、動かない木を狙う方がたやすい。
 一際大きな枝を狙うと、大量の雪がポップの頭上に降りかかった。

 それを食らえば、全身雪まみれになるのは確実だ。
 ダイが勝ちを確信した瞬間、ポップが手を上に突きあげて叫んだ。

「メラミッ!」

 吹きあがる炎は、雪をあっさりと溶かして直撃を躱してしまう。
 と、呆気に取られているダイの顔に、すかさず雪玉が飛んできた。それを払いのけているスキに、ポップは木の下から離れてしまった。

「はい、残念♪ もう、反則攻撃はきかねーぜ?」

「ポップこそズルいじゃないかっ! 魔法なんか使って! 道理でさっきからやけに玉を投げてくるの早いと思ってたら……!」

 火炎呪文で雪を溶かしてしまうのも相当にズルいが、ポップが使った魔法はそれだけじゃない。

 ダイは今こそ見た――ポップが、雪に一指も触れないままで雪玉を放り投げてくるところを。

 どうやら魔法力を上手く制御して、雪玉の柔らかさを持つ氷系呪文を使っていたらしい。 ダイ以上に反則な行為だ。

「あ、とうとうバレた? いやー、こーゆー時は魔法使いになってよかったって思うよ♪ いや〜、惜しい、村にいる時もこの技が使えれば、雪合戦じゃ無敵だったんだけどなぁ〜」

 悪びれもなく笑うポップの真上に、ふよふよと飛ぶのは金色のスライム。
 自分の倍以上の大きさの雪の塊を頭の上に乗せたゴメちゃんは、ポップのすぐ頭上までやってくると高らかな声で鳴いた。

「ピピピッ!」

「うわぁっ、冷た痛っ!?」

 思いがけない奇襲攻撃は、見事に効いた。頭っから雪をかぶったポップに、ダイは雪を手に突進していく。

「ゴメちゃん、その調子、もっとぶつけちゃえっ!」

「ピピッ!」

「わわっ、冷たいっ、それ、マジ冷たいって、分かった、分かった、降参――っ!」


                                                       《続く》
  

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