『レストア 1』

  
 

 そこは、一面に真っ白な世界だった。
 眩いぐらいに輝く白い雲が足元を埋め尽くし、頭上の雲の切れ間からは光の柱が幾本も降り注ぐ。

 宗教画を思わせる神々しい光景でありながら、既視感(デジャ・ヴー)を抱かせる不思議な光景。

 初めてのはずなのに、この世ではありえない光景のはずなのに、なぜか懐かしさを感じさせる……そんな場所だ。
 不思議なまでの清涼感に満ちた場所に、一人、ぽつんと佇んでいる少年がいた。

 緑色の旅人の服を着た、14、5歳ほどの魔法使い――ポップだった。
 きょろきょろと辺りを見回した揚げ句……ポップはげんなりした表情で呟いた。

「……あー、また、ここかよ?」

 彼にとっては、ここは初めて来る場所じゃない。
 前にも一度、来たことがある。
 自己犠牲呪文を唱えて――死んだ時に。

 現実の世界と、あの世との境目の場所。
 漠然とだが、ポップはそう解釈していた。

(……また、死んだのかな、おれ?)

 首を傾げながら、ポップは記憶を辿ろうとする。
 突然、人間を攻めてきた魔王軍との戦い……ポップにとっては最初はそれは、巻き込まれただけの災難に過ぎなかった。

 だからこそ、最初の内はただただ逃げ回ることしか考えられなかった。
 だが、身近な、そして大切な人達が恐れずに魔王軍と戦う姿を見て……いつからかポップは逃げなくなった。

 逃げたくない、大切な人を守りたいという想いから始まったポップの戦いは――最終的には、魔界の神にならんとしていた大魔王バーンとの決戦にまで参加する戦いに繋がった。
 自分にとっては親友であり、人間にとっては最後の希望でもある勇者ダイと一緒に、ポップは最後まで戦った。
 そして、ダイは苦闘の末に、ついにバーンを倒した。

 仲間達は勝利を、そしてなによりも全員の生還を、手を取り合って喜んだ。
 だが、魔王バーンの配下、キルバーン――彼が仕掛けた最後の罠が残されていた。
 地上で爆破させるわけにはいかない危険な超爆弾を仲間から遠ざけるために、ダイとポップは同時に爆弾を抱え、飛翔呪文で空高くへと飛び上がった。

 あのままだったら確実に、ポップはダイと一緒に爆発に巻き込まれ、死んでいただろう。 だが、最後の最後で、ダイがポップを蹴り落とした。自分だけで爆弾を抱えて、飛んでいってしまった。

 そして――。
 最後の瞬間、ポップが見たのは全てを真っ白に染めあげた、大爆発の光だった。そこで、意識がぷっつりととぎれてしまっている。

(……やっぱり、おれ…死んだのかな?)

 ぺたぺたと自分の身体を触って確かめるが、今一つ分からない。だいたいバーン戦との際にボロボロに破れた服もいつの間にか元に戻っているし、怪我だらけだったはずの身体も別になんともない。

 だが、それは現実でのポップの無事を証明しているわけではない。
 この場所では、痛みや苦しさを感じないのは、前にも経験済みだった。

 記憶を辿ったところで、自分の状況はつかめない。
 しかし、それ以上に気になるのは、ダイの無事だった。

「……ダイ…! ダイ…どこだよ?!」

 呼びかける声が無意識に小さくなるのは、返事が返るのを恐れているからだ。もし、ダイもここにいるのなら、それは彼の死亡を意味している。
 だが――ポップの呼び掛けに、ダイは答えなかった。

 しんと静まり返る雲の上で、ポップはどうしていいやら途方に暮れるばかりだ。
 どこにいけばいいのか、さっぱり分からない。
 前にきた時は、動く気がなくても足が勝手に動いていた。

 一方向に向かって進むポップを、止めてくれたのはゴメちゃんだった。
 世界に一匹しかいない、珍獣ゴールデンメタルスライム。勇者ダイの小さい頃からの友達で、ポップにとっても長い間一緒にいた仲間だった。

 その正体は『神の涙』と呼ばれる古代より伝わるアイテムだったが、それが分かったところで気持ちは変わらない。元々ポップは、相手が魔物であろうと差別はしない主義だ。別に相手が無生物であっても、構わない。
 仲間は、仲間だ。

「ゴメーッ、いるかーっ?! いるなら、返事してくれ!」

 万に一つの望みをこめての呼び掛けにも、やはり返事はなかった。
 バーンの手によって砕かれたゴメちゃんは、元の『神の涙』となって霧散していった。 だが、それは死と同じ意味ではない。

 雨が、形を変えても何度となく再び地上に降り注ぐように、『神の涙』も決して消えはしない。
 霧散しても必ず再生し、地上に舞い降りる。

 手にした者に奇跡をもたらす心を持つ道具として、再び再生できるのだ。だが、再生するまでには長い時間がかかるし、『ゴメちゃん』として再生するわけではない。

 自分の正体を忘れていながら、自覚もせずに小さな望みを叶えてくれ続けた小さなスライム……その存在が消えてしまったのだと、こんな形で思い知るのはやはり、辛い。
 静かな、白い世界。

 不思議なスライムの助けも、何の当てもないまま、ポップはゆっくりと歩き出した。
 どこにも見当たらない、親友の姿を探して――。

 

 


「ん?」

 きょとんとして、ポップは立ち止まった。誰かに、名を呼ばれた気がしたのだ。

(…気の……せいかな?)

 ここでは、時間の感覚がない。
 体の痛みもない場所では、空腹や疲れすら感じない。足元もおぼつかない不思議な空間では、すべてが稀薄な印象になっていく。

 だから、最初は単に空耳だと思った。時折、自分を呼ぶ声が聞こえても、ポップはそれに応じなかった。声の聞こえてくる方向とダイがいそうだと思える方向が、全く逆の方角だったから。

 ちょっと立ち止まって耳は傾けるが……結局、ポップはダイを探して、また歩き出すのが常だった。
 しかし、今、聞こえた声は、ポップを強く揺さぶった。

『…ップ…! ポップ……ッ!!』

 悲痛に、ポップの名を呼ぶ泣き声。その声に、聞き覚えがあった。

(……マァムの声だ…!)

 どんな時でも、聞き間違えるはずがない。
 勝ち気な男勝りに見えて、心の奥に深い慈愛を持つ少女。
 本気で心惹かれ、生まれて初めて恋した少女の声を、聞き間違えるわけがない。

(………マァム)

 一瞬、迷いがあった。
 このままダイを探したいと思ったが、マァムが泣いていたのが気掛かりだった。ポップが見たいのは、好きな女の子の笑顔だ。泣き顔など、見たくない。

(あいつ、気が強そうに見えて、結構涙脆いからな…)

 マァムの声のする方へ、ポップは進んでいった――。

 

 


「…………」

 目を開けようとすると、やたらと眩しく感じた。何度も瞬きを繰り返しながら、ポップは目を開ける。

「…マァム…泣いてんのか……?」

 声が、ひどく出しにくい。

「…ポ…ップ?」

 驚いたように自分を見つめる、泣き顔の少女が見えた。
 回りを見渡そうとして、身体もまったくと言っていいほど動かないのに気付いた。ひどく身体が重く、だるい。それでも目だけを動かして、ポップは回りを探る。

 ベッドに横たわった自分を取り囲むように、見慣れた人々が雁首を並べていた。
 マァムを初めとして、ヒュンケル、レオナ、アバンなど戦いを共にした仲間達に、フローラやメルルのように地上から援護係を勤めてくれた人達。

 そればかりか、戦いには参加しなかったはずの師匠マトリフの姿さえある。
 誰も彼もが一様に、驚いた表情でポップを見ている。
 だが、それらの人々の中に、探していた親友の顔はなかった。

「……ダイ…は?」

 その質問に、返事は返らない。
 よりいっそう涙をこぼし出したマァムを、ポップはなんとか慰めたいと思う。

「そっか…。でも、ダイ…は、大丈夫…だ、きっと」

 ほんのわずかばかりだが、ポップには確信があった。
 ダイは生きている。
 なぜなら――あの生死の境の世界で、ポップはダイを見かけなかったのだから。

「おれなんかでも生きてるんだ…ダイが死ぬわけねえよ。…あいつは、生きている。絶対だ」

 やけに心配そうにしている連中を少しでも慰めたい一心で、ポップは言った。
 みんなを、とりわけマァムを、励ましたい一心で。

「だから…泣くなよ、マァム。……おれがきっと、ダイを探してみせるから…」

 そう言ったものの、込み上げてくる強い眠気には抗えない。小さく欠伸をし、ポップは再び目を閉じた。

「……でも、今は勘弁な。…マジで眠いや…も少し…寝かせて……」

 最後まで言い終わらないうちに、ポップの力は尽きた。再び、引きずり込まれるように寝入ってしまった――。

 

 


「うっそだろー? おれが4日……じゃなくって5日も眠ったままだったのかよ?」

 とても信じられないとばかりに目をぱちくりさせながら、ポップは周りを見回した。だが、皆して自分をかついでいるという雰囲気は全く無い。自分を見る目に、心配そうなものが混じっているのが、なによりの証拠だ。

 この眼差しには、覚えがある。
 一度、自己犠牲呪文で死にかけた時に、目覚めた後はこんな目に囲まれたものだ。
 だが、あの時と違い、ポップは別に大怪我を負った自覚はない。

「嘘じゃねえ。おまえはな、昏睡状態のまま4日もずっと眠っていたんだよ。まったくなかなか目覚めないで気を揉ませたあげく、やっと起きてもまた寝入りやがって……」

 いつも以上の仏頂面で、師匠のマトリフが言ってのける。
 周囲にいる者も、全てが同意するように頷いていた。

「……昏睡状態、ねえ…」

 今一つ実感できない調子で、ポップは呟く。
 自分が何度か昏睡に陥った経験があるのは、知っている。目覚めた後でそう聞かされた経験はあったが、実はポップは他人が昏睡状態に陥ったところを一度も見たことがない。


 勇者一行の中で、昏睡状態になる程魔法力が高いのはポップだけなのだから。
 ダイやマァムの口から、昏睡状態が傍目からはひどく具合が悪いように見えるとは聞いたが、まさか自分自身の寝顔を確かめるわけにもいかない。

 寝ているポップの主観からすれば、昏睡状態は普段の眠りと何の変わりもないし、起きた後で皆が妙にホッとした様子を見せるのがいつもと少し違うぐらいだ。
 だが、確かに言われてみれば、今度の目覚めはいつもと勝手が違っている。

「……まぁ、そう言われてみればやけに腹も減ってるし、フラフラするし……なんか、変な感じだけどさ」

「当然だ、この馬鹿め。おまえはほぼ危篤状態だったんだよ、棺桶の支度でもして墓穴を掘ろうかって相談をしてたぐらいだ」

「えー、ひでえなあ! なんだよ、それ?!」

 ポップとマトリフのやり取りに、周囲がドッと笑う。
 心配を長く続けていた心が、安らぎとして笑いを求めているのだが、そこまではポップには分からない。むくれるポップを診察したマトリフは、満足げに頷いた。

「……ま、もう大丈夫なようだな。微熱は出ているが、これぐらいなら問題ない。軽い風邪と同じだ、しばらく暖かくして安静にしていればよくなる。ああ、すまねえが、絶食状態が続いたから2、3日は消化のいい食事を用意してやってくれねえか」

「はい、そのように手配します」

 補給や援護係りの責任者である三賢者の一人、エイミは即座に頷いた。有能で仕事の早い彼女が早速実行しようと部屋を出ていきかけるのを、メルルは慌てて追った。

「あ、私にもお手伝いさせてください」

 ポップに恋をしている占い師の少女は、彼のためにできることを常に探している。
 料理や裁縫な得意な彼女にとって、ポップのために養生食を作るのは簡単なことだし、そうできるのがこの上なく嬉しい。
 彼女が出ていったのを潮に、パプニカ王女レオナは立ち上がって軽く手を叩く。

「さあ、皆、ポップ君はもう大丈夫だって分かったことだし、皆もそろそろ休んだ方がいいわ。休息すべき時には、身体を休めるのも大切なんだから」

 人に指示を出すことに長けた王族ならではのカリスマ性を持って、レオナは病室にいる皆を各々の部屋に戻そうとする。それでも皆、まだ多少のためらいを持っているようだったが、真っ先に立ち上がったのはマトリフ師だった。

「まったくだな。この馬鹿のおかげで年甲斐もなくずいぶんと徹夜させられちまったぜ。おう、アバン、薬作りはてめえにまかせらあ。オレはお先に休ませてもらうぜ」

 彼に続き、アバンもまた立ち上がる。

「ではポップ……、薬を煎じたらまたきますから、それまでおとなしくしていてくださいよ。もう、無茶はしないでくださいね」

 優しくポップの頭を撫で、アバンもまた席を部屋を出ていった。今までポップから片時も離れなかった、治療役の二人が席を外した意味は大きかった。

 ほとんどの者はそれで安心したのか素直に姫の指示に従ったが、立ち去り難い様子でその場に残っている者も数名いた。
 特に武闘家の少女は、まだ心配そうな表情でベッドの近くに佇んでいた。

 マァムだ。
 埃にまみれ傷だらけのままの姿は見ていて痛々しいぐらいだが、彼女自身は自分の姿など気にもしていない。

「ポップ……本当に、大丈夫なの?」

 ベッドの柵に背を持たれて半身を起こしたまま、ポップは改めて部屋の中を見回した。 今、ここにいるのはマァムにヒュンケル、そしてレオナ……ポップにとっては最も気心の知れた仲間ばかりだ。
 彼等を一通り見回すと、ポップはいたって気楽な調子で言った。

「あ、もう全然へーき、へーき。……つーか、おれよりもおまえらの方こそ、平気かよ? 特に、マァム…なんか、すっごい格好だけど。せめて、顔ぐらい洗った方がいーんじゃないの? 一応、おまえだって女の子の端くれなんだからさー」

 心配していると言うよりも、むしろからかっているような口調。
 その軽さにホッとしながら、マァムもまたポップに合わせて軽く言い返す。

「もう、ポップったら……! 目が覚めた途端、いきなりそうなんだから」

「まあ、いいじゃない、マァム。これで安心でしょう? 少し休んだ方がいいわよ、ポップ君はもう放っておいて」

「あ、姫さん、冷たいなぁ」

 と、拗ねて見せながらも、ポップもその意見には賛成した。

「でも、ま、マジな話、マァムだけじゃなくってヒュンケルや姫さんも休んだ方がいいんじゃないの? おれなら大丈夫だよ、おとなしくしてるからさ。少なくとも、しばらくは。先生や師匠にあんなに念を押されたもんなー」

 その言葉が、仲間達にとって決定的な後押しになったようだ。ホッとしたせいで気が抜けたのか、少々足元が心許無いマァムをヒュンケルが軽く支えながら部屋をでる。
 レオナもそれに続こうとしたが、出ていき間際、彼女はポップを振り返った。

「そうだ、ポップ君。何か聞きたいこととか、ある? あるなら、今聞くわよ。これからあたし、しばらく忙しくなるからお見舞いに来られいかもしれないし」

「ふーん、そうなんだ。何かと大変なんだな、姫さんってのも」

 感心したように言いながら、ポップは軽くレオナに向かって手を振ってみせた。

「ま、それなら見舞いとか気を使わなくったっていいぜ。別におれ、聞きたいことなんかないし」

「……ないの?」

 物言いたげな瞳が、一瞬、ポップを見つめる。
 さっきまで人が大勢いただけに、残ったのが二人だけになった部屋は急に静まり返ったように見える。その部屋で、ポップの声だけがやけに大きく響いて聞こえた。

「ああ、ないって。――じゃ、姫さんもあんまり無理しないように頑張ってくれよ」
                                                       《続く》
 

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