『レストア 9』 |
「……と、報告は以上です」 「分かったわ、ありがとう。もう下がっていいわよ、マリン」 緊急の報告書を手にパプニカ王女の寝所に訪れたマリンに、レオナはいたって鷹揚にそう返答した。 「姫様、まだおやすみになられないのですか? 明日は戦後初の世界会議が開かれますし、もう休まれた方がよろしいのでは?」 すでに、夜も更けている。 だが、レオナはまだ着替えもせず、自室にある簡易机に向かって書類を広げているところだった。 「もうすぐ、休むわよ。この書類を、ちょっと見終わったら寝るわ」 「そうですか……。では、あまりご無理はなさらないでくださいね」 そう挨拶を残し、マリンは去っていく。 欠けているのに、明るい月夜だった。 (……これは、ちょっとすごいわよね) 今、レオナが見ているのは、ポップがまとめたダイ捜索用資料だ。 だが、予想に反して――というべきか、予想以上というべきか。 慣れていないせいで書類としての形式はやや型破りではあるが、少しコツを飲み込めばポップは間違いなく管理者としての才能も発揮するだろう。 視点の広さや客観的な思考は、幼い頃からみっちりと帝王学を学んできたレオナにも匹敵する。 信じられないと思う反面、納得できるのはポップに教えを授けた師の存在があるせいだろう。 優れた頭脳を持つポップに対して、おそらくアバンは魔法だけではなく多岐にわたる学問を教えたに違いない。 もう一人の師、マトリフのように宮廷魔道士として政務に関わるには充分すぎるほどの頭脳を持っていると言える。 だが、本人は自覚がないのか、全くその気はなさそうだが。 マァムやアバンのように故郷に帰る者もいれば、怪物の楽園であるデルムリン島に行きたいと望んだ者もいる。 「……?」 不意に、見つめていた書類に影が差す。 ここは城の上層部にある部屋だけに、それは本来ならば有り得ない光景だろう。だが、今、窓の外にいる少年に限っては不可能ではない。 「ポップ君……」 窓の外にいるのは、ポップだった。 「どうしたの、ポップ君。こんな時間に?」 「へへっ、邪魔しちゃったかな?」 笑いながら、ポップは窓枠にちょこんと腰を掛ける。 「夜に女の子の部屋に来るのはちょっと非常識かなって思ったんだけど、姫さんも忙しいからこんな時間しかなくってさ」 「それは別にいいけど……何か、話でもあるの?」 「いいや、別にないよ。おれは、聞きたいことはないんだ」 ゆっくりとそう言ってから、ポップは意味ありげに軽くウインクをする。 「でも――姫さんは、言いたいことがあるんじゃないかって思ってね」 「…………」 その質問に、レオナは沈黙する。 「そういや、この服、ありがとうな。すっごく着心地いいぜ」 ポップが着ているのは、緑色の旅人の服だ。 以前の旅人の服はロモス王が国を救ってくれた感謝の証しとして贈ったもので、名誉ではあるものの、品質的には通常の旅人の服と変わりはなかった。 法術を織り込んだパプニカ産の布地は、軽くとも鉄の鎧並の強度を持ち、防御力に長けている。 パプニカに戻ってすぐ、ポップがまだ床から離れられない状態の時から制作を命じた品だが、出来上がるまでにほぼ一ヶ月近くかかったことからもその手間のかかりようが伺える。 「これはもう、是非お礼をしなきゃと思ってさ。姫さん、今、時間ある?」 戸惑う王女の目の前に、ポップは自分の手を差し延べた。 「月夜の散歩、なんてどうかな? いい気晴らしになるぜ」
いつもは大人びて見えるレオナの顔に、年相応の少女の笑顔が浮かぶ。 「すごい、すごい……まるで、鳥みたい!」 風を切って、空を飛ぶ。 レオナ自身は魔法使いの少年の手を握っているだけで何もしていないのだが、ポップが上手くコントロールしてくれているので、まるで自分の意思で飛んでいるように思える。
「素敵ね。まるで夢を見ているみたい」 「まだまだ。散歩の楽しさは、これからだよ」 そう言ったからと思うと、ポップはレオナの手を繋いだまま瞬間移動呪文を唱えた。 「きゃっ?!」 一瞬で揺れ動く感覚にレオナは一瞬焦ったものの、次の瞬間には彼女はポップと共に、柔らかい砂地にいた。 「ここは……」 辺りを見回し、レオナは一瞬で切り替わった風景に驚く。 「ここ……もしかして、デルムリン島?」 「ご名答。よく分かったな」 「そりゃ、分かるに決まっているわ。あたしにとって、デルムリン島は特別だもの」 王女としての生活は、実は決まりきった儀式を繰り返す退屈な代物だ。 そんなレオナにとって、デルムリン島への旅行はほとんど初めての自由な旅だった。
夜目にも鮮やかな、顔の大きさほどもある大きな花を手にしたレオナだが、その表情は見る見るうちに沈み込む。
「……望みなんかないわ」 顔を近付けて花の香りを吸い込み、レオナは目を閉じる。目も眩むような甘い香りに、息が詰まりそうだ。 「望んだりしたら、罰があたるわよ。だって、世界は救われた……。だって、ダイ君は生きているんだもの。それだけで充分よ」 花びら越しに聞こえる声は、かすかにくぐもって聞こえる。それが決して花びらのせいだけではないと知っていながら、ポップははっきりと言った。 「ああ、ダイは生きている。――けど、おれはそれだけじゃ不満だ」 そう言うと、ポップはレオナの肩に手を掛け、再び瞬間移動呪文を唱えた――。
王女の手から、はらはらと花びらが散って落ちる。瞬間移動呪文で散った花は、湖の上にその花弁を落とした。 激しい戦火の傷跡も生々しい、壊れた遺跡。 戦いの合間、王女としての立場を離れ、ダイやポップと一緒に旅をした地。 テラン王国の外れにある、竜の騎士の遺跡だった。
「一ヶ月前……」 レオナもまた、思いだす。 大騒ぎして皆で勇者を捜していた際、ポップまでいなくなって騒ぎは大きくなる一方だった。 後で、前の晩にどこに言っていたのかと聞いてみたものの、二人とも照れくさそうに笑うばかりで教えてくれなかった。 「ダイは、ちょうどあそこにいた。あの、砕けた柱の所だ」 ポップが指差した場所に、レオナは近付いていく。 「そう、ちょうど、そこだよ。そこで、……ダイは、泣いていたんだ」 前に、逃げ出したダイがいた場所。 「だから、ここでなら我慢なんかしなくったっていいんだぜ、姫さん」
「……っ…っ……!」 抑えようとしても抑えきれない衝撃が、レオナを震わせる。 結果、声もなく立ちすくむレオナに、ポップの語りかける。その口調はどこまでも優しく、心地よく耳に響いた。 「ダイは……他人からかけられた期待で、いっぱいいっぱいで…辛かったんだろう。だからあいつはここで、ちょっと泣いて、弱味を吐き出した。ここなら誰もいないし、一人になれるから」 この地はテランの民にとっては聖域であり、みだりに近付いていい場所ではない。 「さて――おれは邪魔だろうから、少し、席を外すよ」 後で迎えにくるからと言い置いてどこかに行こうとしたポップを、レオナは引き止めた。
声が震えてしまうのは、どうしようもない。すでに、言葉は涙声になってしまっている。
昏睡から目覚めて以来、ポップは、ずっと一貫して明るい態度を取っている。 そう思うのは、レオナ自身が無理を重ねていたせいかもしれない。 「そうだな……おれは、我慢なんか、できない」 「……ポップ君……」 「ダイが生きてどっかにいるってだけじゃ、我慢なんかできないぜ。あいつとは旅の最初からずっと一緒だったんだ……、この先だってそうしたい。せっかく皆で勝ち取った平和なら――あいつもここで、一緒に味わうのが筋じゃないか」 背中からは、彼の表情は伺い知れない。 「我慢できないよ。 おれは、ダイと一緒に遊んだり、笑ったり……そんな風に平和を楽しみたいって、思ってる。それなのに生きてるだけで満足しろだなんて、あんまりだぜ」 その言葉が、レオナの中の最後の堰を切った。 「…っ……」 「ひ、姫さんっ?」 突然、自分の背中にしがみついてきたレオナにポップは焦った声を上げるが、彼女は構わずにその背に顔を埋める。 「……ダイ君に、今の君の言葉を、聞かせてあげた……かった……」 溢れ出す想いが、涙となって王女の頬をぬらす。 皆を勇気づけるためにも、弱音を吐けない立場にあった。 世界会議の場で、勇者の捜索を中止して復興のための手を打つべき時期だと、明言する。それが、世界の指導者として名乗りを上げた者の責任なのだから。 誰よりも大切な少年を捜す代わりに、戦火に荒れた自国を立て直す義務がレオナにはある。 だが、今は違う。 「…ダイ君……っ、ダイ君に…会いたい……っ…」 泣きじゃくる少女に、魔法使いは黙ったまま背中を貸してくれた――。
それが分かっていても、レオナは腰をあげようとしなかった。 「姫さん、そろそろ帰った方がよくないか? 今日、世界会議があるんだろ?」 少し離れた所で湖に石を投げ込みながら、ポップはいかにも気掛かりそうに空を何度も見上げているが、レオナは首を左右に振った。 「まだ、月は出ているわ。もう少し……もう少しだけ、ここにいたいの」
平たい石は水を切って二、三度度水面を飛び跳ね、沈んでいく。 「なあ、姫さん。吟遊詩人とかが語っている勇者談って聞いたことあるかい?」 唐突な質問ではあるが、レオナは即座に頷いた。 「ええ」 竜の騎士の末裔である、勇者ダイ。 闘神の子は、人間を愛し、人間と共に地上で暮らした。そして地上を守るために、魔王と倒し、そのまま誰の手も届かない天高くへと駆け昇ってしまった、と……。 その伝説は、ある意味で正しい。 爆破寸前の爆弾を抱いて飛んだのは、ダイ一人ではない。 そして、より呪文が得意なのはポップの方だ。二人がかりで全速で飛ばなければ、誘爆を防ぐ安全圏まで爆弾を運べなかった。 自分達は犠牲になるが、他に道はなかった。その時、ポップは爆弾を少しでも遠くで爆発させるために、ダイと一緒に死ぬつもりだった。 「あのままだったら、おれも一緒に英雄伝説に名前が残ったかもしんないな。だけどさ、ダイの奴、最後におれを蹴飛ばしやがった」 蹴られたのが不満とばかりに文句を言うポップに、レオナは少しだけ苦笑する。 ただの人間であるポップと違い、ダイには打つ手があった。 うかつに魔法をしかけると誘爆するという厄介な爆弾だが、竜の騎士だけがもつ竜闘気を使えば、封じ込められる。 ただし、それは命懸けの作業になる。 それと同じ事を、ダイもした。 「……ダイ君は、ポップ君を助けたかったのよ」 レオナの声が、少し震える。 あの時――。 だが、その驚きが消える間もなく、ダイとポップは飛び出していってしまった。 「ダイ君は……地上が一番好きだと言ったわ。人間が、地上に住むすべての生き物が好きだって。自分が戻れないなら、せめて君だけでも地上に返したかったんだわ」 ダイを失って一度はどん底に突き落とされた勇者一行が、ポップの生還にどれほど力づけられたか。 「そりゃあ、おれは英雄になって天に昇るなんてより、地上でせせこましく生きている方が似合うもんな」 一人、納得したように頷いてるポップに、レオナは思わずくすりと笑う。 (……ポップ君、相変わらず自分のことになると、鈍いのね) 自分の価値を全く自覚していない魔法使いに、レオナは問いかける。 「……ポップ君は、これからどうするの?」 「ダイを捜すに、決まっているだろ」 ごく当たり前のように、ポップは言い返す。 「いくら国が捜索を打ち切るって言っても、個人的にダイを捜すのが禁止されたわけじゃないんだし」 「そう……」 正直、その選択が、最良だとはレオナには思えない。 だが、レオナはポップにその道を強制する気はなかった。 それを立ち直らせ、それぞれの道を考え直すゆとりを与えてくれたのは、紛れもなくポップだった。 そのポップがこだわりたいと言うのなら、邪魔をせず本人の気が済むまで見守ってあげたいと思う。ちょうどポップがレオナに対して、そうしてくれたように。 「……そろそろ、帰りましょうか」 空がついに赤みを帯びてきたのを見て、レオナは気持ちに区切りをつける。 ……おそらくは、天に姿を消した勇者もそう望んでいるだろうから。
《後書き》
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