『レストア 2』

  
 

 夜明け前――。
 マァムは怒りに身を震わせながら、小さく呟いた。

「ポップったら……っ! 許せないわ……!」

 彼女の静かな怒りを、誰も咎めない。むしろその怒りに同調する口調で、マトリフもまた、苦々しく口を開いた。

「同感だな、あのクソガキめ…っ、何が『もう無茶をしたりしない』だ。いつまで経っても達者なのは口先ばっかりじゃねえか」

「本当よね……失敗をしたわ。うかつに彼を、信用したりするんじゃなかったわ……! 今まで何度も、騙されたのに…っ!」

 レオナの言葉にも、誰も異を唱えない。
 怒りも露に佇む彼等の前には、からっぽになったベッドがあった。

 毛布の下にパジャマや枕を突っ込んで、一見、いかにも人が寝ているように見える小細工をとっているところがまた腹立たしい。
 ここは、パプニカ城の中でも最上の客室の一つ。

 ポップの目覚めを機に、一行は北の砦を引き払った。勇者一行に協力した多くの戦士は、実は各国からの有志を募っての複合軍だ。

 戦いに一段落がついた以上、彼等が母国に帰りたいと望むのも当然だし、勇者捜索や世界各国との連携も各々の母国にいた方がやりやすいと判断したからである。

 フローラは母国カール王国に戻ったが、アバンやマトリフも含めた勇者一行らは、各自の母国ではなく拠点であるパプニカ城へと移動した。

 勇者ダイ捜索のために熱心に行動する勇者一行だが、まだ体調が完全ではないポップは休んでいた方がいいというのが大魔道士マトリフの診断だった。
 師の言いつけにポップがやけに素直に従ったと思ったら――この有様である。

 夜中にたまたま水を飲みに起きたマァムが、通り掛かりにポップの部屋を除きこんだのが発覚のきっかけだった。もう大丈夫だと太鼓判を押されても、一度強い不安にさらされてしまうとそれを払拭するのは難しい。

 ポップがまた具合が悪くなってないかと、つい様子を伺ったら……夜中に姿が見えなくなっていたのだから、マァムが肝を潰すのも無理はない。
 まだ夜明け前だというのに、仲間を呼び集めてしまったというわけである。

「ま、まあ、ポップも悪気でやっているわけではないのでしょうから……。ほら、みんなに心配をかけたくないと思って、こっそり、ちょっと散歩に出かけたかっただけなのかもしれませんし」

 アバンがなんとか執り成そうかとするものの、その試みはあまり成功したようには見えなかった。
 黙って立っていたヒュンケルが、ずかずかとベッドに近寄りシーツに手で触れる。

「……冷めきっている。出かけたのは、一時間や二時間前じゃないな」

 その見立てが確かなだけに、心根の優しいアバンですらフォローしきれない。

「まったく、信じられないわよ! ずっと死にかけていて……やっと、ちゃんと目が覚めたのは、ほんの4日前なのよ?! ポップ君って、ホントに無茶ばっかりするんだから!」


 怒るレオナやマァムの傍らで、マトリフが苦虫を噛み潰した顔で文句を垂れ流す。

「だいたいアバン、おまえが甘やかしすぎるから、ポップが図に乗るんじゃねえのか? もっと、ビシッと厳しく躾けたらどうなんだ?」

「いや、そう言われましても、ポップはやりたいことがあるなら、人の言うことを素直に聞く子じゃないですからねえ。だいたい、私の言葉に従順に従うような子だったら、あの子は最初から弟子入りなんかしてませんよ」

 実際のところ、ポップを弟子入りさせたのは本来アバンの意思ではなかった。
 ポップの方がアバンを見込んで、是非弟子にしてくれと頼み込んできたのだ。
 当時、ポップはアバンの正体も知らなかった。

 ただの通りすがりの旅人にすぎない他人についてきた無茶な少年を、アバンは当初、説得して家に帰そうとした。
 が――結局、アバンはポップを弟子として育てることになったのだから、この師弟の勝負の勝敗は明らかだろう。

 白々と夜が明けてくる中、揉めまくっている勇者一行の前で、窓にかかっていた厚いカーテンが揺れた。と、そのカーテンをかきわけてひょいと部屋に入ってきた少年は、そのまんまの姿勢で固まった。

「え? な、なんで?」

 びっくりしたように目をきょとんと見開くポップに、全員の視線が一気に集まった!

「何をやってやがるんだ、このばかったれ!」

「ポップ、どこに行ってたのよ!」

「いい度胸じゃないの、ポップ君!」

 重なる怒声に、ポップは思わず回れ右して逃げ出そうとする。――が、がっちりとした手が、ポップの腕をしっかと掴まえた。

「どこに行く気だ、ポップ。きちんと、説明してもらおうか」

 ヒュンケルの冷たい声音に、ポップは顔を引きつらせながらも観念したように身を竦めた――。

 

 


「だからぁー…、『しばらく』休んだら体の調子もよくなったし、ちょっとだけダイ探しを手伝おうかなって思って、少しばかり外に出てただけだよ」

 ベッドの上に座り込み言い訳をするポップを、一行は極めて冷たい眼差しで見ながら、取り囲んでいた。

「あーら、そう? 危篤回復からたった4日という時間が『しばらく』なのかしら? ……まったく、せっかくポップ君を信用して、ゆっくりと休めるようにと、看病人をつけずに一人にさせてあげたのに……! それをいいことに、こっそり夜中に抜け出していただなんてねえ」

 皮肉たっぷりなレオナの言葉に、ポップは居心地悪そうにますます小さくなるばかりだ。


「そういえば、ポップ……その服どうしたの?」

「あ、これ?」

 マァムの指摘を受け、ポップは自分の着ている服を軽く指でつまむ。
 簡素な布でできた長袖のシャツにズボン、それにベストを羽織っただけの村人風の服。ポップには少々大きいのかダボっとした感じだが、目立って不自然という程の物でもない。


「これ、親父の若い頃の服なんだよ。着替えがないからさ、家にこっそり忍び込んでとってきた」

 外出を責められたわけではないだけに気楽に説明できるのか、ポップはすらすらと答えたが、それを聞いたマァムは頭を抱え込んだ。

「…………それじゃ、泥棒じゃない」

「あ、人聞きが悪いな。自分の家の物を持ち出したからって、泥棒とは言えないじゃんかよー」

 ポップにしても、いくら実家とはいえこっそり服を盗み出すのは不本意だった。
 最初はせめて前の自分の服を持ってこようとしたポップだが、成長したせいで小さくなっていたため、着れるのがこれしかなかったのだから仕方がない。

「だってしょーがないだろ、城じゃ着替えは頼んでも用意してくんなかったしさ。親父らに事情を話すと長くなるし」

「……確かに、着替えについては家族内の問題だな。別にオレ達が口を出すことじゃない」
 

 クールに、ヒュンケルが流したのを聞き、意外そうに目を見張る。

(へー、ヒュンケルの奴がおれの味方になってくれるなんて、珍しいな)

 正義感が強く真面目なマァムの追及から逃れられ、一瞬ほっとしたポップに、ヒュンケルはどこまでもクールに言葉を続けた。

「問題は、着替えを『いつ』取りにいったか、だ。今日、初めて抜け出したのなら、パジャマがここにあるわけがあるまい」

「げっ?!」

 さらに鋭い点を突っ込まれ、ポップの顔色が露骨に変わる。

(やっぱ、感謝したりするんじゃなかった……!)

「そういえば……! ポップ、いつから抜け出していたのよっ?! 今日が初めてじゃないんでしょう?!」

 マァムに詰め寄られ、ポップは仕方なく口を割った。

「え、えっと…昨日……」

「本当なの、ポップ? 正直に答えて」

「……」

「ポップ……! 答えて!」

 恋した相手に真っ正面から問い詰められて、素知らぬ顔でシラを切り通すにはポップはあまりに純情だった。

「…………分かったよ、言うよ! ……パプニカに来た日の夜からだよ」

「それじゃあ、3日前からじゃねえか! 意識が戻った翌日からさっそく抜け出すたぁ、まったく呆れたもんだぜ」

 マトリフが唸るように言ったかと思うと、レオナもこれみよがしに大きな溜め息をついてみせる。

「……やれやれ、ね。考えが甘かったわ。着替えがなきゃ諦めておとなしくしてるかと思ったのに」

「あーっ、やっぱり着替えがこないのは姫さんの差し金だったのかよっ?! それのどこが、おれを信用した態度だって言うんだっ?!」

 逆にレオナに食ってかかるポップのすぐ背後で、迫力のある声が響き渡る。

「ほぉー……。実際にこっそりと夜遊びするような奴を、信用しない方が悪いっていうのか? あぁん?」

 外見はやせ衰えたじいさんとはいえ、角の全くとれていない鋭い眼光は迫力満点である。手から魔法力の光をにじませ、マトリフは愛弟子の首根っこを摘み上げて脅しつけた。

「道理でここ2、3日、昼間は寝てばっかりいると思ったぜ! おとなしく寝ていられねーようなら、魔法を封じて牢屋に閉じ込めてくれてやってもいいんだぜ、ええっ?!」

「あ、いや、それはちょっと……そこまでされるとさすがに、抜け出すのが大変そうだし……」

「まっったく反省もしていないようだな、てめーはっ! この後に及んでまだ、抜け出す気満々じゃねーかっ?!」

 ――揉めまくること、この上ない。

「……あいつら、つくづくチームワークがなっちゃいねえよなぁ。おい、あれ、放っておいていいのかよ?」

 呆れ果てた口調で、独り言のようにそうボヤいたのはヒムだった。
 騒ぎを聞きつけてやってきたものの、あまりの揉めっぷりに口を挟めず、廊下で立ち止まったままなのは彼だけじゃない。

 ラーハルトと、クロコダインもそうだ。もっとも、驚きや呆れの隠せないヒムと残り二人は違った。
 特に、リザードマンであるクロコダインの顔には、笑みが浮かんでいる。

 爬虫類族は一般に無表情に近いものであり、感情の起伏が分かりにくいものだが、今のクロコダインの表情は他種族からもはっきりと笑顔と分かるものだった。

「なぁに、放っておいて問題はあるまい。ポップが回復したのが嬉しくて、ちょっとはしゃいでいるだけにすぎん」

 元は魔王軍の軍団長とはいえ、クロコダインと勇者一行との付き合いは長い。それだけに、その口調には説得力があった。
 それに、半分は人間であるラーハルトも、今の一行の騒ぎを深刻に受け止めていない。


 微笑ましい見せ物でも眺めているように、余裕たっぷりだ。
 一行との付き合いがまだ浅い上、感情を持ち始めてから間がないヒムにしてみれば、今の揉め様が仲間内のコミュニケーションとは、少々納得し難いものがあるのだが。

「ふぅん……そーいうものかねえ?」

 人間への理解が深い二人の魔族が羨ましいような気持ちで、ヒムは小さく呟いた――。

 

 

 

「はぁー、おれって信用ないよな、いまだに」

「なによ、ポップが悪いんじゃない! 一人で勝手に無茶ばっかりするんだもの、当然よ」

 翌朝。
 ポップとマァムは、二人そろってパプニカ城の中庭に向かっていた。二人の手は、しっかりと握られている。

 一見、微笑ましい若い恋人同士と見える光景だが、よく見ると手を掴んでいるのは主にマァムだ。それも軽く手を繋ぐ、というよりも、救助隊が要救助者の腕をしっかりと掴んでいるような、本格的な握り方である。

 マァムがそうしているのは、理由がある。
 軽く手を繋いだ程度では、ポップが瞬間移動呪文を発動させた際、降り払われる可能性があるからだ。

 昨日、さんざん揉めまくった後、一同はとりあえずポップの具合が良くなったのを認めた。そうだとすれば、瞬間移動呪文が使え、ダイがどこに移動しながら旅をしてきたのか、誰よりも一番良く知っているポップを捜索隊に加えない手はない。

 だが――ポップ一人で捜索させるのは不安だというのも、これまた全員一致の意見だった。

 ポップ自身は完全に良くなったと言い張るものの、日頃の行いが行いだけに信頼度が薄まるのも無理はない。
 ポップが死線を危うく彷徨っていた姿は、いまだに皆の印象に深いのだから。

 結果、ポップは毎回、誰かと組んで行動するのが義務づけられた。
 本人は嫌がってごねたが、それが嫌なら牢屋行きと言われては選択の余地はない。
 そして、最初に組むことになったのがマァムだった。

 ポップが勝手に逃げ出さないような相手が最初に選ばれるあたりが、彼への信頼性の無さと言うべきか。
 実際、口で文句を言うほど、ポップはこの監視を嫌がってはいない。

 どんな意味であれ、恋している少女と手を繋げるのは嬉しくないはずはない。
 ポップは自分からも、マァムの手を強めに握り返しながら言った。

「ん。じゃあ、今からルーラすっから、しっかり掴まってろよ」

 

 


「ここって……、魔の森?」

 マァムの生れ故郷でもある、魔の森。
 ポップに言わせると、この森はダイにとっても思い出深い場所のはずだと言う。

「デルムリン島を旅立って、おれとダイはロモスへ行くつもりだった。だけど、おれはロモスには行ったことはないし、ダイの奴ときたらキメラに乗って一度行っただけなんだから、まともにつけるわけないよな。そーゆー意味で、ここ、思い出深いんだよ。……なんせ、丸三日間は迷いまくったもんなー」

「……それ、いい思い出とは言えないんじゃないの?」

 それなのにわざわざここにくる意味があるのか疑いつつも、周囲を見回すマァムの目は郷愁の色合いに満ちる。
 ラインリバー大陸でも一番の危険域とされる、無数の怪物が棲まう魔の森。

 そんな不吉な地であれ、マァムにとっては生れ育った懐かしい故郷には違いない。魔王軍との戦いが始まって以来、マァムは一度も故郷には帰らなかった。

 故郷の村からやや離れた場所にある山奥に修行しにきた経験もあるが、その時でさえマァムは意図的に村への里帰りを拒んだ。瞬間移動呪文を使えるポップの協力があればいつでも里帰りは可能だったのだが、マァムは一度もそれを実行しなかった。

 平和になるまで村に帰らないという、自分で立てた誓いを律義に守り通していたからだ。 だが、世界にもう、平和は戻った。

 ダイが行方不明の間は、後ろめたくて家に帰りたいとは言い出せなかったが……こうして村のすぐ側まできたのなら、その誓いに拘泥する必要があるのかと迷いが生まれ出す。


「ネイル村……一応、行ってみるか? ダイもあの村でしばらく寝泊まりしたし、また来るって約束もした所だったしな」

 絶好とも言える口実を前に、マァムはためらいながらも頷いた。

「え、ええ……そうね」

 もしかしたら、ダイがいるかもしれない。
 その期待以上にマァムの足を速めさせるのは、やはり母親や村への思慕だった。
 父親ロカを早く亡くした後、マァムの母レイラは女で一つで娘を育て上げた。

 それだけに、マァムは母とは親密な親子関係だった。また、先代勇者一行の戦士だった父の血を引いたマァムは、男手の少ない過疎の村で、怪物を倒して村人を守るのが役目だった。

 ダイやポップと旅立つ時でさえ、村を放っておくのが心配でなかなか旅立てなかったぐらいだ。
 今まで抑えていたとはいえ、その想いは昔となんら変わりがない。

 弾む足取りで進むマァムに対し、ポップは大汗をかくはめになった。元々、マァムほどこの森に精通していない上に体力に欠けるポップには、森の中を歩き回るのは向いていない。
 だが、嬉しそうなマァムの顔を見ていると、ポップは文句を言う気にすらならない。

(やっぱり、ここに来てよかったや)

 正直言えば、ポップはここにダイがいると思って、来たわけじゃない。むしろ、夜中にこっそり行った三日間の探索の間に、思い当たる場所はすでに探し尽くしたといってもいい。

 この先の作業は、『万が一』や『もしかしたら』を求めての、期待度の薄い捜索作業になる。どうせダイがいる当てが少ない箇所を探すのであれば、マァムが喜ぶ場所に行きたい……それがポップの狙いだった。
 里帰りを遅らせてまで頑張るマァムを故郷に連れて帰りたいという気持ちもあり、ここを選んだのだ。
 その狙いは正しかった。

 正しすぎて、走る足がとても追いつかないほどだ。もっとゆっくりと歩いてくれと懇願したくなる気持ちを抑えつつ、ポップはちらっと疑問も感じる。

(……でも、変だな。この森、こんなに静かだったっけ?)

 ポップの知ってる知識の範囲では、魔の森は常に怪物の喧騒や気配の絶えない場所だった。
 まあ、魔王が死亡すると同時に、知能の低い怪物は魔王の思念波の支配から解放されるので、怪物は本来の穏やかな性質を取り戻す。

 普通の野生動物程度の危険度まで、低下しているはずだ。それを思えば、怪物と出くわさないのをさして気にする必要はないのかもしれない。
 何より、走るマァムに気を取られ、ポップはふと浮かんだその疑問をたやすく忘れてしまった――。

 

 


「マァム?! マァムじゃないか、帰ってきてくれたのか!」

「よかった、マァムおねえちゃん!」

 懐かしい、故郷。
 マァムの帰郷を、心から喜ぶ村人達。
 久々に戻ってきた故郷を前にして、マァムは絶句して立ちすくむ。
 だが、それは感きわまった上での沈黙ではない。

「な…っ…どうして? 何があったの?!」

 村人の半数以上は、怪我人だった。
 それもかすり傷どころか、骨折以上の重傷者が少なくない。マァムによく懐いていた幼い少女でさえ、顔にどすぐろいアザをいくつもこしらえていた。

 村の家並にも、明らかな変化があった。
 火事にでもあったのか、半焼している家や焼け焦げている家がやけに多い。
 以前の平和な村とは打って変わった姿に、マァムばかりではなくポップでさえ驚く。

「いったい、これは……? 魔王軍の攻撃でも、受けたのかよ?」

「おお、ポップ君か……、久し振りじゃな。そうじゃないんじゃよ。いっそ、その方がましだったかもしれんが、のう」

 村一番の知恵者であり、唯一の呪文の使い手でもある長老がゆっくりと首を振り、二人に事情を説明してくれた――。
                                                            《続く》
 

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