『白銀の夜明け ー後編ー』

  
 

「あー、盛りあがったな、面白かった」

 負けたくせに満足そうにそう言って雪の上に寝っ転がったポップを見て、ダイもそれに習った。

 転がった一瞬だけはひやっとしたが、運動と興奮のせいで暑くなった身体には、むしろ雪の感触が心地好く感じる。

「うん、ホントに面白かったー。雪遊びって楽しいんだね」

 声を弾ませて、ダイは空を見上げる。
 こんなに楽しい遊びなんて、初めてだ。

 この気分をもたらしてくれた雪を見ていると、それだけでなんだか嬉しくなってくる。
 が、隣にいるポップは事も無げに言う。

「こんなの、雪遊びの初歩だって。他にもまだまだ、面白い雪遊びはあるぜー? 雪の上をソリで滑ったり、雪だるまを作ったりとかだな、雪で小さな家を作って中で遊んだりとかさ。雪合戦だって、二人でやるよりももっと大勢でやった方が盛りあがるしよ」

「へえ……、そんなにあるんだ。ポップ、よく知っているんだね」

 ポップはいつも、ダイの知らないこと、新しいこと、面白いことを教えてくれる。
 それはいつだって、ダイにとっては嬉しい驚きと喜びを与えてくれるものだ。

「へへっ、まあな。おれの故郷のランカークスは山間の村だからさ、毎年冬になると決まって雪が降るんだ。でも、こんな風に雪遊びをしたのは、おれも久しぶりだなあ」

 降る雪を見上げて、ポップは少しだけ遠い目をする。
 去年と一昨年の冬は――ポップは、故郷にはいなかった。

 アバンと一緒に旅をしていたポップは、冬には決まってあまり雪の降らない地方にいた。 思えばそれは、旅慣れていない弟子を気遣った先生の思いやりだったのだろう。
 それだけに、二年を飛び越して味わう雪は鮮烈な印象だった。

「あれ……? 雪、止まっちゃったよ?」

 空をじっと見ていたダイの方が、先に気がついた。
 さっきまで降っていた雪は、いつのまにかぴたりとやんでいた。

「ああ、初雪なんてこんなもんだって。さ、そろそろ戻って着替えようぜ。じゃないと、今度こそ本当に風邪引いちまうぜ」

 寝転んだ瞬間こそは気持ちよかったものの、時間が経つにつれて雪の冷たさが濡れた服に染み通ってくる。
 ポップが起きあがると、ダイもそれに続く。

「うん、もっと遊びたいけど、それはまた明日でもいいよね」

「無理言うなよ、ダイ。これっくらいの雪、太陽が昇ったらすぐに溶けちゃうって」

「え……?」

 ショックを受けたように、ダイは周囲を見回した。
 最初に見た時の一面の雪景色とはかけ離れてしまった、足跡で踏み荒らされ、泥まみれになった雪の残骸を。

「これ……、溶けちゃうの?」

「雪は溶けるもんなんだよ。ほら、身体に触っただけで溶けるだろ? たまに降って、すぐになくなっちゃうから、雪遊びってのは楽しくって、印象に残るんだよ」

「なくなっちゃう……んだ……」

 雪を見るのも初めてなら、触るのも初めて。
 そして、雪が儚く消える悲しさを味わうのも、ダイにとっては初めてだった。
 沈んだ表情で雪を見るダイの肩で、ゴメちゃんもまた、悲しそうに周囲を見回している。

「ダイ、もう行こうぜ」

 声をかけても、ダイは動かない。
 寂しそうに雪を見ているダイを見て――ポップは今度もまた、小さく溜め息をついた。

「ほんっと、しょうがない奴だな。……言っておくけど、成功するって保証はないぜ?」
「?」

 その言葉をダイが不思議に思うより早く、ポップは呪文の準備に入った。
 軽く目を閉じ、両手を握り込んで意識を集中させる。

「……天空に散らばるあまたの精霊よ……、我が声に耳を傾けたまえ……」

 呪文と同時に、ポップの身体に輝きが宿りだす。
 その光が充分に高まった瞬間、ポップは両手を天に伸ばして叫んだ。

「ラナリオン!」

 天気・気象を操る、天候系呪文の中ではもっとも初歩的な、雨雲を呼ぶ呪文。
 高レベルの魔法使いにしか使えない呪文を、今のポップはたやすく使っていた。
 ポップから放たれた光の柱は一直線へと空へ伸び、天に吸い込まれていく。

 その途端、明るみはじめた空に雷雲が呼びよせられた。
 重く立ち込められた雲が集まり、そこからちらほらと雨が降り落ちるが――それは、すぐに雪に変わった。

「わぁ……っ!!」

「ピピーッ!」

 白い雪がまた降り始めたのを見て、ダイとゴメちゃんは喜んで手を伸ばす。
 さっきの雪よりもちょっと粒が大きめの雪は、さっきまで以上の早さで風景を変えていく。

 踏み荒らされた雪原が再び白さを取り戻し、広げた手の中に落ちてくる無数の雪の感触に、ダイは底抜けの笑顔を見せる。

「すごい、すごいや、ポップ! また、雪が降ってきたよ!」

「ピッピ、ピーッ!!」

 白く降り積もる雪の中、ダイとゴメちゃんははしゃいで飛び跳ね続ける。
 だが、どんなに雪を踏み荒らしても、降ってくる大粒の雪がすぐに埋めてくれるので安心して遊んでいられる。
 季節外れの雪はこんこんと降り続け、そして――。






「……なるほどね〜。雪を初めて見る南の島育ちの少年のために、天からのプレゼントだなんて――実にロマンチックでいい話だわね、ポップ君」

 ぱちぱちと心地好い音を立てて、暖炉が燃えている部屋の中で。
 温かいココアの香りの立つカップを手にしたまま、にこにこと微笑みつつ、レオナ姫は頷く。
 その満面の笑顔には一点のくもりも無く、声音はどこまでも優しかった。

「そ……そうかなー。そういい話でもないと、おれは思うんだけど……」

 同じく暖炉の前にいるポップの返事は、どことなく歯切れが悪い。
 ついでいうのなら、ポップも暖かい湯気の出るカップを手にしているが、その色合いも香りもココアとはかけ離れていた。

「いやね、謙遜なんかしちゃって。あら? それよりポップ君、せっかく用意したのにそれは飲まないの? 冷えた身体が暖まるわよ?」

「いや……飲めって言われても……」

 ポップの手にしているコップの中身は、……言うなれば、腐った沼色とでも言おうか。ぷーんと鼻を突く臭いは嫌な感じに青臭く、口にする勇気と気力を奪う代物だ。

「おれもできれば、姫さんみたいにココアの方がいいかなー、なんて」

 恐る恐る申し入れるポップに、レオナは自分のココアを飲み干しながら答える。

「あら、こんなただのココアなんかよりも、大魔道士マトリフが直々に調合したその風邪薬の方が、ずっと効き目があるのよ? 先代の王の時代に、マトリフ師が作っておいてくださった物で、有事のためのとっておいた貴重な一服なの。でも、勇者一行の魔法使いたる君のためなら、惜しくはないわ。残さずに飲んでね、ポップ君」

「う……、やっぱ、これ、師匠の薬かよ〜?」

 げんなりとした表情で、ポップはカップを恨めしそうに見つめる。
 先の宮廷魔道士であり、伝説的な魔法使いでもあるマトリフは確かに有名人であり、彼を尊敬する者は多いだろう。

 が、直に会って、弟子になったポップからしてみれば、マトリフは手の届かない場所にいる大魔道士ではなく、スケベでとびっきり厳しい師匠である。

 彼が作る薬も効き目があるのは承知しているが、口にした途端、くらっと目まいがするほどにまずい代物だ。
 生きるか死ぬかの重症ならばまだしも、鼻風邪程度で飲みたい代物では決してない。

 だが、それ以上断る勇気もなく、ポップは嫌々ながらも薬がたっぷりと煎じられたカップに口をつけた。

「ま……まづい……」

 思わず漏れるポップの言葉を聞かないふりをして、レオナは朗らかに話を続ける。

「それにしても、さすがは魔法使いだわ……ほんとに魔法よね、これって。まだ秋も半ばなのに雪を降らすだなんて――朝起きた時は目を疑っちゃったもの」

 くすくすっと笑い、レオナは窓辺の方へと歩みよる。
 少しでも暖炉から離れると猛烈な寒さが忍びよってくるのだが、彼女は固い足音を立てつつ窓際に寄った。

 昼間だというのに分厚いカーテンが閉められた窓の前に立つと、レオナは勢いをつけてそれを開く。

「フ……ッ、これだものねえ。ほーんと、びっくりしちゃったわよ、朝は」

 窓の外に見えるは、ガラスを破らんばかりの勢いで横殴りに叩きつけられる猛吹雪。
 外が見えないどころか、うかつに外に出たら遭難しかねない雪の降りっぷりである。

「まさか、これがポップ君がやってくれただなんて……思いもしなかったわよ」

 笑顔や口調とは裏腹に、パプニカ王女がポップに向ける視線は外の猛吹雪よりも冷たく、鋭いものだった。

 毛布にくるまって暖炉にすがりついているポップは、鼻水を啜りつつ言い訳を試みてはみた。

「あ、いや……その……お、おれも悪気でやったんじゃないし、まさかこんなことになるなんて、思いもしなかったんだけどさァ……」

 ラナリオンは、よく効いた。
 というか、効き過ぎた。
 呼びよせた雨雲は予想よりも大きく、その上強い勢力を持ったものだったらしい。

「悪気がなかったで済まされると思ってんの? いい? 君のおかげでね、パプニカ城周辺だけ局地的猛吹雪が発生してんのよ? 世界会議の準備も滞りまくりだし、この寒さで城中、もう大パニックよ! いったいどう責任をとってくれるの、ポップ君?」

「わ、悪かったとは思ってるって! でも、おれは雨雲は呼べるけど、それを払う方法なんて知らないんだよーっ」

 天候呪文は習得も難しく使用方法も限られる魔法なせいで、そうそう伝えられる呪文じゃない。
 ポップも、以前に戦いのために必要だったラナリオンだけは覚えたが、それ以上の天候呪文は勉強すらしていない。

「じゃあ、自力で雪かきでもしてもらおうかしら? 雪国育ちなら得意でしょ?」

 どこまで本気なのかスコップを手に脅しつけてくるレオナに、ポップは本気で怯えて辞退する。

「い、いや、ランカークスは雪国ってほどじゃないから! それに、こんな風邪引いた状態で雪かきなんかしたら、死ぬって、死んじゃう、今度こそ!」

 冷たい雪の中でびしょ濡れになるまでさんざん遊び回っていたのだから、風邪を引くのもある意味当然である。

 まあ、風邪といっても今のポップは鼻風邪程度のようだから、そこまで大袈裟に騒ぐほどのものでもないのだが。

「レオナぁ、ポップばっかり責めなくても……おれも悪いんだよ。ごめん。おれが雪見たいって言ったから…………って、あれ? 言ってなかった気もするけど?」

 横からダイがフォローしようとするが、正直者のせいで上手くいかない。

「こらっ、ダイッ、言うならもう少しまともに言い訳してくれよっ!」

「だって、手と足が痒くってムズムズすんだもんっ。言い訳なんか考えらんないよっ」

「あ、掻いちゃダメよ、もっとひどくなるから」

「ダイ君、ほら次はこっちよ。さあ」

 エイミとマリンが用意した熱いお湯と冷たい水の入った桶に、ダイは半べそになりながら交互に手と足を突っ込んでいる。
 昔ながらの、しもやけの治療方法だ。

 ポップと違ってダイは風邪こそ引かなかったが、雪の中、素手と素足で走り回ったせいでひどいしもやけになってしまったのだ。
 ついでにいうのならゴメちゃんもしもやけなのか、ピーピー鳴きながらダイと一緒に治療を受けている。

 勇者一行の主力たる勇者と魔法使いのこのていたらくに、パプニカ王女は深々と溜め息をついて頭を抱え込んだ。

「まあまあ、姫様。二人とも反省しているようですし……それに充分に罰を受けているようなものですし、ここら辺で許してあげてはどうですか」

 三賢者のリーダーアポロの執り成しに、レオナは肩を竦めた。

「……まあ、仕方がないわね。でも、もう二度とこんなのは御免ですからね、二人とも! それと、風邪としもやけが治るまで、絶対に雪遊びなんかしちゃダメよ!!」

「はぁーい……」

 ダイとポップが二人揃って返事をするのを聞いて、レオナはそれ以上文句を言うのをやめて立ちあがった。

 思わぬ雪のせいで余計な手間が増えた分、執り行わねば成らない政務が増えてしまい、レオナは忙しいのだ。
 いつまでも、悪戯二人組に構ってもいられない。

「じゃあ、エイミとマリンは二人の手当てをお願いね。アポロは雪かきの手筈を調えて。雪が弱まり次第、門までの道までだけでも作らなきゃ。私は執務室に行くから」
 てきぱきと指示を残し、レオナは部屋を出て行った――。






「まったく……ほんっと、子供なんだから……」

 回廊を歩きながら、一人、そう呟いてしまうのは――少し悔しいからだ。
 レオナが雪に気づいたのは、夜明けの少し前だった。
 温暖なパプニカでは、雪は毎年必ず降るというものではない。

 2、3年に一度、少しばかり降るだけだし、積もるなんてのはそれこそ数年に一度あるかないかの珍しいものだ。

 だからこそ季節外れの初雪を見て、レオナの心は躍った。
 彼女が真っ先に思ったのは、ダイのことだった。
 南の島育ちのダイは、雪なんて見たこともないだろう。

 見せてあげたらどんなに驚いて、そして喜ぶだろうか――。
 そう思いながら夜明けを待つのは、楽しかった。
 だが――ダイは、待ってなんかくれなかった。

 初めて見た雪に驚いたダイは真っ先にしたのは、ポップを叩き起こすことだった。
 はしゃぎながら楽しく雪遊びする二人の声を聞いて、レオナは少なからず悔しい気持ちと、ちょっとした嫉妬を感じてしまったものだ。

 その気持ちのせいで、ポップには少しばかり八つ当たりをしてしまったが――まあ、それぐらいは勘弁してもらいたい。パプニカのお姫様を差し置いて、勇者を独り占めした罰と言うものだろう。

「ホント……もう少し大人になって欲しいんだけどな」

 雪を見ながらそうぼやいた後、レオナは気持ちを切り替えて歩きだした――。

 
                                                     END



《後書き》
 これは長らく北方支部に置いておいた話の一つ。その内移動させようと思っていたんだけど、どうも季節外れで(笑)
 お話的には、13巻の113話『最強剣はどこだ…?!』の直前あたりの話。ただ、ダイの話は四季不明だし、ここまで盛大に雪を降らせていいものかどーか、疑問なんですが(笑)
 
 

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